第4話:一人きりの公爵邸と、指南書の限界
地下室での話し合いによって、固い絆を取り戻したゼノンたち。
しかし、一度は「別居」の手紙を残して邸宅を飛び出さざるを得なかったリーゼロッテの胸中には、未だ深い傷が残っていました。
今回は、誤解が解ける直前、静まり返った公爵邸でゼノンが味わった孤独と、そこからの逆襲への誓いを描きます。ご覧ください。
絶対結界室の扉が開き、ゼノンはエルナを肩に乗せ、隣にリーゼロッテを連れて地上へと戻ってきた。
先ほどまで王都の空を覆っていた禍々しい雷雲は綺麗に消え去り、今は穏やかな星空が広がっている。
しかし、ゼノンが一度味わった「世界のすべてを失ったかのような絶望」の残り香は、未だ公爵邸の冷えた空気の中に漂っていた。
「……ゼノン様。
本当に、ごめんなさい。私、あんな見え透いた罠に騙されて、あなたを疑って、手紙まで残して……」
リビングのソファに腰掛けたリーゼロッテが、申し訳なさそうに視線を落とす。その指先は、まだ微かに震えていた。
聖女として、常に毅然と生きてきた彼女。
だからこそ、夫への愛が深いからこそ、裏切られた(と思い込んだ)時の衝撃は、彼女の理性を完全に狂わせていたのだ。
「気にするな、リーゼロッテ。悪いのは君ではない。我が家の平穏を、あろうことか私自身の姿を使って汚そうとした、あの卑劣な黒幕だ」
ゼノンは彼女の隣に座り、その肩を優しく抱き寄せた。
ソファの足元では、エルナが「パパとママ、もう怒りんぼしちゃダメだよ?」と言いながら、お気に入りのぬいぐるみを二人の膝の上にぽんと置いた。
「ああ、約束しよう。エルナ」
ゼノンは娘の頭を撫でながら、胸の奥で冷徹に思考を巡らせていた。
今回はエルナの機転によって、事態は数時間で収束した。だが、もしエルナが普通の5歳児だったらどうなっていたか。
リーゼロッテは傷ついたまま実家に引きこもり、自分は王都を恐怖で染め上げ、取り返しのつかない破滅へと突き進んでいたかもしれない。
(ガルフォード侯爵……。貴様が仕掛けたのは、単なる不倫の捏造ではない。私の『家族』という名の逆鱗を、正面から踏み抜く行為だ)
前世の魔王時代、ゼノンは裏切りや陰謀など日常茶飯事の中で生きていた。
だが、今の彼は違う。「守るべき温固な家庭」を持つ、一人の夫であり父親だ。
ゼノンは静かに立ち上がり、書斎へと向かった。
机の上に置かれた、世界で唯一彼だけが読める『魔王の書(実際は前世の術式ノート)』を開く。そこには、かつて一国を一夜にして呪い殺した禁忌の追跡魔術の数々が記されていた。
「ゼノン様……?」
後ろからついてきたリーゼロッテが、彼の背中に宿る圧倒的な魔圧に息を呑む。
「リーゼロッテ、エルナを連れて先に寝室へ行っていてくれ。私は少し、庭の害虫駆除の段取りをしてくる」
「害虫、ですか……?」
「ああ
我が家の庭に紛れ込んだ、酷く悪臭を放つ、傲慢な虫だ。根こそぎ駆除せねば、明日の朝食が不味くなるな」
ゼノンの瞳の奥で、漆黒の魔力が冷たく明滅する。
その言葉の意図を察したリーゼロッテは、止める代わりに、静かに聖杖を握りしめた。
「わかりました。
……でも、夜更かしはいけませんよ。明日、あなたが大好きな特製ステーキを焼きますから」
「ふむ。楽しみにしているぞ」
最愛の妻の言葉に、ゼノンは一瞬だけ優しい微笑みを浮かべた。
そして彼女たちが部屋を出た瞬間、その微笑みは完全に消え去り、かつて世界を絶望させた【魔王】の冷徹な貌へと戻った。
「まずは、その汚れた手を伸ばした暗殺者からだな。我が魔力に触れた者が、タダで眠れると思うなよ」
ゼノンは指先を軽く振った。
空間が歪み、王都の闇に潜む「何か」を強制的に手繰り寄せ始める。
最強夫婦を怒らせた代償は、ガルフォード侯爵にとって、想像を絶する恐怖の始まりに過ぎなかった。
第4話をお読みいただきありがとうございます。
家族の絆を再確認したゼノンが、ついに復讐へと動き出す静かな怒りの回となりました。最愛の家族を傷つけられた魔王が、どのような手段で黒幕を追い詰めていくのか。
次回、第5話からは、ガルフォード侯爵の陣営がパニックに陥る怒涛の展開が始まります。どうぞお楽しみに!
物語を応援してくださる方は、ぜひぜひ画面下の【ブックマークに追加】と、【☆☆☆☆☆】の評価をいただけますと幸いです。皆様の応援が最高の励みになります!




