第8話:魔の森の境界線
カイルが差し出してきた、国王のサイン入りの強制命令書。
それを手にしたゼノンは、怒るどころか、どこか楽しげに口角を釣り上げた。
「未開の魔の森、か。
千年前、私の元部下である植物系の四天王が、趣味の悪い盆栽を育てるために囲い込んでいた私有地だな。まだ残っていたとはな」
「え……? ぼ、盆栽……?」
カイルが間抜けな声を上げる。
世界中の冒険者が一歩足を踏み入れただけで生きては戻れないとされる、人類未踏の絶望の原生林。
それが元魔王の口から出ると、ただの元部下の園芸スペースという牧歌的な単語にすり替わってしまった。
「ゼノン様、あの森なら、私も聖教会の遠征で外周までは行ったことがあります。
確か、非常に珍しい薬草や、人間の王都では手に入らない最高級の香辛料、それに美味な野生の魔獣がたくさん生息しているのですよね?」
リーゼロッテが聖杖を指先で弄びながら、うっとりとした表情で言葉を重ねる。
「ああ、その通りだ、リーゼロッテ。
あそこの大猪の肉は、適度に魔力を帯びていて、じっくり火を通すと至高のステーキになる。
エルナの成長期にもうってつけだな」
「わーい! おっきいお肉、また食べられるの!?」
ゼノンの腕の中で、エルナが小さな拳を突き上げて大はしゃぎした。
カイルをはじめ、後ろに控える王宮直属の魔導師たちは、あまりの次元の違いに顎が外れんばかりに驚愕していた。
国王たちが必死に頭を悩ませ、「今度こそ確実にこの化け物夫婦を葬り去る」ために用意した決死の罠は、最強家族にとっては、ただの「最高級の食材が揃ったプライベート・リゾート」にしか見えていなかったのだ。
「カイル。この命令、謹んで受け入れよう。
王城の臆病者たちには、『お望み通り二度と戻らない』と伝えておけ」
ゼノンは羊皮紙を懐に収めると、リーゼロッテの手を取り、悠然と歩き出した。
カイルはその圧倒的な強者の背中を見送りながら、深く、深く溜息をついた。
「……陛下たちは、本当に取り返しのつかない愚行を犯してしまったな」
国軍の精鋭たちが平伏する中、最強家族は王国の国境を越え、鬱蒼と生い茂る緑の深淵——【魔の森】へと向かって、ピクニックにでも行くかのようなお気楽な足取りで進んでいった。
数日の旅路を経て、三人は魔の森の外周に位置する、王国最果ての辺境都市『ガルガ』へと到着した。
ここは魔の森から溢れ出す魔獣を食い止めるための巨大な城壁に囲まれた、荒くれ者の冒険者や国境守備隊が集まる殺伐とした街だった。
「ずいぶんと、賑やかな街ですね、あなた」
旅用のフード付きマントを深く被ったリーゼロッテが、周囲を見回しながら呟く。
彼女の並外れた美貌と聖女としてのオーラは、あまりにも目立ちすぎるため、今は認識阻害の魔法を薄く編み込んだマントで隠している。
それはゼノンとエルナも同様だった。身分を隠し、静かに新生活の拠点を確保するためだ。
「まずは、この街の冒険者ギルドへ向かおう。
指南書『新天地での人脈作りの基本』によれば、【地元の有力なギルドに籍を置き、実力を少しずつ示すのが、余計なトラブルを避ける最善の道である】とあるからな」
「まあ、素敵な心がけですわ。私たち、今日から『新人冒険者』なのですね」
ふたりは微笑み合い、街の中央に位置する無骨な石造りの建物——冒険者ギルド『ガルガ支部』の重厚な扉を押し開けた。
ガヤガヤと、酒と汗の臭いが立ち込めるギルド内。
壁一面に貼られた討伐依頼の紙、そして凶悪な武器を携えた大男たちが、新顔の入場に一斉に視線を向けた。フードを被った男と女、そして小さな子供。
どう見ても場違いな三人連れに対し、荒くれ者たちの間から、下卑た笑い声が漏れ始める。
「おいおい、見ろよ。迷い込んできたぜ、おままごと気分の親子連れだ」
「魔の森の恐ろしさを知らねえ都会のモヤシが、ピクニックにでも来たか?」
大男の一人が、わざとらしくゼノンたちの行く手を阻むように立ち塞がった。身の丈二メートルはあろうかという、大斧を背負ったCランク冒険者の男だ。
(やれやれ。指南書には『余計なトラブルを避ける』とあったが、どこの世界にも、わざわざ私の靴底に踏まれにくる羽虫は絶えないようだな)
ゼノンはフードの奥で、冷徹に男の力量を測定した。戦闘力、わずか3。千年前の魔王軍の最下級の泥人形の、さらに足の指一本分にも満たない。
「そこを退いてくれないか。私たちは登録手続きをしにきただけだ」
「ああん? 新人の分際で生意気な口を叩きやがって……。
おい、魔の森の入り口ってのはなぁ、お前らみたいな甘ちゃんが足を踏み入れたら、一瞬で骨も残さず貪り食われる地獄なんだよ!
分かったら、その綺麗なネエちゃんをここに置いて、ガキ連れて田舎に帰りな!」
男が下卑た手をリーゼロッテの肩へと伸ばそうとした、その瞬間。
ピキリ、と。
ギルド内の空間の温度が、一瞬でマイナス数十度まで急降下したかのような錯覚が一同を襲った。
ゼノンが放ったのは、覇気ですらない。ただの、ほんの微量な『不快感の表出』。
それだけで、手を伸ばしかけた大男は、まるで心臓を氷の楔で直接突き刺されたかのように全身の硬直を起こし、そのまま白目を剥いて床へとドサリと倒れ込んだ。
「が、あ……っ、あ……」
口から泡を吹き、痙攣する大男。
周囲の荒くれ者たちは、何が起きたのか全く理解できず、ただただ圧倒的な死の気配に圧倒され、持っていた酒杯を床に落としてガタガタと震え始めた。
一瞬にして、ギルド内は墓場のような静寂に包まれる。
「……ゼノン様。トラブルを避けるのではなかったのですか?」
リーゼロッテが呆れたようにマントの奥から囁く。
「仕方がなかろう。我が最愛の妻に触れようとしたのだ。
私の指先が、自動的に彼の生存権を剥奪しようとしてしまった。これでも、魂を消滅させなかっただけ、私の自制心は全盛期よりも遥かに向上している」
ゼノンは平然と言い放つと、怯えきって硬直している受付嬢の前へと歩み寄り、懐から銀貨を数枚、コンと置いた。
「新規の冒険者登録をお願いしたい。
名前はゼノン。
こちらの妻はリーゼロッテ、そして娘のエルナだ。
……手続きを急いでもらえるか? これから、魔の森へ『夕食の買い出し』に行かねばならないのでな」
受付嬢は、涙目を浮かべながら何度も激しく首を縦に振り、震える手で登録用の魔導カードを差し出すのだった。
人間の王国が仕掛けた「決死の追放」は、こうして、最強家族による魔の森の「食材ハンティング生活」という、圧倒的な新章の幕開けへと姿を変えていく。
第8話をお読みいただきありがとうございます。
皆様のご要望に応え、第1章からの流れを完全に維持したまま、物語は王国の理不尽な追撃を跳ね除け、新たなる舞台『魔の森の辺境都市』へと突入しました!
どんなに環境が変わろうとも、ゼノンの基準が「家族の夕食」にあること、そして最愛の妻に手を伸ばそうとする不届き者への容赦なき「神速のざまぁ」の健在っぷりを楽しんでいただけましたでしょうか。
次回、第9話からは、いよいよSSS級の【魔の森】へと足を踏み入れたゼノンたちが、世界を震撼させる超希少な魔獣をただの「肉」として狩り尽くす、お気楽無双のハンティングライフが始まります!
この先の最強家族ののびのびとした活躍が気になる方、エルナちゃんの「お肉コール」をもっと聞きたいという方は、ぜひぜひ、画面下の【ブックマークに追加】と、【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆の最大の励みになります!
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