第二十七話 おっさん、大司教を制圧する
扉を開けると、そこは不思議な空間だった。
ものの見事に何もない。だだっ広い真っ白がどこまでも続いている。
一応、足場はある。だがそれも『足場として認識できる』という程度のふわっとしたもので、いかにも『便宜上設定した』という感じがする。
忍者でなければ平衡感覚が狂うだろうな、これ。
「神人が作った、ある種の仮想空間だ」
ドゥーロン大司教が、重々しい声で言う。
「少なくとも西方連盟の学者たちはそう解釈している。真偽のほどは定かでないが――」
振り向いてこちらを見下ろす。
「確かなことがいくつかある。ひとつは、この場にいるのが儂と貴公のみ、ということだ。モチヅキ・ハンゾーよ」
「同時に誰の邪魔も入らない場所でもある、ってことだな」
ガラにもなく、指をぽきりぽきりと鳴らしてみる。
やれやれ。つい忍者らしくない真似もしてしまうな。
目の前には英雄と称えられる偉丈夫がいて。
誰の目を気にすることもなく、存分に力をふるえる。
こんなシチュエーション滅多にない。
「いいだろう。さっそく始めようか大司教」
さあどう出る?
小細工の入る余地のない、真っ向からの力勝負だ。二メートル近い身長があり、体重も百キロは軽く超えるドゥーロン大司教にとっては、まさしく望むところだろう。
まあ小細工の入る余地がないように見えても、何だかんだで小細工できるのが忍者ってやつなんだが。戯れに力比べをしてみるのも悪くない。
「うむ――ではゆくぞ、モチヅキ・ハンゾー!」
大司教が構えを取る。
迎え撃つ俺は、両手をだらりと下げた自然体。
大司教が踏み込んだ。
体格に似ないスピード――並の相手ならこれだけで勝負がつくであろう、鋭い突進。
にやりと笑って俺は迎撃する。
大司教に致命傷を与える数十もの方法が頭に浮かび、どれを選ぶべきか迷うだけの余裕が俺にはある。
さあ大司教。
あんたの力を見せてくれ。
「ぬおおおおおおおおおおッ!」
雄叫びを上げる大司教。
刹那の後、俺たちは最初の一撃を交わし合う――かと思われたのだが。
「――参りましたああああああっ!」
ずささささささぁ―――――っ!
スライディング土下座をかまして、大司教がギブアップした。
……しーんと静まり返る。
幸か不幸か、この場所には俺と大司教しかいない。
つまりツッコミ役は俺しかいない。
「……ま、そんな気はしてた」
俺はため息をつく。
「あんたの発していた殺気は、ぜんぜん本気に見えなかったんでな。顔を上げてくれ大司教。話をしよう」
「むう。いつからバレておった? ワシの演技、見破れる者はほとんどおらんのじゃが」
「割と最初から。フリージアとオルマールは気づかないだろうな。あいつら基本的に単純バカだから」
「やれやれ。最初からバレておったとなると、ワシもちょっと照れくさいわい――よっこらせ、っと」
土下座をやめて大司教はあぐらをかく。
俺も大司教と面と向かって座った。
さて、ようやくまともに話ができるな。
「手っ取り早くいこうか大司教。あんたの言いたいことはだいたい想像がつく」
「ありゃま。そこまでバレとる?」
「精霊教会とあんた自身の面子を保ってもらいたい、というんだろう? 構わんよ、この勝負は引き分けってことにしよう」
「……よいのか?」
「いいさ。あんたの面子を立てておいた方が、先々なにかと得だ。忍者は名誉より現実を取る。煙を食っても腹はふくれない」
俺はニヤリと笑う。
こういう取引も決して嫌いじゃない。
「見返りとして、あんたは俺のために何でもする。精霊教会が取り計う便宜を、俺は自由に使う権利を得る。そういう提案を持ちかけるつもりだったんだろ?始めから」
「……やれやれ、参ったのう」
大司教は頭をかく。おどけた仕草。
さっきまでの厳かな雰囲気はどこへやら。
図体こそデカいが、そこらの公園でひなたぼっこしてる好々爺みたいだ。
「すべてお主が指摘した通りじゃ。恐ろしく頭が回る男じゃの」
「忍者はバカじゃ務まらない。元々あんたが政治家として一流だという話も聞いていた。ガチンコのケンカになるよりは、こうなる可能性の方が高いと踏んでたよ」
「じゃったらもう少し、年寄りにやさしくしてくれんかのう」
恨めしそうに大司教は言う。
「ワシも歳なんで、ハッタリ利かせるのもそろそろキツくなってきとる。なるべく大聖堂の奥に引っ込んで、伝説の人物っぽい雰囲気を作っておったんじゃが――他の連中の前で実力っぽいのを示すのは、けっこう苦労するんじゃよ、これでも」
「謙遜だな大司教。あんたの実力は本物だ。あんたがその気になれば、けっこういい勝負になると思うんだが」
「そういじめんでくれ若いの。そりゃ儂だって全力を出せば、お前さんの髪の毛ひと房ぐらいはもぎ取れるかもしれんが。次の瞬間には八つ裂き決定じゃ。そもそもワシ、初見の時点でお前さんに殺されとるし」
「へえ。やっぱりわかってるじゃないか」
大司教が言ってるのは、俺が初見の際に放った、錐のように細い殺気のことだ。
「生きた心地がせんかったよ、あの瞬間は。小魚のように三枚に下ろされるのを幻視したわい。『あ、これ無理』と思いましたねワシ。むしろおしっこを漏らさなかったのを褒めてほしい」
「大したもんだよ。俺の殺気をまともに食らって、眉ひとつ動かしてなかったからな」
「そこはほれ、ワシって演技派じゃから」
ふぉふぉふぉ、と笑う大司教。
いいじゃないか。
トップたる者、このくらいのタヌキでないと困る。フリージアやオルマールは真っ直ぐすぎるので、ドゥーロン大司教のような”寝技”の使い手は貴重なのだ。
どうやらシェルブールの旅、大収穫を得て終えることができそうだ。
「しかし懐かしいのう」
あごひげを撫でて、大司教は懐かしそうな顔をする。
「お主を見ていると、ワシを含めた『七英雄』の時代を思い出す。もう過ぎ去ってしまった昔ではあるが、英傑たちが割拠するよき時代であった」
七英雄。
知識だけはある。
数十年前、群雄割拠だった大陸に安寧をもたらした、七人の英雄のことだ。
竜を始めとする幻想種や、凶悪な魔獣たちが闊歩し、国々が戦争に明け暮れる中。七人の英雄が立ち上がり、痛快な大活躍をする――
吟遊詩人たちが酒場で謳い、根強い人気を誇る冒険譚だ。
「ドゥーロン大司教」
「何かの」
「あんたは七英雄の中でも強い方だったのか?」
「まさか。下っ端も下っ端、ほとんど雑用係みたいなもんじゃったわい。他の連中はあまりにも化け物じみててのう……」
なるほどな。
いい話を聞いた。
強者の話を聞くと、つい血がたぎってしまう。
「……嬉しそうな顔をしおってからに。だが気をつけるのじゃぞ? お主の力はワシが保証するが、ワシ以外の七英雄は本気で規格外ゆえ」
「わかってるさ。忍者は決して油断しない。これから先、あんた以外の七英雄にひとりずつ会って――」
「会ってどうする?」
「ひとり残らず屈服させて、仲間にする」
「……くくく。うわっはっはっは!」
ひざを叩いて大司教は笑う。
「愉快、痛快! 異世界より召喚されし勇者は、そうあってもらわねば困る!」
あぐらをかいたまま、前のめりになって、
「モチヅキ・ハンゾーよ、お主のやることに注文はつけぬ! ワシと精霊教会は、お主を全力で補佐させてもらおう! 好きなようにこの大陸を駆け、好きなように振る舞うがよい!」
「ああ。言われなくてもそうするさ」
「ついでにこの世界も救ってくれれば言うことはない! 『やつら』が刻一刻と迫ってきておる現状を、お主の力で変えてもらいたい! よろしく頼むぞ!」
「やれやれだな」
肩をすくめる。
ドゥーロン大司教、やはり大したタマだ。
おそらくだが、こうなるシナリオをあらかじめ計算していたのだろう。
もちろんそのシナリオは、俺の読みとも合致する。
だからこそ大司教の思惑にまんまと乗ってやったわけだ。
「ところでハンゾーよ」
大司教がおもむろに、懐から何かを取り出した。
小ぶりの酒瓶だ。シェルーブルの都で有名な、とある酒蔵のものである。
「こうなることを見越して、とっておきの酒を持ち込んでおるのじゃが。お近づきの印にここで一杯やっていかんか?」
「気が合うな」
俺も懐から酒瓶を取り出して、
「こういう流れになるのは読めていた。お互いのとっておきを持ち寄って、飲み比べとしゃれ込むのはどうだ?」
「……ぬははははははははは!」
今日一番の大声で、大司教は笑う。
「これほど愉快なのは何十年ぶりか! お主ほど話の分かる男はそうそうおるまいて! さあさ、飲もうぞモチヅキ・ハンゾー、腕っ節は大したことのないワシじゃが、酒に関しては大陸随一と自負しておるぞ!?」
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……そんなわけで。
俺と大司教は酒を酌み交わし、親交を深め合うのだった。
ガチの腕比べができなかったのは残念だが――
精霊教会を完全に掌握できただけでも、あまりに価値ある大勝利。
欲張りすぎないのも忍者の心得。まずは一献、祝杯をあげるとしようじゃないか。




