0002 本当の人生
嘘だ。こんな嘘がまかり通って良いのか。そんな筈はない。こんな嘘の世界で幸せになった所で、何の慰めにもならない。
あの日、雨が降っていたあの日に、トラックに轢かれて現世にて死を賜り、あの異世界にて第二の人生を与えられた。この世界では、誰もが自分に優しい。自分の事を「大好き」というヒロインもいれば、「ずっと友達だ」というライバルもいれば、わかりやすい「敵」も居る。単純で、優しくて、ここには自分にとって不都合なものは一切ない。
でも、気づいてしまった。そんなのは生きているとは言えない。生かしてもらっているだけだ。全部用意してもらって、作ってもらっている環境で生かしてもらっているに過ぎない。まるで水槽の中の金魚みたいに、檻に入って餌をもらう生活だ。
こんなのが人生と呼んでいいものなのか。違う。これは生かされているだけで、生きているとは言えない。
「どうして、どうしてなの? 私、あなたが大好きなのよ」
ヒロインはそう言いながら自分を引き止める。うるさい。今更白々しい嘘を言うな。そういうお前は俺の何処が好きなんだ。あんまりにも五月蝿いので、勇者の剣で頭を割る。ライバルについては、心臓を一突きだ。
俺は、また現世にてやり直す。どんなに理不尽でも、どんなに残酷でも、ここより生きがいのある世界に違いない。楽園と見せかけた檻から出るんだ。
転生では、ここで折角手に入れた力を自ら捨てる事になる。現世への転移という形で、ここから抜け出すんだ。また現実でやり直すんだ。
懐かしい風景だ。コンクリート・ジャングルとも言われた、ビル、ビル、ビルの世界である。この間まで剣と魔法の中世ファンタジーの世界とは大違いだ。
異世界から転移する際に、要らない武器・鎧は全部捨てていった。勇者の剣も、あっさりと捨てた。これからどんな目に遭うのかは分からないが、それでも異世界よりマシに違いない。
これから1人の男として生き直すんだ。生きる為に、だ。飼われる為に、ではない。
さて、偽りの冒険はもう終わりだ。これからは人生の始まりだ。そう思って歩き出そうとした時、背中にゾクッとする気配を感じた。
「まったく、折角転生したのに、全部捨てて現世に戻ってくるとは。儂の顔に泥を塗るのか」
「もう、あそこは嫌なんだ」
「ここも嫌だったんじゃないのか」
「確かに、嫌な事も、傷ついた事も、裏切られた事もあった。それでも、異世界より生きがいはある世界だ」
「お前みたいな事を言う奴は昔からいくらでも居た。そして皆、やっぱり異世界が良いと言って戻っていった。お前はどうだ」
「さぁな、でも、俺はあそこに今更戻るつもりはない。次はカウンタックやフェラーリでもぶつけて殺すんだな」
「気に入った。お前、まだ仕事始める前に死んだんだよな。なら、人生最初の仕事をやらせてやる。ついてこい」
「彼女」は、目を開く。ここに来るやつが居る。「SAKURA」を手にして、弾丸を込めようとしたが、その前にドアが開く。
「私だ」
言葉だけが響く。しかし、この声は間違いなく「神様」の声だ。姿無き神は、名も無き「彼女」に命じる。
「こいつをお前に預ける。どうぞこき使ってくれ」
「……なら、もう一つ、武器を」
「良いのか、裏切られた際に後ろから撃たれるかもしれないぞ」
「良いじゃない、私の代わりは幾らでもいる」
「彼女」の言葉が終わるのと同時に、天井から一丁の拳銃が降ってくる。コルト・ガバメントM1911A2。45口径と38口径の二通りがあるが、こちらは45口径だ。
「ふん、銃か。ついさっきまで剣を振り回していたんだけどな。まぁいい、あんな武器に未練なんて無い」
「じゃあ、早速出かけるわよ」
「何処へ?」
「決まっているじゃない。銃の訓練よ」
電車、バス、徒歩にて移動する事、数時間。ようやく辿り着いた人気のない山奥にて、「彼」は言う。
「なぁ、訓練前にさ、一応だけどお互いに名前で呼び合おうぜ」
「私には名前なんて意味がない。ただ、「死弾」って呼ばれている」
「じゃあ、あんたはそれで決まり。俺は、そうだな、「ハスキー」だ。「ハスキー」って呼んでくれ」
その名前は、犬の品種を指す言葉であると、「死弾」は気がついていた。
「ハスキー」は、「死弾」からブローバック拳銃の簡単な使い方をレクチャーする。まずは安全装置を外して、弾倉に弾を込めて装填、薬室に弾を装填する為にスライドを半分だけ引く。あとは、リアサイト越しに標的を狙って撃つ。
「簡単でしょ」
「まぁ、慣れていくさ。それじゃあ、早速やってみようか」
「……ちょっと待って。丁度いい練習相手が近づいている」
「何だそれ、熊でも出たか」
これまで、この近辺を縄張りにして、餌になるものは家庭菜園の野菜から人間の食べ物、そして飼い犬に至るまで食らってきた「彼」は、今度は縄張りに大胆に踏み込んできた人間を狙う。既に過去に3人を食ってきた「彼」は、もう人の味を覚えている。
絶好の「獲物」である。食っちまえば良い。どうせろくな武器も持っていないだろう。
「く、熊だ。本物の、熊じゃねぇかぁ!」
「ハスキー」は完全に混乱した状態で、拳銃を向けると、弾倉が空になるまで撃ち続ける。どデカい的なので、8発全弾命中である。しかし、どうにも変だ。威力が、拳銃のそれじゃない。デカい熊の身体に、スイカ並みの大きさの傷がクレーターの如く穿ち、全身の毛が急速に抜け落ちて、皮膚が焼けただれるように腫れがあり、その場に倒れると、染みだけを残して消え去ってしまった。
「す、すげぇ。熊が、こんな豆鉄砲で」
お下げの「死弾」は、慄然とする「ハスキー」に言う。
「扱いに気をつけなさい。むやみやたらに撃つのも駄目よ」
「死弾」の言葉には、この拳銃の恐ろしさと共に、自分に課せられた役割の重さも教育していた。それでも、異世界に戻るより、ここで生きたほうがマシだ。だからこそ、ここに居るのではないのか。




