第五十一話 二人の証
一
屋敷に戻ると、竹千代はまっすぐに稽古場へと向かった。平蔵は槍の手入れをしていたが、竹千代の腰元に目を留めると、隻眼を大きく見開いた。「……できたか」
「はい、太郎兵衛殿の手により、見事に仕上がりましてございます」竹千代は腰帯に手を添え、双短剣の鞘が左右に配された様子を見せた。「平蔵殿、早速にございますが、動きを検分していただけましょうか」
平蔵は頷き、少し離れた位置に立った。「よかろう。……まずは、いつも通りに双燕を舞うてみせよ」
竹千代は腰から双短剣を抜いた。これまで懐から取り出していた時とは異なり、両手が交差することなく、左右それぞれ滑らかに刃が引き抜かれた。竹千代はその感触に、思わず小さく息を呑んだ。摺り足、捻り、崩し。二つの刃が朝の光を受けて円弧を描く。これまでと変わらぬ舞のはずだったが、動きの端々に、これまでにない軽やかさが加わっているように感じられた。
型を一巡させ、竹千代は刃を鞘に納めた。今度は、これもまた滑らかに、迷いなく鞘へと吸い込まれるように収まった。
平蔵はしばし黙って見つめていたが、やがて満足げに頷いた。「……良い。抜きも納めも、これまでより滑らかになっておる。特に、双燕の型の始まりにおいて、左右の刃が同時に構えを取れるようになったのは、大きな違いよ」
二
「では、槍にて、殺意を込める技も試してみよ」平蔵の指示に、竹千代は槍を手に取った。腰の双短剣がそのままの位置に収まっているため、槍を構える際の重心にも、これまでと違う安定感があった。
摺り足を踏み、穂先を的へと向ける。殺意を込めるその刹那、竹千代は腰にある双短剣の重みを、確かな支えとして感じ取った。震えはほとんど起こらず、竹千代は迷いなく踏み込み、穂先が的の中心を深々と貫いた。
「見事じゃ」平蔵は的に近づき、突き傷を検分しながら言った。「腰の帯があることで、そなたの重心そのものが、以前より落ち着いておるように見える。……道具の工夫一つで、これほど変わるものかとは、正直、驚かされた」
竹千代は槍を下ろし、額の汗を拭いながら答えた。「それがしも、これほどの違いが出るとは思うておりませなんだ。……平蔵殿の助言があってこその仕立てにございます」
平蔵は隻眼を細め、笑った。「井堰の改修、双燕、厩、馬、猪、そしてこの帯。……そなたは、一つひとつの道具や技を、丁寧に磨き上げてきたのじゃな。その積み重ねが、今、こうして一つに結びついておる」
竹千代は師の言葉に、深く頷いた。腰に馴染んだ双短剣の重みを確かめながら、これまでの地ならしのすべてが、この一つの形に集約されたような、満足感が胸に広がっていた。「これよりも、この帯と共に、精進を重ねて参りたく存じます」
平蔵は満足げに頷き、朝の光の中、二人はしばし、稽古場に満ちる充実の時を分かち合った。
三
竹千代は稽古を終えると、腰帯を締めたまま、その足で弥左衛門の居室へと向かった。「父上、少々よろしゅうございますか」声をかけると、内から短く応えが返った。
居室に入ると、弥左衛門は文机の前で書き物をしていたが、竹千代の腰元に目を留めると、筆を止めた。「……それが、先だって申しておった帯か」
「はい」竹千代は腰帯に手を添え、父の前に進み出た。「太郎兵衛殿の手により、此度、見事に仕上がりましてございます。……厩普請で得た猪の皮を用い、平蔵殿のご助言も頂戴しながら拵えました」
弥左衛門は立ち上がり、竹千代の腰元を検分するように見つめた。「なるほど、双短剣を、こう腰に据えるわけか」父は帯の仕立てを丹念に検め、感心したように頷いた。「良い仕立てよ。……懐に忍ばせるより、よほど扱いやすかろう」
「はい」竹千代は頷いた。「先ほど平蔵殿の前で、双燕と槍の技、両方を試しましてございます。……抜きも納めも滑らかになり、殺意を込める技における震えも、ほとんど感じられなくなりました」
弥左衛門はその言葉に、しばし黙って竹千代を見つめていた。「震えが、消えたか」
「消えた、と申しますより」竹千代は言葉を選びながら答えた。「恐れそのものは、まだ胸の内にございます。……されど、それに呑まれることのう、共に在れるようになった、というのが、正しいように存じます」
四
弥左衛門はその答えに、深く頷いた。「……それでよい。恐れを失うたわけではない、というのが、何よりの証よ。恐れを知らぬ者ほど、危ういものはない」
竹千代は父の言葉を、噛み締めた。「かたじけのう存じます」
弥左衛門は竹千代の腰帯にもう一度目をやり、それから、ふと目元を緩めた。「井堰の改修に始まり、双燕、厩、馬、猪、そして此度の帯。……そなたは、これまでの日々で、まことに多くのものを積み重ねてきたな」
「父上や兄上、平蔵殿、母上、お妙、そして老爺や甚助殿。……皆様のお力添えあってのことにございます」竹千代は素直に答えた。
弥左衛門は笑い、竹千代の肩に手を置いた。「その言葉、そなたらしいわ。……この家は、そなたのような次男を持てたこと、まことに恵まれておる」
竹千代はその言葉に、胸が熱くなるのを感じた。「父上……」
「さて」弥左衛門は咳払いを一つし、いつもの厳めしい顔に戻った。「その帯、稽古のみならず、日頃も締めておくが良かろう。……何が起こるか分からぬ世よ。備えは、常にしておくに越したことはない」
竹千代は深く頭を下げた。「はい、心得ましてございます」
居室を辞し、廊下に出ると、初冬の澄んだ風が、頬を撫でていった。腰に馴染んだ双短剣の重みを確かめながら、竹千代は懐から腰へと移った、この小さくも確かな変化が、これまでの地ならしのすべてと、これからの日々とを繋ぐ、一つの節目であったことを、実感していた。




