↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三河の片隅で、家族を守る――その名はまだ誰も知らない  作者: 可可多


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
51/54

第四十九話 蔵田、発つ

一


数日後、甚助が隣郷から戻り、竹千代のもとを訪れた。「阿久居様、太郎兵衛に図面を見せて参りました」


竹千代は身を乗り出した。「して、いかなる様子であったか」


「大層興味を持った様子にございました」甚助は懐から折り畳んだ紙を取り出した。太郎兵衛が書き加えたとおぼしき、細かな寸法の書き込みがあった。「腕には覚えのある男ゆえ、これくらいの仕立てなら任せてくれと申しておりました。……ただし、猪の皮の鞣しが仕上がってからでなければ、手をつけられぬとのことにて」


竹千代は頷いた。「鞣しの方は、いかほど進んでおろうか」


「あと十日もすれば、仕上がりましょう」甚助は答えた。「仕上がり次第、太郎兵衛のもとへお届けするよう、老爺と話をつけておきました」


竹千代は懐から巾着を取り出し、仲介の礼として幾ばくかを甚助に差し出そうとしたが、甚助は手を振って断った。「阿久居様には、厩の一件でも、それ以上に良くしていただいております。このくらいの仲立ち、当然のことにございます」


二


甚助が辞去した後、竹千代は太郎兵衛の書き込んだ寸法を確かめながら、これで一つ、段取りが整ったことに満足を覚えた。懐から出て腰に構える日は、もう遠くない。


その頃、屋敷にはまた別の動きが生まれていた。松丸のもとに、佐平次からの文が届いたのである。竹千代が居室を覗くと、松丸が難しい顔で文を読んでいた。「兄上、何か、ございましたか」


松丸は文を差し出した。「佐平次殿より、また新たな話があるそうじゃ。……蔵田様が、近々、隣郡への出役を命じられるとのこと。しばらく、この郡を離れることになるらしい」


竹千代は文を受け取り、目を通した。蔵田重蔵が隣郡へ出役するとなれば、佐平次への圧力は一時的に緩むかもしれない。だが同時に、新之丞がどうなるのか、伯父の目が届かぬ間、どのような立場に置かれるのかは、まだ何も分からなかった。


「新之丞殿は、蔵田様と共に隣郡へ赴かれるのでございましょうか」竹千代は問うた。


松丸は首を振った。「そこまでは、文には書かれておらぬ。……佐平次殿自身も、まだ詳しくは知らぬ様子じゃ」


竹千代はしばし考え込んだ。蔵田の不在は、佐平次にとっては一時の安堵となろう。だが、新之丞が一人この地に残されるならば、それはまた別の意味を持つやもしれなかった。「兄上、この件、もう少し詳しく知りたく存じます。……いかがいたしましょうか」


三


松丸の答えはない。竹千代もしばし考え込んだ後、やはり、と、首を振った。「兄上。……この件、いま性急に動くべきではないように存じます」


松丸は意外そうに竹千代を見た。「新之丞殿のこと、案じておったのではないか」


「案じてはおります」竹千代は答えた。「されど、蔵田様の出役が確かとなったばかりで、新之丞殿の処遇もまだ定まっておりませぬ。この段階で、こちらから探りを入れるような真似をすれば、かえって佐平次殿に要らぬ気を遣わせることにもなりかねませぬ」


松丸は頷いた。「なるほどな。……佐平次殿も、まだ詳しくは知らぬ様子であったしな」


「はい」竹千代は続けた。「蔵田様の出役という大きな動きがあった直後にございます。……今は、続報を待つのが上策かと存じます。佐平次殿の方から、何ぞお報せがあれば、その折に考えれば良いことにございます」


松丸は文を畳みながら、竹千代の判断に頷いた。「よかろう。……そなたの申す通りやもしれん。今は静かに構えておこう」


四


その日から、竹千代は普段通りの日々を過ごした。老爺と共に実の世話を続け、平蔵との朝稽古も欠かさず、猪肉の商いや厩の後始末など、地道な営みを一つひとつこなしていった。松丸もまた、佐平次との文の往復を絶やさず続けたが、蔵田重蔵の出役や新之丞の処遇について、こちらから踏み込んだ問いを投げることはしなかった。


十日ほどが過ぎ、猪の皮の鞣しがようやく仕上がったとの報せが老爺から届いた。竹千代は早速、甚助を通じて太郎兵衛のもとへ皮を届ける段取りを整えた。同じ頃、松丸のもとに、佐平次からまた文が届いた。


「竹千代、佐平次殿より、続報じゃ」松丸が声をかけると、竹千代はすぐに居室へ向かった。文には、蔵田重蔵が来月の初めに隣郡へ発つことが正式に決まったこと、そして新之丞は、当面この郡に残り、佐平次のもとで実務を学び続けることになった、と記されていた。


竹千代は文を読み、息をついた。「……新之丞殿は、こちらに残られるのでございますな」


松丸も安堵の色を浮かべた。「うむ。蔵田様の目が届かぬ間、佐平次殿と新之丞殿、二人でどう過ごされるか。……これは、我らにとっても、悪い話ではあるまい」


竹千代は頷いた。「静観しておったからこそ、こうして自然な形で続報が届いたのやもしれませぬ。……性急に動かず、待つことの大事さを、あらためて教えられた心地にございます」松丸も静かに頷いた。外を渡る風の音を聞きながら、ふたりは胸の内にあった、長い、わだかまりを解くように、深く、静かに息を吐いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。