第四十七話 実、迎える
一
屋敷に戻ると、竹千代は栗毛の馬を引いて、まっすぐに裏の休耕地へと向かった。真新しい厩の前に馬を繋ぐと、騒ぎを聞きつけた家族が、次々と集まってきた。
「まあ……!」お蘭が真っ先に声を上げ、馬に駆け寄った。「これは、まことに大人しそうな馬にございますね」
松丸も感心したように馬を検分した。「良き馬を見つけたものよ。……して、値の方はいかほどであった」
「思うたより、値切ることができましてございます」竹千代が答えると、松丸は目を丸くした。「そなた、馬喰相手にも、そこまでやり合うたか」
平蔵が横から、隻眼を細めて口を挟んだ。「それがしも、あの商談ぶりには驚かされましてございます。……若様の新しき一面を、また一つ見た心地にございます」
弥左衛門も厩の前まで歩み寄り、馬の首筋を撫でながら、満足げに頷いた。「良き馬よ。……厩に恥じぬ、良き迎え入れとなろう」お妙は馬の大きな瞳を覗き込み、「なんとも、優しい目をした馬にございますね」と、はしゃいだ声を上げた。
二
一通り馬を検分し終えると、弥左衛門が皆を見渡した。「して、この馬、名を付けねばなるまい。……皆、何ぞ思うところはあるか」
松丸が真っ先に口を開いた。「厩から始まり、猪の恵み、馬市での商談。……この一月あまりの実りを思えば、『実』などは、いかがでございましょう」
お蘭も頷いた。「良い名にございますね。……律儀に積み重ねてきたものが、こうして形になった証にも思えます」
竹千代はその名を、胸の内で繰り返した。「実、にございますか」これまでの地ならしの日々、厩普請、猪狩り、馬市での交渉。一つひとつの積み重ねが、この一頭の馬という「実り」に結びついたのだと思うと、竹千代の胸に、確かな納得が広がった。
お妙も柔らかく微笑んだ。「若様が精を出してこられたことが、皆、少しずつ実を結んでおりますものね。……この馬にも、ふさわしい名かと存じます」
平蔵は隻眼を細め、頷いた。「双燕は、風を切って舞う燕の名。……実は、地に根を張り、育つものの名にございます。どちらも、若様らしき名にございましょう」
弥左衛門は皆の言葉を聞き、最後に厳かに告げた。「よかろう。……この馬の名、『実』とする。この家の実りを、これよりも、共に担うてくれよ」
竹千代は馬の首筋にそっと手を添え、その名を呼んでみた。「実」馬は大きな瞳でこちらを見つめ、鼻先を竹千代の肩に押し付けるように寄せてきた。老爺が満面の笑みで駆け寄り、「若様、実殿の世話、これより儂が心を込めていたしましょう」と、嬉しそうに声を弾ませた。
夕暮れの光が厩を柔らかく照らす中、家族と師と乳母、そして老爺に囲まれて、新たな一頭の馬が、阿久居の家に迎え入れられた。竹千代はこれまでの地ならしのすべてが、こうして一つの「実り」となって形を成したことを、胸の奥で噛み締めていた。
三
家族が一通り馬を検分し終え、それぞれ母屋へと戻っていく中、竹千代は老爺を厩の前に呼び止めた。「老爺、これより実の世話、そなたの教え通りに始めたい。……ここより先は、それがし自らの手で、しかと務めたいと思うてな」
老爺は皺だらけの顔をほころばせ、深く頷いた。「ようございますとも。……されば、まずは飼葉からにございますな」
老爺は厩の脇に積んでおいた干し草を取り、竹千代に手渡した。「まずは、この程度の量を。……与えすぎては、腹を壊しますゆえ、加減が肝要にございます」竹千代は干し草を受け取り、実の前に差し出した。実は鼻先を近づけ、ゆっくりと食み始めた。その様子を、竹千代はしばし見守った。
「次に、水にございます」老爺は桶を指し示した。「朝夕、欠かさず新しい水を汲み、この桶に満たしてやってくだされ。……寒うなる時分は、水が凍りつくこともございますゆえ、気を配ってやってくだされ」竹千代は桶を持ち上げ、井戸へと向かった。慣れぬ重さに手が震えたが、老爺は「初めはそういうものにございます」と、笑いながら見守っていた。
四
水を汲み終え、桶を厩へ運び入れると、老爺は次に蹄の手入れについて教え始めた。「これが、いちばん厄介にございますよ」老爺は実の前脚をそっと持ち上げ、蹄の裏に詰まった土を、竹串のようなもので丁寧にかき出して見せた。「馬は、蹄を疎かにすると、たちまち歩みが悪うなりまする。……毎日、必ず検めてやってくだされ」
竹千代は老爺の手つきを注意深く観察し、それから自ら試みた。実は最初こそ足を引こうとしたが、老爺が優しく声をかけると、次第に大人しく脚を預けるようになった。「……できた、か」竹千代は蹄の裏から小さな土くれをかき出し、額に薄く汗を浮かべながら、達成感を滲ませた。
「上出来にございます」老爺は満足げに頷いた。「あとは、厩の掃除にございますな。糞尿は毎日取り除き、藁も適宜替えてやらねば、馬の脚を傷めまする」
竹千代は頷き、老爺と共に厩の中を掃き清めた。土の匂い、藁の匂い、そして実の温かな息遣い。井堰改修や厩普請とはまた違う、生き物と向き合う地道な営みが、竹千代の中に新しい実感として根付いていった。
作業を終える頃には、夕闇が厩の中にまで忍び寄っていた。竹千代は実の首筋を撫でながら、語りかけた。「実、これより毎日、そなたの世話をいたす。……よしなに頼むぞ」実は大きな瞳で竹千代を見つめ、鼻先を竹千代の肩にそっと押し付けた。老爺がその様子を見て、目を細めながら呟いた。「若様となら、実も、良い付き合いになりましょうな」
竹千代は、これより毎日続くであろうこの営みの重みと温もりを、静かに胸に刻んでいた。




