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三河の片隅で、家族を守る――その名はまだ誰も知らない  作者: 可可多


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第二十二話 双剣の舞

一


竹千代は二振りの短剣を両手にそれぞれ携え、裏庭の稽古場に立った。片刃の得物を左右の手に構えるなど、この世でどれほど例があるものか、脳裏には前世の記憶にあった二刀の概念がぼんやりと浮かんでいたが、この時代の兵法でそのような形があるかどうか、竹千代自身、まるで見当がつかなかった。


まずは恐る恐る、右手の短剣を軽く突き出してみる。次に左手を、少し遅れて振るう。ぎこちなく、両腕が別々の生き物のように噛み合わない。これまで槍一筋、両手を合わせて一つの得物を操ることに全神経を注いできた体には、左右の手がまったく異なる軌道を描くという動作が、当初はひどく不自然に感じられた。


しかし、幾度か型を繰り返すうちに、竹千代は奇妙な感覚に囚われ始めた。流水無形で培った摺り足の理、左右の足が独立しながらも全体として一つの流れを成すあの感覚が、いつしか両腕の動きにも重なり始めたのだ。右手で相手の得物を受け流し、その隙に左手で懐へ滑り込ませる。そんな連携の理屈が、まるで最初からそこにあったかのように、体の奥から自然と湧き上がってくる。


さらに、平蔵直伝の流水柔で会得した組討ちの崩しの理も、ここに絡み合った。片手が敵の得物を絡め取り、もう片手が急所を突く。遠心力と体幹の捻りを応用した薙ぎ払いの理屈が、二振りの短剣にも滑らかに転用できることに、竹千代は驚きを禁じ得なかった。これまで積み上げてきた武芸体系のすべてが、まるで最初からこの二刀のためにあったかのように、静かに、しかし確実に噛み合っていく。


息を切らし、竹千代は両手の短剣を下ろした。掌には、まだ慣れぬ重みの違和感が残っていたが、それ以上に、これまでにない新たな可能性への予感が、胸の奥で静かに疼いていた。竹千代は二振りの短剣を丁寧に鞘へ納め、汗ばんだ額を拭った。新たな武技の萌芽への昂りを胸の奥にしまい込み、今は目先の大事、松丸の出立を万全に整えることこそが、何より優先すべき務めだと、竹千代は自らに言い聞かせた。


母屋に戻ると、松丸がすでに旅支度を整え終え、荷を最後にもう一度検めているところだった。竹千代は荷送り出し確認手順に則り、共に木札と帳面を突き合わせながら、品々の数を一つひとつ確かめていく。「塩漬け肉、確かに。麻布五反、確かに。……口上の控えは、懐にございますか、兄上」


松丸は懐を軽く叩いて見せた。「抜かりない。恩義台帳の写しも、いざという時の備えに忍ばせてある」


弥左衛門が姿を見せ、松丸の肩に手を置いた。「よいか、松丸。急いてはならぬ。奉行殿の顔色を見ながら、あくまで自然な口上で切り出すのじゃ。もし機が熟しておらぬと見れば、無理に押し込まず、歳暮の挨拶のみで引くもまた、大事な判断ぞ」


「心得ましてございます、父上」松丸は深く頷いた。


お蘭とお妙も見送りに顔を出し、お蘭は最後にもう一度、麻布の包みを愛おしそうに撫でた。「どうか、粗相なきよう。……そして、道中、お気をつけて」


竹千代は兄の前に進み出て、まっすぐにその顔を見上げた。「兄上、恩義台帳に記した通り、奉行殿の弱みは人手・資材・面目の三つ。焦らず、驕らず、あくまで律儀な阿久居の家として振る舞われませ。……そして、道中、くれぐれもお気をつけて。此度の一件、兄上のお力添えなくば成し得ませぬ。それがしは、ただこの郷で、兄上の御無事を祈っておりまする」


松丸は弟の頭を、これまでにない優しい手つきでそっと撫でた。「案ずるな、竹千代。儂とて、そなたや家族のためならば、いかなる場でも臆しはせぬ。……行って参る」


翌朝、まだ星の残る薄闇の中、松丸は郎党二名を伴い、歳暮の荷を積んだ荷車と共に、拳母へ向かう街道へと踏み出していった。竹千代は門前に立ち、その背中が朝靄の向こうに消えていくまで、じっと見送り続けた。


二


竹千代は松丸の背が朝靄の向こうへ消えるのを見届けると、しばらくその場に立ち尽くしていた。兄の無事を祈る気持ちと、これから待つことしかできぬもどかしさが、胸の内で静かに絡み合う。ふと肩に温もりを感じ、振り返るとお妙がそっと羽織を掛けてくれていた。


「若様、外はまだ冷えまする。お風邪を召されては、松丸様も心配なさいましょう」


竹千代は素直に頷き、お妙に促されるまま母屋へと戻った。囲炉裏端に座り込むと、お妙は白湯を淹れ、竹千代の手にそっと持たせてくれる。「案じておられますね、松丸様のこと」


「うむ……」竹千代は白湯を一口すすりながら、正直に頷いた。「万事、抜かりなく整えたつもりじゃ。されど、いざ人の心が絡む交渉となれば、どれほど周到に策を練ろうとも、確かなことなど何もない」


「若様は、いつもそのように、先の先まで考えておいでですね。……されど、今この時にできることは、もう、ございませぬ。あとは、松丸様のお力を信じて、お待ちするだけにございましょう」


その言葉に、竹千代はふっと肩の力が抜けるのを感じた。「そなたの申す通りじゃ。……儂は、待つということが、どうにも苦手でな」


「それは、若様が誰よりも、家のことを大切に思うておられる証にございます」お妙は優しく微笑んだ。「なれど、待つ間も、心まで張り詰めておっては、身が持ちませぬ。今日くらいは、わたくしと共に、のんびりお過ごしなさいませ」


竹千代はその言葉に甘え、囲炉裏の火を眺めながら、他愛のない村の噂話に耳を傾けたりして、ゆったりとした時を過ごした。


翌日以降、竹千代は「平蔵殿の肩が癒えぬうちは、無理な指導を仰ぐわけにはいかぬ」と己に言い聞かせ、独り裏庭の稽古場に立ち続けた。ただし、殺意を込めた鍛錬ではない。あくまで身の慣らしとして、伊之助の対の短剣を手に、ゆるやかに型をなぞる程度の稽古だった。


殺意を込める必要もなく、ただ無心に両腕を動かしていると、左右の短剣がそれぞれ独立した弧を描きながらも、互いに呼応し合うような、不思議な調和が生まれてきた。右手が円を描けば、左手がその余韻を追うように緩やかに追随する。腰の捻りに合わせて両腕が舞うように広がり、また閉じる。それはもはや、殺傷を目的とした武技というより、まるで前世の記憶にあった、舞や体操に近い、優美な動きへと変容していった。


竹千代は思わず、口元に笑みを浮かべた。「これは……剣の型というより、舞のようじゃな」


三


竹千代は短剣を丁寧に鞘へ納め、稽古場の隅に置いた筵の上に静かに腰を下ろした。夕闇が深まりゆく中、遠くで村の物音が徐々に静まっていくのが分かる。今宵は殺意を込めた鍛錬でも、新たな武技の模索でもなく、ただ心を鎮めるための時間だった。


目を閉じ、丹田に意識を落とす。凍てついた空気を大きく吸い込み、ゆるやかに、しかし深く吐き出す。まず浮かんできたのは、松丸の背中だった。朝靄の中に消えていったあの姿。今頃、拳母への道のりをどれほど進んでいるだろうか。次に浮かぶのは、伊之助伯父の短剣の重み。父・弥左衛門が長年抱えてきた、次男という立場ゆえの想い。さらに、お妙を怯えさせてしまった殺意の稽古、そしてそこから思いがけず生まれた優美な演舞。武と舞、殺意と調和という、相反するはずのものが同じ根から生まれるという不思議な感覚。竹千代はその矛盾すらも、無理に整理せず、ただ心の内側にゆったりと置いておくことにした。


呼吸を重ねるごとに、意識は次第に静まっていく。かつて無拍子の境地を開いた時のような、完全な澄み切った状態とはまた違う、もっと穏やかで、地に足のついた静謐さだった。焦らず、驕らず、ただ今この時を、ありのままに受け入れる。それこそが、平蔵の教えた「いつも通りに過ごせ」という言葉の、本当の意味なのかもしれないと、竹千代は静かに得心した。


翌日、竹千代は再び裏庭に立ち、伊之助の対の短剣を構えた。今日もまた、殺意ではなく、ただ体の赴くままに型をなぞるつもりだった。だが、昨日感じたあの不思議な調和が、今日はさらに深く体に馴染んでいるのを、竹千代はすぐに感じ取った。


右手の弧が描く軌跡に、左手が絶妙な間合いで応え、腰の捻りがそれを支える。摺り足が地を滑るように移動し、上体は流水柔で培った崩しの理を借りて、まるで柳の枝がしなるように、力を受け流しながら次の動きへと繋がっていく。速度が、自然と上がっていく。最初はゆるやかだった弧の動きが、いつしか鋭さを増し、それでいて荒々しさはまるでない。むしろ、速さが増すほどに、動きの一つひとつがより滑らかに、より優雅に繋がっていくのだ。


「これは……愉しいのう」


竹千代は思わず声に出して呟いた。殺すための技として学び始めたはずのものが、今この瞬間、竹千代にとって純粋な喜びへと姿を変えていた。


だが、その時、竹林の奥、稽古場を囲む生垣の向こうで、微かに枝が揺れる音がした。


四


竹千代は動きをぴたりと止め、短剣を持ったまま、あえてのんびりとした調子で生垣の方へ声を投げた。


「誰かおるのか? そこにおるなら出て参れ、隠れんぼなら儂も混ぜてくれ」


生垣がガサリと大きく揺れ、気まずそうな顔を覗かせたのは、彦太だった。手習い所からの帰り道、竹千代の姿を見かけて足を止めたものの、あまりに見慣れぬ動きに声をかけそびれ、そのまま様子を窺っていたらしい。


「わ、若様……申し訳ございませぬ、覗き見するつもりでは……ただ、あまりに美しゅうて、つい見入ってしまいました! あれは、いったい何の型にございますか! まるで祭りの舞のようで……!」


竹千代は内心で胸を撫で下ろした。相手が彦太であれば、大事には至るまい。竹千代は短剣を鞘に納めながら、あえて軽い調子で笑って見せた。「これか? 平蔵殿仕込みの新しい鍛錬よ。……とはいえ、儂もまだ手探りでな、うまく人に説明できるほどではないのじゃ」


「彦太、このことは、あまり大げさに言いふらすでないぞ。……武芸の稽古は、地味な繰り返しばかりで、そうそう人に見せるものではないでな」竹千代はやんわりと釘を刺した。


「畏まりました! 誰にも申しませぬ!」彦太は元気よく頷いた。


彦太を見送りながら、竹千代は平蔵の伏す奥の間へと足を向けた。平蔵は褥の上で身を起こし、晒しの巻かれた肩を庇いながらも、顔色はだいぶ良くなっていた。竹千代の姿を見ると、隻眼を細めて迎えた。「おお、竹。今日は稽古場から、えらい賑やかな気配がしておったな」


竹千代は少し驚いた。「……お気づきでしたか」


「儂の耳は、伊達に片目を失ってはおらぬぞ」平蔵はにやりと笑った。「彦太めの声も聞こえておったわ。して、何をしておった」


竹千代は伊之助の対の短剣を懐から取り出し、平蔵の前に置いた。これまでの経緯、殺意を込めた鍛錬の未熟さから始まり、父より短剣を託されたこと、そして双短剣の型がいつしか演舞のような優美な動きへと変じていったことを、包み隠さず語った。


平蔵は短剣を手に取り、しげしげと検分しながら聞き入っていた。「……なるほど。殺すための技を求めて始めたものが、舞へと転じたと申すか」平蔵は暫し思案し、隻眼を鋭く光らせた。「竹、それは決して悪いことではないぞ。むしろ、良き兆しじゃ」


「良き兆し、にございますか」


「殺意のみに囚われた技は、いずれ心を蝕む。されど、その殺意を美しさへと昇華できるということは、竹の心が、まだ人としての正気を保っておる証よ」平蔵は静かに、しかし力強く続けた。「儂の肩が癒えたら、まずはその双短剣の型、しかと見せてもらおう。舞であろうと、実戦の理を秘めておるならば、それは立派な武芸じゃ」


竹千代は深く頭を垂れた。平蔵の言葉に、これまで抱いていた戸惑いが、静かに晴れていくのを感じた。「かたじけのうございます、平蔵殿」


「なに、礼には及ばぬ。……肩さえ癒えれば、また竹と稽古できる。それだけで、この老いぼれには十分な励みよ」


五


竹千代は「あまり長話をしては、お体に障りましょう」と平蔵に告げ、丁重に一礼して奥の間を辞した。竹千代はその日から、稽古の刻限をこれまで以上に人目の少ない、日暮れ後の短い間合いに絞り込んだ。彦太という信頼できる目撃者があったからこそ事なきを得たが、次に見る者が誰であるかは分からない。その用心深さを、竹千代は改めて己に課した。


数日が過ぎ、竹千代はお妙を伴い、館の門番や見張り役の郎党のもとを訪ね歩いた。「松丸様のことでございますか」門番の老いた郎党は、竹千代とお妙の顔を見て、少し姿勢を正した。「今しがた、丁度お尋ねしようと思うておったところにございます。実は先ほど、街道の物見から報せが」


竹千代の胸が、期待と不安の入り混じった感情で高鳴った。「して、いかなる報せじゃ」


「東の街道に、松丸様御一行の姿が見えたとのこと。荷車は空になっており、御一行の足取りも軽やかであったと」郎党はそう告げた。空になった荷車、それは、歳暮の品を無事に奉行のもとへ届け終えたことを意味している。


「軽やかな足取り、と申したか」竹千代は念を押すように尋ねた。もし交渉が不首尾に終わっていれば、松丸の足取りは重く、沈んだものになっていたはずだ。


「へえ、遠目からではございますが、確かに」郎党は頷いた。


お妙が竹千代の袖をそっと引いた。「若様、良き報せやもしれませぬ。……なれど、詳しいことは、松丸様御自身のお口から聞くのが一番にございましょう」


竹千代も頷いた。憶測でぬか喜びをするのは早計だと、自らを戒める。「左様じゃな。……父上にも、すぐにお報せせねば」


竹千代とお妙は急ぎ母屋へと戻り、弥左衛門にこの報せを伝えた。弥左衛門もまた、書付をしたためていた手を止め、緊張した面持ちで立ち上がった。「戻って参るか。……よし、儂も表で出迎えよう」


館の中に、これまでの張り詰めた沈黙とは違う、期待に満ちたざわめきが広がっていった。日暮れまでには、松丸が館へ戻ってくるはずだった。竹千代は逸る心を抑えながら、その時を待ち構えた。

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