Ep.1
「――っ!」
息を飲んだ瞬間、視界が一気に開けた。
見慣れた天井。
白い壁、蛍光灯の光。カーテンの隙間から差し込む午後の陽射し――。
(……戻ってきた?)
反射的に手を握り、開いた。
細くて小さな指。握力も弱い。
間違いない。
――僕は、現実世界に戻ってきた。
喉がひどく乾いていた。
まるで、長い夢からようやく覚めたような気分だった。
でも、はっきりと覚えている。
剣を握った感触も、何度も繰り返した死の痛みも、戦いの果てに見た光景も――。
“リリアナ”として生きた時間が、確かにあった。
「……終わった、のか?」
上半身を起こす。体が軽い。
時計を見ると、アニメの最終回を見ていたあの日の時間に戻っていた。
すべてが始まる前の瞬間。
スマホを手に取る。
ロック画面に映るのは――日本の中学生だった頃の僕の顔。
(……リリアナの姿じゃない)
当然だ。
もう、あの世界ではない。
ふと、通知が目に入った。ニュースの見出しが一つ。
『話題の乙女ゲーム「彼方の聖女」、開発元が突如公式サイトを閉鎖』
『続編の企画も中止に?』
「……え?」
思わず記事を開く。
内容は錯綜していて、詳しい理由は書かれていない。
けれど、公式サイトのトップには、たった一文だけが残っていた。
『世界は、救われました』
(……クリス)
スマホを握る手に、自然と力がこもる。
本当に、あの世界は救われたのか。
確かめようはない。
けれど、それが真実であるという確信があった。
「……そうか。あいつら、頑張ったんだな」
思わず、口元がゆるむ。
(でも……これで、本当に終わりなのか?)
心の奥に、ぽつんと空いた何かが残っていた。
気づけば、僕はSNSを開いていた。
そして、あの出来事を――まるで夢の話みたいに書いていた。
「変な夢を見た」とか、
「乙女ゲームの世界に転生して、何度も死にながら戦っていた」とか。
当然、誰も信じないだろうと思っていた。
けれど――
「会って話しませんか?」
そんなDMが届いた。
送り主の名前は、“モブロック”。
……まさか、とは思ったけど。
どういうわけか、僕は信じていた。
これは、あの“モブロック”だと。
そして、言われた通りの場所へ向かった。
◇
放課後。
人の少ない時間帯のカフェ。
店内にはゆるやかなBGMと、コーヒーの香りだけが漂っていた。
しばらくすると、ドアのベルが鳴る。
入ってきたのは――二メートル近い、長身の女性だった。
黒髪のツインテール。
黒のゴスロリ服に、分厚いチョーカーと指輪。
……一言で言えば、地雷系女子。
(……え、いや、誰?)
視線が合う。
彼女はにっこり笑って、こちらに向かって歩いてきた。
「君がリリアナ? いや~、久しぶりだね!」
……まさか。
「……モブロック?」
「そうだよ」
あっけらかんとした笑みを浮かべながら、彼女は席に腰を下ろした。
「いや~、大変だったねお互い。それにしても……」
僕の顔をじっと見つめ、しみじみと呟く。
「あんなお嬢様然としてたのに、中身がこんな小さくて可愛い男の子だったとはね」
「……おい」
僕が思わず眉をひそめると、彼女は楽しそうに笑った。
「あの高圧的な口調はどこいっちゃったんでしょうね?」
「う、うるさいな……!」
悪戯っぽく笑う彼女――いや、“モブロック”。
どうにも腹が立つのに、不思議と懐かしい。
「でも、複雑だな……」
僕が呟くと、モブロックは肩をすくめて笑った。
「3年くらいモブロックの身体だったから、こっちに戻ってきたときはバランス崩したよ、正直」
「それにしても……なんでそんな地雷系ファッションなんだよ」
ツッコミを入れると、彼女はケラケラと笑った。
「細かいことはいいじゃない。こうしてまた会えただけで嬉しいんだから。――ずっと話したかったのよ」
その言葉に、胸がじんわりと熱くなった。
あの世界の記憶を共有できる“仲間”に、再び会えた。
それだけで、言葉にできないほど嬉しかった。
◇
僕たちは、しばらくコーヒーを片手に話し込んだ。
「結局、あっちの世界はどうなったんだろうね」
モブロックがカップの中を見つめながら言った。
「さあ……でも、きっと大丈夫だと思う」
僕は窓の外を見た。
夕暮れの光が街を包み、ゆっくりと夜が降りてくる。
「あの世界には、僕たちがいなくても戦える人たちがいる。
エーデルハルト公爵、西のウィンザー家、セドリック、カイル……そして、本来のリリアナも」
「そうだね。きっと、彼女たちが守ってくれてる」
モブロックは静かに頷いた。
その横顔が、少しだけ懐かしく見えた。
「……またいつか、会えたりするのかな」
ふと、そんな言葉がこぼれた。
モブロックは微笑み、カップをそっと置く。
「さあ……どうだろうね。でも、もしまた会えたら――」
そして、いたずらっぽく目を細めた。
「今度は、私があなたを助ける番ですよ。お姉さんが、色々と教えてあげます」
思わず息をのむ。
けれど次の瞬間、自然と笑いがこぼれた。
「ははっ……それは頼もしいね」
カップの中のコーヒーが、やわらかく揺れる。
その香りの奥に、遠い世界の記憶が、まだ微かに残っているような気がした。
僕たちは、どこか懐かしい空の下で――静かにカップを傾けた。




