セシル外伝
十年前、僕の家――ウィンザー家は戦に敗れた。
誇り高き西方の独立公国は、王国に屈服させられ、領土の多くを削られ、もはや「臣下」として生きるしかなくなった。
父は敗者としての悔しさを決して表には出さなかった。
だが僕は知っている。彼の心は屈辱で爛れていたことを。
その父が選んだ策の一つが――僕を「娘」に仕立て、王城へ送り込むことだった。
幼い僕は、それなりに整った顔立ちをしていたらしい。
母譲りの白い肌に、長い睫毛。女装させれば「美しい」と誰もが言った。
だが、僕にとってそれは呪いのような言葉だった。
あわよくば王室の誰かと婚姻関係を結び、発言権を強めるために。
だが当然、僕は男だ。そこで一計を案じた。
――幼い間は女児として扱い、やがて適当な養女を迎え、入れ替える。
成長してしまえば顔立ちが変わる。多少の齟齬は誤魔化せるだろう、と…。
ドレスを着せられ、髪を結われ、鏡の前で淑女の礼を強制される。
舞踏の稽古では、裾を踏んで転べば叱責され、笑えば「はしたない」と罵られる。
本当は剣を握りたかった。走り回りたかった。
けれど父の命令に逆らうことは許されなかった。
「お前は我が家の未来を背負う。恥じるな」
父はそう言った。
けれど、僕は恥ずかしくて、惨めで、屈辱以外の何物でもなかった。
王城に連れて行かれたある日、僕は同年代の子どもたちと顔を合わせた。
王子アレクシス。そして、エーデルハルト家の令嬢、リリアナ。
あの時のリリアナは、まだ幼いながらも見事な金髪の縦ロールで、宝石のような笑顔を浮かべていた。
僕は息を呑んだ。
……あぁ、綺麗だ、と。
その瞬間、胸が熱くなった。
あれが、僕の初恋だったのだと思う。
だが、それはすぐに霧散した。
彼女と何度か顔を合わせるうちに、リリアナの本性を知ったからだ。
人を見下し、気に入らなければ容赦なく切り捨てる。
優雅な微笑みの裏にある、わがままと傲慢。
――僕の初恋は、あまりにもあっけなく終わった。
やがてリリアナとアレクシスの婚約が決まり、僕の「女としての役目」は終わった。
けれど、残ったのは救いようのない傷だった。
ドレスの感触。フリルに包まれた自分の姿。
あの頃の僕は確かに「美しい」と言われていた。
だが、それは僕の望んだ姿ではなかった。
耐え難いほどのストレスが心を蝕み、僕の中にひとつの強烈なこだわりを生んだ。
――騎士であれ。男らしくあれ。
もう二度と、あんな屈辱を味わわない。
剣を握り、誰よりも強くなる。
僕はそう決意した。
その後、僕は剣と魔法の修行に没頭した。
才能がなかったわけじゃない。むしろ、力を伸ばすのに時間はかからなかった。
だが、それ以上に「弱さを見せたくない」という執念が僕を突き動かした。
誰よりも騎士らしく、誰よりも男らしく。
それが、僕の誇りを守る唯一の道だった。
そして、彼女と出会った。
聖女クリス。
彼女は僕に、かつて誰もくれなかった言葉をくれた。
「あなたは、そのままでいいのよ」
僕は一瞬、耳を疑った。
「そのまま」? そんな言葉を、誰かが僕に言ってくれるとは思っていなかった。
彼女の笑顔は曇りがなく、そこに打算や嘲笑は一片もなかった。
気づけば、僕は決めていた。
――この人のために剣を振るう。
彼女を守り抜くことこそ、僕が生きる意味だと。
だが、悪縁は断ち切れないものだ。
学院を卒業する直前の夏季休暇。
僕はウィンザー領都に戻っていた。
海の匂い、石造りの街並み。懐かしいはずの光景は、同時に苦い記憶を呼び覚ます。
そこに――現れたのだ。
金髪を縦ロールに巻き上げた令嬢。
かつて僕が憧れ、そして幻滅した相手。
エーデルハルト家の娘、リリアナ。
彼女の手には、一通の密書が握られていた。
血の匂いを孕んだ紙切れ。王国の未来を揺るがすもの。
僕は理解した。
……まただ、と。
逃れたはずの影が、再び僕の前に現れた。
僕の人生は、屈辱から始まった。
だが、その屈辱を糧に、僕は騎士となり、聖女を守ると誓った。
それでも――過去は追いかけてくる。
リリアナと、あの密書とともに。




