Ep.10
「リリアナ、僕は君に――決闘を申し込む」
私は口角を上げた。
「ウィンザー公爵閣下。この決闘、“怨念無用”ということでよろしいですわね?」
公爵は苦しげに眉をひそめ、しばし黙してから答えた。
「……致し方あるまい」
了承の言葉を聞き、私は静かに懐から小瓶を取り出した。
淡い琥珀色の液体。
セシルが目を細める。
「何をしている?」
答えず、私はその瓶を上空へ放り投げた。
一閃。
レイピアの軌跡が光を走らせ、空中で瓶が砕け散る。
飛び散った液体が、私の身体へと降り注いだ。
淡く香る油の匂い。
衣服に染み込み、肌にまとわりつく。
セシルが眉をひそめる。
「……まあいいさ!」
次の瞬間、雷鳴のような剣撃が飛んできた。
私は迎え撃つように剣を構え、踏み込み、打ち合う。
刃と刃がぶつかり、火花が散った。
稲妻の閃光が私の頬を照らす。
(やはり速い、アレクほどではないですけど)
周到に準備してきた通り、身体は迷いなく動く。
剣筋は淀みなく、切り返しも速い。
「……やるじゃないか、リリアナ!」
セシルの口元が歪む。
「だが――これでどうだ!」
剣が雷を帯び、光が走った。
電撃は交差する剣を伝い私の手を弾き飛ばす――はずだった。
「……効かない?」
私は微動だにしなかった。
髪がわずかに揺れただけ。
「……油での雷対策。それなりに効果、あるみたいですね」
セシルの目が見開かれ、わずかに息を呑む。
「くっ……!」
その一瞬。
(逃さない――!)
私はその瞬間、全身の力を剣先へと込めた。
閃光が走る。雷鳴が再び轟く前に、私はセシルの懐へと踏み込んでいた。
「はぁあっ!」
レイピアが弧を描き、セシルの胸を正確に貫いた。
「――っ!」
彼の顔が歪み、双剣が手から滑り落ちる。金属の音が床を打ち、沈黙が広がった。
「……勝負あり、ですわね」
私は刃をさらに深く押し込みながら、静かに言った。
空気が重く沈み、誰も動かない。
床に落ちた双剣からは、ゆっくりと魔力の光が消えていく。
セシルはわずかに笑った。
「……驚いたよ。本当に……こんなに強かったのか、君は」
その目に宿るのは、敗北ではなく――どこか清々しさのような、誇りと悔恨だった。
「……皮肉な話だよ。君がこんなに強いと知ってたら、最初から剣で決着をつけていたのに」
セシルの身体が、崩れるように私の腕に倒れかかる。
私は無意識にそれを支えた。
「君さえ……君さえここに現れなければ……」
かすれる息の中、彼が私を見上げる。
血に濡れた唇の端が、かすかに笑った。
「……まったく。憎らしいほど……綺麗な顔だ」
彼の瞳の中にわずかな憧憬をみた。
「やっぱり……僕は君が嫌いだよ、リリアナ」
その言葉を最後に、彼の身体から力が抜けた。
◇
「……なるほどね、そういうことだったんだ」
モブロックは私の話を聞き終えると、腕を組み、長いため息をついた。
私は何も言わず、ただ静かに彼を見つめる。
「つまり――エーデルハルト家とウィンザー家の軍は、君の計画通りに王都に進軍した。
アレクを倒したタイミングで、王都を制圧するために、だね?」
「ええ」
私は頷く。
モブロックは首を振りながら苦笑した。
「いやあ……まさかウィンザー家まで動かすとは思わなかったよ。
セシルまで倒してしまうなんて、大したものだよ」
私は微笑むだけで答えなかった。
「で、それが今につながるってわけなんだね」
モブロックは豪奢な天蓋付きベッドを見上げながら、肩をすくめた。
その外では、遠くから戦の音が響いてくる。
――火の音。
――金属のぶつかる音。
――悲鳴。
それらが混じり合い、まるで世界そのものが悲鳴を上げているようだった。
だが、それこそが私が選び取った“新たな運命”の音。
「……で、アレクを倒して、王都を制圧して。
この後、どうなるの?」
モブロックが真剣な目で私を見た。
私はわずかに目を細め、視線を外す。
答えない。
「リリアナ……?」
「すぐにわかりますわ」
そう言って、私はゆっくりと立ち上がった。
足音を響かせながら、バルコニーへと歩み出る。
モブロックも慌てて後を追ってきた。
夜風が吹き抜ける。
バルコニーから見下ろす王都は、一見すると穏やかで、美しかった。
灯りが点々と並び、戦火の煙が遠くに漂う。
――けれど。
ゴゴゴゴゴ……!
低い震動が、地の底から響いた。
空気が震える。
「……まさか」
モブロックが息を呑む。
次の瞬間――
バキバキバキッ!!
城壁の向こう、大地が裂けた。
無数の亀裂が放射状に走り、そこから黒い瘴気が噴き出していく。
「な……なんなの、これは……」
私は思わず言葉を失った。
瘴気の中から、何かが蠢く。
ズズズズズ……!
黒い影が地中から這い出してくる。
闇そのもののような漆黒の存在。
人間の形をしたもの、四足の獣のようなもの、
そして――見るだけで正気を削ぐような異形の怪物たち。
「な、なんでこいつらがここに……!?
このタイミングで……!?」
モブロックが叫んだ。
声が震えている。
私はそんな彼を見つめ、静かに問いかけた。
「……やはり、知っているのですね?」
彼は一瞬、息を詰まらせ、私を見た。
だがすぐに、視線を闇の怪物たちへ戻す。
「……おかしい、昏人は…、
こんなの、本来……こんな場面で出てくるはずじゃない……!」
まるで、物語の“外側”のことを言っているような口ぶり。
彼の焦り方が、普通ではなかった。
そして――
闇の群れが動き出した。
うねるように、波のように、黒い影が一斉に進み始める。
ただ、まっすぐに――黒い影たちは王城を目指していた。
「……こっちに来る」
モブロックの声が震えた。彼は本能的に数歩、後ずさる。
闇の群れが、地響きを立てながら迫ってくる。
ドドドドドッ――!
城門が揺れるほどの衝撃。
次の瞬間、
バチィィィン!!
雷鳴のような閃光が走った。
黒い影たちが見えない壁に弾かれ、地面に叩きつけられる。
「結界が起動してる!?」
モブロックが驚きの声を上げる。
私は静かに振り返り、彼を見つめた。
「やはり、あなたはこの結界のこともご存知なのですね」
モブロックは目を見開いたまま、焦ったように言葉を返した。
「でも、どうして……? この結界も、昏人も、
本来なら“あのルート”でしか出てこないはずなんだ……!」
彼は混乱していた。
何かを理解している――それなのに、何も分からないというような顔。
「いったい何がどうなってるの!? もうめちゃくちゃだよ!」
私はゆっくりと息を吸い、彼を見据えた。
「……これが、私が“断罪イベント”を生き延びたあとも命を落とした理由です」
その言葉に、モブロックの動きが止まった。
視線の先では、黒い影たちがなおも結界へと突進している。
バチンッ、バチンッ――!
何度弾かれても、立ち上がり、再びぶつかってくる。
結界に弾かれるたび、黒い霧のようなものが宙に舞う。
影の身体は形を崩し、分裂し、やがてまた再生していく。
そして、その数は――増えていた。
結界の光が、かすかに脈打つ。
まるで、限界を訴えるように。
モブロックが震える声で言った。
「……アレクを倒して、王城を制圧して……今度こそ、生き延びたと思ってたのに……?」
「ええ」
私は静かに頷く。
バルコニーの欄干に手を置き、燃え上がる王都の空を見下ろした。
「兵士たちは次々と飲み込まれ、私はただ、剣を振り続けていました。
何度も……何度も……」
風が吹き抜けた。
戦火の残り香と、焦げた空気が私の頬を撫でる。
――この景色を、私は何度も見た。
何度も、何度も、繰り返して。
それでも、まだ終わりには辿り着けていない。
私は目を閉じる。まぶたの裏に、あの戦場が蘇る。
夜の王都に響く断末魔。崩れ落ちる城壁。
黒い波に飲み込まれていく兵士たちの姿――そして、最後に自分が倒れる瞬間。
(結局、足りなかった……)
剣の腕も、軍も、覚悟も、すべて整えていたはずなのに。
それでも届かなかった。
モブロックの声が静かに響く。
「それでも、諦めなかったんでしょ?」
「ええ」
私は頷く。
「――あの影を倒すための手段を探し続けました。そして、あるものを見つけたのです」
「あるものって?」
私はゆっくりと立ち上がり、腰の剣を抜いた。
金属音が夜気を裂く。
「これですわ」
差し出した剣を見て、モブロックが目を見開く。
彼の瞳に映ったのは、紅と黒の光を帯びた剛剣だ。
「……これまでの話だと、君はずっと細剣を使ってたよね?」
確かに、以前の私は華麗なレイピアを使っていた。
だが今、私の手にあるのは――まるで世界そのものを断ち切るような重厚な刃。
「でも……アレクとの決闘で使っていたのは、確かこの剣だったね」
彼の言葉に、私はゆっくりと頷いた。
あの戦いの記憶が脳裏に蘇る――アレクの光刃とぶつかり合う瞬間を。
彼は私の手元を見つめながら、苦笑する。
「それにしても……重そうな剣だね。よく持てるよ」
私は刃にそっと指を滑らせた。
触れた瞬間、冷たさとともに微かな脈動を感じる。まるで、生きているように。
「この剣――《カルヴァロス》。
これを手に入れた経緯を、お話ししますわ」
静かな夜風の中で、カルヴァロスの刃がわずかに鈍く光を返した。
第二章完結です。次から第三章が始まります




