Ep.8
調査はすぐに始まった。
厨房の召使の聞き取り。酒倉の確認。
使用されたカップの分析。
そして、一つの事実が浮かび上がった。
「ワインボトルからは、毒物は検出されませんでした」
報告を聞いた瞬間、私は息を呑んだ。
「では……毒は?」
「カップの内側に、微量の毒成分が残っていました」
「銀のカップに……?」
「はい。ですが、銀の変色はありませんでした。つまり――」
「銀に反応しない毒、ということね」
思わず口に出た推測。
それに、報告役の兵士は言葉を詰まらせた。
「……ワインカップを用意したのは誰なの?」
「調査の結果……セシル様が選ばれたものと判明しました」
「……え?」
頭がぐらりと揺れる。
セシルが、選んだ……?
だが――彼は、そのカップで死んだ。
(そんな馬鹿な……)
矛盾している。
もし彼が犯人なら、自分のカップを毒で汚すはずがない。
逆に、誰かがすり替えたなら、なぜ彼が飲んで死んだのか。
(……違う)
私は息を呑んだ。
これは――殺人のための毒殺ではない。
(“誰かを殺す”ためじゃない……“何かを壊す”ための毒)
視線が、机の上の三つのカップへと向く。
三人のうち、誰が死んでも――
「……同盟は成立しなくなる」
口から漏れた言葉に、自分でも凍りついた。
ウィンザー公爵が死ねば、西方の蜂起は潰える。
私が死ねば、北方との交渉は途絶える。
セシルが死ねば、私は容疑者となり、信頼関係が崩壊する。
誰が死んでも――結果は同じ。
「……そう。そういうこと、だったのね」
思わず、息が漏れた。
これは“誰かを殺す”ためじゃない。
“誰かが死ねば計画が止まる”ように仕組まれていた。
三つの毒杯。
どれに毒が入っているか――犯人自身にも、分からない。
「完全な、ランダム……」
声に出して呟いた瞬間、背筋が冷たくなった。
そう、これは偶然を装った必然。
誰か一人でも死ねば、反乱計画は崩壊する。
そして、それを実行に移したのは――
「……セシル」
確信が胸を貫いた。
彼は卑怯な手を嫌う人間。
正面からぶつかり、勝敗を決めることにしか価値を見出さない。
「……自分が死ぬ可能性も、受け入れていたのね」
毒殺という手段に、わずかでも“正義”を残すために。
彼は自分の命すら、賭けの対象にした。
そして、死んだ。
(セシルの勝ちね、“この周回”では)
毒杯ゲーム――誰かが死ねば、計画は潰える。
彼の目的は、最初からそこにあった。
(だったら、私は……)
私は懐から小瓶を取り出した。
ためらいはない。
「次の周回で……勝つために」
蓋を外し、一気に飲み干す。
舌に広がる苦味、喉を刺すような熱。
すぐに指先から力が抜けていく。
視界が傾き、世界がぼやける。
(……次こそ、終わらせる)
◇
再び、ウィンザー邸の晩餐室。
重厚な燭台の光が、卓上の銀器を照らす。
赤黒いワインが三つのカップに注がれ、ゆらゆらと揺れていた。
――四度目の夜。
もう、迷いはない。
「貴族の誇りと――」
公爵の声が響き、三人の手が同時に動く。
「――お待ちください」
私の声が、場の空気を裂いた。
ピシリと音がしたように、全員の動きが止まる。
「このワイン……毒が仕込まれています」
一瞬の静寂。
次に広がるざわめき。
「……なにを馬鹿なことを」
ウィンザー公爵が眉をひそめ、低く吐き捨てた。
「冗談にしては悪質すぎる。今この場でそれを言い出す意味が――」
「証明してみせますわ」
私は椅子を引いて立ち上がり、静かにカップを手に取った。
そして、部屋の隅にある装飾水槽へと歩み寄る。
ガラスの中では、調理を待つ魚たちが、ゆるやかに泳いでいた。
「リリアナ、やめろ!」
セシルの声が聞こえた。
けれど、私は黙ってワインを注ぐ。
赤い液体が水に広がり、ゆっくりと濁っていく。
数秒――
「……あっ」
水中の魚が暴れ出した。
苦しげに身をくねらせ、ぶつかり合い、そして――動かなくなった。
一匹。二匹。三匹。
すべて、水面に浮かぶ。
「毒だと……?」
ウィンザー公爵の声が、かすかに震えた。
部屋の空気が一瞬で凍りつく。
私は静かに、手にしていたカップを机の上に置いた。
ざわめく声。侍従たちの動揺。
視線が、私に、そしてカップに集まっている。
「毒は、ワインそのものではありません」
私はゆっくりと言葉を紡いだ。
「カップの内側に――あらかじめ塗られていたものですわ」
公爵が唸るように問い返す。
「……誰が、そのカップを?」
「厨房の召使に確認をとりました。用意したのは……」
私は視線を横に向け、まっすぐに彼を見据えた。
「セシル。あなたです」
◇
空気が張り詰める。
私は一歩、ゆっくりと前へ出た。
「――犯人は、あなたです。セシル・ヴァン・ウィンザー」
視線が交差する。
鋭く、そして奇妙な静けさを帯びた瞳。
セシルはやがて小さく息を吐き、わずかに笑った。
「……すごいね。どうしてわかったんだい?」
「企業秘密ですわ」
「セシル……なぜこんなことをした?」
父――ウィンザー公爵の低い声が響く。
セシルは目を伏せ、少しだけ遠くを見るように言った。
「……君がここに来る一週間ほど前、僕は王都にいた。
アレク殿下やクリスたちと一緒にね」
その名を聞いて、私は息を呑んだ。
「そのとき、彼女に言われたんだ。
『もし西方に“リリアナ”が訪ねてきたら、それは災いの前触れだ』ってね」
(……どうしてクリスが、私を……?)
「そして実際に君は、反乱を促す書状を持ってきた。
確信したんだよ――君は危険だと」
クリス、あなたでしたのね。
この裏で糸を引いていたのは。
「セシル、お前は……!」
公爵の怒声が響く。
けれど、彼は静かに頭を下げた。
「申し訳ありません、父上。僕なりのやり方で、この国を守りたかったのです」
私は小さく息を吸い込んだ。
「君が持ってきた書状……あれで父上は反乱の決意を固めた。
北と西が結べば、王国は崩壊する。それだけは避けなければならなかった」
セシルの声には迷いがなかった。
「時間があれば、父を拘束してでも西方を抑えた。
中央に報告して、北方の反乱を未然に潰すつもりだった。……でも君が、早すぎた」
「だから、毒杯を?」
「そう。君が死んでも、父が死んでも、僕が死んでも――どの結果でも反乱計画は失敗する。
カップは無作為に並べた。僕自身が死ぬ可能性も分かった上で、ね」
「……どうしてそんな危険な賭けを?
毒を仕掛けたのがあなたなら、私だけを殺すことができたはず」
セシルはわずかに笑った。
「僕は騎士だ。騎士の戦いはフェアでなくちゃいけない。
か弱い女性である君と対等に戦う方法は、この形しか思いつかなかった」
――愚か。でも、どこか清々しいほどの潔さ。
これが“作中屈指の人気キャラ”の所以なのだろう。
(作中屈指の人気キャラというのは伊達ではないわね)
「セシルよ、お前がそこまで……」
ウィンザー公が、わずかに声を震わせる。
胸の奥がざらついた。
(……よくない流れですわね)




