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Ep.7

「これは、海外の貿易船団から入手した逸品だ」


ウィンザー公爵は、宴の最中に一本の真紅のボトルを取り出した。

照明の光を反射して妖しく輝くその瓶を、彼はまるで宝石のように掲げてみせた。


「深紅の果実酒。香りが良く、口当たりもまろやかで、女性に人気だとか」


公爵の合図で、銀のカップが三つ並べられた。

使用人が恭しく注ぎ分ける。


赤い液体が、静かに杯の底を満たしていく。


「ぜひ、乾杯を」


公爵が微笑み、セシルが無言でカップを取る。

私もそれに倣い、軽く笑みを浮かべてカップを持ち上げた。


――その瞬間までは、何の違和感もなかった。


「――っ」


唇に触れた液体が、妙に重たく感じたのを覚えている。

口に広がる果実の甘み、その裏にほんのわずかな苦味。


そして、喉を通り抜けた瞬間――世界が、揺れた。


「きゃああああああっ!!」


自分の悲鳴なのか、誰かの叫びなのかも分からなかった。

視界がぐにゃりと歪み、銀のカップが床に落ち、赤い液体が飛び散る。


次の瞬間には、私は冷たい絨毯の上に崩れ落ちていた。



「……また……っ」


意識が戻った時、最初に感じたのは寝具の冷たさだった。

目を開けると、見慣れた天蓋が視界に入る。


陽の光がカーテンの隙間から差し込み、部屋の輪郭を照らしていた。


「……戻ってきたのね、私……」


エーデルハルト公爵邸の私室。

喉の奥に残る鉄の味は、まだ消えない。

あの宴で――私は確かに、血を吐いて倒れた。


(毒……ワインに、仕込まれていた……)


まぶたを閉じ、あの瞬間を思い出す。

三つのカップ。

ウィンザー公爵、セシル、そして私。


毒が入っていたのは、私が手に取った“手前の”一杯。

あの配置、あの流れ――偶然ではあり得ない。


どれに毒が入っていたか、見た目では分からなかった。

それでも、結果として死んだのは私だけ。


「犯人は……誰?」


ワインを出したのはウィンザー公爵。

だが、カップを並べたのは――セシル。


どちらかが。

あるいは、二人が共謀していたのか。


「……セシル……」


彼の姿が脳裏に浮かぶ。

冷静沈着、原作ではアレクシスに次ぐ実力者として描かれていた男。


アニメでは“影の主役”として多くの視聴者に愛された。

だが――現実の彼は、違う。


「討伐軍の……先鋒だったのよね……」


前の周回。北方を焼き尽くした討伐軍の先頭に立っていたのは、紛れもなく彼。

つまり、反乱の密約を反故にし、真っ先に剣を振るった張本人。


「……セシルが、犯人……?」


握りしめた拳に、爪が食い込む。

胸の奥で怒りと疑念が渦巻いた。


「……確かめるしか、ありませんわね」


私は静かにベッドから立ち上がった。

朝日が床を照らす中、ひとり呟く。


この毒殺の真実を暴かない限り、次の一歩には進めない。



再び、港町リグニス。

再び、ウィンザー邸の宴の夜。


目の前に、三つのカップが並べられる。

前回とまったく同じ光景――まるで悪夢の再演。


「ぜひ、乾杯を」


ウィンザー公爵が穏やかに笑う。

その隣で、カップを並べているのは……やはりセシル。


一度見たはずの手の動き、指の位置、注がれる赤い果実酒の輝きまで、すべてが寸分違わない。

――前回、私は“手前”のカップを取って死んだ。


(ならば、今度は……)


私は息を整え、右側のカップに手を伸ばした。

セシルは迷いなく手前のカップを取り、ウィンザー公爵は左端を手に取る。


「貴族の誇りと、西方の栄光に――」


ウィンザー公爵の音頭。

三つの杯がほぼ同時に傾けられた。


数秒の沈黙。

そして――


「ぶっ……!!」


咳き込むような音が響く。

銀のカップが床に転がり、赤い液体が飛び散った。


「公爵……!?」


ウィンザー公爵が、口から血を吐いて倒れた。

目の前の光景を理解するのに、数秒かかった。


「まさか……」


――毒が入っていたのは、左端のカップ。


私の心臓が跳ねる。だが、すぐに空気が張り詰めた。

セシルの瞳が燃えるように光り、私を睨みつけていた。


「君が毒を……!? 父上を殺したのかッ!」


「違いますわ! 私じゃ――!」


否定の声を最後まで言い切る前に、彼の手が剣の柄を掴む。

周囲の騎士たちが一斉に武器を構え、私を取り囲んだ。


(まずい……!)


私は躊躇なく、背後の扉を蹴り破った。

響く怒声。追う足音。


「待てッ、リリアナ!!」


セシルの叫びが背中を突き刺す。

けれど、もう止まれない。


廊下を抜け、階段を駆け下り、城の庭園へ。

噴水の裏手でようやく足を止める。


胸の鼓動が耳の奥でうるさいほどに響いていた。

懐から、小さな銀の小瓶を取り出す。


これだけは、前もって用意していた自決用の猛毒だ。


「ここまで……ですのね」


私は微笑んだ。

敵に捕らえられるくらいなら――自ら終わりを選ぶ。


瓶の蓋を開け、口に含む。

喉を焼くような苦みとともに、液体が流れ落ちていく。


意識が遠のく。

夜風が、頬を撫でた。


(……次は、必ず……真実を)


そう願った瞬間、世界が音もなく崩れ落ちた。



三度目の朝を迎えた。


目を開けた瞬間、胸の奥に残る焦燥がじりじりと疼いた。

今度こそ、失敗は許されない。


そして、私は再びリグニスへ向かった。



「今回は……左のカップを」


あの夜、毒が入っていたのは手前。次の周では左。

ならば、今度こそ――。


私は心を決めて、三度目の宴の夜に臨んだ。


「今宵の一杯、ぜひに」


ウィンザー公爵が穏やかな笑みを浮かべ、

セシルが慣れた手つきでカップを並べていく。


三つの銀の杯。

その配置も、手の動きも、すべてが既視感に満ちていた。


私は左端のカップに手を伸ばした。

公爵は手前を、セシルは右を取る。


「乾杯を――」


三人の杯が静かに傾けられた。

喉を通る果実酒の甘み。

息を殺し、心臓の音だけを数える。


……沈黙。


――次の瞬間。


「ぶっ……!!」


激しくむせるような音。

床に転がるカップの音。


「セシル……?」


私の視界の端で、セシルが膝をついていた。

唇から血がこぼれ、肩が震える。


「まさか……そんな……」


私は立ち上がったが、すぐに周囲の空気が変わった。

使用人たちの悲鳴。公爵の低い唸り。


「……リリアナ嬢。あなたには、もうしばらくこの屋敷に留まってもらう」


公爵の声は冷え切っていた。

その瞳には怒りよりも、深い混乱と焦燥が見えた。


机の上には、血の飛沫を浴びた三つの銀のカップ。

私は椅子に座らされ、両側を衛兵に固められていた。


(セシルが……死んだ……?)


信じられなかった。

なぜ、彼が。

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