Ep.5
その声に、私は息を呑んだ。
あの“断罪イベント”が、まさにその日に行われる。
運命を変える日を、私たちは戦の起点に定めたのだ。
「お前の話を聞いて決めた。これ以上、時を失うべきではない」
公爵は低く言いながら、すでに筆を取っていた。
あの落ち着いた筆遣いで、密書を書き上げる姿を、私は息を殺して見つめる。
「西方とは話がついている。すぐに密書を送ろう」
「西方……ウィンザー公爵家、ですね?」
「そうだ。西と北が同時に蜂起すれば、王都を挟み撃ちできる。
東は王家に忠誠を誓っているが、動きは間に合わぬ。初撃で決める」
公爵の瞳には、明確な光――戦略家としての炎が宿っていた。
その光を見た瞬間、私は確信した。
この人こそが、この国を変える力を持つ唯一の存在だと。
そして、その傍に私がいる。
「アレクシスの始末は――お前に任せる、リリアナ」
公爵の声が静かに響いた。
その言葉に、血が騒ぐのを感じた。
娘としての情ではなく、一人の戦士として託された“使命”。
それを背負う覚悟が、今なら確かにある。
「承知しました。必ず、仕留めてみせます」
そう告げたとき、私の声は震えていなかった。
幾度もの死を経て、ようやくこの瞬間に辿り着いたのだ。
公爵は一度だけ頷き、視線を再び地図へと戻された。
夜の帳がゆっくりと降りる。
蝋燭の灯が、二人の影を壁に映し出していた。
――希望と決意に満ちたその一夜から、悲劇の幕が上がるとも知らずに。
◇
数日後。
朝の冷たい風が、北方を揺らした。
執務室の扉が乱暴に開かれ、息を切らした伝令が飛び込んできた。
「王都より急報! 討伐軍が編成されたとのこと!
我らエーデルハルト家に対し――謀反の疑いにて討伐を命ずる勅が下りました!」
「……なに?」
公爵の声が低く響いた。
私は思わず息を呑む。
「まだ挙兵もしていないというのに……!」
机の上の書類が、拳の衝撃で跳ね上がる。
怒りのこもった声が、部屋中に響き渡った。
けれど、伝令の報せはそれで終わらなかった。
「討伐軍には、中央軍に加えて東方軍……さらに……!」
公爵の目が鋭く光る。
伝令は青ざめながら、震える声で続けた。
「……さらに、討伐軍の中に、西方ウィンザー家の旗がございました!」
「――なんだと……?」
その瞬間、空気が凍りついた。
鼓動の音が、やけに大きく耳の奥で響く。
「西が……裏切った……?」
公爵の手にしていた地図が、握りしめられたまま音を立てて潰れた。
◇
戦いは、一方的だった。
圧倒的な兵力により、北方領は三方から包囲され、蹂躙された。
セドリックが駆けつけてくれたものの、状況は絶望的だった。
どれほど兵たちが勇敢でも、数の差は埋められない。
空は赤く燃え、地は裂けるように揺れていた。
矢の雨が降り注ぎ、砦が崩れ、絶叫が夜を覆い尽くす。
その最中――私は見た。
炎の向こうに、父の姿を。
公爵は指揮を執りながら、最後まで退かなかった。
けれど、矢が胸を貫いた瞬間、その巨躯が崩れ落ちた。
遠くで、誰かが「公爵が――!」と叫ぶ声。
世界が、音を失った。
(あ……)
その瞬間、何かが胸の奥で静かに――確かに、壊れた。
◇
「正門を突破されました!」
誰かの悲鳴のような声が、焼け焦げた空気の中を突き抜けた。
もう――逃げ場はない。
屋敷の外では火が爆ぜ、窓の外の空は血のように赤く染まっている。
焦げた鉄と灰の匂いが鼻を刺し、息をするたびに胸が焼けるようだった。
私は大広間の中央に立っていた。
かつては晩餐と笑いが満ちていたこの場所に、今は焼け焦げた絨毯と倒れた兵の影しかない。
足音が響いた。
「……終業式以来だね、リリアナ」
低く、乾いた声。
姿を現したのは、セシル・ヴァン・ウィンザー。
ゴーグル越しの瞳には、あのアニメで見たような優しさも、貴族然とした気品もなかった。
そこにあるのは、任務を遂行する者の冷たい決意。
「あなたが一番乗りですのね」
私は皮肉めいた笑みを浮かべた。
笑うしかなかった。――すべてが崩れ去ったこの状況で、気丈に立つために。
「一応、昔なじみとして忠告しておくよ。降伏してくれないかな?」
その声音の端に、かつての彼の面影がかすかに滲んでいた。
それでも、私は首を振る。
「答えは――」
細剣の柄を握り、静かに抜く。
月光を反射した刃が、薄暗い大広間の中で一瞬きらめいた。
「抵抗するってこと? 意地かい? 君、剣なんて使えないだろ?」
セシルの声が、わずかに侮蔑を含んで響く。
私は何も言わず、ただ構えを取った。
その一動作に、私のすべての答えを込めて。
「……ま、いいけどね。どうせ反逆罪は縛り首だ」
そう言って、彼――セシルは腰の二本の剣に手をかけた。
金属が擦れる乾いた音とともに、刃が引き抜かれる。
《ルミナス・フェンサー》
詠唱が響いた瞬間、空気が震えた。
光が走り、セシルの両手の剣に白い輝きが宿る。
――あのゲームの中で、何度も見た魔法剣。
画面越しでは美しくて、まるで幻想のようだった。
けれど、今は違う。
その光の中に、確かな“死”があった。
「……やはり、こうなりますのね」
唇を噛み、私は細剣を構え直す。
燃え盛る屋敷の中、光と炎が交錯した。
◇
――そして現在。
「え、ちょっと待って。君、セシルともやりあったの!?」
モブロックが目を見開き、呆れ半分、恐れ半分といった声を上げた。
「ええ、まあ」
私は軽く肩をすくめる。できるだけ淡々と、何でもないことのように。
「“まあ”って……! あのセシル・ヴァン・ウィンザーだよ!?
原作じゃアレクに次ぐ人気キャラで、アレクに対抗心燃やしてるし、実力も作中トップクラスだよ!?
そんな彼と本気で戦うとか、どうかしてるって!」
興奮気味のモブロックの言葉を、私はそっけなく聞き流した。
「そうですの。……で?」
「で、じゃないよ! もうちょっとリアクションしてくれない!?」
私はわざとらしく髪を整え、涼しい声で言った。
「興味ありませんわ」
◇
金属が打ち合う音が、屋敷中に響いていた。
剣と剣が擦れ、火花が散るたびに、焦げた空気が肌に刺さる。
「――はぁっ!」
思考より先に、身体が動いていた。
セドリックに教わった構え。
アレクシスとの死闘で掴んだ間合い。
すべてを重ね合わせて、私は目の前の敵を追い詰めていく。
セシルの瞳がわずかに見開かれた。
驚きと――ほんの少しの焦りが混じる。
「……鋭い!」
彼の双剣が交差し、火花が散る。
けれど、その防御はぎりぎり。
剣筋を読めていない。完全に、私の速度に遅れを取っている。
「君……本当に、あのリリアナなのか?」
その問いに、私は答えなかった。
言葉よりも、刃で語る方が早い。
突き、薙ぎ、返し――
金属の軋む音が、鼓動と重なる。
(悪くありませんわ。でも、まだ足りない)
セシルの額に汗が滲み、呼吸が荒くなる。
彼の視線が泳いだ、その瞬間。
「……いいね」
彼は笑った。
「そう来なくちゃ」
双剣が淡く輝き始める。
嫌な気配――魔力が空気を圧迫していく。
「じゃあ、僕も本気を出そうか」




