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Ep.4

(速い……!)


構えも予備動作もない。

まるで獣のような踏み込み。


セドリックのような理知的な剣でも、アレクシスのような王道の型でもない。

これは――生きるために戦い続けてきた者の剣。


(これが……公爵の“戦場の剣”)


重く鋭い斬撃を、紙一重で躱しながら思う。

剣を通して、相手の生き様が伝わってくる。


ならば――こちらの覚悟も、この剣に込めて返さねばならない。


「――参りますわ!」


息を詰め、全神経を研ぎ澄ます。

振り下ろされる刃に対し、私は逃げず、ただ一点を狙って突きを放った。


ギィィン――!


甲高い金属音が部屋に響く。

私のレイピアの先が、公爵の剣の柄を正確に打ち抜き、刃が宙を舞った。


静寂。


「……見事だ」


公爵が右手を押さえながら呟いた。

痛みに顔をしかめながらも、その声には怒りも悔しさもなく、ただ感嘆があった。


「瞬間の判断、正確な軌道、そして逃げぬ胆力。

……まさしく、戦いを知る者の剣だ」


私は息を整えながら、細剣を下ろした。


「お前の実力と覚悟、確かに見せてもらった」


その声音は穏やかで、どこか寂しげでもあった。

そして、公爵は静かに問いかける。


「――剣の師は、セドリック・モルデン殿か?」


突きつけた私の剣先を見据えながら、公爵はそう問いかけた。


「ええ」


私は静かに頷き、剣を鞘に収める。

胸の鼓動がまだ速い。けれど、逃げるような真似はしたくなかった。


「彼の教えを、何度も繰り返す世界の中で積み重ねてきましたの」


公爵は大きく息を吐き、ゆっくりと肩の力を抜かれた。


「……信じざるを得まい。その年頃の娘に辿り着ける境地ではない。

まして、あのリリアナにはな」


その声音には、驚きでも怒りでもない――ただ、深い複雑さがあった。

長い沈黙の末にようやく言葉を発するような、そんな響きだった。


私は緊張に耐えきれず、拳をぎゅっと握りしめたまま視線を落とす。

そんな私を見て、公爵はふっと表情を和らげ、ぽつりと呟かれた。


「……母親がいなかったせいか、甘やかしてしまったんだろうな」


思いもよらない言葉に、私は顔を上げた。

公爵は遠くを見るような目をしていた。


「小さい頃のリリアナは、よく泣いていた。

母親がいない寂しさをどう埋めればいいのか、私には分からなかった。

だから、あの子が望むことを何でも与えてしまった」


その声には、後悔と、どこか懐かしさが滲んでいた。


「気がつけば、自分勝手で手のかかる娘になっていた。

……その頃から、私はあの子と正面から向き合わなくなっていたのかもしれんな」


私はただ黙って、その言葉を受け止めていた。

本当の“リリアナ”の記憶を持たない私には、それは他人の話のようでもあり、けれど――


胸の奥がじんわりと熱くなる。

父の言葉の中に、“娘”という存在への愛が確かに息づいていたからだ。


公爵は深く息をつき、ぽつりと呟かれた。


「……だからかな」


「お父様?」


「リリアナの心が消え、お前のような者が宿ったのは――天罰なのかもしれん」


その声は穏やかで、どこか寂しげだった。


「本当に、バカな娘だ。……まったく、親不孝ものめ」


その言葉が、胸の奥にずしんと落ちた。

痛いほどに優しい声だった。


私は何も言えず、ただ黙って立ち尽くした。

この人にとって私は“娘ではない”


――けれど、“娘の姿をした誰か”として、確かに向き合おうとしてくださっている。

だからこそ、逃げたくなかった。


私は深呼吸をし、改めて顔を上げた。


「エーデルハルト公爵……私の目的について、もう一度お話させていただきます」


「……聞こう」


公爵の視線が私を射抜く。

私は、その視線を受け止めたまま言葉を紡ぐ。


「私の目的は――元の世界に帰ることです」


公爵の目がわずかに見開かれる。

けれど、遮ることなく、静かに続きを待ってくださった。


「この世界に来てから、私は“時間の繰り返し”という現象の中にいます。

それには、何か理由があるはずだと考えています」


机の上の地図に視線を落とす。

そこに描かれた国境線、王都、そしてエーデルハルト領――すべてが、今の私の運命を形づくっている。


「その現象の原因が何らかの魔法であれ、天の気まぐれであれ……

私はその答えを見つけなければなりません。

そして元の世界に戻るためには、この“死の螺旋”を断ち切る必要があるのです」


公爵は何も言わなかった。

けれど、じっと私を見つめるその眼差しが、先ほどとは違っていた。

まるで、私という存在を一個の人間として見ようとしているかのように。


「この国を取ること――それは、私が生き延びるために必要な手段です。

そして、それを実現するには……お父様の力がどうしても必要なのです」


私はまっすぐにそう告げた。

震えそうになる声を、意志の力で押さえ込みながら。


「どうか、私に協力していただけませんか」


短い沈黙の後、公爵は静かに言葉を返した。


「つまり――お前は、自分が生き残るという個人的な目的のために、国を盗ろうというのか?」


その問いに、私は息を詰めた。

一瞬、言葉に詰まる。

けれど、もう迷ってはいけない。


「……ええ。それが結果的に、この世界にとっても意味を持つと信じています」


私は机の上の地図に手を置きながら続ける。


「別世界の人間がこの身体に宿るという不条理

――それを解くことは、この世界の秩序にも関わるはず。


もし私が“元の世界”に帰ることができれば……

この身体の本来の主であるリリアナも、戻ってこられるかもしれません」


「……希望的観測だな」


公爵が苦笑する。

けれど、その表情には先ほどまでの冷たさはなかった。

むしろ――わずかに光が宿っていた。


「だがまあ……たとえ中身が別人であっても、

娘の身体が処刑されるのを見過ごすほど、父親は冷たくはなれん」


公爵は静かに立ち上がり、窓の外を見やられた。

広大なエーデルハルトの領地が、朝の光を受けて輝いている。


「……これも、天命か」


その一言は、まるで独り言のように静かだった。

けれど、その声音には確かな覚悟があった。


公爵の中で、何かが決定的に変わった――そう感じた。

私は息を呑み、ただ次の言葉を待った。


「聖女クリスティーナの出現、国の乱れと中央に対する不満、

そして……リリアナに宿った“お前”という存在」


公爵はゆっくりと振り返り、私を真っ直ぐに見据えた。


「いよいよ来るべき時が来たのかもしれん」


その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなった。

私が何度繰り返しても届かなかった“変化”が、今、確かに動き始めた。


彼の声には、もはや迷いも疑念もなかった。

まるで長く均衡を保っていた天秤が、一気に傾いたように――


公爵の心が、ようやく決まったのだと分かった。


「……それでは!」


思わず前のめりになる私に、公爵は静かに頷かれた。


「――ああ。準備はすでに整っている。あとは、時を決めるだけだった」


机の上の地図を手繰り寄せ、指先で王都を軽く叩く。


「卒業の日だ。主だった貴族たちが王都に集まり、王族も油断しているあの瞬間

――あの場を制す。そうすれば王都そのものを掌握できる」

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