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Ep.3

何度目かのループを越えて、ようやく自信を持って父と向き合う準備が整った。


長い年月をかけて積み重ねてきた鍛錬の成果が、

ようやく自分の中で確かな手応えとして形を成している。


鏡の前に立ち、映る自分の姿を見つめる。

そこにいるのは――かつてアニメで見た、わがままで幼稚な令嬢ではない。


見様見真似の“偽りのリリアナ”でもない。

背筋を伸ばし、首筋から指先まで気品を通わせる。


鏡の中の私は、ようやく“本物の公爵令嬢”と呼べる存在になっていた。


「これなら……大丈夫ですわ」


小さく呟いて息を整える。

手にした扇を閉じ、裾をさばき、私は父――エーデルハルト公爵の執務室へと歩き出した。



「お父様、少しお時間をいただけますでしょうか?」


扉をノックし、一礼する。

以前のように不用意な言葉も、無作法な動作もない。


私は、完璧に磨き上げた“公爵令嬢としての自分”を見せるつもりでいた。


「リリアナか。入りなさい」


低く落ち着いた声が返ってきた。

私は静かに部屋へ入り、スカートの裾を摘み、優雅に一礼した。


「お父様、今日はご相談がありまして参りました」


その瞬間――父の瞳が、わずかに細められた。

何かを見極めようとするような視線。けれど、私は怯まない。


「悪いが、今は忙しい。後にしてくれ」


冷淡な声。

しかし、私は頭を下げずに言葉を続けた。


「もしよろしければ、少しだけ私のピアノを聞いていただけませんか?」


「……ピアノ、だと?」


父の手が止まる。

ほんの一瞬、何かが揺れた気がした。

そして、静かに頷かれる。


「いいだろう。聞かせてみなさい」


私はピアノの前に座り、そっと鍵盤に指を置いた。

深く息を吸い、ゆっくりと――あの旋律を奏で始める。


私はピアノの前に腰を下ろし、そっと鍵盤に指を置いた。

深く息を吸い、静かに――母が生前よく弾いていた旋律を奏で始める。


音が、ゆるやかに部屋を満たしていく。

冷たい空気が少しずつ和らぎ、静寂が柔らかな色を帯びていくようだった。


私は迷いなく弾き続けた。一音一音に、想いを込めて。

最後の音が消え、静寂が訪れる。


父は机に両肘をついたまま、難しい表情で私を見ていた。

その瞳の奥に、一瞬だけ――悲しみの色が滲んだ気がした。


(……どうして?)


この曲を聴けば、きっと公爵は喜んでくれる。そう信じていた。

それなのに――なぜ。


そして、沈黙ののちに告げられた言葉が、私の心を凍らせた。


「お前は……誰だ」


その一言が、冷たく部屋に響いた。


「……何をおっしゃっているのですか? 私はリリアナですわ」


思わず声が上ずる。

けれど、父は首を横に振った。


「違う。お前はリリアナではない」


その瞳に、怒りはなかった。

あるのは、確信だけ。


「どういうことですの!? 私は間違いなく――」


「分かるさ」


父の静かな声が、私の言葉を遮った。


「たったひとりの、血を分けた娘なのだから」


その声音には、父としての情と、長く抱えてきた痛みが滲んでいた。


「本当のリリアナなら、私に何かを頼むときは――駄々をこね、

泣いて喚いて、それでも最後には笑ってみせる。

お前のように、理屈や努力で説得しようとはしない」


そして、苦く微笑んだ。


「それに……あの子はピアノが嫌いだった」


その一言が胸を刺した。

父の表情が、悲しげに揺らぐ。


「……お前が何者かは知らん。だが今の演奏で分かった。

私にも、リリアナにも悪意を持つ者ではない。

――ならば教えてくれ。本当のことを」


逃げられない。

この人には、もう隠し事はできない。


私は深く息を吸い、覚悟を決めた。


「……分かりましたわ」


静かに言葉を紡ぐ。


「信じていただけるかは分かりませんが――

私は、このリリアナ・フォン・エーデルハルトの身体に宿った、別の人間です」


父の眉がわずかに動く。

けれど、何も言わず、ただ黙って聞いていた。


「私は……この世界の人間ではありません。

気づいたらリリアナになっていて、そして……何度も死んでは、また目を覚ます。

そんな時間を、繰り返しているのです」


言葉を重ねるたび、喉が痛くなっていった。

それでも、止まらなかった。


「破滅が定められたこの娘の運命を、どうにか変えたくて……

だから私は、何度でもやり直してきました」


沈黙が落ちる。

父はゆっくりと目を閉じ、深く息を吐いた。


そして再び私を見つめたその瞳には――怒りも疑念もなく、

ただ静かな哀しみと覚悟が宿っていた。



「このループは、私が死ぬことで始まります。

断罪されても、殺されても、必ず一ヶ月前に戻るのですわ。


最初は意味が分かりませんでした。

けれど……繰り返すうちに、これは運命に抗えということだと理解しました」


自分の声が震えているのが分かった。

それでも、私は言葉を止めなかった。


「……そして今、私は運命を変えるために、この国を取るしかないと決めたのです。

それが、私が生き延びる唯一の方法だと……」


言い終えたあと、静寂が訪れた。

心臓の鼓動がやけに大きく響いて、息を吸うことさえ怖くなる。


公爵は、表情を変えずにじっと私を見つめていた。

その瞳の奥に何があるのか、読み取ることができない。


(これで……どう思われたのでしょう。

信じていただけるはずはありませんわね……)


長い沈黙のあと、公爵はゆっくりと椅子に背を預けた。

目を閉じ、わずかに息を吐く。そして――笑った。

それは嘲笑でも怒りでもない、どこか諦めを含んだ静かな笑いだった。


「……なるほど。筋は通っている」


低く呟く声に、私は思わず顔を上げた。

公爵は椅子から立ち上がり、静かに私を見据える。


「到底信じられるはずもない話だ。

だが、今こうして目の前に、娘そっくりの姿をした“娘ではない何者か”がいる。

……ならば、ある程度は受け入れるしかあるまい」


その理性的な言葉に、息を飲んだ。

怒鳴られる覚悟をしていたのに、返ってきたのは冷静な分析だった。


(……最初から気づいていらしたのですわね)


公爵の目がわずかに光る。


「ひとつ、確かめる方法がある」


「……確かめる、方法?」


「その話が本当なら――お前はアレクシス殿下を上回る剣技を身につけているということだな?」


私は、迷わず頷いた。


「ええ。間違いなく」


公爵の視線が、傍らに置かれた剣に向く。

そして、その柄を静かに掴んだ。


「ならば、その腕を見せてもらおう」


私は立ち上がり、机の横に立てかけてあった細剣――セドリックに教わった剣――を手に取る。


(……公爵の剣の腕がどれほどであっても、セドリックやアレクシス以上ではないはず。

ならば、私に敗れるのは時間の問題)


そんな考えが、一瞬頭をよぎった。

だが、その油断がどれほど危険だったか――次の瞬間、思い知らされることになる。


公爵が正眼に構え、私もまた軽くレイピアを構えたその刹那。


――ひゅっ。


目の前で何かが閃いた。


(っ!?)


分厚い書物が、信じられない速度で私の顔面めがけて飛んできた。

反射的に身を屈める。細剣では受けきれないと瞬時に判断したからだ。


そのほんの一瞬の隙に、公爵が机を踏み越え、飛び込んできた。

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