Ep.7
何十周ものループを経て、私はようやく“剣の頂”に手をかけていた。
セドリックの教えを反芻し、剣以外のすべてを捨てた。
欲も、恐れも、そして涙すらも。
ただひとつ――“剣”だけを極めるために。
その果てに至った境地が、いまここで試される。
再び、私は王宮の大広間に立っていた。
見慣れた光景。だが今日は違う。
これは“断罪”ではない。
――運命を覆すための決戦なのだ。
「リリアナ・フォン・エーデルハルト、今日この場をもって貴様との婚約を破棄する!」
アレクシスの声が響く。
高く、よく通る声。
広間を埋め尽くす貴族たちがざわめき、冷たい視線が一斉に私へと注がれる。
けれど、私はもう怯えなかった。
手の中には一本の剣がある。
この運命を断ち切るために、幾度の死を越えて辿り着いた、私の剣が。
アレクシスが私を見下ろす。
あの頃と同じ、冷たい光を宿した瞳。
「私に剣を向けるというのか。
……この一月の間に何を仕込んできたかは知らんが、その立ち居振る舞いだけでわかるぞ」
その言葉に、私は静かに微笑んだ。
「ええ。よくおわかりですわね」
声には迷いがなかった。
もはや恐怖も焦燥もない。
ただ、己の剣を信じるのみ。
(さすがです、アレクシス。
もっとも、私が仕込んできたのは“一月”どころの話ではありませんけれども)
師を得て、己の剣を極めた今だからこそわかる。
アレクシスは本物だ。
その剣は、まさに王道を極めた者の剣――
力強く、正確で、どこにも隙がない。
この国で……いいえ、おそらく世界でも最高峰の剣士。
(ですが――それでも、私は今日、この剣で……勝つ!)
静寂が広間を支配する。
空気が張り詰め、息を呑む音すら響かない。
「――参ります」
私は先に動いた。
考えるより早く、身体が自然に動いていた。
踏み込み、一気に間合いを詰め、鋭い一撃を放つ。
「……ふん、愚か者が」
アレクシスの瞳がわずかに見開かれる。
驚きと同時に、確かな集中の光。
彼は刹那の判断で剣を振り下ろし、私の一撃を受け止めた。
金属が打ち鳴らされ、火花が散る。
アレクシスの剣は、まさに“剛”。
圧倒的な力と正確な理に裏打ちされた王者の剣。
一太刀ごとに重みがあり、そのたびに空気が震える。
だが、私の剣は――“柔”。
力で押し返すのではなく、流す。
衝撃を受け止めず、逸らし、滑らせ、反撃の隙を窺う。
◇
あれは、何周か前の修練のときだった。
いつものように庭の稽古場に向かうと、セドリックが右腕を包帯で吊った状態で立っていた。
「お怪我を……?」
思わず声を上げると、彼は何事もないように微笑んだ。
「ええ、少しうっかりいたしまして。ご心配には及びません」
そう言いながら、彼は左手だけで木剣を構えた。
(……こんなこと、これまでの周回では一度もなかった)
その姿を見て、私は一瞬ためらった。
けが人を相手に打ち込むなど、あまりにも無粋だと思ったのだ。
「先生、今日はお休みになさったほうが……」
「生ぬるい」
「え……?」
「相手の弱所を突くことも、戦術ですよ」
静かにそう言われ、私は言葉を失った。
その声音には、普段の穏やかさとは違う鋭さがあった。
(……そういうこと、ですわね)
私は剣を構え直す。
ためらいを断ち切り、容赦なく彼の右腕――包帯を巻いたその箇所を狙って踏み込んだ。
――その瞬間だった。
セドリックの口元が、ほんのわずかに笑った気がした。
次の瞬間、視界が跳ねた。
何が起こったのかわからない。
気づけば、私は地面に倒れていた。
そして、セドリックの右手には、包帯の内側から引き抜かれた木の棒が握られていた。
「……っ!? 今の、いったい……!」
「怪我は偽りです」
淡々とした声で彼は言い放った。
「お嬢様はか弱い女性の身。それでも、自分より優れた敵に勝つ方法はあります」
そう言って、彼は私の額に木の棒を軽く突きつける。
「相手に“弱い”と思わせ、油断を生じさせる。
そこから生まれる隙を突けば、命を奪うことなど容易い。――このように」
「……ずるいですわ!」
思わず声を上げる私に、彼は静かに微笑んだ。
「兵は詭を以て勝つ道。正々堂々など、戦場では通用しません」
その声は柔らかいが、眼差しだけは鋭く光っていた。
「尋常の立ち会いでは、あなたは一流の剣士に勝てないでしょう」
その言葉に、私は唇を噛んだ。
だが、彼の次の一言が心に深く刻まれる。
「隙に付け入るのです。
そして――その隙に、あなたの剣技のすべてを賭けなさい」
◇
(隙に付け入り、一撃で決める……)
セドリックの言葉が、何度も何度も頭の中で反芻されていた。
私はこれまで、数えきれないほどアレクシスと戦ってきた。
何十回も、命を落とし、そのたびに剣を向け、そして敗れた。
けれど、その積み重ねの中で気づいたことがある。
アレクシスは――最初の一撃を決して仕掛けてこない。
必ず“受け”の型から入る。
相手の剣筋を見極め、その後に最短で反撃して仕留める。
まるで、剣の指導でもしているかのように。
(格下相手には、まず様子見……ですか。舐められたものですわね)
だが、それこそが――致命的な隙。
私は毎回、違う動きを試せる。
彼にとっては初見の動き、だが私にとっては数々の敗北の果てに磨かれた“最適解”。
(あなたのその受けの構え……もう、飽きるほど見ましてよ)
私は一歩踏み込み、突きを放つ。
最短、最速――迷いのない直線の一撃。
アレクシスは予想通り、それを正面から弾いた。
リーチの差と剣の重さで押し返す、あのいつもの動き。
――その瞬間。
「そこです!」
弾かれた剣の勢いを殺さず、私は身体をひねり、流れるように体勢を切り替える。
まるで踊るように。
「なっ……!?」
アレクシスの剣筋がぶれた。
受けの構えを崩された彼の防御は、ほんの一瞬――空いた。
その隙を逃さなかった。
止まらない。私の剣が弧を描き、首元へと滑り込む。
刃が肌を裂き、動脈を跳ね飛ばす、確かな手応えとともに血が舞った。
アレクシスの目が大きく見開かれる。
驚愕のまま、彼は力なく膝をついた。
「……っ」
息を吐いた。
剣を握る手が震えていた。
血が、床に滴る。
美しい広間の白い石畳が、じわりと赤く染まっていく。
「……アレクシス、敗れたり」
思わず口から漏れた声は、どこか遠くのもののようだった。
勝った――はずなのに、胸の奥が痛んだ。
広間は凍りついたように静まり返っていた。
誰もが信じられないものを見たという顔をしている。
王子が、一介の令嬢に敗れたなど、誰も想像していなかったのだ。
「――どうやら、決着はついたようですわね」
静かに剣を下ろす。
けれど、その瞬間。
「おのれ、よくも殿下を!」
怒号が響いた。
クリスティーナの悲鳴。
そして、重い足音が一斉に広間を満たす。
兵士たちが雪崩れ込み、私を取り囲む。
鋭い槍の穂先が、光を反射して私に向けられた。
(……ああ、やはり、そうなりますのね)
私は苦く笑った。
王子を倒しても、結末は変わらない。
この舞台も、登場人物も、すべて決められた運命の上で動いている。
(けれど……あのクソ王子に、ぶちかましてやりましたわ)
次の瞬間、世界が再び暗転する感覚が訪れた。
そして、また――始まりの朝へと戻る。




