89 悪役令嬢、義弟の説得に失敗する。
「ヴェラルド・エアハルトじゃ! しばらくの間厄介になるっっ!」
学生寮に着き、挨拶もそこそこにリーナを連れて撤収したのが五分前。
帰寮が遅すぎて今日は絶対帰って来ないと踏んでいたらしいペトラの、『一人増えたってシチューだから水でかさ増しすればどうにか』と世界名作劇場に出てくる貧しい主人公の母親が言いそうな台詞を聞き流し、義弟の部屋の扉を開けたのが三分前。
菓子を貪りながら思い思いに怠惰な生活を満喫していたクマたちが突然の訪問者に驚いて硬直したのが二分前。
そして口の周りが菓子だらけなぬいにあるまじき様相のクマたちを前に、新たなクマが名乗ったのが一分前。
「と言うわけで、今日からクマが一匹増えるけどよろしくねっ♡」
「よろしくされません。説明して下さい」
エアハルト伯(クマ)の勢いに便乗してコンラートに押し付ける作戦は失敗した。
宿題か予習か、机に向かっていたコンラートは大袈裟にため息を吐くと本を閉じ、私と、リーナと、そしてエアハルト伯(クマ)を見比べる。
「返してきてください、うちじゃ飼えません」
「これだけクマに囲まれている貴方に言われたくないわね」
「お言葉を返すようですがフォルッツとクマッティとカジウラは義姉上のクマですよ」
喋るクマを前にして動じないのはこの未確認生物どもに慣れているからだろうけれども、そんな犬や猫を拾ってきたように言わなくても!
しかし強くは言えない。
アロイスからコンラートルートの詳細を貰うまで私は義弟の好感度を下げることはできないのだ。
まぁマツリカが本命のコンラートとエンドを迎える未来なんて虫唾が走るくらいには不愉快なことなので、アロイスとの契約がなかろうともマツリカより高い好感度は維持するつもりではいるけれど。でも。
「一匹くらい増えたっていいじゃない」
「そう仰るなら三匹くらい引き取って下さい。義姉上のクマです」
説得すればするほど特大ブーメラン(三倍)となって返って来る。
冗談ではない。私が四匹引き取るのは何としても避けなければ。
毎晩菓子をバリバリ食べながらお喋りに興じられては煩いどころではないし、だからと言って一緒になって食べては貴族令嬢らしからぬ体形になるのは間違いない。しかし食べているのを横で見つつ自分は口にしないなんて苦行がすぎる。それに何より、プライバシーがない。
と、全く同じことを現在進行形でコンラートにも強いているのだけれども、それはそれ。これはこれ。
「このクマはね、エアハルト伯なのよ?」
私は重々しく宣言する。
コンラートのことだ。きっと『ヴェラルド・エアハルト』が護国の英雄・エアハルト辺境伯だとは認識していないだろう。
スミス姓が鍛冶屋、スペンサー姓が執事から由来するように、その辺にいる数多のエアハルト姓の誰か程度だと思っている。
塩対応はそのせいに違いない。
「クマ化した者の悲惨な末路はコンラートも知っているでしょう? エアハルト伯は今回の事件の重要な生き証人。燃えるゴミにさせるわけにはいかないわ」
さらに畳みかける。
そう。エアハルト伯はクマだから保護するわけではない。
人身売買の当事者(犯人側)かもしれないからだ。
ぜひともエアハルト伯には人間にお戻り頂いて、証言してもらって、犯人側の全てが明白になりました! めでたしめでたし、と終わりたい。それが無理でも脱獄と私が無関係だと言うことだけは言ってもらいたい。
大丈夫。いくら塩対応がデフォな男でも、実の両親にゴミと間違われて燃やされそうになったディナエルの過去を知っていればこの説得は効くはずだ。
だがしかし。
「……義姉上、また何かやらかしたんですか?」
「どうしてそうなるのよ」
「人をクマにできる能力をお持ちでしょう?」
「私は何もしていなくってよ」
こともあろうに、私が伯爵をクマにしてしまったから証拠隠滅を兼ねて此処に連れてきたと思ったらしい。
「エアハルト伯がどうしてクマと化したのかはわからないのだけれど、ジークラムに着いてから急激に衰弱したと聞いているし、もし殺すつもりが為しきれなくてクマになってしまったのなら、伯爵は未だに命を狙われているわけよ。だから力を奪い返して人型に戻すまで安全な場所で保護しなければならないの」
その〝安全な場所〟は決してジークラムの王城でもエアハルト領でもない。
アロイスに保護するよう仄めかしたけれど、タジャラだって保護に適した地とは言い難い。
もしこのクマが生きていると知られれば。
アロイスが人身売買組織の一味だったのなら内情を知っているエアハルト伯を生かしてはおかないだろうし、売買とは関係ない第三者だったとしても、長年タジャラの敵(それこそ正真正銘、剣をぶつけ合った敵)だった伯爵を生かしておくとは思えない。
もし生きていられたとしても今度は身柄と引き換えに何を要求してくるか。
他人の作品をパクった前科がある男だ。漁夫の利とばかりに領土の一部や財宝を要求してこないとは言い切れない。
エアハルト伯だと知られなかったとしても──そしてその場合はジークラムの王城やエアハルト領でも同じ結果になると思われるが、喋るぬいは悪魔憑きを疑われる。
主張すればするほど気味悪がって早急に処分しようとするだろう。
「だから此処で預かるのが最も安全なのよ。納得してもらえたかしら」
つまり。
クマ化したエアハルト伯を保護するのは、喋るクマに理解のある此処が一番良いのだ。
「それと私が預かることとどう関係するのです?」
「だーかーらー!!」
だがコンラートは変わらない。
そればかりか、
「〝此処〟が〝ルブローデ名義で借りているこの寮室〟と言う意味でなら納得できなくもないですが」
と、私がさりげなくボカした点までしっかりと突いてくる。
「でもね、エアハルト伯は女性がお嫌いなの。特に私のように粗忽で傲慢な女は。だから」
「ではエアハルト伯が好まれるしとやかな女性になれば宜しいのでは?
ちょうど良いではありませんか。義姉上は貴族令嬢と言うにはかなり型破りですし、でもご自身に自覚がないなら言っても仕方がないと諦めていましたが、そうでないのならまだ修正は可能です。今からでも淑女として生まれ変わって下さい」
「一朝一夕で生まれ変われるものではないでしょう? だからその間だけでも」
「付け焼刃的なものでしたらすぐにでも淑女らしくできるはずです。なんせ義姉上はバルトガー侯爵令嬢と言う格好のお手本を十年以上見てきたのですから」
駄目だ。
ブラウシュルパに鉄釘並みに手ごたえが感じられない。
伊達に攻略対象筆頭ではないと言うことか。って私が納得してどうする!
「ほ、ほら! エアハルト伯もそっちの三匹も男だもの。女性と同じ部屋で寝泊まりさせるのはどうかと思わない?」
切り口を変えよう。
私は咳払いをひとつすると、改めてコンラートに向かい合う。
貴族社会では娘の貞淑さが尊重される。
新物が良いと言うのが世の男の理想なのかは知らないが、嫁入り前の娘の手を握ったり、抱きついたりすることは良くないと言われ、娘ばかりか男のほうも非難される。
そんなジークラムで未婚の娘が男と同じ部屋で寝泊まりするなんて言語道断。
まぁ相手がクマでは一緒に寝ているところを見られたって関係を疑う者などいやしないのだけれども、それを言ったらコンラートの追い風になるだけなので言うわけにはいかない。
さらに。丸一日一週間一ヵ月一年、ずっと付け焼刃を付け続けるなんて無理。
フォルッツやクマッティならまだしも、エアハルト伯と一緒なんて耐えられない。
「たったひとりの義姉が不貞を疑われて嫁の貰い手がなくなったら、って思わない?」
「義姉上はルブローデの領主になるおつもりなのでしょう? 貰い手を心配する必要などないのでは?」
「領主なら結婚して跡継ぎを作らないといけないし」
「私のように何処かから養子を貰ってくれば良いだけの話では?」
ああ、何を言っても正論で論破される。
おのれジークラム王室。何故養子縁組制度なんか作ったんだ。自分のところでは採用しないくせに!
と、決して私の意見など聞いてくれなさげな王室に、しかも心の中で文句を言ったところでどうにもならない。
なれば最後の手段。将を射んとするならまず馬よ!
私はエアハルト伯(クマ)を前に固まっている三匹に目を向ける。
「みんなは私と同部屋なんて気を遣うわよね。ね、そうでしょ!?」
クマたちが、特にディナエルが賛同してくれれば奴は確実に落ちる。
私は其処にかけるしかない。
私はクマに──正確にはディナエルに『お願いだからコンラートを説得して』と言う念を送……ろうとした矢先。
「別に思わんのう。そもそも女子の部屋にぬいは必須じゃろう? マツリカの部屋にもたくさんあったしのぅ」
「そうですよね。だって俺らはただのぬいだし、男の部屋にあるより女性の部屋にいたほうが自然ってものですよ」
「ポケットに突っ込まれてる時の方が密着度高いのに、同じ部屋くらい大したことねぇよな」
ディナエル以外の三匹が口々に喋り出した。
そして最後のカジウラの台詞にフォルッツが食い付く。
「密着!?」
「ああ。ポケットってぇのはいわば服の裏側だよな。布一枚挟めばすぐに太ももだ。想像してみろよ。布越しに伝わる人肌と匂いが……」
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁ!! エロい!! 何ですかそのラッキースケベな展開はっっ!! そんな『両片思いの同級生と何かのはずみで掃除道具入れの中に入っちゃいました』とか『親同士が再婚したら元カノが妹になりました』みたいなラブコメにしか存在しないエロシチュが、まさか現実にあるとは! しかもそれが私じゃなくてポッと出の勇者モドキの身に起きるだなんて! 許せん! 機会は平等に与えられるべきです! そうでしょうおじょ、ぐふぁ!」
何でこうなった!!!!
ひとりで暴走するフォルッツを掴んで投げ飛ばし、ついでに元凶のカジウラを踏み潰す。
全く、何がエロシチュだ。ポケットの中でそんなことを考えていたなんてて……ふとその状態を想像して、私はぞっとする。
要はカジウラが私の太ももに貼り付いていた、と言うことだ。
何処かで読んだ官能小説に、女主人に密着したいがために椅子の中身とすり替わった男の話があったけれど、それと同じ。
本で読む分にはどうってことない変態の話も、実際自分の身に起きれば気色悪いどころではない。
が。
「……わかりました。クマはこちらで預かりましょう」
その気色悪さが伝わったのか、やっとコンラートが折れた。
「あとフォルッツとカジウラは反省して下さい。いくら義姉上だとしても女性を前にして言っていいことではありません」
「なんでぇ!? 俺は好きでポケットに入ったわけじゃ」
「未婚女性の太ももに触れたなどと自慢げに語る義息子を見たら、お義父上はどう思うでしょう」
そう。カジウラはエアハルト伯の養子。
それはクマになっても変わらない。
あれだけ堂々と名乗ったのに聞いていなかったのか、クマの姿だから聞き流してしまっていたのか、新たなクマの登場に衝撃を受けすぎたのか、フォルッツとのエロ話が盛り上がりすぎたのか。
「親父……? ……! あ、いや違!!」
「何が違うと言うのじゃこの馬鹿息子がぁぁぁぁぁああああ!!」
カジウラは義理の父親が目の前にいたことを失念してしまっていたようだ。
白い毛並みのはずなのに顔を真っ赤にしたエアハルト伯(クマ)が私の足の下にいるカジウラをボコボコと殴りだす。
踏まれて逃げられないカジウラは殴られるままに殴られる。
腹に穴が開いたフォルッツの時のことを思えば、ぬいのフワフワな手で殴ったところで痛くはないだろうけれど、見ていて気分のいいものではない。私の足のせいで一方的に殴られている、と言うこともあるし。
「あ、あの、俺らはぬいのふりをしていたほうがいいんじゃ……?」
私が念じた時には全く乗ってこなかったディナエルが今になってオロオロと仲裁に入る。
そんなディナエルを見て、
「ああ! やっぱりディナエルなのね! あたしよ、リーナ!」
今度は私の後ろでずっと沈黙を保っていたリーナが声を上げた。
「ほら捕まってる時に助けに来てくれたじゃない!? あの時マルグリット様がディナエルって呼んたけどまさかクマになってるとは思わなかったし! でも何で? 何があったの!? いきなりいなくなったから心配したじゃぁん!」
「イ、イイエ、ワタシハタダノヌイデス」
「ぬいは喋らないって!」
……そう言えばあの時ディナエルは『リーナは鑑定スキルを持っているから見つかりたくない』みたいなことを言っていなかっただろうか。
鑑定ってダンジョンで見つけたお宝の価値を知るとか買い物をする時に真贋を見極めるとかそういうところで発揮するスキルだと思っていたのだけれども、クマの中身もわかってしまうものなのだろうか。
って実際バレているわけだし、だからクマ化したエアハルト伯の名が『ヴェラルド』だと知ったのだろうし。
だとしたら私の念を無視してディナエルが黙っていたのはリーナに見つかりたくなかったからで──。
「……義姉上。説明して下さい」
「……え、ええと」
ボコボコに殴られているカジウラとエアハルト伯(クマ)。
嬉々としてディナエルを振り回しているリーナ。
自分の世界(多分にエロ系)に入り込んでブツブツ言っているフォルッツと、『若者は元気があっていいのう』なんて顔で再び菓子を貪るクマッティ。
そんな惨状の前で私は、絶対にいい顔をしているであろうコンラートの顔を見ることができなかった。
いきなり帰寮後の話に飛んだように見えますが、テオルクとの馬車内での話(前話の続き)はもう少し後に、回想で出てきます。




