88 悪役令嬢、第五のクマと出会う。
学園と王城は目と鼻の先にある。
園庭からは鬱蒼とした木々の先に王城の尖塔が見えたし、実際、森を突っ切れば授業と授業の合間に行き来できてしまうくらいには近い。
もっとも学園も森も王城も、それぞれに防御結界が張られているので誰でも短時間に行き来できるわけではない。が、第三王子のクリストファーが朝晩、剣の稽古のために近衛の鍛錬場に出向いているように、通行許可を持っている者にとっては馬車を使うよりずっと早く移動できる。
テオルクも通行許可は持っているだろうし、彼の連れと言う身分であれば一介の学生でしかない私でも許可は出る。
なのに馬車を使うのは貴族令嬢に夜道を歩かせない配慮か、学園計画責任者だの次期宰相候補だのと言った壮大な肩書きをここぞとばかりに使っているだけか。仕事が待っているから早く帰りたくないのか。
けれど、さすがに今は歩かずに済むのが有難い。
今日はずっと座っていたから体力は十分残っているはずなのに、これほどまでに疲労しているとは。やはり精神的な負担が大きかったに違いない。
だって何度も何度も言いたいけれど、私は数ヵ月前までは茶会や夜会にもほとんど顔を出さない引き籠りだったのだ。
なのに屈強な男どもとわたりあい、腹の底を探り合い、大勢のナイスミドルの前で責め立てられ、犯人扱いされ。終わったと思ったら今度は数年前までバチバチに戦闘状態だった隣国の王子とふたりっきりで会談。たった一日で一生分のイベントを走破したと言っても過言ではない。
テオルクが救いの神に見えたのは本当だ。
「でもテオルク様は何故あの場に? 殿下がたへ接見にいらっしゃったのなら、あんなところは通りませんでしょう?」
ただ、何故、との疑念は残る。
聴聞会が行われていた部屋も王族と接見する場もあの部屋からは遠い。
と言うか、あの部屋が王城の端も端にあると言った方がいい。
私が『誰か通りなさいよ!』と念じたのも衛兵か侍女に向けてで、だからまさかテオルクが釣れるとは思っていなかったくらいで。
実際、衛兵や侍女が通りかかったところで相手がアロイスなら『どうぞごゆっくり♡』と逃げてしまうばかりだっただろうから、その点ではテオルクほど適した人選はないのだけれど。
「殿方との貴重な出会いの場を壊してしまいましたか?」
「とんでもない。私にも相手を選ぶ権利がございますもの、その点では感謝しておりますのよ」
「確かに。あの男ではマルグリット嬢の望む未来など欠片も叶えられないでしょうからねぇ」
アロイスが私にそう言う意味で興味を持つとは思わないのだが、テオルクもその点はわかって言っているのだろう。
タジャラの皇后の椅子など辺境伯領主より価値がないと……聞く者が聞けばとんでもない侮辱だが、権力に興味がない私たちだからこそ言い合える笑い話だ。
しかしこうして聞く分にはテオルクはアロイスがタジャラの王子だと認識しているようだし、だったら何故あの場では無視していたのだろう、と思わなくもない。
そして無視もそうだが、王族を残したまま先に帰ってしまうなど不敬もいいところ。
ただあの会談は私的なもので、予定されていたわけでもなく、さらに私には門限と言う予定が迫っていた。
加えてアロイスが素性を隠して入国していたとなれば不問にしてもらえる率は高い。王子でも何でもなければなおのこと高い。
私が悪役令嬢と言う理不尽にヘイトを集める役回りだとしても、アロイス側が私との会談を強引に執り行ったことと天秤にかければお釣りが来るくらい今回の件で私が罰せられることはない……と、他でもないテオルクのお墨付きだから、まぁ、この件は終わったと思ってもいいのだろうけれど、でもストンと納得できてはいなかったりもする。
「と、冗談はともかく。囚われのご令嬢を助けてくれと頼まれましたのでね」
私の疑念をどう捉えたのか、テオルクは冗談ともとれない(どころか確実に本音であろう)ことを言いながら私の隣に目配せする。
そう。私は今、攻略対象とふたりっきりで馬車に乗っているわけではない。
私の隣には、
「探したんですよー! 他の人はほっとんど帰っちゃったのにマルグリット様だけ戻って来なくて。なんか犯人だから捕まったとか聞こえてくるし、でもどう考えたってマルグリット様は犯人じゃないし、もしかして嫌な予感が当たっちゃったかも、もしそうならあたしが無実だって証言してやるー! って思ってたら、この人が通りかかってくれてぇ……偉い人だったんですかもしかして」
数時間ぶりに私と再会できたのが嬉しいのか、奪還できたと興奮しているのか、妙にハイテンションなリーナがいる。
テオルクのおかげでリーナと合流できたと言うべきか、リーナのおかげでテオルクと再会できたと言うべきか。
何処で知り合ったかは知らないが、私が今こうして帰路につけているのはこのふたりのおかげだ。
「テオルク様はこれから行く学園の責任者なのよ」
宰相だの魔法省だのはリーナには縁遠いから端折って、私はそれだけ教える。
一緒に馬車に乗っている以上、彼女も寮に行くわけで、そうなると彼女は従僕枠で連れて行くしか敷居を跨ぐ方法がないわけで。
『主従関係は今日だけよ。明日から冒険者に戻りなさい』と言うつもりだったのが、なし崩しに雇用することになってしまいそうなのだが、彼女がテオルクを連れてきてくれなければ今でもアロイスと腹の探り合いをさせられていただろうから文句も言えないわけで。
だが従僕枠として連れて行くには事前申請と許可がいる。
貴族の子弟が寝食を共にする場所だからセキュリティの面でも当然のことで、当然のことながらこの時間では受け付けてもらえない。
しかしトップに直接話をつけることができればその限りではない。
テオルクのことを『学園責任者』と紹介したのは、彼のおかげで学園に付いて来られるのよ、と言う意味を含んでいる。
「ふわぁ! もしかしてあたしやっちゃいましたぁ!?」
私の口調から〝テオルクは私よりも遥かに偉い人〟と認識したのか、リーナは何処ぞのイキった転生勇者が吐きそうな台詞を叫び、大袈裟に仰け反る。
狭い車内で仰け反ればあちこちにぶつかるのもまた当然の成り行きで。
勢い余って馬車がガタガタと脱輪しそうなほどに揺れる。
「ははは、気にしないでください。私も貴女もマルグリット嬢の平穏な学園生活を守るお手伝いをしている、と言う点では同じですから」
そんなリーナにテオルクは穏やかに笑ってみせる。
器が大きいと言うか、腹の底が読めないと言うか、さすがは攻略対象と言うか。王子どもが揃いも揃って酷かったから余計に大人に見える。
責任者を任されているのは決して当人が言うような『失敗した時に責任を押し付ける存在』としてだけではないだろう。
「そう言えば義弟も守って下さったのですわね。この場を借りてお礼申し上げますわ」
「大したことはしていませんよ。急に衛兵が雪崩れ込んで来たので、捕獲してきたばかりのブラウシュルパの群れが驚いて暴れ出してしまいましてね。いやぁ見もの、じゃなかった、気の毒でしたねぇあれは」
「ブラウシュルパ?」
「若葉マークの冒険者御用達みたいな弱小モンスターなんですが、布や金属を……特に好むのは金属ですがね、溶かす習性があるんですよ。あと凄く臭い」
「臭い」
「ええ。一度染みつくと一週間は臭いが抜けないんですよ。だから我々も暴れだしたブラウシュルパを止めるのに一瞬躊躇してしまいましてね。その間に衛兵が飲み込まれてしまって。いや、実に気の毒な事故でした」
気の毒とは思っていない顔で、テオルクは天を仰ぐ。
「……あの、もしかして次回の実技演習ではブラウシュルパと戦えなんて言われたりするのかしら?」
「それは次回のお楽しみ。なに、群れになれば脅威ですが、単体なら本当に経験値稼ぎにしかなりません。お世辞とヨイショで天狗になっている坊ちゃん嬢ちゃんに世間の厳しさを実感してもらうにはちょうど良い脅しになるでしょうけれどね」
「………………群れなら脅威」
いや貴方、数個前の台詞で『群れが暴れた』とおっしゃいましたわよね?
確実に複数体いますわよね!?
鸚鵡返しで答えることしかできないまま、私はテオルクを窺う。
学園に向かった衛兵たちは鎧に身を包んでいたから、格好の餌食になっただろう。
彼らもまさか王城に隣接した学園(しかも魔法省の領地内)で成人指定になりそうなモンスターに襲撃されるとは思うまい。
テオルクは『これも大事なご子息ご令嬢を預かるのだから当然のことですよ』とこともなげに嘯いていたが、『厳しさを実感してもらう』とか何とか物騒なことも口走っていたし……マツリカは年齢と顔からテオルクを対象外と見なしたようだが、〝攻略対象は好感度が上がれば振られてもヒロインの味方になる〟のなら、何より真っ先に味方につけるべき男は彼に違いない。
「しかしランドルフ殿下もアルノート殿下も人が変わったようですねぇ。昔は努力家で、慎みもあって……ほら、彼らって顔がアレでしょう? だから勉強や武芸で秀でていられるように、って頑張っていたのですけど。マルグリット嬢への仕打ちを聞くに、これではまるで悪役ですよ。それも序盤にやられるチンピラ系」
その『努力家で慎みもある』殿下(の部下)にブラウシュルパをけしかけて、咎める良心はないのですか貴方は。
そんなツッコミが浮かんだが、テオルクが彼らの私に対する態度に腹を立ててそう言ってくれたのだとすればアレコレ言うものでもない。
むしろ私の手を汚さずに嫌がらせができるのだから喜んでけしかけていただきたい。ってそうではなくて。
テオルクの目にも『努力家で慎みがあり、日頃から修練をかかさなかった』王子たちが、悪役呼ばわりされるほど堕ちたのは、紛れもなく乙女ゲームの影響。
気の毒だとは思うが、彼らの嫌味の標的にされた後では同情する気にはなれない。
「でもマルグリット様がご無事で良かったです!」
リーナは胸の前で小さくガッツポーズを取る。
オーバーアクションは馬車が壊れるからだろうが……男はこう言う仕草にときめくのだろうか。
これも私の女子力向上メモに書き込むべきだろうか、とチラリとテオルクを見てみれば、先ほどと同じ保護者な笑みで全く参考にならないのだけれども。
「そうね。貴女が言っていたとおり罠も仕掛けられていたし」
マツリカがこの世界に来なければ兄王子らも〝影は薄いけれどもそれほど悪くはない第三者〟として、婚約破棄されることもなく幸せに暮らせただろうに。
世界の歪みはシナリオに出てこない人の人生さえも歪めてしまうものなのか。
退場していない限り、このようなことは今後も起き得る。
今回のことでテオルクから悪役だチンピラだと評価されてしまったように、諮問会の最後でナイスミドルたちが王子らを冷遇したように、このままなら兄王子たちの評価は地に落ちる。
クリストファー立太子への伏線と言えば聞こえはいいけれど、誰かの成功のために誰かが不当に堕とされるのはあまりいい気がしない。
なのにこのような不当な評価は兄王子たちだけではなく、他の誰にも起きると言うことが証明されてしまった。
私やテオルクのようなレギュラー陣ではなく、リーナやコーネリア、そしてエアハルト伯のような脇役でも、と。
ああ。そう言えばエアハルト伯はどうなったろう。
あのエアハルト伯のなれの果てらしきクマを確保したかったが、中途半端に放置してしまった。
犯人の手掛かりになると仄めかしてきたからアロイスが確保に動いているだろうか。
彼が犯人を追う側ならもちろん、共犯側ならなおのこと、自分が関与しているとバレる恐れがあるブツは確保に動くと踏んでいるけれど、後者の場合、高確率で証拠隠滅の憂き目に遭うのは免れない。
その時は……その時だ。
伯爵の運がなかったと諦めよう。
どうせ伯爵の証言が得られなかったところで、この事件が迷宮入りするだけ。伯爵の名誉が地に落ち、コーネリアやリーナが再び狙われるかもしれないが、私には何ら影響しないし私が体を張って解決しなければならないものでもない。
「……そう言えばリーナ。貴女、テオルク様とは初対面なのよね? よく声をかける気になったわね」
私はクマのことを頭から追いやってリーナに向き合う。
リーナは庶民で、王城も初めて来た場所で。
そこで私が何時までも戻ってこないからと言って、誰かに──それもテオルクのような身なりの良い、どう見ても貴族な相手に──助けを乞うとは思えない。
非力ならともかくリーナは冒険者。身体能力も高いし、殴り合いを伴う強行突破だってやろうと思えばできなくはない。だからこそ。
「あ、はい。ヴェラルドちゃんがこの人なら味方になってくれるはずだって」
「ヴェラルドちゃん?」
ヴェラルドって誰だ?
〝ちゃん〟付けするからには子供か女性か、名前からして男の子だろうか。
しかしジークラム王家には男の〝子〟と呼べる年齢の子供はいない。
登城した誰かが連れてきたのだとしても『助けを乞うならあの人』とテオルクを指名する子供など、まずいないと思いたい。
「この子で、」
「!!!!!!」
リーナが『ヴェラルド』と称したソレは……またしても白毛に黒ビーズのクマだった。
ブラウシュルパとはスライムみたいなものだと思ってください。




