48 悪役令嬢、嵐の前の静けさを実感する。
木々の緑は次第に強くなってくる陽射しを遮ってくれるかのように、頼りなさげな若葉色から濃い緑へと変わり。
青い空には真っ白な雲が広がるようになり。
男子学生の上着着用が任意になって、スカイブルーの中に占める白の割合が増え。
私たちは人生初の〝学生生活〟をそれなりに満喫していた。
クリストファーが提唱していた〝学園内は平等〟理論は爵位が高い者ほど反発も多かろうと思っていたのだが、『〝あんな低い身分の者に話しかけるなんて〟と陰口を叩かれることなく話しかけることができる』と歓迎されていたのには驚いた。
私が社交の場に疎いから知らなかっただけなのか。
下から上へ話しかけたわけではないのだから問題ないと思っていたのだけれど、もしかするとあの理論はクリストファーが男爵令嬢のマツリカに話しかけても文句を言われないように、と言う布石でもあったのかもしれない。
だが低いとは言え今はまだ皆、貴族階級。
しかも入学金が払える比較的富裕層。
テオルクが目指している〝金はなくても才能がある人材(平民も可)〟相手でも同じ発想でいられるようになるには、まだかかるだろう。
マツリカは神殿に行ったきり戻って来ず、学生らの記憶からは既に存在が薄れつつある。
だが、あれだけ個性の強かったマツリカがこうもあっさり忘れ去られてしまったのは、同時期に学園を去ったカジウラの話題のほうが大きかったからだと思われる。
なんせ勇者として名を馳せていた時代に彼と関わりのあった冒険者が何人も行方不明、もしくは死体で見つかり、その犯人として捕まったというのだから。
冒険者が行方不明になったり、死体で上がったりすることは珍しいことではない。
彼らの仕事は命がけ。
ギルドの依頼には薬草や魔石の採取と言う子供の小遣い稼ぎのような〝簡単なお仕事〟もあるけれど、それらの微々たる報酬では食べていけない。
ので、冒険者は難易度の高い仕事──一般人には任せられない、命を落とす可能性がある仕事を選ぶのだ。
もし途中で力尽きたとしてもパーティの誰かが生き残ってくれれば、彼らの死はギルドに、家族に、恋人に伝えられる。
しかし全滅すれば消息はそこで途絶える。
『そう言えば最近見かけないね』から『他の町に行ったのかもね』、『冒険者から足を洗ったのかもね』となり、やがて誰の口に上ることもなくなった彼らは、実際にはその多くが死人に名を連ねていたとしても〝行方不明〟として扱われる。
カジウラの件で〝行方不明〟とされた何人かも同じ状況だろう。
ディナエルのようにクマ化されただけで、その当時は生きていたかもしれない。
が、ダンジョンの最奥からただのぬいぐるみが戻って来られるか。
モンスターに踏み潰されたり、戯れに手足をもがれたり。水気を吸って川底に沈んだらまず自力では戻っては来られない。
人里まで戻って来られたとして、ディナエルのようにゴミと間違われて燃やされる可能性もないわけではない。
カジウラがいれば、そんな彼らの何人かは消息がわかったかもしれない。
が、その前にカジウラは姿を消してしまった。
英雄だ、祖王ヒャルターの生まれ変わりだなどと呼ばれた勇者が投獄、そして脱獄。
一個性が強いだけの女子学生が行儀見習いで神殿に行ったことに比べたら、人々の噂に上るのはどちらが多いか、考えるまでもない。
クリストファーは今も毎日欠かさず剣の稽古に励んでいる。
朝食前の一時間と放課後の三時間。
最初の頃は寮の裏手で鍛練に励んでいたのだが、彼の姿を見るために多くの女子学生が集まったせいで王城騎士団の鍛練所に場所を移してしまった。
令嬢キラーだのスケコマシだのと呼ばれていたくらいだから女性の黄色い声援と熱い視線があったほうが気合いが入るのではと思っていたが、当人はそうでもなかったらしい。
指導を任された兄が、
『殿下のために王城まで往復しなきゃいけないなんて、マルグリットといる時間が減る』
と愚痴っていたが、教え子がやる気を見せるのは指導する側として不快なものではないらしい。会話の中にクリストファーに関することが増えて来た。
私としてもこちらから尋ねることなくクリストファーと兄の近況が聞けるのは大歓迎。クリストファーを構う時間が増えれば兄が兄王子たちと会う機会も少なくなるし、一石二鳥だ。
さりげなくクリストファーがマツリカのことをどう言っているか、と聞いてみたが、こちらは話題に出たこともないとのこと。
今でも”真実の愛”なのかもしれないが、会いたいと言い出さない程度に関心は薄れているのかもしれない。
以前にも同じことはあった。
実技演習のパーティを半強制的に分けられ、演習当日までクリストファーとマツリカの接点が少なくなった時。
久しぶりの再会でさぞや甘ったるい雰囲気になっているのだろうと思いきや、通常運転のマツリカを鎮めようとするクリストファーは〝彼女に手を焼いている、迷惑している〟と言う印象しか受けなかった。
が、その数時間後。
クリストファーが暴れ回るクラスレグルスから庇ったのは失神したコーネリアではなくマツリカで。その後の状況説明の時も元鞘におさまったのかと思うほどベッタリで。
なのにマツリカが神殿に行ってしまった今、クリストファーの関心は再び薄れようとしているわけで。
転移者がモテるのは、やはり当人がその場にいる間だけなのか?
だとすればマツリカ不在の間にクリストファーが婚約者でも作って身を固めてくれれば……いや、でもマツリカの推しはクリストファーではないから、彼が誰と婚約しようが関係ないのか?
とすると、断罪回避のために必死になって婚約を白紙に戻したのは無駄だったのか?
あのまま私が婚約者でい続けたところで断罪されることはなかったのか?
それとも悪役令嬢の私が婚約者の椅子に座った時にだけ、クリストファーと婚約=断罪ルートが口を開けるのか?
どうなるかは今となっては知りようがないし、検証しようとも思わない。
ただひとつ言えることは、私個人の好みとしてクリストファーは趣味ではない。
断罪されなかろうが婚約なんてお断り、と言うことだけだ。
そしてマツリカの〝最推し〟、コンラートも相変わらず。
『マツリカと付き合うのはオーエンのためだとしても考えたい』と言質を取った時のまま、彼女に対する好感度は底辺を這っている。
神殿には近寄らないようにと言ってあるけれど、それ以前に本人に行く気がないようだ。
そんなコンラートは余程義姉と行動を共にするのは嫌なのか、放課後は毎日のように図書館に通っている。
悪役令嬢の義弟=攻略対象=ヒロインと親しくなったら破滅フラグが立つ、と言うことで常に目の届く範囲に置いていたから、彼があんなにも本好きだとは知らなかった。
その読んでいる本と言うのが〝呪いの解き方〟だの〝農作物の効率的な栽培法〟だのと色気も何もないのがいかにもコンラートらしいと言うか、だけれども。
ディナエルの話では彼に懸想した女子学生が何人か声をかけて来たそうだが、いつもの塩対応で全て流してしまったとか。
女より本を取るなんて学生の鑑じゃないか! ではなく。
その対応は悪役令嬢としては頼もしい限りだが、義姉としてはあの歳で全く女に興味を持たない義弟が少し心配だったりもする。兄の前科があるせいもあって、心配のあまり性癖を疑いたくなってしまう。
……本当にディナエルのことを親友としてだけ見ているのならいいのだが、と。
そのディナエルを始めとするクマ’sも平常運転だ。
ディナエルに関しては力を全て返したけれど、それでも人間に戻ることなく人生を満喫している。
人間に戻ってしまえば寮にいられなくなるから、と言う判断なのか、人間に戻る方法を忘れたのか。
何にせよいきなり25歳成人男性が現れてはペトラや兄に説明しようがないので、クマのままでいてくれたほうが有難い。
フォルッツとクマッティは……ぬいママ会があったあの日、恨みがましい目で見られたが、イッタイ何ガアッタノカシラァ? と気付かないふりをしておいた。
後日、テオルクが
「私も一体、ぬいを買ってみることにしたんですよ」
と爽やかに言って来たから、それなりに貸した効果はあったのだろう。目の下のクマも薄くなっている気がする。
うん、疲れている人を助けたのはいいことだ。
ルブローデの民が戦場にぬいを連れて行くと言うあの大嘘に、〝どんな環境でも安眠をもたらす効果がある〟の一文も付け加えることにしよう。
もう二度とあんなハッタリをかます場面には遭遇しないだろうけれど。
そんな感じで私の周囲は平穏だった。
クマッティたちが言うようにマツリカのストーリーは〝第二章・神殿編〟に移行してしまって、悪役令嬢たる私の出番はもうない! なら良いのだが、そう簡単にエンドロールは回らないのが世の常。
クマッティが私に頼んで来た『転移者からチートスキルを奪う』もカジウラの分しか完了していない。いや、あれで完了したと言えるかどうか。カジウラが他者から奪った分は回収したが、カジウラ本人の力は、と言うと奪えていないかもしれない。
カジウラがクマ化していないのが証拠だ。
そして私の場合、カジウラよりもマツリカ。少なくとも彼女の〝聖女〟スキルだけは奪うなり壊すなりしなければ、完全な終局は迎えられないだろう。
私の悪役令嬢と言うレッテルは剥がれていない。
けれど今だってそれほど悪役をしているつもりはないし、まわりから悪役と見られているわけでもない。
実際の悪役令嬢のように意味不明に罪を擦り付けられたり、ヒロインと攻略対象のイッチャイッチャを連日見せつけられたりするのなら回避策を取らせて頂くが、攻略対象は総じてヒロインに塩対応故に小さな〝ざまぁ〟なら何度も見せてもらっている。
悪役令嬢と言われようともストレスを感じないのならこのままでいいのではないか? とすら思うのだ……けれど。
それよりも。
トラウラを始めとする転移者製造機の神々をどうにかしなければ、意味不明な俺様ストーリーの犠牲者はこの先も現れる。あれをどうにかしなければ真の安寧はやって来ないだろう。
人々を救うために、なんて正義面した発想からではなく。
はた迷惑を撒き散らす奴らを一発ブン殴ってやりたい。でないと気が済まない。
「でもまずはマツリカから片付けるべきかしらね」
放課後。
学園の庭に置かれた四阿で私は本とクマを広げる。
教室棟からも寮からも離れている此処ならクマが喋っていても気付かれないし、四方が見渡せるから誰か来てもすぐにわかる。
密談するには絶好の場所だ。
「そうですね。トラウラも彼女の近くにいるでしょうし」
無策で神殿に乗り込んだところでどうしようもない。
テオルクの話では『まずは一ヵ月、神殿で過ごしてみましょう』との申し出らしいので、あと数週間でマツリカのいる日常が戻って来ることになる。
それまでにこちらの防御を──攻略対象たちがあっさりマツリカに堕ちないよう、対策は万全にしておかねば。
「テオルク様やお兄様はマツリカに靡かなかったでしょう? あの理由を知りたいわ」
「そうですねぇ。ご本人たちの意思でと言う感じではなかったですし、ここはやはりマツリカ嬢は転移者は異性にモテるって設定を使わなかった、ってのが正解じゃないですかぁ?」
「ヒロインが攻略対象に好かれなかったら話が進まないじゃないの」
「そこはー……、ほら、モテる必要がないとか」
モテる必要がない、とは?
乙女ゲーム的ストーリーもその派生の悪役令嬢モノと呼ばれるものも、鉄板展開はとにかくヒロインが逆ハーレムを作るところから始まる。
攻略対象が揃ってヒロインにベタ惚れなイエスマンになるからこそ、ヒロインはエンド対象を選び放題にできるわけだし、悪役令嬢は言い分は聞いてもらえることなく断罪まっしぐらになる。
その根本、大前提を否定すると言うことは、マツリカが進めようとしているストーリーは乙女ゲームではないと言うことになってしまう。
「……〝血塗られた 叛逆 〟、せっかく借りたけど役に立たなかったかしら」
私は革張りの本を手繰り寄せる。
頑張って三分の一ほど読み進めたところだが、今のところは鉄板からそれほど外れたことはしていない。ヒロインが学園に入って魔法を使ったイベントに参加する──この学園での実技演習に参加したところだ。
「マルグリット様! お力を貸してくださいまし!」
バルトガー侯爵家のコーネリア用鉄壁防御に綻びらしきものが見えたのは、その翌日のことだった。




