41 悪役令嬢、トカゲに相対する。
カジウラは壁からズルズルと落下した。
口だけは「こんなはずじゃない」「俺は勇者なんだから」と動いているが、体は限界を超えてしまっているのだろう。そのままでは首も痛いだろうし、情けないことこの上ないが、体勢を立て直す力すら残っていないようだ。
そもそも剣を振り回し、戦うための基礎体力など、呼びつけられただけの転移者にあるはずがない。剣などほとんど握って来なかったであろうことは彼の手が雄弁に語っている。
今まで無双して来られたのは、奪い取った冒険者らの力で基礎力に上乗せがあったから。そしてダメージを受ける間もなく勝てていたから、と言うだけだ。
「やはり偽物は偽物ね」
小さく呟いただけなのに聞き咎められてしまったのか、カジウラがこちらを見る。
何か言いたげな顔だが、口を利く気力もないらしい。
カジウラたちが壁に叩きつけられた時の振動で、天井からはパラパラと土くれやら小石やらが降って来る。
このまま天井が崩れて生き埋め、なんて最悪の事態が脳裏をよぎる。
天然のダンジョンとは違い、此処は魔法省の敷地内にある魔法省管轄のダンジョン。
モンスターとの戦闘は当然想定して作られているし、その程度で壊れる設計にはなっていない。放たれているモンスターもダンジョンを壊すほど強力なものはいない。
だが挑戦者の力は想定されていない。ディナエルのような規格外が壁を殴れば、崩壊しないとは限らない。
ただ、そんな万が一の事態を想定して対策していないだけのことで。
今回のこれも、カジウラが力を持ったままだったら崩壊の危機もあっただろう。
この程度で済んだのはカジウラが他の学生と同じレベル──勇者と呼ぶに相応しい力を持ち合わせていない──にまで弱体化していることの証。
しかしカジウラとディナエルのことを知らない第三者からすれば、全く喜ばしいことではない。
カジウラの負けが濃厚になったことで学生たちがパニックに陥った。
這うようにしながらも唯一の出口を目指して逃げ惑い、穴を越えられずに団子状に固まっている。
彼らがどのような経緯で此処に集まったのかは謎のままだが、よもや出口を塞ぎに来るとは。
そして多分にそのせいで、先ほどから『だから思い付きで動くなって言ったのに』と言いたげな視線が後頭部に刺さってくるのだけれども、あえて出所は確認しない。
カジウラが動かなくなったことを確認したらしいトカゲは、次の獲物とばかりに私たちを見下ろした。
野生生物なら動きの鈍い、確実に仕留められそうな獲物を狙うものだが、トカゲほどになってくると私たちも穴付近に固まっているモブたちも同レベルだと思われる。
「やぁん、リカこわぁい」
私の背後を視認したマツリカがやけに甘えた声を上げて駆け寄ってきた。
敵に対して無防備に背中をさらすなんて、主人公補正があるからどんな危機的状況下でも五体満足で生き残ることが約束されている、とでも言いたいのだろうか。
乙女ゲームのヒロインの特徴は〝攻略対象にモテる〟以外に思い当たるものがないが、童話などでもヒロインと言うものは自分の置かれている状況に負けず、明るく振る舞うのが定石。
言い換えれば空気を読まない、と言うことでもあるけれど……唯一トカゲに勝てたであろうカジウラを戦力的に失ったにもかかわらず、何もしないどころか恋愛に振り切れる神経の太さを疑いたい。
あなた、ちょっと前までクリス様に擦り寄っていませんでした!?
男なら誰でもいいんですか!?
本命は義弟のようだけれども、それにしたって尻軽すぎる。だったら兄に対するアレは何だ? 攻略対象じゃないから色目を使ってもカウントされないと言いたいのか!? などと考えかけたその時。
「きゃあっ!」
マツリカがわざとらしく叫び、バランスを崩した中腰姿勢で突っ込んで来た。
途端。
肩を抱き寄せられた。
「足下が危ないですよ義姉上」
「へ?」
コンラートだ。
今回も私を盾にするつもりらしいが、こっちはこっちで何のつもりだ!? 『養子は養子でも婿養子』の噂を強固にしておけばマツリカも諦めるだろう、と言う算段か!?
ちなみに私の足下に躓くものは何もない。目の前に現在進行形で躓いている女はいるけれど。
またしても受け止めてもらう対象を失ったマツリカは顔面から地べたにスライディング。
何時見ても潔い転びっぷりだ、と感心する間もなく、マツリカはギリギリと奥歯を鳴らしながら私を睨みつけた。
いや。
あなたが転んだのも、コンラートの手が私の肩に乗っているのも、一切私のせいではない。恨むのはお門違いだと言いたい。
そしてやっぱりこの展開を黙って見ていてくれるトカゲではなかった。
むしろ爬虫類でありながら今の今まで順番を──マツリカが割り込んで来たにもかかわらず──待っていてくれたことに感謝すべきところだが、それはともかく。
地べたに突っ伏したマツリカに、トカゲは前足を振り被る。
個人的には順番に割り込まれた腹いせだと思いたいほど勢いよく。
「きゃああああ!」
この光景を前に『今度は心からの叫び! ヒロイン絶体絶命のピーンチ!!』などと悠長に思ってしまうのは、『どうせヒロインだから死なない』と心の何処かで思っている部分があるのかもしれない。
が、外野はそんなことは思わない。
「マツリカ!」
クリストファーが丸腰のまま飛び込んだ。
覆い被さるように、文字通り身を挺して庇いにかかる。
見事な王道展開だ。想定される今後のストーリーの流れとしてはクリストファーが怪我を負い、それをマツリカが聖女の力で癒す。そして好感度が爆上がりする。
……だと思っていたがイレギュラーが起きた。
「クリス様!」
コーネリアが 火球 を発射したのだ。
しかし初期魔法では致命傷どころか鱗を焦がすこともできず、それどころか無駄にトカゲの怒りを買ってしまった。
「グァァァァアアアアアア!」
咆哮をひとつ上げ、トカゲはクリストファーたちではなくコーネリアに向いた。
クリストファーが怪我をしなかったから、癒しイベントは発生せずに終わった。
悪役令嬢にしてみればラッキー……いや、とてもそうは言えない。あれだけ都合のいい扱いをされているにもかかわらず、クリストファーの対マツリカ好感度が”命に替えて守るほど”に上がっていることが判明してしまったのだから。
何故だ。
夕食会後から兄と対面したあたりまで、クリストファーはマツリカに振り回されて迷惑している、みたいなスタンスだったのに。今でも心酔しているようには見えないのに。
私の認識が甘かったのか?
この分だとマツリカに塩対応だと思っていたテオルクや兄も、見た目に反して好感度を上げていたりするのか?
『無理』と言っていたディナエルやフォルッツも? コンラートも?
「義姉上!」
「っ! あ、だ、駄目ね」
違う。
今はそんなことを落ち込んでいる場合じゃない。
せっかくイベントを潰してくれた幼馴染みに危機が、トカゲが迫っている。
「コーネリア様! ついうっかり放つ相手を間違えていてよ?」
私はコンラートの手を肩から外すと、剣を抜く。
貴族令嬢と言う立場上、日の目を見ることがほとんどなかった愛剣を。
「ちょっと行って来るわ」
「何処へ!?」
悪役令嬢が不幸を望むのはヒロインだけ。
コーネリアは違う。恩を返さずに見捨てるのはルブローデの名折れだ。
私は駆けた。コーネリアに覆い被さろうとするトカゲの下に滑り込み、腹部に剣を突き立てる。
腹は頻繁に曲げ伸ばしをする部位。鱗自体も腕や背中に比べれば薄い。
さらに至近距離まで近付いているせいもあって、鱗の境目もよく見えた。鎧に覆われた敵を倒す時に脇などのプレートの境目を狙うのと同じことだ。
今にも押しつぶさんとばかりに前屈姿勢になっていたトカゲは、自分自身から剣に刺さりに行く恰好になった。腹部に押し潰されながらも絶叫が聞こえた。
「まぁ、よく見れば似ていなくもないけれど! 目がふたつのところとか、口がひとつのところとか!」
攻略対象の好感度のことを私が考えたってどうなるものでもない。
対策するのは後! 今はこっちに専念する!
刺したまま剣をねじる。
ゴリ、と音がして血しぶきが降り注ぎ、私もコーネリアも頭から青く染まった。
ぬるりと滑る柄から手を離し、コーネリアをトカゲの下から引っ張り出す。
私はモンスターの血には慣れているほうだけれどもコーネリアはそうでもなかったようで、青い液体と臭気にクラリと昏倒した。
それを合図とするようにトカゲは体を痙攣させた。
口の端から涎を垂らし、ヨタヨタと数歩後退る。
その足取りは酩酊しているようにも、強弱の激しいリズムを取っているようにも見える。
「っ、コンラート!」
「わかってますよ」
義弟がコーネリアの脇に手を入れ、トカゲの下から引っ張り出す。私もその後に続く。
マツリカが羨ましそうな顔を向けたけれど、それも後!
クリストファーがマツリカに対し、
「何処か怪我はしていないか?」
などと世話を焼く様も……先ほどの身を挺して庇おうとしたことも、令嬢キラーなら自然な行動なのだろうけれど、あれだけこっぴどくフラれたのに再びよりを戻しそうな勢いで寄り添っている姿に、先ほどの〝認識の甘さ〟をぶり返される。
コーネリアも私もいたのに、しかもコーネリアはクリストファーを庇い、現在進行形で昏倒していると言うのに、クリストファーの注意はただ、マツリカにのみ向かっているのだ。
「義姉上、今のは」
とりあえずのたうちまわるトカゲから距離を取り、コーネリアを寝かせた後、コンラートが訝しげに尋ねて来た。
『どうして殿下はマツリカにしか目が行かないのですか?』でないことくらいは私の冴えない〝女の勘〟でもわかる。
「そうねぇ……黄昏の狂詩曲とでも名付けましょうか」
「いや、そうじゃなくて」
コンラートが問うているのは、カジウラが全く手が出なかったトカゲが、私の一突きにダメージを負った理由だろう。
剣を突き刺したと同時に何か小細工をしたからだと思っている。
その小細工は何だと聞いているのだ。
「大したことではないわ。弱点を突いただけよ。こういう鱗の硬い生物は大抵、腹が弱いの。覚えておきなさい」
「そうじゃなくて」
けれど全部が全部答えてもらえると思ったら大間違い。
いい女には秘密があるものよ? なんて言っても鼻で笑うだけだろうから言わないし、そんな気分でもないけれど。
納得しきれていない顔の義弟の声を聞き流し、私は一息ついているクリストファーに視線を向ける。
この男、マツリカを庇いに行ったのはいいが、それだけだ。
今ですらトカゲとの戦いはほぼ終わった、みたいな顔をしている。一時的に動きを止めたに過ぎないのに。
「素晴らしいよマルグリット! さすがはルブローデと言ったところか!」
見下ろされていることに気付いたクリストファーが褒めてくるが、全く心に響いてこない。
と言うよりも、褒められたくて動いたわけではない。
強いて上げれば血沸き肉躍るモンスターバトルの機会を前に、ルブローデの血が騒いでしまった、と言うだけだ。
その点では『さすがはルブローデ』なのだろうけれど。




