第5話 春の訪れと共に
本日は2話公開致します。
是非よろしくお願いします。
この屋敷にもう私の味方は誰一人居ない。
母様が亡くなってからはただひたすらに理不尽に耐え、生き残る事だけを考える日々。
だがあの頃の私はまだ何処かに希望があると信じて生きていた。
『だからもうお前は邪魔なんだ、分かったらさっさと僕の前から消え失せろ!そして僕の前に二度と顔を見せるな!』
だけどあの日、私は知ってしまった。
この場所で私が幸せになれる事は未来永劫ないのだと——
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「何を呆けている?」
馬車の荷台の外、周囲には何もなくただ暇で夜空を見上げながらボーッと月を見ながら物思いに耽っていると不意に声を掛けられた。
声のする方を振り向けばそこにはユウの姿があった。
「……少し考え事をしていました」
そう返すとユウはただ淡白に「そんなに暇なら少し付き合え」と私の手を引き馬車の荷台の影に連れ込まれた。
そして馬車の荷台側へ私を追いやり両腕で退路を断つ。
「腹が減いた……血が欲しい」
直後ユウは私の首元に顔を埋め首筋に牙を突き立てた。
『だからこれからよろしく頼むよ、涼香』
ユウと盟約を結んだあの日の夜、私の人生は大きく変化した。
あの後、ユウと私は逃げる様にマージナの町を去った。
それもその筈、ユウはあの町で起こった変死事件の真犯人なのだから。
日中は何処へ向かうかもわからない馬車に揺られ、そして日が落ちれば私はユウの完全な所有物となり人目の無い物陰へ連れ込まれ血を吸われた。
だが幸いな事に私はまだ食い殺されてはいない。
温情を持たれているのか、はたまた旅の間の食料として意図的に生かされているのかはわからない。
ユウは血を吸い終わるといつもの様に噛み痕に舌を這わせる。
「あのっ……それ、止めて欲しいのですが……」
「でもこうしなければ傷口が塞がらないのだから仕方がないだろう? 少しの間だけ我慢してくれ」
そうして私はユウの逆鱗に触れてしまわない様、食事が終わるのを静かに待った。
そして止血が終わったのかユウは口を離し首元から顔を上げる。
「終わったぞ、明日も移動があるのだから早く寝ろ」
そう言うとユウはさっさと馬車の荷台へと戻って行った。
ここ数日、ユウと共に行動をしていて分かった事がある。
それは彼の二面性だ。
表向きのユウはとても外交的で世渡り上手だ。
その為今乗せてもらっている馬車の御者に対しては人当たりの良い好青年として振る舞い、時折世間話をしている。
しかし周囲が寝静まると、ユウは外面を脱ぎ捨て本性を露わにする。
私はそんな得体の知れないユウがいつ機嫌を損ね、命を狙ってくるかという不安と恐怖にずっと支配されていた。
そのせいなのか此処最近は碌に睡眠を取れていない為、体調があまり優れない。
(一体どうすれば私はユウから解放されるのだろう……)
そんな叶うことのない望みを頭の中で打ち消し目を閉じた。
***
そして馬車に揺られること数日、突然ユウから馬車を降りる様に言われる。
「着いたぞ」
どうやら目的の場所へと到着した様だった。
ユウに言われるまま馬車の荷台から降りると、目の前には大きな屋敷があった。
「此処は……」
「中央国家センチュラルの首都ローザ、そして目の前にある建物が俺の邸宅だ」
私は予想もしていなかった偶然に目を見開く。
「本来ならマージナから此処までもう少し早く到着できたのだが、コソコソと帰ってきたものだから公益路を使うよりも少し到着が遅くなってしまった」
ユウはそう語るが、私は驚きのせいかあまり話は耳に入ってこなかった。
「センチュラル……もう行くことは叶わないと思っていました」
「……そうか」
ユウの表情は深くローブを被ったままで一切見えない。
しかし今まで聞いたどの声よりも柔らかくそして優しい声色だった。
「さて、中に入るぞ」
そう言うとユウは私の左手を掴み屋敷の扉を押した。
「おかえりなさいませ旦那様、久しぶりのご帰宅ですね」
玄関に入るとすぐに薄緑の長い髪を後ろで束ね、片眼鏡をかけた糸目の使用人らしき男が入り口で出迎えてくれた。
「只今モーエヴィン、留守の間の屋敷の管理ご苦労だった」
「恐縮です、私の様な下僕はただ旦那様の生活のお役に立てるだけで光栄ですから」
モーエヴィンと呼ばれたその男は満面の笑みを浮かべユウに首を垂れている。
(大きな屋敷に使用人……ユウは一体何者なのだろうか?)
私の知っている限りでは庶民でこんな生活をしている人は余程の富裕層でも無い限り居なかった。
終始黙って二人のやり取りを見ていると私に気付いたのかモーエヴィンと呼ばれた男が私に声をかけてきた。
「おや、そちらはお客様ですか?」
「残念だが客人ではない、色々あってこの屋敷に連れてきた。なのでモーエヴィンにコイツの教育を頼みたい」
そう言いユウは私の背中をトンと押した。
「教育……一体何の事を言っているんですか?」
私がユウに尋ねるとそれを聞いていたモーエヴィンが口を開いた。
「成程……そう言う事でしたか。それでそちらの貴方、名はなんと言うのです?」
「……涼香と申します」
そう言うとモーエヴィンは頭を下げた後、親しげな笑みを私に向けてこう答えた。
「涼香これから貴方はこの屋敷で働けと旦那様からのご命令です。……ですのでこの屋敷を管理する仲間としてどうぞよろしくお願い致します」
「……はい……?」
そうして私は訳のわからないままユウの屋敷で働くこととなったのだった。
***
「涼香は飲み込みが早いですね、優秀な後輩は教え甲斐があります」
「ありがとうございます」
私がこの屋敷に勤め始めて一週間が過ぎた。
私はここに来てから屋敷のあらゆる仕事をモーエヴィンから教わった。
私のこなす仕事は大きく分けて二つある。
一つは屋敷の管理、屋敷の主であるユウの生活まわりの世話だ。
掃除や洗濯に料理は勿論、時には飛び込みの仕事もこなす為、私はいつも仕事を追いかけるのに必死だった。
「もうそろそろ旦那様の食事の準備に取りかかりましょうか。今日は私がメインを担当致しますのでサイドは涼香に任せます」
この時の私の勘が危険を察知する。
「……いえ食事は全て私が作りますのでモーエヴィンは他の片付いていない仕事を進めて頂けますか」
「ほぅ……涼香も少しは言う様になりましたね、流石私の育てた優秀な後輩です」
そう言うモーエヴィンに私は乾いた笑いをあげるしか無かった。
「ハハハ……」
モーエヴィンと働いているうちに分かったことがある。
それはモーエヴィンが絶望的な味覚音痴であり化け物胃袋の持ち主という事だった。
私は初日にモーエヴィンから振舞われた賄いを食し人生で初めて走馬灯を見た。
あの時、咄嗟に吐き出していなければとっくにこの世から消えていたと本気で思う。
その後、私はモーエヴィンに料理に何を入れたのかと問いただした。
するとモーエヴィンの口からは、他人の口に入れていいのか疑わしい食材とも言えない有毒植物や獣の名前がポンポンと出てきたのだ。
『そんなものユウ……旦那様に出して大丈夫なんですか?』
そう尋ねるとモーエヴィンは悔しそうにハンカチを噛みながら答えてくれた。
『それが旦那様はかなりの偏食の様でして……私の用意した食事は一切口にしてくれないのです。あんなに美味しいのに……勿体なさ過ぎます!』
その時、私は呆れを通り越してモーエヴィンに恐怖心を覚えた。
(こんな身近に無自覚兵器が屋敷に居るだなんて、ユウもなかなかの苦労人だな……)
その日以降、私はモーエヴィンを厨房の仕事から遠ざける様に徹底していた。
その甲斐もあってか、最近のユウは少しずつだが屋敷で食事をとってくれる様になってくれたのだった。
その日の夕食後、私はユウの自室に呼び出された。
片付けをモーエヴィンに任せ、私はユウの自室に向かう。
私はユウの自室の前に立ち、落ち着く為に深呼吸をする。
そして私はユウの待つ部屋の扉をノックした。
「旦那様、涼香です」
「入れ」
扉の向こうから聞こえた合図の後、私はそっとドアノブに手をかけた。
「失礼致します」
部屋に入ると執務用の机に腰掛け、月明かりに照らされるユウの姿があった。
「こっちに寄れ」
そう言い手招くユウの眼差しはまるで腹を空かせた猛禽類の様な鋭く威圧的な目をしていた。
私は覚悟を決め恐る恐るユウの方へ近づく。
「すぐにでも血が欲しい、首元を開けろ」
目の前に立つとユウは食事の準備をしろと促してきた。
私は小刻みに震える手でリボンタイを外し、シャツのボタンを首から胸元にかけて外していく。
私のもう一つの仕事、それはユウに私の血を提供する事。
「案ずるな壁紙の模様の数でも数えていればすぐ終わる」
準備が整うとユウは私の首筋に顔を埋めた。
そしてユウの牙がブチッと皮膚を食い破る音が聞こえた。
私は自身のズボン裾を握り締め、吸血の痛みを必死で耐える。
すると首元からチュルチュルと血を啜る音が聞こえてくる。
(どうかこのまま食い殺されません様に……)
血を吸われる度にあの町でユウと過ごした記憶がフラッシュバックする。
それは楽しかった思い出も、辛く忘れたい記憶も、そして私の人生が分岐したあの日の夜の事も全て。
「……今日はこのくらいにしておく」
そう言うとユウは噛み痕に舌を這わせ止血を始めた。
「んっ……」
吸血鬼とは元来、血そのものを自在に操れる特殊な力を持っているらしく、その力を使えば止血など容易らしい。
だからと言って傷口を舐められる事に私はまだ慣れることができず、時折変な声が出てしまうことがあった。
そして止血が終わるとユウは私の首筋から顔を離した。
「明日もよろしく頼むよ」
「……では私はこれで失礼致します」
私は一刻も早くユウと二人きりのこの悍ましい空間から抜け出す為、返事も簡潔に済ませユウの自室を急ぎ後にした。
「……いつになったら涼香は心を開いてくれるのだろうか」
そして自室に一人きりになったユウは独り言を溢した。
だがユウの口から溢れた独り言は誰の耳にも届くことはなかった。
to be continued……




