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第5話 春の訪れと共に

本日は2話公開致します。

是非よろしくお願いします。



 ——この屋敷にもう私の味方は誰一人いない。



 ——母様が亡くなってからはただひたすら周囲からの理不尽に耐え、生き残る事だけを考える日々。



 ——けれどあの日、私は知ってしまった。



 ——この場所で私が幸せになれる事は未来永劫ないのだと。



———————————————————————————



「何を呆けている?」


 馬車の荷台の外を眺めながら物思いに耽っていると、不意に声を掛けられた。

 振り向けば、そこにはユウがいた。


「……少し、考え事をしていました」


「そんなに暇なら、少し付き合え」


 ユウがこちらに手を差し出す。

 私はその手を取った。

 けれど連れて行かれたのは馬車から少し離れた、人目につかない場所だった。

 ユウは周囲を確認すると、私の前に立つ。


「腹が減った」


 その声音を聞いた瞬間身体が強張った。


「……血が欲しい」


 そして両腕で身柄を捕らえられる。


「ユウ……」


 名前を呼び終えるより早く、首筋に鋭い牙が突き刺さる。


「……っ」


 鋭い痛みが走る。

 けれど私は抵抗せずそれを受け入れる。


 あの日私はユウと盟約を結んだ。

 私がユウの秘密を誰にも話さない代わりに、ユウは私を殺さない。

 その代償として、私はユウの命令に逆らえなくなった。


『だからこれからよろしく頼むよ、涼香』


 そして盟約を結んだ夜、私達は逃げるようにマージナを離れた。

 昼間は人目を避けるように馬車の中で過ごし、夜になると人目のつかない場所で血を吸われる。

 それが何日も続いた。

 幸いなことにまだ食い殺されてはいない。

 単にユウが私に温情を持っているのか。

 それとも別の理由があるのか。


 ただ一つ分かるのは、私はもう自分の意思だけではどこへも行けないということだった。

 自由を求め実家を出たはずなのに。


(皮肉な話だ)


 やがてユウは私の首筋から牙を引き抜いた。


「……っ」


 そして首筋に残った傷にざらりとした感触が伝わる。


「あのっ……それ、止めて欲しいのですが……」


「傷口を塞いでいるだけだ」


 ユウは首筋の傷口を指でそっとなぞる。


「少しの間だ、我慢してくれ」


「……っ」


 私はそれ以上何も言えなかった。

 やがて傷口が塞がったのを確認すると、ユウはようやく顔を上げた。


「終わったぞ。明日も移動がある、早く寝ろ」


 そう言い残し、ユウは何事もなかったかのように馬車へ戻っていく。


「……はぁ」


 気づけば、溜息が漏れていた。

 私はそっと首筋に手を当てる。


(綺麗に治ってる……)


 だが肌を貫く牙の感触は未だ鮮明に残っている。


(……一体、どうすれば私はユウから解放されるのだろう)


 答えは分かっている。

 どちらかが死ぬ以外に方法など存在しない。

 だから私は叶うことのない願いを胸の奥へ押し込み、静かに目を閉じた。






 その日の夜、私はなかなか寝付けないでいた。

 ふと気がつくと、馬車の中にユウの姿がない。


「……ユウ?」


 返事は返ってこない。

 その直後だった。


「おい! 止めろ! こっちに来るな!」


 外から慌てふためく声が聞こえた。

 私はすぐに馬車を降りた。

 視線の先。

 松明を片手に、必死に何かを追い払おうとしている御者の姿があった。

 そして、その向こうには巨大な魔獣がいる。


「……デンジャラスベア」


 見覚えがある。

 去年、マージナへの道を塞いでいた魔獣だ。

 そして御者は震えながらも必死に馬車を守ろうとしている。


「下がっていてください」


 気が付けば私は御者の前に立っていた。


「ちょっと! 君、何を——」


「私なら倒せます、ですが——」


 私は口に人差し指を当てた。


「今から目にする事は誰にも話さないでくださいね」


 御者に釘を刺し私は魔獣の方へ静かに近付く。

 そして魔獣の姿を見てふと思い至る。


(何故この魔獣はここまで来たのだろう?)


 腹でも空かせているのか?


 ……それとも。


「家族と離れてしまったのか?」


 魔獣が唸る。

 次の瞬間、巨大な身体がこちらへ飛び込んできた。


「——っ!」


 私は紙一重で身を躱す。

 鋭い爪が深く地面を抉る。

 その瞬間、私は魔獣の視線の先にあるものに気付いた。


「……荷物?」


 馬車に積まれた荷物。

 魔獣はそれに向かって鼻を鳴らしている。


(そういうことか)


 匂いに引き寄せられたのだ。


(……家族を探しているわけじゃなかった)


 私は小さく息を吐き、右手を魔獣へ向ける。

 周囲の空気が一気に冷えていく。

 冷気が一点へ集まり、細かな氷の粒となって舞い上がる。


「グオオオオオッ!」


 魔獣が再び飛び掛かってくる。


「少し頭を冷やせ」


 次の瞬間、氷が一斉に魔獣へと襲い掛かった。

 巨大な身体が徐々に凍りついていく。

 やがて魔獣は動きを止め、その場に倒れ込んだ。


「……終わったのか?」


「ええ、ですが命までは奪っていません」


 御者は呆然と私を見ていた。


「き、君……まさか魔法使いなのか?」


「……まあそんなところです」


 正体を知られてはいけない為、私は御者に話を合わせた。

 すると御者は何度も頭を下げる。


「助かった! 本当にありがとう!」


「……」


 胸の奥が、妙にくすぐったかった。

 感謝なんてされたのは、初めてだった。


「……悪くないな」


 小さく呟く。

 誰かの役に立つというのは。

 こんな気分になるものなのか。


「……ですが、恐らくまだ油断はできません。ここは私が見張っておきますので貴方は休んでください」


「いや、しかし見張りなら——」


「明日も朝から移動でしょう?」


「それはそうだが……」


「なら遠慮はしないでください。こう言う時他人の好意は素直に受け取っておくべきです」


「そこまで言うなら……」


 そう言って私は御者と見張りを入れ替わった。

 その様子を少し離れた場所からユウに見られている事にも気が付かず。




***



 それから数日、馬車に揺られ続けようやく目的地へ辿り着いた。


「着いたぞ」


 ユウの声がする。

 私は荷台から降りた。

 そして目の前には、大きな屋敷があった。


「此処は……」


 そう聞くとユウは口を開いた。


「俺の屋敷だ」


「ユウの屋敷……」


 すると目の前の大きな扉が開く。

 そして中から薄緑色の髪をした糸目の男が姿を現した。

 片眼鏡をかけ、綺麗な姿勢でこちらに頭を下げている。


「おかえりなさいませ旦那様、久しぶりのご帰宅ですね」


「只今モーエヴィン、留守の間の屋敷の管理ご苦労だった」


 モーエヴィンと呼ばれたその男は満面の笑みを浮かべユウに首を垂れている。


「恐縮です、私(わたくし)の様な下僕はただ旦那様の生活のお役に立てるだけで光栄ですから」


(大きな屋敷に使用人……ユウは一体何者なのだろうか?)


 終始黙って二人のやり取りを見ていると私に気付いたのかモーエヴィンが声をかけてきた。


「おや、そちらはお客様ですか?」


「いや、客人では無い」


 するとユウは私の背中をトンと押した。


「今日からここに置くことにした。なので涼香に先輩として(・・・・・)屋敷のことを教えてやってくれ」


 するとユウの言っている事を理解したのかモーエヴィンは再び首を垂れた。


「……御意」


「教育……何のですか?」


 私がユウに尋ねるとそれを聞いていたモーエヴィンが口を開いた。


「では涼香、これからは私(わたくし)の後輩(・・)としてよろしくお願い致します」


「……よろしくお願いします」


 そして私は戸惑いながらも頭を下げるのだった。



***



「涼香は飲み込みが早いですね」


 モーエヴィンは感嘆の声を漏らす。


「これならある程度の仕事を任せても問題ありませんね。優秀な後輩ができて嬉しい限りです」


「……後輩」


 その言葉が、妙に耳に残った。


 私に与えられた仕事は二つ。

 一つは屋敷の管理、ユウの身の回りの世話だった。

 掃除に洗濯に料理、そして屋敷に必要な雑用。

 時には飛び込みの仕事もこなす為、日々仕事をこなすのに必死だった。

 けれど、不思議と嫌ではなかった。


「ではそろそろ旦那様の食事の準備に取りかかりましょうか」


 この時、私の勘が危険を察知する。


「今日は私(わたくし)がメインを担当致しますのでサイドは涼香に任せます」


「……いえ、食事は全て(・・)私が作りますので、モーエヴィンは他の片付いていない仕事を進めて頂けますか?」


 私がそう返すとモーエヴィンは顎に手を当て私を見下ろした。


「ほぅ……涼香も少しは言う様になりましたね、流石私(わたくし)の育てた優秀な後輩です」


 そう言うモーエヴィンに私は乾いた笑いをあげるしか無かった。


「ハハハ……」


 モーエヴィンと働いているうちに分かったことがある。

 それはモーエヴィンが絶望的な味覚音痴なうえに化物胃袋の持ち主という事だった。


 私は初日にモーエヴィンから振舞われた賄いを食し人生で初めて走馬灯を見た。

 あの時、咄嗟に吐き出していなければとっくにこの世から消えていたと本気で思う。


 その日以降、私はモーエヴィンを厨房の仕事から遠ざける様に徹底していた。

 その甲斐もあってか、最近のユウは少しずつだが屋敷で食事をとってくれる様になったのだった。





その日の夕食後。


「涼香」


 モーエヴィンに呼び止められた。


「旦那様がお呼びですよ」


「……分かりました」


 そう言われ私は片付けもそこそこにユウの自室へと向かった。


「スゥ……ハァ……」


 ユウの自室の前に立つと落ち着く為に深呼吸をする。

 やがて私は部屋の扉をノックした。


「失礼致します、涼香です」


「入れ」


 扉の向こうから聞こえた合図。

 私はドアノブに手をかけ扉を開いた。

 部屋に入ると執務用の机に腰掛け、月明かりに照らされるユウの姿があった。


「こっちに寄れ」


 そしてこちらへ来いと角張った手が招く。

 獲物を狙う猛禽類のような目はじっと私を見据えていた。

 私は覚悟を決め恐る恐るユウの方へ近づく。


「首元を開けろ」


「……御意」


 私は小刻みに震える手でリボンタイを外し、シャツのボタンを首元から順に外していく。


 私のもう一つの仕事、それはユウに血を提供する事。


「そう案ずるな、壁紙の模様の数でも数えていればすぐ終わる」


 準備が整うとユウは私の首筋に顔を埋めた。


 ブチッ


「っ……」


 皮膚を食い破る音、そして痛みと恐怖感が同時に首筋から全身へと這い回る。

 私は自身のズボン裾を握り締め、逃げ出したい感情を押し殺し耐え忍ぶ。

 すると首元から血を啜る音が聞こえてくる。


(今日はどれくらいで終わるだろうか……)


 血を吸われる度にあの町でユウと過ごした記憶がフラッシュバックする。

 それは楽しかった思い出も、泣きそうになるくらい優しい記憶も。

 そして私の人生が分岐したあの日の夜の事も全て。


「……今日はこのくらいにしておこう」


 そう言うとユウは噛み痕に舌を這わせ止血を始めた。


「んっ……ユウ、それ……」


「前にも説明しただろう、こうした方が傷の治りが早いんだ」


 そしてユウは再び私の傷口に舌を這わせ傷を丁寧に塞いでいく。


(そんな事よりも早く解放して欲しい)


 私の頭の中はそんな考えで埋め尽くされていた。


「終わったぞ」


 そしてユウは私の首筋から顔を離す。


「明日もよろしく頼むよ」


(やっと、解放される……!)


 私は急ぎ衣服を整える。


「……では私はこれで失礼致します」


「待て」


 最低限の挨拶を済ませ部屋を急ぎ後にしようとしたその時、ユウに呼び止められた。


「君はもう少し気をつけたほうがいい」


 ユウとの距離が再び縮まる。

 そして長く白い指が私の首筋をなぞった。


「屋敷では俺を何と呼ぶべきか教わっている筈だろう?」


「っ——」


 私は先程の事を思い出し咄嗟に口を押さえた。

 

(しまった……! ユウを名前で呼んでしまった!)


 だがユウはそんな私を無表情で眺めている。


「申し訳ございません旦那様(・・・)」


「……分かっているならそれでいい、下がれ」


「……失礼致します」


 そして私は一刻も早くこの悍ましい空間から抜け出す為、早足で部屋を後にしたのだった。








to be continued……

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― 新着の感想 ―
ユウが自分のせいで相手を苦しませてることに全然気づいてないの、意外と面白い(笑)
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