暴食Ⅱ その4『世界蛇』
「世界教⋯⋯」
「ん? あまりピンと来てないみたいだが、もしや知らないのかい?」
「あ、いや、名前は聞いたことある。でも精々大陸中に信者がいる宗教ってぐらいしか」
「はは、興味がなければそんなものだよ」
世界教とは、名の通り世界に浸透するほどの宗教である。だがミライは神すら噛み砕くと宣う一族に居たのだ。詳しくなろうはずもない。
世間知らずと笑われるかと思いきや、オズは爽やかな笑みを浮かべるだけだった。
「教義も大して複雑じゃない。この世界を創ったといわれる世界蛇を、神と見立てて崇める教え、みたいなものさ」
「世界蛇⋯⋯この世界のはじまりに居た蛇だったっけな」
「おや、ご存知だったか。創世記に詳しかったりするのかい?」
「いいや。ただずっと昔に⋯⋯住んでる近くに来た吟遊詩人がそう歌ってた気がする」
「へえ、吟遊詩人にね。大丈夫、気のせいじゃないさ」
世界蛇。遠くぼやけた昔の記憶。風変わりな吟遊詩人が紡いだ歌の中の言葉だ。ファタモルガナの事といい、詩人の歌った世界に触れている今の自分には、奇妙な躍動感がある。
だからだろう。つい懐かしむような顔をしたミライを見て、名案を思い付いたオズは囁いた。
「ねえ、ミライ。その詩人が歌っていたのはきっと────こんな歌じゃなかったかな?」
「⋯⋯え?」
そして川のせせらぎを伴奏に、翡翠色の麗人は凛とした歌声を響かせるのだった。
少年にとっての遠い日を、優しくなぞるかのように。
◆────◆
かつて世界には空ばかりと、空を泳ぐ大蛇があった。
度重なる星が降り、いつしか空の下には紅い海が産まれていた。
幾星霜の時が過ぎ、紅い海から蛇が産まれる。
産声をあげた海の蛇は、やがて空の蛇へと語りかけた。
「母なる紅が言った、貴方が漂うその色になりたいと」
「この空の蒼になりたいのか。だが無理だろう。紅たる化身の君がいては未来永劫、紅のままだよ」
「では貴方をくれないか。真上を蒼く冷ます鱗を持つ、蒼き化身の貴方がいれば、母の願いは叶うのだ」
「ならば君は昇るが良い。生憎、蒼ばかりには飽いたのだ。君の紅き鱗があれば、この空ももっと違う顔を見せてくれるだろう」
「ではそうしよう」
「では繋がろう」
「真下をアオに」
「真上にアカを」
こうして互いに尾を噛み合った蛇により、母なる海は青くなり、遥かな空は夕焼けを覚えた。
協力により新生を産み合ったニ対の蛇は、連なったまま空と海を巡り、そのさなかに剥がれた鱗によって大地が産まれた。
やがて二対は、一身の双頭となる。
朝と夜と夕暮れと。
空と海と鱗の大地。
これこそ天地開闢の創世記。
だがある時──星の剣が降った。
宇宙の黒を割いて駆け、空を疾走る巨星群はそのまま地へと堕ちて。
空を、大地を、海を、世界蛇を撃ち抜いた。
世界は割れこそしなかったが、撃ち抜かれた世界には凍える眠りに襲われた。
世界蛇も抗わず、傷ついた身体を癒やすために深き眠りについた。
永い永い眠りについた。
そうして再び世界蛇が目を覚ました頃。
世界には多くの命が溢れていた。
海を泳ぐもの。空を羽ばたくもの。
陸を駆るもの。地の下を這うもの。
多くの命が謳っていた。
我ら人間も、その一つ。
蛇の袂の、命のひとつ。
◆────◆
「⋯⋯と。まぁ、こんな感じの歌なんだけど⋯⋯どうだったかな?」
「⋯⋯折角披露してくれて悪いんだが、俺は今、持ち合わせなんてないぞ」
「?⋯⋯!!⋯⋯ぷふっ。あっはっは! 別におひねりなんて欲しがってないってば! なんだい急に可愛いこと言うな、キミは!」
「せ、世間知らずで悪かったなっ」
「ふふふ、ありがとう。気持ちだけ受け取っておくよ」
両ポケットを裏返してまでアピールをするミライの姿に擽られたのだろう。今までの落ち着きを崩してまでカラカラと笑うオズに、ミライは顔を赤くしていた
「ひょっとして、オズはさっき言ってた修道司祭だったりするのか?」
「いいや。洗礼すら受けてないさ。でもキミも知っての通り世界教は信者が多いからね。こうして創世詩を歌えば、気を良くした信者さんが食事代を安くしてくれたりするのさ」
「⋯⋯商魂たくましい詩人だな」
「快適に世を渡る為の術と言ってほしいね」
見た目は性別が分からないほど華奢なのに、渡り鳥は強かであった。どちらなのだろうと気にはなったが、尋ねようとは思わない。
どちらでも好ましい人物なのは変わらないし、一番重要な"本筋"を聞きそびれたままだからだ。
「で。話が逸れたけど、その司祭と西門を切り抜ける事となんの関係があるんだ?」
「簡単な事さ。司祭に洗礼の儀を受けたいとお願いすれば良い。世界教信者の洗礼は、鱗石の採れる霊山の麓で霊水を飲むか、総本山のウロボロス法院で受けるのが通例だからね」
「鱗石って、宝石とも言われてるあの?」
「そうさ。世界蛇から剥がれた鱗から採れる鉱石だよ。研磨したものを宝石と呼ぶ人もいるね。で、ウロボロス法院はここからだと流石に遠い。でもここから西に行けば採石場があったケセド霊山がある。だったら、修道司祭はそこで洗礼を受けさせようって考えるはずだ」
ウロボロス法院は大陸中央北にある巨大な宗教施設だ。土地の広大さと信者の数からして国といっても変わりない。地理的にも此処からだと遠いし、霊山を向かう方が楽という理屈は分かった。
だがいまいち話が見えないミライは、率直な疑問を口にした。
「西への道が封鎖されてるからそもそも通れないんじゃないのか?」
「ふふ。それがそうでもないのさ。ウロボロス法院は基本的に他国の戦争に介入しない方針だ。停戦も促さない。代わりに彼らの巡礼や洗礼を阻害すれば反感を招き、民間支持を得にくくなる。帝国といえど、それは同じだね」
「!⋯⋯じゃあ、修道司祭に洗礼を頼めば──」
「──いかに帝国軍だって道を開けざるを得ないって寸法さ。あとは通り過ぎてしばらくした辺りで姿を隠せばいい。司祭さまには悪いけれどもね」
つまりオズの話を要約すれば、洗礼を受けるフリして西門を抜けてしまえば良い、という事である。
なかなかに大胆不敵な作戦だが、成功すれば余計な戦いをすることもなく帝国を出し抜けるだろう。
「オズ、ありがとう。少し考えてみようと思う」
「御礼なんて良いよ。ボクも一人で実行するには不安だったから、キミを巻き込もうとしてるだけさ」
「⋯⋯道連れを探してたのか?」
「まあね!」
「否定しないのかよっ」
あまりに力強い肯定に、ミライは思わずツッコんだ。
しかし飄々とした翡翠色の食わせものは、やはり強かであるらしい。
「だって、そういうのも旅の醍醐味だろう?」
さして取り繕うこともなく。
ニコリと笑って、そう言い切るのであった。




