暴食Ⅱ その5『提案』
「洗礼ですか⋯⋯」
あらましを喋り続けて渇いた喉に、冷えた水は格別だ。溶けた氷がすべってグラスを叩く。カランという音が響くほど、戻った宿部屋の中は静かであった。
「悪くない案だと思うんだけど」
「そう、ですね。私も⋯⋯その、良い案だと思います」
オズの作戦に便乗する。ロナンの町で集めた情報の総括として提案した内容に、ミライは自信があった。しかしナージャの反応はどうも歯切れが悪かった。
「もしかして反対だったりする?」
「い、いえ。他に方法も無さそうですし、さらに北の僻地に迂回するくらいなら、良さそうだなぁと私も思います⋯⋯思うん、ですけどぉ⋯⋯」
「ううううう〜〜⋯⋯方便とはいえ、あーしの姫様が蛇教洗礼を受けるなんてぇ⋯⋯ミライってば、なんて悪魔めいた提案をするんだわさっ」
「ぬう。落ち着くのだケトルン。姫様の身の安全を考えれば致し方な⋯⋯よ、止せ。テーブルの上で跳ねるのはやめるのである! お行儀が悪いのである!」
まさかの異を唱えしケトルンである。
ミライは唖然とした。ともすればこの面子の中で一番大人な存在が、駄々っ子のようにピョンコピョンコと不服を訴えているのだ。
ダストンを諭し、ナージャをあやす普段の姿はそこにはなかった。
「⋯⋯急にどうしたこのカエル」
「ええと、なんといいますか⋯⋯ミライくんは、世界教が世界蛇を神と奉っているのはご存知ですか?」
「うん。それが?」
「貴様は知らぬ事だろうが、我らファタモルガナにおいては、蛇とは狡猾で人を騙す悪しき化身という側面も伝わっているのである。砂漠には毒を持つ蛇が多いからな。故に、世界教とは少々折り合いが悪く、蛇教と呼ぶ者も居るのである」
「つまり、宗教上の対立って話?」
「い、いえそこまでは。国内の布教を禁じている訳ではありませんし。ただ⋯⋯」
「ファタモルガナの聖獣はカエル一択ケロ! 再生の象徴だって蛇よりも蛙の方が相応しいケロ! なにより蛇はカエルの天敵っ、仲良しこよしなんて絶対にノゥだわさ!」
「まさかの聖獣が蛇嫌いだからってオチかよ⋯⋯」
思わず顔を抑えて呻かずにはいられない。
世界蛇の存在もあって、蛇は再生と幸運のシンボルとして扱われる事がもっぱらである。蛇の牙や皮を加工してアクセサリーにしたり、蛇を酒漬けにして秘薬にしたりと、あやかるべき効能も多い。
ケトルンは認めないだろうが、蛙の方がマイナーなのは間違いないだろう。
つまりはケトルンのプライドの問題であったのだ。
「け、ケトルン。なにも本当に世界教の信者となる訳じゃないんですから、ね?」
「ほんとケロ? やっぱ蛇のが良いじゃんとか言いださないケロ?」
「なる訳がなかろう。むしろこれ以上ごね続ける方が姫様の心象を損なうだけである」
「あ、ダストンは別に鞍替えしても良いケロよ。ダストンの信仰心は、なんか暑苦しそうだわさ」
「何故であるか!?」
しれっと中年に厳しい両生類である。
ともあれケトルンに他に名案を思い付く気配はない。ただでさえアウトドア弱者のナージャが居るのだ、さらに迂回したところで共和国が遠退くだけ。ここで西門を越える方法があるのなら、実行するに越した事はないのだ。
「⋯⋯姫様、蛇の方が良いって言わない?」
「言いませんってば。ほら、私はじめっとした方が好きですし。ケトルンの触り心地はやみつきです」
「⋯⋯うん。あんまり嬉しくないケロ」
「!?」
その理屈が分かっているから、ケトルンも提案を飲むことにしたのだろう。
最後の一押しが若干特殊だった為か、本当に渋々といった風情だったが。
「むしろ我々が疑わねばならぬのは、その胡散臭い詩人とやらだろう。詩人が帝国の手先の可能性もあるのではないか?」
「⋯⋯ゼロとは言い切れない。世間知らずそうな俺を騙そうと近付いて刺客、に思えなくもないし」
「そうであろう。件の修道司祭の元へ向かった時には、帝国軍に包囲された、という顛末もあり得るのである」
「⋯⋯そうだな」
一方でダストンの珍しく的を射た指摘に、ミライも喉を詰まらせた。
確かに傍からみればオズは怪しい。胡散臭いという形容ももっともだ。困った時に現れて都合良く助言を与えてくれる存在を、易々と信じて良いものか。
「でも⋯⋯俺は、騙すつもりじゃないと思った」
「その根拠はなんなのだ?」
「分からない。騙すならいちいち回りくどいというか、抜け道があるとでも言っておびき出す方が良いんじゃないかとか。単なる消去法かも知れない」
「それも罠と思わせない為の作戦かも知れないケロよ?」
「分かってる。けど、どうしてだろうな。俺は⋯⋯」
『だって、そういうのも旅の醍醐味だろう?』
(一瞬だけど。あの時のあいつの目は、少し寂しそうに見えた)
要領を得ないのは分かってる。これはミライの感覚の問題だ。
あの目に、既視感があった。鏡を見たことがないのかと揶揄されたが、そんなものはいくらでもある。だからこそ見覚えがあったのだ。
"周りと相容れて貰えない"。そんな孤独と闘っている目。オズのあの目は、昔の自分と同じだった。
無能と笑われることに合わせて愛想笑いをして、やり過ごそうとしていた自分と、同じだったのだ。
「ああいう奴はつく嘘は、もっと上手で、疑えない。俺はそう思うよ」
だから、直感で思うのだ。
オズはきっと、自分を誑かそうとはしていないと。
「⋯⋯⋯⋯私は、信じます」
「!」
「ひ、姫様、よろしいのですか? こやつが誑かされた可能性は⋯⋯」
「分かってますよ、ダストン。けれど私も、信じてみても良い気がするのです」
「ナージャ⋯⋯」
オズを信じる。というよりも、ミライを信じたい。
そう物語るような小麦色の微笑みに、ミライの心にじんわりとした温もりが広がっていく。
無垢な信頼だった。危うさもあるが、優しく寄り添うような信頼がミライには心地良かった。
「そ、それに、やっとミライがわがままを言ってくれたみたいで。す、少し嬉しいと言いますか」
「えっ」
「こう、遠慮がちだった猫が甘えてくれたというか⋯⋯じゃなくてっ。ほ、ほら、どの道他に良い方法も、なさそうですし、えっと、えっとぉ⋯⋯」
「姫様。そこはきっぱりと言い切る場面だわさ⋯⋯」
「う、す、すいませぇん⋯⋯」
猫って。そう口にしないだけマシであろうが、心地良さは秒で気恥ずかしさに塗り替えられた。
信じてくれるのは嬉しい。でもなんか違くないか。
味わったことのない羞恥。まるで手の届かない所の痒みに苦しむように、ミライは悶えた。
しかしその成果はあったのだろう。
ケトルンもダストンも、最終的にはナージャの決断に沿うこととなったのだから。
「そういえば。もうひとつ提案があるんだけど」
「はい、なんでしょう?」
そうなれば片付けなければならない危惧もある。
片手を挙げたミライは、ナージャではなくダストンを指差し、提案した。
「ナージャはともかくダストンさんは、流石にその鎧は脱いだ方が良いんじゃないか? 変に疑われそうだし」
「────鎧を、だと?」
ダストンの格好はプレートメイルである。
流石に今から信者になりますというには、物々しいことこの上ない。
だからこその提案だったのだが。
「ならぁぁぁぁん!!!」
「⋯⋯え?」
残念ながら、それは見えてる地雷という奴であった。
「良いか! この鎧、この鎧兜は歴々の近衛兵より受け継いできた由緒あるもの、いわば王家に対する忠誠心の結晶である! それを簡単に脱げなどと、き、貴様は誇りというものを知らぬのか!」
「そうケロ! プライドはとっても大事だわさ! 尊重すべきことだわさぁぁ!」
「ちょっ、ダストン!? ケトルン!?」
「⋯⋯藪蛇だったかぁ」
非難轟々である。しかも便乗蛙もセットで。
完全なる失敗に、今度こそ頭を抱えてミライはうなだれたのであった。
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