暴食Ⅱ その1『帝国の刃』
雨が通り過ぎた後のような、湿度の高い夜空だった。
「ふーん」
せせらぎが近い森の中、少女の相槌が響き渡る。
周りが手に持つ篝火が照らす、少女の容貌。深紅の髪を黒い紐でツインテールにした幼い顔。猫のような金色の両目。整った顔立ちは行き交う人々の足を止めること請け合いだろう。
しかし可憐な花へと蜂のように群がるには、寄せ付けない要素が多かった。
ひと目で戦いの匂いを感じさせる夜に近い天鵞絨色の軍服と軍帽。少女が手に持つ巨大な紅槍。なにより少女自身の冷たい空気と刺すような眼差しは、薔薇に備えた棘を思わせていた。
「つまり。独断専行かましてくれといて、まんまと返り討ちに合いましたって言いたい訳?」
だがその棘は今、二人の愚か者達へと注がれていた。フウンとシトメである。動けないよう太いロープで縛られた彼らを、少女は心底冷え切った眼差しで見下ろしていた。
「喧しいぞ紅毛! 良いから今すぐ私を解放しろ! そしてあの白髪⋯⋯あの白髪にぃぃぃ!!!!」
「⋯⋯かがみ⋯⋯俺の⋯⋯鏡⋯⋯」
「めんどくさ。ねえあんた、トマとか言ってたっけ。これどうすんのよ。完全にネジ飛んで使い物にならないんだけど?」
「お、俺に言われても⋯⋯フウン、シトメ、おまえらどうしたってんだ⋯⋯」
片や狂乱、片や茫然自失の有り様に少女は隣の男へと匙を投げる。
トマ。彼もまたカガミの一族であったが、自分よりも遥かに優秀な戦士二人の惨状にうろたえるしかない。ほとほと困ったトマには、少女に匙を投げ返すことだけが関の山だった。
「そ。じゃあウチの軍紀に則って処理するわ」
「しょ、処理? ちょ、ちょっと待て。一体なにするつもりだ!」
「決まってるわよ。ウチじゃ足手まといの役立たずは、お払い箱ってのが基本だし」
「は!?」
至極当然のように、少女は言う。
弱さとは罪である。役立たずに価値は無い。
「だから──第四師団長『ラズエル・クランベリ』の名に於いて、役立たずはきちんと処理してあげるって話よ」
お前たちもよく知る理屈だろうと、冷笑を浮かべて。
大陸最大国家の剣の一振りたる少女ラズエルは、裁断を下した。
「ま、まて────」
「待たない」
制止の声も虚しく、ほとばしる紅槍。
疾走る矛先が穿ったのは風だけに留まるはずもなく。
遠くへ雲の流れた高い空へ、凄絶な断末魔が吸い込まれた。
◆
「み、ミライくん。大丈夫? 疲れてません?」
「⋯⋯いや、お構いなく」
「ほ、本当ですか? 傷が塞がってまだ一日しか経ってないんですから、無理は駄目ですよ? 不調を感じたらいつでも言ってくれていいですからね?」
「あぁ、うん。今のとこ問題ないから」
「⋯⋯そうですかぁ」
逃亡の旅でありながらも、穏やかな午後のことである。互いの事情を打ち明け合った夜を越え、場所は北へと続く草原の丘。
快晴極まりない空模様とは裏腹に、ミライは絶賛憂いていた。
(⋯⋯どうしよう。ナージャがことあるごとに俺の世話焼こうとしてくる)
憂鬱の原因は、砂漠の国の姫君である。
ナージャ達の逃避行に同行を願って以降、ナージャのテンションがおかしい。とにかくミライに構うのだ。人見知りはどこへ行ったとツッコまざるを得ないほどの献身ぶりだった。
おまけに、遠慮すれば白眼帯を外さずとも分かるくらい落ち込むのである。もうミライにはお手上げだった。
「構われてやって欲しいだわさ」
「そんなこと言われても。理由もピンと来ないし」
「きっとあんな風にお礼を言われたのが嬉しかったんだわさ。ファタモルガナじゃ姫様は特別な扱われ方だったし」
「あー⋯⋯でも御礼だったらダストンさんだって、耳にタコが出来るくらい何度も言ってたろ?」
「鈍ちんケロねえ。衛士のダストンと、年の近いミライとじゃ全然違うんだわさ。例え同じ言葉を言われても、相手によって受け取り方が変わる。それが人の心ってもんケロ」
「言わんとすることは分かるけどな⋯⋯(何故俺は蛙に人の心を説かれてるんだろう)」
見兼ねたケトルンからのフォローに、多少は納得の色を示す。だがミライとしては、少し面白くなかった。
(力になろうって目的で旅について行くのに、これじゃ本末転倒じゃないか)
カガミという枷を失くした今のミライには、漠然とした自由が広がっている。世情に疎い彼からすれば、それは恐怖だ。地図も持たぬまま深い森を歩む事と変わらない。
そんなミライが見つけた道標こそ、ナージャである。
色んなしがらみから脱け出させてくれた、彼女の力になりたい。迷い子は見上げるべき月を見つけ、月もまたそれを許したのだ。
ただ、彼の決断が予想以上に、月を喜ばせたというだけのこと。
「う⋯⋯そ、それにしても陽射しが強いですね。少し目眩がします⋯⋯」
「ぬ。誠ですか姫様?! いかん、直ちに此処で休息を取るのである!」
「甘やかし過ぎケロよダストン。これくらい、ファタモルガナの夏と比べれば全っ然なのだわさ」
「あ、暑さではなくて⋯⋯くう、おのれ日光。いつもそうやって引きこもりを虐げるのですね⋯⋯」
「はぁ⋯⋯なにもこんな時に出不精だったツケを払うなんて、困った姫様だわさ。人にあれこれ構う前に、自分の虚弱体質をなんとかする方が先だわさ」
「うう〜〜ケトルン〜〜」
(蛙に叱れられる王女って⋯⋯色々とシュール過ぎるだろ)
つくづく三つも歳上とは思えないへっぽこぶりに、ミライは見も蓋もない感想を抱く。ナージャはとかく、外見と内面のアンバランスさが激しいのだ。そんな彼女に気遣われるのについ抵抗してしまうのは、ミライの年頃らしい一面が出ているとも言えた。
「休憩するんなら、周り見て来ようか?」
「ぬ。それは吾輩がする。貴様は姫様に付かず離れずの位置を保てば良いのである」
「⋯⋯はいはい」
「はいは一回! たるんだ返事をするなである!」
一方でダストンはといえば、以前にも増して態度に棘が出ていた。
ミライの同行については王女が許したのだ。王族の決定を掘り返してまで口を挟む不敬はしない。だが当然、納得もしていないのだろあ。
周囲の警戒の為に遠ざかる背中には、吾輩は認めておらぬという意思が如実に表れていた。
「改めて聞かせて欲しいんだけど、俺達の最終目的地は西のセピア共和国、で合ってるよな?」
休息の一時を兼ねて、ミライは一旦状況の整理の場を求めていた。やはり集落より外を知らない弊害は大きい。今後の為にも、最低限の世情や情報くらいは一新して起きたかったのである。
「そう、ですね。セピア共和国とファタモルガナは同盟国とまで言わないまでも、親交がある間柄ですから⋯⋯」
「それにセピアはグラウゼイツの植民地制度に強く反対してるから、帝国との仲が悪いケロ。大きな戦争にはなってないけども、小競り合いはもう何度もしてるくらいだわさ。共和国内なら帝国も迂闊に手を出せないし、事情を話せば援助もしてくれるかも知れないケロね」
逃亡者たるナージャ達の目的は、帝国に抗える国力を持つセピア共和国へ庇護を求めることであった。
グラウゼイツは侵略によって領土を肥やす国家方針を掲げており、セピアはその行いを良しとしない。故に此度のファタモルガナへの侵攻に、反感も一入だろう。
関係的にも、情勢的にも、ナージャがセピア共和国を頼るのは必然だった。
「でも今まで北を目指してた訳だろ。最初からまっすぐ西に往かなかったのか?」
「そうしたくても無理だったわさ。西に向かえば帝国と共和国が睨み合ってる国境線。下手すれば小競り合いの真っ只中を突っ切る形になるんだわさ」
「⋯⋯ですから大きく北に迂回して、戦線に巻き込まれないようにしてたんです。帝国から遠退く北部なら、支配も及んでいない地域も多いですし」
「丁度、あと少しで支配外地域の町に着くケロ。そこからなら西を目指しても大丈夫そうだわさ」
(北か⋯⋯)
北の方面と聞いて思い浮かぶのはやはり、古巣ともいえるカガミの集落であった。北の僻地と南の砂漠。本来ならば出逢うはずもないのに、数奇な偶然の末にこうして同じ道を往くことになるとは。
人生とは分からないものだと、ミライは感慨深く目を細めた。
「ふう。これまでが過酷でしたけど、町に着けば久しぶりに屋内でゆっくりできそうですね⋯⋯」
「姫様⋯⋯出不精発揮してこのまま一週間引きこもるーとか言い出さないで欲しいケロ」
「さ、流石に言いませんよ⋯⋯たぶん」
先を見通せないのが人生ならば、順風満帆にいかないのもまた然り。
草原の先にある小さな町ロナン。そこでは既に、彼らの旅路を妨げる向かい風が吹いていた。
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