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地球のための命で良い  作者: 川田開拓
第一章 選択の始まり
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選択の始まり-11

 雲ひとつない蒼穹が広がっている。


 砂漠気候特有の、遮るもののない射すような日差しが、風と、土と、背の低い植物たちを、数千年前から変わることなく照らし続けている。

 そんな荒野の只中に、長らく続いてきたこの責め苦を、侘しく受けとめる新参者がいた。


 うち棄てられたとある街の廃墟群だった。

 とはいえ、そこは、単なる凡百の都市ではなさそうだった。広げた翼のように連なる高層建築たちは、その一つ一つが無個性なようで、よく見れば随所に遊び心があふれている。


 天を突く巨大な塔に、水の枯れた大噴水。果ては火山やピラミッド、観覧車、ジェットコースターに至るまでが街中に所狭しと作られているのだ。

 主を失って急速に草臥れたそれらのモニュメントは、自身がつくる濃く長い影とあいまって、墓標のようにうなだれて見える。


 かつてこの場所には欲望があった。世の全てを詰め合わせたような、多種多様な娯楽があった。奢侈の限りを尽くした建造物が所狭しと立ち並び、人種と言う人種全てが惹きつけられて渦を巻き、金と娯楽を介して欲望をうずたかく積み上げていた。


 それらはしかし、今はない。さながら砂漠の蜃気楼のように、世界の混乱とともに、失われて消え果てた。悠久の年月が形作った乾燥した大平原だけ、人の営みが大きく変化してなお、当然の顔でそこにいる。


 ふと、影が差した。

 音もなく、ただ自然の営みのごとく。野生化して生き残った椰子達だけが、そっと風を受けて揺れる。見上げるもののない蒼天を劈くように、雲を率いてそれは出現した。


 空に浮かぶのは広大な地形。横に潰れたひし形の、ブロックを組み上げたような基礎に、苔むしたがごとく全体を、長大なビルで覆いつくすメガロポリス。


 その奇妙な統一感の中にあって唯一、上方へ向かって伸びる塔が中央にあり――そのため、遠くから見たならば、空の青の中を悠々泳ぐ、巨大なイルカのようにもみえるだろう。


 行政特区ラスベガス。

 かつて同じ名前だった廃墟群を眼下に、傲然と浮遊する空中庭園。天に聳やかす長大なシンボルタワー『エクソスフィア』を中心にして構成された、世界に残った唯一の娯楽都市。


 そこは、『世界を睥睨できる場所』といわれている。


「――ですから、特区としての徹底的な規制緩和によって、健全な競争原理を働かせてこそ、人々の営みは旧史のごとく、拡大再生産に移ることができるのです」


 その最も高い頂の一室で、男が軽い演説をぶっていた。


「問題はもちろん随所にある。兌換紙幣から不換紙幣への変遷は、大きな混乱も呼びました。未だにそのどさくさに乗じた一部の心ない人々が、闇に潜って高利貸しをしています。しかし、定着にはなんとかこぎつけた。これは当たり前のようで、大きな一歩だ」


 これを粛然と聴き、時折質問を返している三人の男は、グリーンアースの報道部員たちである。前時代的なマホガニーの机を背に、鷹揚と語るラスベガス特区長――エディ・シーゲルの言葉と真意を余さず持ち帰ろうという気迫にあふれていた。


「不換紙幣には発行体への信用が、兌換紙幣以上に不可欠です。そして、信用の根底にあるのは素朴な楽観ですよ。昨日と同じ今日、今日と同じ明日、明日と同じ未来が約束されていると人々が思わなければ、紙切れがこんなに不相応な価値を持つわけがない。これは人の力だ」


 対するエディはあくまで自信に満ちた受け答えだった。生来の甘いマスクをかたちどる、鳶色の垂れ目と薄い唇は、相対する彼らの気迫を飲み込んで尚、余裕に満ちたユーモアをたたえている。その声の張りもまた、昨年四十を過ぎてから、更に深く響くようになり――今の彼は、権力者としての威厳を支えて有り余る力をもっていた。


「グリーンアースの理念も功績も、私は何一つ疑ってなどいない。ただ、潔癖でありすぎてはいけないと思うのです。平和とはこの素朴な楽観を広め、強固にすることだ。私たちだって人間ですから、批判されうる部分はいくらでもある。しかし『アバドンは人の欲望が生み出したのだから清貧でなくてはならない』などという、根拠の薄弱な原理主義に膝を屈するつもりはありませんよ」


 区長として二期目。彼が早々に打ち出した政策は、グリーンアースの庇護を受ける世界人類に大きな衝撃を与え、また、グリーアース内に多くの反対勢力を生み出した。


 同時多発したアバドン病によって人類の生産力は圧倒的に低下し、特に食料品においてその傾向が強かったため、グリーンアースが世界を統一した頃には、旧来紙幣はとっくに信用を失っていた。金や銀などの鉱物も同様だ。かといって、流石に穀物を正貨とするわけにも行かず。妥協点として、多目的精神子エネルギーパックを本位とした、兌換紙幣を流通させざるを得なかったのだった。


 物価の安定と混乱の収束のために、過大な信用創造システムを棄てる――グリーンアースの基本方針は言ってしまえばそういうことであり、エディはまさにその慣行を破ったのである。正しく大改革といえた。


 さらに、彼はそれだけでなく――


「それが、今回の施策に繋がると言う事ですか?」

「そうです。今申し述べました通り、必要なのは楽観です。そして、それを与えるのは安心だ。未来が見えなければ夢さえ見れない。人間とはそういう生き物です。私はこの都市を治める者として、人々に夢を見てほしい。その為にこそこの度の――」


 ますます冴え渡る弁舌が、まさに本題へとさしかかろうとしたその時、鋭く響くノックの音が、彼の言葉を遮った。


「し、失礼します!」


 そう告げざま、続き部屋から秘書が入ってくる。まだ青年と言っていい、アラブ系の顔立ちをした男である。濃い眉を八の字にして済まなそうにはしているが、それ以上にどこかあわてた様子で、顔色も蒼白に近い。

 客の手前もあって、思わぬ闖入者にエディは不快感をあらわにするが、


「どうした。来客中だぞ」

「それが……」

「……なに? ……わかった」


 彼が近づき、耳元で短く呟くと、すぐに表情が引き締まり、数秒考えた後、重く頷いた。


「どうやら緊急事態の様だ。申し訳ないが、続きは次の機会にさせていただく。皆様も、一度帰還されるがよろしい」

 そして立ち上がると手を叩き、目の前のインタビュアーに簡潔に告げる。


「緊急事態? いったい……」


 戸惑うのは報道部の三人である。有無を言わせぬ勢いに困惑の声を上げたが、続くエディの言葉を聴いては、神妙に従わざるを得なかった。


「行政特区と独自の自衛軍について――全く、なんともタイムリーな取材だったね。今から約三分ほど前――ここからほど近いグリーンアース・ネバダが、『カモフラージュ』により破壊された。非常事態宣言が必要だ」



 光弘はただ呆然と空を見上げていた。

 太陽の位置からして、昼下がりに差し掛かっているようだった。最も太陽光が力を持つ時間帯である。暦の上では秋口といえど、このネバダの砂漠には関係ないようで、じりじりと焼かれるような心地がする。


「暑いな……」


 ぽつりと呟く。予定ならこの時間には、もう、彼は生きていないはずだった。今朝は早い時間に目が覚めて、顔を洗って鏡を見て、さあ死ぬぞ! と気合を入れたものだ。

 そこから数時間しか経っていないのに、あまりに多くのことがありすぎた。


「そうだね……」


 その騒動を持ち込んだ張本人の明日美は、隣で同様に呆けていた。同様に空を見ていた。


「お前らはいつまでそうしているんだ」


 そんな二人に風が吹いて、テルスの声を運んできた。同時に砂が舞い、そこかしこの建材にぶつかって、複雑な音を奏でる。


「いや、さあ」

「これ……どうしようかと思って」


 二人が空を見上げていたのは、単純に地面を見たくないからなのだった。自分たちの行動がどういう結果をもたらしたのか、しばしの間だけ目を逸らしたかったのだ。


「? 何がだ?」


 疑問を浮かべるのはテルスだけである。

 光弘たち三人が立つグリーンアース・ネバダは、太古に乾燥した塩湖を跡に建てられており、地上部分は平らかな、広々として閑散とした、だたっぴろい砂地である。


 ……いや、砂地だった(・ ・ ・)


「何がってなあ……」


 視線を下に向ければ、多数の人間があちこちで寝そべっている。中にはうめき声を上げているものもおり、それだけで異常事態ではある。しかし、更に、彼らの寝ている場所が尋常でなかった。


 光弘の足元ひざ辺りの高さに、元は地下の壁だったのか、ひび割れた建材が頭を出していた。明日美とテルスの場所も同様、周りを取り囲むようにして存在している。


 先ほど周囲全てを三十メートルを落下させた際に、潰され、飛び出した地下組織部分だった。そして、それらの上端は例外なく、鏡になりそうなほどのつややかさで、きちんと平面になって広がっていた。


 つまり、彼ら三人の周りを除いて、不思議な床が延々と形成されているのだった。色々な材質を無理やり統合しているため、大理石のように複雑な模様が浮かび上がっている。


 光弘と明日美は、落下の感覚を感じながら、雨後の筍のように顔を出す地階の破片と、それらが一定の高さで潰され交じり合い広がり続けるという、前時代のクレイアニメのような光景を目の当たりにした。


 ビル十階分の地階が圧縮されたわけである。ここら一体の地下施設はもう、完全に壊滅したと言って良いだろう。その被害総額と復旧に必要なリソースについてなど、考えたくもない。


「また俺の所為……だよな……」

「……うん。深く考えないほうがいいと思うな。……ほら、元々私がやろうとしてたことに比べたら……ずっとずっと、いい結果なんだし」


 全ての死ぬはずだった人たちを目前にして、明日美は顔面蒼白になりながら慰めてくれる。


「だから、何がだ?」


 テルスはただ不思議そうにこちらを見るだけだ。


「……いや、お前に問題はないよ。よくやってくれた」


 ため息を押し殺しながらそう告げて、しかし、その時の光弘は、自分で考えているよりずっと消耗しているのかもしれなかった。


「なんだ。なにをする」


 殆ど無意識に、テルスの頭に触れていたのだ。


「……褒めてんだよ。『幼女』なんだろ。いい事をしたら、普通は大人が頭をなでるんだ」


 触れたところで正気に返り、少し自分にぎょっとしてしまったが、引っ込みがつかなくなってそのまま続行した。野生動物をあやすように、恐る恐るではあったが。


「なるほど。そういうものなのか……」


 テルスはテルスで、されるがまま神妙にしている。

 それは不思議な光景だった。


「あは。テルスちゃん、私も私も!」

「うむ」


 明日美もすぐさま乗っかって、えらいえらいと髪を梳く。まるで仲の良い姉妹のようで――そんな場合ではないはずなのに、なんだかとても穏やかな気持ちになる。


(なんだこれ、これじゃまるで、本当に普通の……)


 そうやって、光弘が、今まで化け物か何かだとしか思っていなかった彼女と初めて触れ合って見て、更にその存在がわからなくなっていると。


『私としても、これはWin-Winの結果として寿ぐべきだと思うな』


 唐突に、今まで黙していたシェイドが口を開き、一気に現実に引き戻された。


「……お前まだ居たのかよ。そのまま黙ってくれてもいいんだが?」

『おめでとう光弘君。これで、晴れて君もテロリストだ』

「ぐっ」


 シェイドは、光弘の皮肉など完全に無視し、彼の痛いところを容赦なく抉ってくる。


 テロリスト。確かにそうなのだ。

 本当のことを言えば、浄化から逃げた時点ですでに要件は満たしているのではあったが……


「うう……」

「寒い……寒い……」


 周りに横たわる人々の、か細いうめき声達が、確たる証拠としてそこにあった。

 確かに光弘は彼らに殺される予定だったが……とはいえ、それを決したのはグリーンアースという統治体制そのものであり、彼らはそこに属する人間として、忠実に成し遂げようとしただけなのだ。


 ここまであからさまに後に響く被害が出てしまった以上、光弘に自らを弁護する言葉はない。


『君が明日美君と生きようとしただけでこれさ。……さて。この被害を作り出した『悪意』が、どこにあったか考えて見たまえ。自らの大切な人間を救おうとなどと考えてしまった明日美君かな? 君の言葉を拡大解釈してしまったテルス君かな? それともただ単純に――生きてしまった君かな?』

「……」

『私の間接的な殺人についての考え方に、ちょっとは耳を傾けてくれる気になってくれると嬉しいんだがね?』

「……全部、不可抗力だったって言うのか? 今までお前がやってきたことが!」


 大気圏外ソーラーシステムの破壊、要人の暗殺、そして今回の様な軍事基地の壊滅――


『そこまで綺麗ごとを言うつもりはないよ。さっきだって、私は自分を『悪党だ』と言ったはずだ。だがね。グリーンアースもまた単純な正義ではないのだということをわかってもらえないと、これからの私達の関係にかかわるから――』

「『随分と饒舌じゃないか。誰に断って囀っているんだ?』」


 そこで、すでに定例になった通り、テルスがぞんざいに口を挟んだ。だが。


『はは。多弁なのは昔からの癖なんだ。許して欲しい。それに、今回はどうしても、君達と『交渉』がしたくてね。――『お疲れの光弘君』には申し訳ないが』


 今度はシェイドも引かなかった。その明らかな挑発に、テルスの目が細まる。


「『それで優位に立ったつもりか? ……打ち落とすぞ』」

『おっと失礼。別に今更、君に隠し立てをするつもりなどないよ』


 あくまで余裕を保ったまま、シェイドは朗らかにそう告げる。


「おわっ」

「あっ」


 そこに予兆はなかった。光弘だけでなく、それを知る明日美でさえもが驚いてしまう。


『明日美君にはお帰りなさい。光弘君には、はじめまして』


 昼下がりのさんさんとした太陽が前触れもなく陰り、三人の頭上の空が大きくめくれ上がって、卵形の大建造物が姿を現していた。


「なんだよこれ……」


 太陽を跳ね返すつややかなそれは、何でできているのか黒曜石のように漆黒で、無音。明らかに空にあっていい形をしていない。異質な存在でありながら、ずっと昔からあったかのような自然なふるまいでそこにある。


「『カメレオン』! 来てくれてたんだ!」

『今しがたね。合流ポイントで待つよりは、ずっと臨機応変に動けそうだったから』


 カモフラージュがこれまで生きながらえた最も大きい理由が、この移動する大建造物を拠点に据えた点にある。


 犯行声明以外の徹底的な情報統制と、神出鬼没なゲリラ戦。世界政府などという余りに大きなものを相手取って、なるべく消耗を蒙らず、これらを続けるには、系としてほぼ独立している上、緊急時にいくらでも居場所を変えられる、この『都市型スピリトンシェルター』が必要不可欠だった。


「『姿を見せて、それが何だ。お前のくだらない話を聴く理由にはならんぞ?』」

『もちろんそうだね。でも、例えばここで私達が戦闘に発展したとして……さて、君はともかく光弘君は、そこでありえる周囲の被害に対し、どこまで寛容であれるのかな? そして、君は、彼の望みに応えるだけの力はあるかい?』

「『ほう……』」

「お前っ!」

「シェイドさん!?」


 あからさまな人質交渉に、光弘が思わず気色ばむ。だが、シェイドはそれを見越していたようにあくまで落ち着いて、


『光弘君。そう怒らないで聞いてほしい。最初にテルス君が言った通り、君たちは圧倒的に有利な立場なんだ。私たちみたいな臆病者では、消耗している今ぐらいしか話もできない。……白状するが、正直なところ、私は最初、君たちに首輪を付けることばかりを考えていた。執拗にそこの人間を殺させたがったのも、共犯者としての明確な意識が欲しかったからさ。この点に関しては、私にできうる限りを尽くして謝らせて貰う。すまなかった』

「そんなことで許せるか!」

『その気持ちもちろん解る。これは私の失策だよ。だが、だからこそ一度きちんと話をさせて欲しい。グリーンアースの環境では生きられなかったもの同士、きっと真の意味で手を取り合うことができるはずだ』

「それは……」


 シェイドの真剣な告白に、光弘は思わず揺れた。流石に相手が都合のいい事を言っている事はわかっていたが、同じ立場になったと自覚したことで、最初から今まで、先入観なしにこの相手と話したことがなかったのかもしれない、とは考え始めていた。


「『おい。それ以上こいつの言葉を聴くな。これは速度の問題だ。確かに今日のお前は消耗しているが、私がまだ十分に力をプールしている。地面のやつらを守りながらアレを破壊しつくすのは確かに難しい。だがな。――脅威になる前に、あの中身だけならどうにでもなる』」

「そんな! 二人ともやめてよ! これ以上何をするっていうの!」


 一方、テルスが放ったのは冷厳なまでの宣戦布告だった。完全に殺気立った二人を止めようと明日美が悲鳴を上げるが、その甲斐はまるでなく、場の雰囲気だけが張り詰めていく。


『……ほらね。解るだろう? 彼女は話をさせてくれないんだ。だが、どうしても一つだけ、私達が信頼に足る理由を言わせてもらう。我々はすでに目的を達している。この事実だ。見たまえ、グリーンアース・ネバダは壊滅したじゃないか。私たちには、君たちを粗略に扱う理由がないんだ』

「『口を閉じろ。さもなくば、まずお前から始めるぞ』」

『もとより私だけの命なら問題ない。光弘君、判断してくれたまえ。話をするか、殺すかだ』

「『……理解した。これはお前なりの……時世の句? というやつだったんだな』」

「みっちゃん!」

「わかった! わかったから! 待てテルス!」


 一触即発の空気が、今まさに破られようとしたその時、辛くも光弘の決意は固まった。こちらを振り向くテルスは、あからさまに不満げな顔である。


「『こいつの言い分を聞くのか?』」


 流石にここまで下手に出た相手を、むざむざ殺させるわけには行かなかった。


「ああ。なんにせよ話だけはする。これは俺の『望み』だ。頼む」


 別に彼と彼の言葉を信用したわけではない。

 首輪を付けることはもう目的でないとシェイドは言ったが……その実、彼の今の言動は、自分の命までも人質の勘定に乗せただけに過ぎない。光弘はそれを正しく理解していたが、だからと言って問答無用のテルスはやりすぎだった。


「……そうか。好きにしろ」


 だからこそ必死に懇願したのだが、予想に反して、テルスはあっさりと引き下がってくれる。


(ふう……)


 思わずほっとした反面、光弘は、背中に冷たい汗が流れているのを感じていた。


 それは、いったい何が彼女をここまで戦闘的にしたのか、いまいちわからなかった為でもあるし、また、彼女のあまりの聞き分けのよさを見て、これまでの多くの事態が、彼女を制御できていない自分に、大きな責任があったのだと実感した為でもある。


 思えば最初から、テルスは「判断しろ」と光弘に求めていた。


(だからって、こんなデカイもん……一体どうすりゃいいんだよ……)


 少し目を遠くへやれば、隆起した崖が目に入る。そこに至るまでの地面は、綺麗に舗装されている。


 彼女との契約は、手に余る代物だったのではないのだろうか――光弘は、そう考え始めていた。


『ありがとう。君ならそういってくれると思っていた』


 一方、葛藤する光弘からすれば憎らしいほど、シェイドは爽やかに笑い声を上げていた。


「故にまず。その寛容に敬意を表することにしよう」


 先ほどまでの緊迫感はどこへやら。鈴を転がしたような軽い響きである。剣呑さも政治的取引も何もかもなく、ただ希望を謳いあげるように爽やかな――


「ん?」


 光弘は、そこで漸く不自然さに気がついた。


「……はじめまして、光弘君。テルス君」


 そう、爽やかな声だったのだ。これまでの人口音声などではなく。第二次性徴を迎える前の、涼やかで伸びのあるボーイソプラノ。それが、彼のすぐ後から発せられていた。


「なっ」

「珍しい芸だな」

「ただいまシェイドさん!」


 泡を食って振り向いたのは光弘だけだった。明日美とテルスは落ち着いて、いつのまにかそこに居た人物に言葉を返す。


「ようこそ『カモフラージュ』へ」


 右手を胸の前にやりながら、いやに決まったボウ・アンド・スクレイプ。顔を正位に戻しざま、眉毛で揃えたさらさらの金糸が、艶を含んで盛大に踊り――大きな深緑の瞳と、愛らしいふくよかな唇とを天使のように彩った。


「私たちは、君らをおおいに歓迎する」


 そうして、嫌みったらしい言い回しにだけ、ほんの僅かな面影を残し、金髪碧眼の美少年――おそらく外見年齢はテルスより下の――カモフラージュ代表理事『シェイド』は現れた。


 そして、


「お、おま……」

「どうしたんだい? ……ああ、もしかして、私に見とれてしまったのかな? うーん。……残念だけど、私はストレートなんだ。ごめんね」

「……テロ組織のトップが、なに半ズボン履いてんだよ!?」


 あまりの事態に混乱した光弘が、ようやく発した最初の言葉は……本日一番どうでもいい、謎の突っ込みだけだった。



 ――こうして光弘は、生きる道を己で掴んだ。それは、多くの犠牲が必要で、多くの悪意にさらされる、幸せを求めるほど周囲に損害を与える種類の、悪にも近い道だったのだが――生まれて初めての『決断』が導いた、かけがえのない結果なのだった。


 だが、それがいったい何を意味し、どんな未来をもたらすのかについては。到底、この時の光弘に想像が及ぶはずもなかった。

 行き先の見えない決断の連続――彼の『人生』は、こうして始まったのだ。

第一章 選択じんせいの始まり 了

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