空中輪舞-1
自らの手でさえ見えそうにない暗がりの中、二人の男が話し合っていた。
「……それで、本当に失敗はないんだな?」
ひとしきり現状を共有し終えた後、一方の男が神経質そうに言った。まるで老人のような声だった。空気が漏れてしわがれ、か細く、電子音声が補助として混じっているため、とても美感に耐えない響きである。
「ええ、間違いなく成功するでしょう。私の元に、予定よりもずいぶんと多い人数で、派閥が形成されています。報道部への訴えかけも上々。この結果、権益団体もほぼ全てが賛成に回りました」
対する男の方は、若々しく壮健だった。特別いい声と言うわけでもなかったが、発声にいちいち張りがあり、きびきびとして聞き取りやすい。従軍経験がある人間特有の質実さが聴き取れる。
「あんな風見鶏どもはどうでもいい! それより問題はあちらだろう!」
「今のところ、虫には気づかれていないようです。その証拠に、先般の情報も、まるで瑕疵がなかったでしょう?」
「確かに……確かにそうだ。だがな、これは君らの言葉で言う『誘引』だ。弱点を晒している以上、そのまま食い破られたら全てがご破算なんだぞ。無論、釈迦に説法とはわかっているが……これはもう政治の領域でもある。そして、私だって政治には一言あるつもりだ。そこでの勘が、嫌な予感を告げているんだよ。慎重にならざるを得ないじゃないか。勝たなければ……勝たなければ破滅だぞ! そんなことがあってたまるか!」
「落ち着いてください」
老人声のほうはひどく臆病に震えながらまくし立てる。言下には、どろどろとした権力欲が横たわっていた。その暗く粘ついた情熱に半ば押されながらも、軍人風の男は姿勢を崩さない。それもそのはず、彼には確たる勝算があった。
「いい手駒になりそうな者がいるんです」
「手駒?」
「ええ、とびきりの力を持っていていながら――しかし、ずっと私達のような人間に教育されたせいで、頭の働きが鈍く、決断が遅い……素直な子供でしかない人間が」
「……そんなものが使えるのか?」
「馬鹿もハサミも使いようです。少なくとも、あちらの楔にはなるでしょう――」
自信満々で軍人風の男が言ったその瞬間、耳を聾するような爆音が響き、彼らの空間が僅か揺れた。それを合図にしたように、真っ暗の暗闇にほの白い光が射す。薄ぼんやりと、その部屋の光景が闇から浮かび上がってくる。
「……」
「……」
そこは、遮光カーテンを閉ざした病室のような場所なのだった。六畳ほどの正方形に、大きなベッドが一つきり。ただでさえ狭いというに、多種多様な機材が並べられ、逐一何事かを記録している。床には機械群の配線が、くもの巣のように張り巡らされていた。
「……そろそろですな」
それらの糸を避け、窮屈そうに立っていた軍人風の男――いや、実際に軍服を着ているので、彼は正しく軍人なのだ――が沈黙を破ると、
「ああ。漸く憂鬱な時間も終わる。君ももう行きたまえ」
ベッドの上から、老人声が大儀そうに返す。部屋中に張り巡らされた糸の束は全てこの男に繋がっていた。彼の体はそれらの大仰な機械群に比べると、ひどく痩せていて小さい。皺と埋め込まれた糸のためにおよそ人間らしくないフォルム。薄暗い室内にあって炯々と眼だけが輝いている。
「ええ。では、また」
略式の敬礼をして、軍人が踵を返す。例の糸を避けながら進み、丁度出口に差し掛かったところで、
「待て」
と老人声が背中に言った。
「なんです?」
「方法は貴様に任せているが……私と貴様が一蓮托生だと言うことを、ゆめゆめ忘れるんじゃないぞ」
最後に老人声が念を押した。その彼の臆病さ、執拗さに、半ば呆れ、半ばユーモアを感じた軍人は、
「ええ。“バグジー”。私は決して裏切りませんよ。あなたが貪欲である限り」
「貴様ッ」
彼が忌み嫌う名であえてそう呼び、すばやくそのまま外に出ると、反論をドアで遮った。
「あの……若造が……っ」
残されたのは、ベッドに横たわる”バグジー“だけだった。彼は心頭に発した怒りで息を荒くしながら、しかし、できることと言えばはシーツを弱弱しく掴むことぐらいなのだ。そして、彼はずっと昔からこうだったから、この種の屈辱の抑え方は重々承知していた。
「全部……全部だ。“五賢帝”がどうした。私は全てを手に入れる」
故に彼は、今日もまた決意を表すのだった。もう何度聞かせたか解らない、この不気味な暗がりと自分のみに向けて、興奮を抑えるように、何度も何度も大きく息をつきながら。
「必ず。必ず成功させる……」
粘つくようなその執念を、虫倉のようなその暗がりで、一心に呟き続けるのだった。
*
静寂の中で光弘は一人、ただただ瞑目している。
広い空間だった。白く、清潔で、あまりに画一的。壁と床との境目さえ見出しづらいこの場所は、時折現実感さえ曖昧になる。
カモフラージュ移動拠点『カメレオン』内、特一級機密レベル『リインカーネーション』区画。拠点のエンジンにも等しい重要な場所である。
往々にして、精神子にかかわる部屋は、こういった趣を持つことが多い。常人には落ち着かないそこも、生まれたときからグリーンアースの研究施設にいた光弘にとっては、故郷のように落ち着く場所だった。
『交代の時間だぜ』
ふいに声がかかり、部屋の一角が抉れたようにがばりと開く。
光弘が、いつの間にか寄っていた眉とともに瞼を開くと、すぐそばまで男が歩いてきた。
「ジュアン」
男の名前を呼んで笑いかけたとき、顎元から汗が雫と滴った。集中が解けて見れば、あまりに重い疲労感が両肩にのしかかっている。めまいの為に、二三度頭を振ることになった。
「次は俺。ゆっくり休んでくれや」
そう言って軽薄に肩を叩く男は、光弘と同年代の『カモフラージュ』青年工作員である。
ジュアン・ダウストリア。
自分の名前を『かっこいいから』という、殆ど意味のない理由でフランス語読みさせている以上、恐らくは偽名であるのだろうが、その響き通りラテンの血が強く、彫りの深い顔だち、カールした黒い短髪、濃い髭に濃い体毛をもつ偉丈夫である。
顔も体も骨格がしっかりしている上筋肉質なので、強面に見えなくもないのだが、眉の奥にやたらと光含む少年のような青い瞳があって、それらを裏切っていやに愛嬌があった。
名前負けしないだけの女たらしでもある。諸般の理由で孤立しがちな光弘とは、明日美に肘鉄砲を食らっている所に居合わせたことから仲良くなった。
「ありがと。正直、ちょっときついわ」
「お前が来てくれたおかげでこっちは大助かりだよ……ほれ」
「っと。なにこれ?」
ジュアンが軽く投げてよこしたのは、小さな包みだった。中に球状のものが入っている。
「最近ウチで流行ってるアメだよ。兵站部の奴等が自信を持って送り出したナノマシン入り。脳組織活性はもちろんのこと、滋養強壮と整腸に効果があるらしい」
「へえ。ありがと。まあ、俺こう言うのあんまり効かないんだけど……」
「それ舐めて元気出して、今日こそアスミにぶち込んでやれ」
「……相変わらず最低だなお前……」
「あ、だからって名前通りア●にぶち込むんじゃねえぞ? アレは細菌が沢山いて危ないし準備が要る。筋肉がちぎれると障害も残る。童貞にはさすがに荷が重い」
「そのネタホントやめろって。あす姉がマジギレしたの、俺初めて見たんだからな」
明日美の名前には、『明日は今日より美しく』という意味が込められており、大変麗しい日本語である。だが……いろいろな言語圏が集まっているここでは、残念ながらあまり呼ばれることがない。
使用者の多い、英語的な観点を持てばわかる。文章の意味は通らないのだが、『カモフラージュ』は比較的若い組織で、しかも彼女のあの美貌だ。そういうネタが大好きな男連中はいくらでも居るのだった。下世話にもほどがあるのだが。
そんな事とはつゆ知らず、ジュアンにそそのかされた光弘は、明日美にスラングの意味を問うて、ひどい目にあったことがある。彼女の名誉のためにも、行われた折檻の、具体的な内容はここでは伏せるが――光弘はその時、生まれて初めて神に祈った。
「ほら、変な顔してねえで行って来いよ。丁度待ってんぞ」
『みっちゃーん』
開いたドアを通じて、外部から明日美のハンチが入る。ここから姿は見えないが、光弘の仕事が終わるまで、近くで待ってくれていたようだ。
「そっちを先に言えよ……まあわかった。またな」
「おう。明日の……アスの報告を楽しみにしてるぜ」
「だからやめろってば……」
ぐっと突き出される卑猥なハンドサインにうんざりとした顔で返すと、彼は彼で全く悪びれずに呵々大笑する。これは最近構築されたいつもの流れだ。
最後に拳を数回あわせて挨拶し、ジュアンと別れる。彼はこれから光弘に代わって、ここに篭らなければならない。
この犯罪組織の拠点を成り立たせる、精神子エネルギーの供給元としてだ。まるで外付けの電池のように、体力をすり減らしながら。
「今から行くよ。どこ?」
『いつものトコー』
ドアが閉まるまで手を振っていたジュアンに苦笑いを返して、明日美と話しながら歩き出す。簡素で狭いエアシャワー・スピリトンシャワールームで減圧した後、三つの扉と二つのエレベーターを乗り継いで、目的地を目指す。
「……ってなことがあったわけだ」
「ぶははは。おめーは相変わらずよー」
「そうトコがあんからこの前も……おい」
「あ? うわ……」
二つ目のエレベーターに乗る際に、若い工作員の一団と顔を合わせた。それまで和気藹藹と会話していた彼らは、光弘の顔を見るなり水を打ったように静まる。
「どうも……」
軽く会釈するが、返礼はない。代わりに、言いようのない圧迫感を感じる。仕様のない事とは解っていても、気持ちのいいものではなかった。
ここに来てすぐ起こったある事件の所為で、光弘に対する彼らの印象は概ねこの通りである。ジュアンが寧ろ異常なぐらいなのだ。
光弘は人づきあいの経験も当然のように少ないため、こう言った時にどうすればいいのか皆目見当もつかない。相手の悪意にびっくりしてしまって、それ以上踏み込む事も出来ないのだ。
ただただ、腹部が重くなったような感覚を覚えながら、ここから移動する事だけを考えるしかなかった。
幸いにして、光弘の胃に異常が発生する前に、目的の階に到着できた。逃げるように外へ出て、いつも以上に早足で歩く。
話しかける明日美に生返事を返しながら一心不乱に進んでいると、すぐに『カメレオン』の外延部に出た。
「ふぅ……」
扉が開くなり途端に視界が開けて、一面空の蒼と、雲と、真っ青な海だけになる。歩いてきた通路が自動的に閉ざされるなり、三百六十度と頭上、足元に至るまでが装いを変化させ、まるで空に投げ出されてしまったかのようだ。何度見ても飽きない、美しい景色だった。知らず知らずのうち肺に溜めていた重苦しさが、吐息とともに外へ出る。
目視での歩哨任務のために、外の光景を透過するよう、クオリア感応照明が設定されているのだった。現在地は……表示によれば、太平洋のど真ん中であるらしい。
光弘があの部屋に入ったのは朝方だったから、時間的に星空が見えてもいい頃のはずなのだが、太陽はさんさんと中天付近に居座っている。いつのまにか、拠点は移動していたようだ。
「寒っ」
大変すばらしい景観なのだが、暖房があまり効いていなかった。季節の所為か、高度の所為か、今までの汗が全て冷えてしまうような温度である。
思わず首元に手をやって、身につけている『カモフラージュ』の制服を操作する。対環境センサーが反応して、遅滞なく適温に調整された。
「ふう……っと」
人心地ついて歩き出したが、十歩も行かずにまた立ち止まった。
「……」
じっと数秒自分の手を見、そして周りへ視線を移す。
これまでの一連の動作を、苦もなく自然に行っている自分にふと気づき、また驚いたのだった。彼は、こんな対環境・多目的スーツなんて、ここに来るまで一度も使ったことがなかったのだ。
この通路にしてもそうだ。最初はどこに壁があるのか床があるか解らず、なんども頭をぶつけたりしたし、視覚から来る浮遊感の錯覚で、すぐに気持ち悪くなったりもした。
「そうか……」
未だに明日美とジュアンの以外、誰とも交流を持てていないので、今までまるで実感がなかったが……光弘は、自分が随分とここでの生活に慣れてきたことに気づいた。
あれから、すでに三ヶ月が経っている。




