選択の始まり-10
光弘が最初に感じたのは色とりどりの光。赤から順に紫まで、忙しく無段階に色相を変化させる細かい粒子。それらが天に向かって螺旋を描いて舞い上がる。次に、闇。先ほどまで晴れ渡っていた光景が嘘のように、色調を反転させた白い大地と黒い空。最後に、星。太陽が輝いていたはずの天には嘘のように星が満ちて――その一つ一つが件の人間なのだと、すぐに『解った』。
『がぁっ!』
その瞬間に凄まじい頭痛が襲ってきて、しかし、うずくまろうとした体がまったく動かないことを知る。
『なん……だよこれ……』
呆然として目だけを周囲に配らせると、荒涼としたモノクロの世界に、呆けたように口を空けたまま、静止している明日美を見つけた。
『あす姉? 何を……』
声をかけて、すぐに尋常な事態ではないと理解する。当然のように反応は無い。それどころか、今見える彼女はまるで人形のようで、見た目から生命を感じる事さえできない。
その様はまるで時間が止まったかのような――
『これが、『プライド』を使うということだ』
『プライド……?』
驚く光弘を尻目に、ただ一人変わらぬ姿でテルスがいた。体の動かない彼に見せ付けるように背を向けて、歩きながら説明する。
『七大罪源回路のうち、もっとも作りにくく、不安定で、しかしもっとも汎用性のあるアバドン――』
二、三歩言ったところで手を広げ、
『フォースにして至高、偽りの全能、宇宙〈カミ〉に弓引く傲慢〈プライド〉の大罪』
謳いあげるように言いざま振り返る。
『私は、お前にこれを求めている』
その顔はやはり笑顔だった。彼女は、こんな奇妙な世界にあって、なぜか、初めて純粋に嬉しそうなのだった。
『痛ぅ……どう、いう……』
『やはりつらいか。今のお前は、精神子軌道がスピリティ・コラプスレベルまで拡大した状態にありながら、尚且つ密度にムラをつくって、譫妄状態にならないように強制している』
『……つまり?』
『半径が、ええと……一、キロ? メートル? の軌道内、全ての情報を今のお前は認識している。その膨大な情報量に脳がついて行かず、ハングしている状況だ』
『それって……』
『あまり長くやると脳が器質的に破壊されて、再起不能になるかもな』
大問題をしれっと言うのだった。
『いやいやいや。再起不能になるかもな……とか言ってる場合じゃなくね!?』
『今言ったのはあくまで頭痛の原因だ。きちんと手順を踏めば、そう危ないことでもない』
『危なくいことでもない、だと……?』
抗議をしても柳に風のテルスに、光弘は軽い怒りを覚え、
『ならその方法を先に言えっての!? お前は先から先から思わせぶりなことばっかり言いやがって! ホントに……ホントに……ぶっ殺すぞ! 死なすぞぶち犯すぞ! ていうか主にぶち犯させてください! 無理なら取りあえず俺をぶち犯してくださいそうしてくださいどうせならぷちでもいいんで犯してください!』
『……なかなか狂った人格なんだな、お前は』
気づいたときには自分でも意味の解らない言葉を連発していた。
『えっ、違う。あれ? 俺何言ってるんだ? 変な奴だし怪しさマックスだけどこんなに可愛い女の子の前で!』
『ふむ。こんなのがいいのか。私はお前らで言う……ひんぬー? というやつだが』
『それもそれで……』
『そうか。旧時代によればそれはかなりの禁忌に属する性向らしいが……そう、ロリペドとかいう……』
『ってちがっ……なんだこれ! いや違うんだよ。別にいやらしいこととか、そりゃ目の前にあったらちょっぴりは考えたりもするかもしれないこともないけれども、俺は俺でやっぱりあす姉みたいに母性的なフォルムもいろいろ楽しそうで好きです……じゃねえよ! ホントなにこれ!』
取り繕おうとすればするほど、光弘の発言が支離滅裂になっていく。一人焦る彼を半眼で見つつ、めんどくさそうにテルスは告げる。
『おちつけ。そうすれば収まる。お前の変態嗜好自体はどうでもいい。それはノイズのようなものだ』
『ノイズ?』
『考えても見ろ。この世界に矛盾がないか。脳がハングしているならば、こうして私と話しているおまえはだれだ?』
言われて見ればその通りなのだった。膨大な情報で脳が処理落ちしているならば、本来、光弘が彼女と話せるはずがない。だが、そんな事を突然に訊かれたからと言って、光弘に答える言葉はなかった。
『誰って、俺は……俺だろ』
『そう。今のお前はなによりお前だ』
『はあ?』
なので、口が動くまま適当なことを言ったのだったが、それは思いのほか簡単に肯定された。
『今のお前は精神子で思考し、答えを出しているんだよ』
『精神子で?』
『だから興奮すると一瞬でも頭をよぎったことを増幅して言ってしまったりもするし、神経伝達の軛を逃れているから、時間が止まっているわけでも事態が解決したわけでもないのに、こんなにだらだらと、まさにさっきのお前らのごとく、無意義きわまる話ができるわけだ』
私が少しでも上の奴らを少し減速させていなかったのなら、今頃アレら全員墜落しているぞ。と付け加える。
その発言の抑揚が、があまりに大儀そうで、かつ吐き棄てるような物言いだったので、
『あのさ……もしかしてお前、俺の事嫌い?』
ついつい口をついてそんな事を訊いてしまう。が、
『? なにがだ?』
『いや、なんでもない』
当然のように彼女は首を傾げるだけだった。どうにもこの類の機微を彼女に求めるのは無駄だと判断して、光弘は会話を仕切りなおす。
『それより、そんなにいうなら意義ある話ってやつをしてくれよ』
『そうだな。といってもやるべきことは簡単だ』
言いながらもう一度彼女は背を向け、空を指差す。
『アレの速度を観て、減速させて、地上にソフトランディングさせろ』
そして簡潔に言い切るのだった。
『……』
『……』
『えっ? 俺が?』
『他に誰が居るんだ』
『いやいや無理だろ。何言ってんだよ。未だに自分がどうしてこんな場所に居るのかさえわかっていないのに』
狼狽して、思わず弱音が出るが、
『お前は自分の指を動かすときに、指の筋肉の収縮の、分子的な運動とエネルギー代謝から神経伝達、脳の構造、心理分析、果ては精神子軌道における性向にまで理解が及んだ上で行っているのか?』
『はあ?』
『表層意識における構造的な理解など、この場合何の役にも立たないということだ』
彼女は峻厳なまでにそれを断ち切った。
『つったっていきなり……』
『できる。なんだってな』
勢いよく振り返り、再び断定する。
『というか、その為にお前にさせているんだ。先程から見ているにつけ、どうにも自分の立場というやつが解っていない』
『立場って言ったってな。詳しい説明もなく契約しろ、と迫ったのはお前じゃないか』
『百聞は一見にしかず、聞いた百より見た五億。と言うそうじゃないか。そういうことだ』
『そういうことだ。じゃねえし後半はおかしいよ。レートが崩壊してるじゃんかよ』
『まあその辺りの誤用は仕方ない。……私は、幼女だからな』
そこで、なぜか誇らしげに彼女は胸を張る。
『もしかして、その言い回し気に入ったのか……?』
『とにかくいくぞ。私がせき止めていた情報も全部お前に流す。脳が焼きつかないように『精神子』で考えるのがコツだ』
『おい、おま……またこのパターンかよ!』
言い終えたときには、情報の洪水が襲ってきていた。上空の星々――に見える人たち――の情報が怒涛のように押し寄せてくる。相対速度、相対位置、加速度、質量などの物理的パラメーターから始まって、それぞれの顔や体型やバイオリズム、持病の有無に至るまでが瞬時にインプットされていく。
『お……ご……』
当然光弘の頭は張り裂けそうな痛みを訴え始めた。頭から全身が罅割れていくような鮮烈なそれは、先だってのものとは一線を画す、過酷な彼の人生においてさえ経験したことのない種類のものだった。
『脳で考えようとするからそうなる。擬似的な時間停止空間のここにあって、正の時間の流れを要する肉体の動作はタブーだ。私のようにここで体を動かせないあたりも、そこに原因がある』
『そんな……ん、言われ……ても……』
『別に今まで前例のないことを強いているわけではない。貴様らの肉体の限界はあまりにお粗末だが、その中にあってトップクラスの力持つものたちは、広大無辺なこの領域を一瞬だけでも垣間見ていることが多い』
『……きいて……ねえ……よ……』
毒づきながらも既に、抗議では事態が解決しなのだと気づき始めていた。
初めて顔を合わせてからまだ数十分と経っていないが、テルスに対して、光弘はすでにして一つの経験則を打ち立てつつあった。事態が動き始めたのなら、恐らく彼女に手心などは全く存在しないのだと。
『ゾーン? だったか。あるいは悟りという言葉も近い。肉体の感覚を超越したところにある、純なる全き精神思考。一般的なそれは順位ゼロのメイデンを用いているので、厳密な経路は違うのだが、やっていることはそう変わらん。例えば――』
故に、まず彼女の説明を聞き流すことにした。これは、今までの人生で慣れている。痛みと自分を切り離してみる。これも、ずっと何度もやってきた。以降は、必要なものだけを見ればいい。自然と光弘の体は仰向いた。
それは彼にとって無意識の動作で、動かなかったはずの体が動いているということにすら気が回らなかった。
ただただ情報の洪水の只中で、必要なものを峻別する。そして自らの欲求を拡大させる。感覚的で、独善的。『ここ』に『在る全て』を『ほしいまま』する必要がある。
それは――ついさっき、似たようなことをやっていた。
『ああ……そう、か』
要するに、軌道が拡大しすぎて死ぬ寸前だった、先ほどの思考に似ているのだった。そして今は、周りから全てを奪い去る代わり、あそこにある光たちの、加速度のパラメーターを逆転させればいいだけなのだ。
わかってみればこんなにも簡単なことはない――爆発的に肥大した思考が、普通ではありえない結論をはじき出す。
端緒を掴み始めた光弘の周りに、テルスと出会ったときに見た光球が明滅し始めた。そしてここで漸く、光弘にもテルスの言葉を聞く余裕が出てきた。
『――お前らの言葉にも、これを端的に示した格言があったはずだ……そう』
今までずっとやってたらしい長広舌を結ぶべく、こちらを覗き込むテルスが、びしっと光弘を指さした。
『感じるな、考えろ』
『そ、れを……言うなら……』
「逆だろうがっ!」
「え、なに!? どうしたのみっちゃん!?」
たまった鬱憤を込めた突っ込みを叫んだ瞬間、世界に彩が戻っていた。いつの間にか肩を掴んでいた明日美が、突然の怒声を受けてたじろぐ。
「え、あ、ごめ」
「気づいた? ……よかった。いきなり目がうつろになってピカピカって光りだすから、何かと思った」
それはそうだろう、と明日美に謝りながら周りを見れば、あの空間に行く前からあまり時は経っていないようだった。当然、空を見ればまだ多数の人が居る。かなり近い。
あの空間の事が夢でないのであれば、奇跡的に全員無事(気絶した上数箇所の骨折や呼吸器の異常があることを無事というならば)なのだが、それでも予断を許せる状態ではない。
「擬似的時間停止による思考圧縮は終了。演算も終了。よくやった。後は効果終了まで集中を乱さなければ問題ない」
その懸念に割り込んで、テルスがはっきりとそう述べた。
「テルス。それは本当か?」
「既に加速度の反転は起こり始めている。目視で解らないか?」
「いや、俺には結構な速度で近づいてるようにしか……」
光弘には、既に先ほどの様に、リアルタイムでの詳細な情報は閲覧できなくなっていた。あそこに居る人物たちの情報にしても、ただ古ぼけた思い出のように、強いて引き出そうと努力すれば、そんなことがあったと記憶しているぐらいでしかない。
「……みっちゃん。テルスちゃんと何かしたのね? ……シェイドさん。上の人たちのデータ見れない?」
二人のやり取りを聞いていた明日美はすぐさま立ち直り、ハンチを用いて助力を求めた。
『……答えても?』
「許す」
『はあ。それはどうも。……明日美君のスーツの大半が破損しちゃってるから、ちょっとノイズ交じりなんだけど……少しずつ落下速度が落ちているようなのはこちらでも確認できる』
「よかった」
それを聴いた光弘と明日美は、ようやく胸を撫で下ろした。自らの責任で起こった大問題も、ついに解決が見えてきた。
『私はまったくよくないんだけどね』
「お前! まだそんな事を!」
「もう、シェイドさん」
「『おい?』」
『失礼した……ところで』
ノータイムで恫喝してくるテルスに辟易しながら謝罪し、しかしシェイドは再び笑った。
『そこのそれはそうするんだい?』
またしてもその声と同時だった。三人のほど近くから黒い塊が飛び出した。
「わっ!」
「なんだ!?」
砂埃を巻き上げながら、耳障りな音を出しながら、それはこちらにねじくれ曲がった突起物を向けていた。さらに周囲を取り囲むよう、同様の物体が三体現れる。
「ガラクタか」
『大規模な精神子の活動で、最期に活性化したのかな』
言い合う間にこちらを照準し終えていたらしく、ひときわ甲高い、発射の際の警告音が鳴り響いた。しかしそれらの殆どは兵装が破損しきっており、バチバチと火花が空しく咲いただけだった。
「なんでお前ら落ち着いてんだよ! ってか、もっと早く言えよ!」
『それについては先ほどから後手後手の私は面目次第もないわけだが――』
次いで、自らの破損状況を認識したAIが、搾り出すように各部を蠕動させ、軋ませ、自爆のためか光弘たちめがけて特攻してくる。
「くそっ」
彼は咄嗟に前に出て、隣の明日実を背中に庇うが、
「煩い」
当然、テルスの腕の一振りで、それら全てが吹き飛んだ。
「……」
「……」
ラストの壁に阻まれて静止した機械群は、続く一瞬で嘘のように綺麗な放物線を描き、遥か向こうまで飛んでいった。途中で脱落した部品だけが、ぽつぽつと地面に落下して、描いた軌跡を証明する。
『こうなるのは解っていたわけで……本当に必要だったかい?』
「ああ、うん……なんだよ。驚かせやがって……」
その光景に毒気を抜かれ、思わずシェイドと普通に会話をさえしてしまっていると、
「集中を乱すなと言ったはずだ!」
鋭い叱責が光弘を襲った。びくりと反応してみれば、テルスが険しい顔で彼を睨んでいる。
「あんなガラクタごときに……」
嫌な予感を覚えて、弾かれたように上向くと、気の抜けた声のままシェイドが続いた。
『ああ、なるほど。少し加速してるね』
「っ!?」
「つくづくどうしようもない……今の一瞬で……三十、メートル? ほど足りんぞ」
「そんな!」
三十メートル。ビルで言うならほぼ十階。光弘には、それが人体にとってどれほどの殺傷力を持つのかわからなかった。ただ悪い事に、彼らは元から半死半生の状態なのだ。減速は続いていると言えど、最悪の場合もありえる。
「『……これが狙いか?』」
『まさか。もうとっくにあきらめているよ』
「ふん」
剣呑に声を交わす二人。だが、そんなことに構っている暇はない。
「テルス!」
今度こそ本当に時間がない。顔の造作どころか、瞳の色までわかってしまいそうな距離だ。
だが、もう一度あの空間に入りさえすれば、時間の制約など無視できるはず。光弘は瞬時にそう判断して、思い切りアバドンを回転させる準備をし、彼女の名前を叫んだ。
「もう一度やるぞ!」
「そのやる気は買うがな……」
しかし、彼女はなんともやる気なさげにため息を一つ。
「お前はもう限界のようだぞ。先ほどから殆ど『七大罪源回路』が力を発していない」
「なっ」
投げやりに絶望的な申告をする。そして、
「今回は……“落第”だな」
「は?」
呟きながら右手を下に振って、
「おわっ……」
「ちょっと……」
「もうお前は何もしなくていい」
ひどく冷たい発言をしたその瞬間、
「何この揺れ……って山が!?」
遠くで基地を囲んでいた山際が、ものすごい勢いで隆起を開始した。少なくとも光弘にはそう見えた。
断崖絶壁がぐるりと形成される。自身の地層を見せながら、綺麗に周囲全てが空へ向けて運動する。
「ってこれ……まさか……」
それだけでなく、光弘は凄まじい揺れと、先程から度々彼を襲った浮遊感をとらえた。そして、空の人たちが遠ざかるのをはっきりと見た。ならば、これは――
『こりゃ凄まじい……なるほど。足りないなら、作れば良いね』
シェイドが言う。呆れたような中に、やたらとおかしげな風情がある。
「その通りだ。アレの減速に三十メートル必要ならば……」
光弘が正解に至ると同時、テルスは自信満々に、
「地面を三十メートル下げればいい!」
相変わらずとんでもないことを告げるのだった。
「まっ……」
胸を張るテルスに突っ込みたいことは色々在った。あまりに馬鹿げたことをしていたから。ふざけたことをしていたから。だが、このとき光弘がまず最初に思ったことは。
「またかよ!?」
それは、半径約一キロメートルの、途方もなく巨大なエレベーター。
光弘たちは、人生初めての大規模さで、今日何度目になるのかわからない落下をした。




