第115話 ベルガモットの芳香
そして。
翌日も茜は学校を休んだ。
放課後。
俺は一度家に帰ってから、
翔太との約束を果たすため、
自転車で茜の家へ向かった。
茜の家のある住吉町は、
俺にはあまり馴染みのない町だった。
古くからの家々が立ち並ぶ
その町並みは、
どこにでもある長閑な住宅街だった。
連絡網に書かれた住所を頼りに、
茜の家を探していると、
どこからともなく、
ピアノの音が聞こえてきた。
その音色に誘われて、
俺は一軒の家の前に辿り着いた。
門の表札には
「塚本」
と書かれていた。
その時。
ピアノの曲が
パッヘルベルの「カノン」から
フォーレの「パヴァーヌ」へと
変わった。
門を入ると、
目の前に見覚えのある光景が
広がっていた。
それは。
大吾のビデオに映っていた家だった。
俺は少し緊張していた。
一度大きく深呼吸をしてから、
玄関のベルを鳴らした。
中から
「はーい」
という少女の元気な声が
聞こえてきた。
開かれたドアから
顔を覗かせた茜の表情が、
笑顔から驚きへと変わった。
しかし。
それも一瞬のことで、
「あら、あっくん。
どうぞ。
上がって」
とすぐに笑顔に戻った。
俺はピアノのある部屋に通された。
母親は晩御飯の買い物に
出かけているらしく、
家には茜1人だった。
ソファに座って待っていると、
すぐに茜が
盆にカップを2つ載せて戻ってきた。
「あっくんが訪ねてくるなんて、
初めてね。
すごく嬉しいわ」
そう言って、
茜は俺の向かいのソファに
腰を下ろした。
普段と変わらない茜を前に、
俺は僅かに戸惑っていた。
「もう風邪は大丈夫なのか?」
「うん・・」
茜は小さく頷いてから、
両手でカップを持ち、
口元へ運んだ。
「翔太も洋も心配してたぞ」
茜はそれには答えず、
「ふーふー」
とカップに息を吹きかけた。
仕方なく俺もカップを手にとった。
口を近づけると、
ベルガモットの独特な芳香が
鼻腔に広がった。
コツコツコツ・・。
壁時計の音がメトロノームのように
規則的なリズムを刻んでいた。
いつの間にか。
重苦しい空気が
室内を包み込んでいた。
「ねぇ、あっくん。
煙草吸いたくない?」
その空気を破るように、
茜が口を開いた。
「でもお母さんが帰ってきたら、
マズイだろ?」
「うん。
だから外に出ようよ」
「外?」
「先に。
『Riverside Doom』に行ってて。
私もすぐに行くから」
半ば強引に
煙草とライターの入った
ポーチを渡され、
俺は茜の家を出た。




