闇には必ず朝日が昇る
ウーさんが倒れたと聞いても、私は動かなかった。
「わかった。明日、もう一回、来てもらってもいい?」
玄関で、そう、リックさんにお願いする。
リックさんは、目を細めてその言葉を聞き、突き刺すような視線を私に向けてきた。視線を一度、右、左、と動かすと瞬きをし、黙って頷く。
「じゃあ、また明日だね」
その言葉はいつもと変わらない口調。背を向けて歩いて行く速度も同じ。でも……尻尾はピクリとも動いていなかった。
「いいのか? ウーに会いに行かないのか?」
バーツも、ベッドに座った私の顔色を窺ってる。
――わかってる。
いつもの私なら心配して取り乱すところ。二人が明らかに様子がおかしい私を警戒するもの理解ができる。けど、私にも、この未来だけは絶対に来るって”分かっていた”。
「ねぇ、バーツ」
「ん?」
「教えてほしい。オスは、メスを失くして生きられる?」
バーツは、目を見開くと、真っすぐ私を見つめて断言する。
「無理だ」
その顔は何にも浮かんでなかった。どんな想いも。
いつからだろう。ウーさんは、忙しいと言っては、誰かに仕事を任せてた。新しい仕事を、どんどん始めるから、初めは気が付かなかったけど。おかしいよね。
「えちぎょにゃ、トーさんに渡すんだって」
「……」
「無理、は納得できない……バーツ!!」
おかしいって気がついたとき、私、おかしいのはウーさんだけじゃないことに気がついたよ。だって、私より長く一緒にいたバーツが、ウーさんの未来、気が付かないわけがない。なのに、今まで一度も”動かなかった”。
――どうして?
こういう未来が来るって、私にもわかったときから、ずっと「どうして?」って思ってきた。それでね、今日、私、わかったよ。リックさんが知らせを持ってきたときのバーツの顔を見て……。
――バーツはね……諦めたんでしょ。
ウーさんのこと、”無理だ、頑張った”って言って、諦めてたでしょ! バーツ!!
感情のコントロールが付かない。
――オスの理窟なんてどうでもいい!
ウーさんの想いなんてどうだっていい! バーツの想い……自分の大切な友への気持ち、諦めたでしょ!
激怒といってもいい私の顔を見て、バーツは力なく隣に腰かけると、ぐにゃと歪んだ顔を片手で隠しながら、声を震わせて囁く。
「俺は……お前が、いなきゃ生き、れねえ」
力なく私の隣に座ったバーツは、項垂れて続ける。
「ウーは、よくやった。あいつがいなきゃ、こんな賑やかな街にはなってねぇだろうよ。……もう、行かせてやれ」
――わかってる。
私だってバーツがいなくなったら、そうなる。けど、それとこれは別。
「でも、嫌なの。――嫌なのよ!!!」
たぶん、私の人生の中で、一番、悲痛な叫びだった。
この未来に気が付いてから、私はずっとずっと悩んだ。ウーさんの気持ちは理解できるから受け入れるべきだ、と。責任も持てないのに、他人の人生に口出すほうが傲慢だ、と。
――でも、傲慢でいい。
「私は、ウーさんがいないなんて、絶対に、嫌なの!!!」
立ちあがって、ボロボロ流れる涙も拭かずに叫ぶ。我がままを言うって、ずっと前に決意していた。そんな未来は否定するって決めてたから。
だから、バーツも否定して! 諦めないで!
「……わかった」
――なによ。
そんなに安心したような泣きそうな顔するなら、初めから諦めなきゃいいじゃない。
「まぁ、ウーがいなきゃ、色々困るからな」
バカなバーツ。
ずっと一緒にいた兄弟の命だよ。わがまま言ったっていいじゃない。好きが一番大事なんでしょ。
私は、ボロボロと泣きながら、私以上に泣いてるバーツの頭をぎゅって抱きしめた。
次の日。朝早く、リックさんは来た。
挨拶もしない。一番初めの言葉は決まってる。
中に入ってもらって、お茶を出す。すする。一口だけ。そして、歯を食いしばり、ひと言伝えた。
「ウーさんは死なせない」
「うーん。俺はメスはいないし、一生いない予定だからわからないけど、想像するだけでも、かなりきついよ。かわいそうじゃない?」
「それ。幸せに笑ってるウーさんを、ずっと見ていたい。相談もしたいし頼りたい。泣いてるウーさんはもう見たくない」
強いから、私たちに見せないだけで、ウーさんはずっと泣いてた。生きながら泣いてた。そんなの嫌。
「難しいね。うーん、皆を呼ぶ?」
「ううん、呼んでも、死なせてやれって言うだけだと思う。今回は三人でこっそり進めたい。オスの気持ちを説明されても、私の決意は変わらない」
「わかった」
「ごめんなさい」
「いいんじゃない? 女神の希望だよ? 叶えなきゃ兎が廃る」
その言い方がちょっと笑えて、やっと呼吸ができたのがわかった。
とはいえ、作戦会議は難航した。
「新しい何かを提案してみようか?」
「ルルちゃん、ウーはすぐに商品化しちゃうから、打つ手尽きるんじゃない?」
「婚活にぶち込め」
「ウーは参加してるよ。店、出してるしね」
「メスに囲ませろ」
「囲まれてたよ。クッキー作りのとき。馴染んでたなぁ」
――困った。
「わかった。間違ってた。ウーさんのために用意しても意味がない。だってウーさん、優秀だから。それより私たちが困ってることない? しかも手に負えないぐらいに難しい問題」
少し黙り込んだリックさんは、頬を手で擦っている。
「あるよ」
目線が合う。
「一つ、差し迫って困ってることがある。戦いとかでペアが死ぬと、もう片方が後を追うことが多い。子供だけ残ることもあるんだ。孤児は基本、長老が面倒を見るんだけど……今、一人、どうしても懐かない子がいてね。付きっきりで飯をやれば食べるが、子供たちの中に入れると、何もしなくなるから、かなり衰弱してるんだ」
「ウーは、ああ見えて面倒見がいい。任せてみるのも手だな」
「うんうん、雇った人たちも、いろいろ言いながら育ててるしね。適任かも」
「今日、午後にえちぎょにゃに連れて行く。二人とも行っててほしい」
「わかった」
昼。
えちぎょにゃ。
「ルルちゃん、やんけ。ひさしぶり、やな」
そこには、毛皮には艶が無く、目が大きく目立つほど頬がこけ、ダブダブの服を着たウーさんが笑って座っていた。
「お前もか。なんで、ルル、ばっかりに、挨拶、するんだ」
バーツの声は震えてた。私は声も出せないでいる。
目と歯に力を籠める。じゃないと、涙と嗚咽が出そう。今回の作戦はさりげなさが重要だから、色々なものを飲み込んで笑顔を作ってみたけど、うまくできたか心配だった。
ウーさんが震える手で出してくれた桃ジュース。私の手も震えてるから飲むこともできない。そんなとき、リックさんが到着した。
その子は兎族だった。真っ白のピンとした耳を持っていてウーさんみたい。無表情でリックさんに抱っこされてる。
「リック? どうしたんや、その子」
「ウー、ジュースあげて」
「なんや、元気ないやんけ。取っておきの桃ジュース出してやる」
心配げに顔を見ていたウーさんは、すぐにジュースを持ってきて、椅子に座った子供の前に置いた。でも、飲まない。感情のない目で見てるだけ。
「飲まんのか」
反応もしない。
「……しゃーない」
ウーさんが抱っこして、コップを口に持っていく。ゴクリと喉が動いた。
「旨いか」
子供の目の色は変わらない。でも、ウーさんは優しく話しかけ続けてる。
飲ませ終わり、子供を隣の椅子に下ろそうと腰に手をかける。子供は抵抗しない。たたジッと空になったコップを見つめ続けてた。
「んー、ちょい休みたかったんや。もうちょい抱っこしとくわ」
初めて子供の顔が動いた。目が少しだけ、大きくなって。口も、あ……って開いてる。
「ウー! ビールくれー」
誰かから、追加の注文の声が飛んできた。
「トー、出してやれ」
いつもなら、すぐに行くのに、ウーさんは今日は椅子から動かなかった。子供はわかったんだと思う。オズオズとウーさんの方に向き直して、ゆっくり抱きつく。――徐々に力を込めて。ウーさんは、抱きついた子供の頭をずっと撫でていた。
「ウー。俺が連れて帰るのは可愛そうだ。面倒見てくれ」
リックさんが何気なく口にしたお願いを、子供が全身で聞き耳を立てているのが分かった。ウーさんは、へ!?って顔したけど、声に出したのは違う言葉。
「ああ、せやな。可愛いし、連れて帰るわ」
子供がしゃくり、泣き始めた。
「始めて見たよ。ツーが泣いてるの」
「…さよか」
子供を撫でる手は止まらない。
でも、少し微笑んだウーさんの横顔が見えた。
「トー、俺帰る。飯作らなあかん。ツー、腹減ったな、帰って飯食うぞ」
「……うん」
始めて聞いた子供の声は、か細く、震えてた。
子供を耳の間に乗せ、「ほな、またな」と言って、振ったウーさんの手は、もう震えていなかった。
それから何度かお店に行ったけど、ウーさんはここ最近、お店にはたまにしか来ないみたいで、全く会えない。トーさん曰く、忙しいらしい。そんな中、長老たちは待ちきれず、長官の職務だと言って、ブルーさんとジャンさんを引き連れてお山に行った。リックさんが、苦笑いしながら教えてくれた。
――ありがとう、リックさん。
きっと、本当は私たちにも、リックさんにも声がかかったはず。
何度も思う。リックさんが、こっち側でよかった。そして、帰ってきたブルーさんとジャンさんに何か差し入れをしてあげないと。
この間、ウーさんがお店にいて久しぶりに会えた。身体つきや毛並みは前と同じぐらいに戻っているように見えて、嬉しかった。
「あ、ルルちゃん。待ってな」
頭にツーを乗せたまま、ジュースを取りに行ってくれたけど、何も持たす帰ってきた。どうしたんだろと顔を見たら、珍しく、やっちまったと言わんばかりの顔をしてた。
「あかん、忙しすぎてジュース用意すんの忘れてたわ」
始めてだった。どんなときでも、どんな場所でもジュースがあったのに、今はない。
それが、何を意味するのかわかって、嬉しくて涙が出た。「ごめんな。次はちゃんと用意しとくわ」「泣かへんといて」と言ってたけど、いいの、この未来が嬉しいから。
私たち以外が慌ただしい中、長老たちが帰ってきた。そうとう楽しかったみたい。女神へのお参りについて、あっちこっちで話をしまくっては幸せそうにしていた。そうなると当然、国民全員の、一生に一度の夢の旅になったようで、ウーさんが、組んだ女神の愛・参拝ツアーは毎回大成功を収めている。
それから、ツーはウーさんの子供になった。なんなら、味を占めたリックさんが、ウーさんにドンドン子供を連れて行ったから、ウーさんの家は孤児院みたいになってる。どの子も俺の子と言って笑ったウーさんの顔は、パパの顔だった。ウーさんは、もう大丈夫だね、バーツ。
その日は、二人で泣いた。
ある日、ウーさんが私を、えちぎょにゃ・ビル支店に呼び出した。
「どうしたの? ウーさん、問題が起きた?」
「大問題や。実は……俺の子らがな、女神の愛へお参りができひんのや」
と、焦った様子で、「まだチビばっかりやからな、けどな、お参りしたいんやと…」と、相談してきた。
「ルルちゃん。どないしよ。可愛そうや」
ウルウルとした丸い黒い目で私を見てる。
「うん、そうだよね、小さいもんね」
ウーさんの頭の上にいるツーも、ウルウルとこっちを見てる。かわいそう。と思ってたら、バーツの呆れた顔が目の端に入る。
――酷い。
ウーさんが困ってるのに!
「ウーさん、私の国にね。教会っていうのがあるよ。こんな形で、像があって、皆で祈る場所。神父さんって人もいて、神様のことを教えてくれてるの。同じようなハートマークを像に入れたらどうかな?」
「建てていい?」
涙が零れそうな目で聞いてくる。
「いいと思う。建ててあげたら、こっちでもお祈りできるね」
「そやな」
ウーさんは、ニヤリと笑ってピョンと居なくなった。
――え?? 涙はどこ?
隣で、バーツが唸ってる。どういうこと?
それから少し経って、”きょおかい”を建てたと連絡がきた。子供たちのお土産に、お肉をたくさん持って指定された場所へ行く。そこはビルの催事用広場のそば。”せいかたい”の控え小屋から、少ししか離れてない場所。
家はかなり大きめの岩でできた建物だった。中に入ると、ウーさんが裾まである黒い長い布の服を着てる。
「ルルちゃん、よう来たな。祈って行ってや」
笑顔で奥まで案内してくれる。途中は全部、跪いて祈れるようにと革の絨毯張りになっていた。
「すごいね。大きい建物……え?」
奥まで行くと、窓から入る光をバックに像が立っていた。
――あの像、私……のような?
なんか髪の毛の長さとか形とか、背格好とか……似てる。皆より一回り小さいし、なにより、耳とか尻尾がない。隣でバーツの歯ぎしりが凄い。
「ちょっと、ウーさん!」
建物内は声が響く作りみたいで、大反響してるけど構わない。どういうこと?
「はぁ? ルルちゃんがええって言うたやろ」
――え!? いつ?
えー! もしかしてアレ? あの相談を思い出すと……酷い。あれがそうだとは……詐欺師すぎる。
恨めしそうに睨んでも、ウーさんは、「ちゃんと話した」と言わんばかりに呆れたような口調で返事してくる。けどね、目は黒く生き生きと楽しそうで、どうやっても勝ちを確信してるよね、この顔。もぉ!
――でも。
綺麗な目になったね、ウーさん。
その目の輝きが嬉しくて、どうせ勝てる気もしないし諦めた……私は。バーツはまだ納得していないみたいで、ウーさんに文句言ってたけど。
その後、遠くに行かなくても良くなったと、皆、喜んで、ビルにある”きょおかい”に行くようになった。
ウーさんがたまに女神の話をしているみたいで、それも大好評だと聞く。もちろん、本家の女神の愛・参拝ツアーは大盛況のままだけど。
それから少し経って「ジョーガンにも作ったで。来てや」と、ウーさんから連絡を貰ったので、行ってみる。入口に「おふせ」とデカく書かれた小屋があり、ウーさんがお金を取り立ててた。
――ウーさん……。
「なんや。子供を育てるのはぎょうさん、金がかかるんや」
ツーを頭に乗せ、両手に子供を抱っこしたウーさんが、女神ももらっとけというやろ、とドヤ顔で言ってる。
――そうだね。まぁいいんじゃない。
私も笑って子供を一人抱き上げた。
きゃっきゃ喜ぶ顔は可愛いけど、まって暴れないで! 子供に釣られて上半身が揺れるのをバーツが後ろから支えてくれた。この子、大きくて重いね、虎の子だからかな?
それからウーさんは、各国に”きょおかい”を建てた。
ウーさんから経営が移ってはいても、えちぎょにゃや、おみしょにんから、沢山のお布施が入る。長老たちも、日参の勢いで”きょおかい”に来ていて、女神に祈り、子供たちを抱きしめて行くそうだ。
子供たちは愛とご飯をいっぱい食べて大きくなっていく。
ある日、子供たちが、長老たちを「じぃじ」って呼んでるのを聞いた。
親がいることが恵まれた時代もあった。今は三世代が一緒の時代に生きている。平和な響きに、また涙がでた。
もちろん、ウーさんが絡んでいることでここで終わったことは一度もない。よく聞いていると「じぃじ」たちの女神の像に祈るお布施は、倍額らしい。やっぱり、全然、平和じゃなかったね、ウーさん。
今日もウーさんは、ツーを頭にくっつけて飛び回る。腕の中にもチビがいる。
「ウーさん、天国はね。時間経つの一瞬だから、問題ないよ」
「ああ、しゃーないな。リディは待ってくれる。俺らの子、育て終わってからやないと、逆に怒られるわ」
そう言ったウーさんの笑顔は、満開、だった。




