青空
その日は、よく晴れていた。
家を出たところで、私は足を止めた。バーツの手を握ったまま、空を見上げる。
高い。
ただ高いだけじゃない。
どこまでも突き抜けて、逃げ場のない青。
ここに来て、どれくらい経ったんだろう。
――そういえば、落ちてからの日々なんて数えてもなかった。
「……そっか。今日、決着だ」
口から出たのは無意識の言葉だったけど、私の心は、声を聴いて納得してた。
「ルル、いいのか?」
バーツが、私の顔を覗き込む。何かを感じ取ったのか、握った手に、少しだけ力がこもる。
「うん。行こう」
楽しい、でもない。
苦しい、でも悲しい、でもない。
自分の心の状態がわからない。
けど、今から立つのは、終わりの場所じゃない。新しい未来の、スタートラインだ。
そう自分に言い聞かせながら、私たちは城へ向かって歩き出した。
ジョーガンの城の一室。
何度も使われ、何度も空気が張り詰めた、この会議室。
扉を開けると、すでに全員が揃っていた。
「おはようございます。遅れてすみません」
「いや、まだ始まってはいない」
狼族長老はそう言ってくれたけれど、部屋の空気は、もうとっくに“始まっている”ものだった。その重さを誤魔化すように、ブルーさんが苦笑する。
「……眠れませんでした」
「それな……俺も……」
サムさんが深く頷く。
「嘘つけ。お前が眠れんとか、どの口が言うねん」
ウーさんが、すかさず隣から突っ込む。
「静かにしろ」
低い声で制したのはジャンさんだった。皆を諫めながらも、その表情は、誰よりも硬い。
「うーん……俺は槍の練習してたいなぁ」
あ。一人だけ、空気を読まない人がいた。どうやら、蜂蜜のない会議は本気で苦手らしい。思わず少しだけ笑ってしまう。
その隣で、リックさんは何も言わず、ただ私を見ていた。真剣で覚悟の目。長老たちも、今日は雑談をしない。全員が、私を見つめていた。
「では、皆が揃った。本日の会議を始める」
狼族長老のその一言で、部屋の空気は、完全に切り替わった。
窓から見える晴天に、もう一度だけ目を向ける。深呼吸をひとつしてから、私は皆の顔を見渡した。
――大丈夫。順番に話せばいい。
「始まりの時、この星には、山が一つだけありました」
一瞬、ざわりと空気が動く。
「皆さんが『女神の住む山』と呼んでいる、あの山です」
「聖地だ!」
ぱっと声を上げたのはドンダさんだった。にこにこと嬉しそうに頷いている。
「今はね! 『聖なるお方が住まう場所』って意味なんだ」
「……じゃあ」
私は少しだけ考えてから、言い直す。
「これからは、その山を“聖地”と呼びますね」
「異議なし。地図にもそう記しておこう」
「この名は、歴史の流れに刻まれるべきです。ここに記し後世へ紡ぎましょう」
猿族長老と狐族長老は、すでに書き留め始めている。
「その聖地の頂上には湖があって、一本の樹が生えています。この樹は、この世界の生命の始まりを支えた樹です」
視線が集まる。
一拍置いてから続けた。
「樹の存在については、狐族長老が管理している、コハルさんから託された、この板に記録が残っています」
用意されていた板を斜めにして、皆に見せる。狐族長老は、それを見ながら静かに頷いた。
「……世界樹、と呼べばいいのか?」
恐る恐る、狼族長老が尋ねる。
私は、少し迷ってから、はっきり頷いた。
「はい。たぶん、それが一番近い呼び方だと思います」
部屋の空気が、また一段引き締まる。
「次に、その聖地で噴火が起こります。星の内部にあったエネルギーが、マグマとなって地表に出たと、コハルさんの板に記されています」
漢字とカタカナで書かれていて、皆には読めないと思うけれど、板の書かれた部分を見せる。
「マグマは湖に流れ込み、そこで冷え、固まりました。湖の中で、固まったマグマの石同士がぶつかり合い、やがて、粉になったと考えられます」
板から顔を上げて皆を見る。
「板には、『波アリ』とだけ書かれていました。でも、それは――湖に波があり、石が砕かれ続けていた、という意味だと思います。その粉は、水と一緒に、川となって地上へ流れました」
私は、熊族長老の方を見る。
「ここから先は、熊族長老だけが伝えてきた話です」
熊族長老が、背筋を正す。
「川底にあった金色の粉。それを、長老は“魔力の塊”だと言いましたね」
「そうじゃのぉ」
「……なら」
私は、ゆっくり言葉を選ぶ。
「マグマの石が粉になったものが、その金色の粉――魔力を持つ物質だと考えられます。そこから導けるのは、一つだけです」
私は、皆の顔を見渡してから、静かに告げた。
「――この星そのものが、魔力を持っている」
「……あぁ」
「なるほどな……」
驚きの声と、納得の息が、皆の口から同時に漏れた。窓から差し込む光を背に、私は言葉を続けた。
「湖は、この星の魔力を帯びています。その湖の水があふれて川になり、地上へ注いでいる。その水にも、わずかながら魔力が含まれている……」
真剣な皆の顔。必死に書き留める狐族長老。この時間を一つ一つを大事に想いながら、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「各国で川に魔石を沈めたり、家ごとに串棚を作って、魔石を入れた水に串を浸しているのも……無意識に、その性質を利用してきたからだと思います」
少し息を整えてから、結論を口にした。
「魔力を帯びた水には、“異物を排除する”性質がある。だから、この世界では病がほとんど生まれなかったんです」
沈黙。
やがて、低い声が落ちた。
「……聖地の水……聖水、か」
虎族長老が、噛みしめるように呟く。
「知らずに救われておった、というわけだな」
猿族長老も、少し呆然とした顔で事実を噛みしめている。私は小さく頷き、話を先へ進める。
「話を、始まりの時に戻しますね。――大地は、川の水によって、ゆっくりと成長しました。その魔力だけを受けて育った樹々――それが『昔の森』です」
「命を紡がない樹、か」
狼族長老が確認するように言う。
「はい。成長はしても、増えない森です」
脳裏に浮かぶのは、初めて足を踏み入れたジョーガンの森。荘厳で、美しくて、どこか“完成されすぎていた”あの感覚。
「草原も同じように育ちました。ある時――何かをきっかけに、巨大な魔力が爆発したと思います。そして、異世界へと繋がる“穴”が開いた」
視線を、狼族長老へ向ける。
「……そうですよね?」
「その通りだ。コハル様は、“地球”という世界から、その穴を通って来られたと言われている。『えねるぎい』と呼ばれる力が、穴を開ける鍵だともな」
長老の視線が私に向く。
「ルル様が落ちてきた日も、同じ場所で大量の魔力が使われていた。魔石がいくつ、という規模ではない」
「あぁ……メルが二人、命削るほど魔力を使い続けてた日だ。……俺が見てきた中でも、あれは別格にひでぇ」
バーツが、歯を食いしばるように頷く。
「その“穴”を通って、始まりの時に――虫と、トカゲが、この星へ落ちてきたと考えています」
「……え?」
小さな驚きの声が、あちこちから漏れた。
「根拠は、先日ドゥで捕らえた獣です」
私は、はっきりと言う。
「体内に魔石と金色の血を持っていました。地球の進化と、この星の特性を合わせて考えると……そう結論づけるのが一番自然でした」
虫が草を食べ、その虫をトカゲが食べる。魔力を含んだ水を飲み、草を食べ、身体が魔力に馴染み、溜めていく。
「長い年月をかけて、魔力に適応する進化を遂げた。だから――この星で“進化する”ということは、『魔力を持つ』ということなんです」
私は、静かに言い切った。
「私は、この世界の獣を、まだ見たことがありません。でも虫は見た。その虫たちは“知っている”虫でした。私が、地球で見てきた虫と同じ……形だったんです。だから、考えました。この世界で、”生命”はどうやって生まれたのかって。ここで"生まれる"ものは、魔力を源としている。だから、『命を紡がない存在』になってしまう」
虎族長老を、まっすぐ見て言った。
「人は皆、落ち人の末裔です。獣も同じ。――虎族長老。これは間違いないですよね?」
虎族長老は、深く頷いた。
「そうだ。それは女神と交わした、我が一族の長老だけが知る、秘された事実だ。初代は見ていた。我らが渡ってきた“後”に、この星へ来た者たちをな」
「話を戻しますね。この星は、ずっと魔力をもとに大地が育ってきました。そして生命は、異世界から来て、この星の住人として――体内に魔力を持つものへと、進化していった。そんな中で、人と獣が落ちてきた」
多分、コハルさんも同じだ。山の上に開いた穴から、この世界へ来た。
「でも、この世界には、最初は草と虫しかなかった。落ちてきた人や獣にとって、食べられるものはほとんどなかったはずです」
長老たちが、静かに頷く。
「だから――コハルさんは、世界樹の実を皆さんに渡した。それが、人類の始まりだったんだと思います。それとは別に……たぶん、世界樹の実のうち一つが、偶然、地上で命を紡いだ」
「地上、だと?」
「はい。場所は、聖地のふもと。湖から流れた水が、溜まっている場所だと思います」
猿族長老に視線を巡らせながら、続ける。
「そう考えた理由は、虫と――猿族です」
場の空気が、わずかに張りつめる。
「地上の実は、湖の水で育った世界樹の実と違って、魔力が薄い。だから、その実を糧にした虫は巨大化はしたけれど、知性までは育たなかった。本能に強く縛られている。猿族も、同じ実を食べていた可能性があります。でも、虫と違ったのは――もともとの知性です」
猿族長老を見る。
「猿は、元々、人に近い知力を持っていた。そこに、劣化したとはいえ世界樹の実を食べた。だから、今の進化につながったんだと思います」
一拍置いてから、話題を切り替える。
「それから。世界樹の実とは別に――女神は、地上で“種”を手に入れています。その種を、山頂の聖水で育て、実ったものを皆さんに与えた。それが、神果の儀で使われる樹と実です」
「……世界樹とは、別物ということか」
狼族長老が低く言う。
「はい。理由があります。世界樹の実は、進化を促す。でも神果の実は――種族を超えてメスに子を生ませ、オスに卵巣を作った……」
ざわり、と空気が揺れる。
「明らかに、生命を“つなぐ”ための実です。この世界には、本来、生命を紡ぐものがありません。だから、神果の実は――異世界から来た実が、この星で“変化した姿”だと思います」
そして、最後の核心へ。
「虫が、私たちや獣を狙う理由ですが……聖水には、“異物を排除する”性質がある。その性質が、巨大化した虫の本能と結びついたんだと思います」
「体内に魔力があるかどうか、か」
ジャンさんが、静かに呟く。
「うん。実際、体内に魔力を持つトカゲは、虫に襲われないから」
少し、間を置く。
「国が襲われた理由も同じです。今の家は、命を紡がない森の樹を、不自然に切り出して使っている。虫から見れば、それは“異物”です」
「……だから、石の砦は自然に還されなかった」
サムさんが、腑に落ちたように言う。
「うん。そう思ってる」
サムさんに頷きながら同意する。
「虫は、本能で異物を排除し、その血と肉で――生命ある森を育てていました」
思い出す。森と草原の堺に並んで死んでいた虫たち。あの時、森の進化に使われてるのは金色の血だと思った。けど違う。使われてたのは、”生命”を教える――赤い血のほうだった。
「熊族の長老。コハルさんは、文明の発展について、ひどく悩んでいたって言ってましたよね」
「……そうじゃのぉ。何度も悩まれてな。“進めない”という選択をされることも多かった。そして……物の作り方と一緒に、その重荷を我らに託された」
熊族長老は、ゆっくりと頷いた。そして口調を改めて、光る眼光とともに重すぎる声で答える。
――ここから先は、もう後戻りできない話だ。
「この世界には、最初から“住人”はいなかったんです。そして、その“証拠”を持っていたのが、虎族でした」
虎族長老が、ゆっくりと頷く。
「でも、重すぎる真実だったので、コハルさんはそれを隠し、たどり着くための鍵を用意し、兎族に託した。それが――“ゴボウ”です」
兎族長老が、驚いたように目を見開き、やがて静かに頷いた。
「コハルさんは、自分が知った情報を、”次の人”へ託して帰っていきました。そして、その“次の人”を選ぶ役目を、各長老に任せた」
私は、皆を見渡す。
「コハルさんが皆さんに託したのは、情報だけじゃありません。『次の人を見極めてほしい』――それを、一番強く願っていたと思います」
誰かが、鼻をすする音がした。
「ただ……」
狐族長老が、ぽつりと呟く。
「あの板に記された文字――私どもには、読み解くことが叶いませんでした。女神の国に生きる方々であれば、どなたでも、あれを解することがおできになるのでしょうか?」
私は、首を振った。
「いいえ。たぶん……それも、コハルさんの想いです。コハルさんも、こちらに渡ってきた“普通の人”でした。だから、きっと思ったんだと思います。『私は、すべてを知っているわけじゃない。未来は、もっと分からない』って。だから、未来の人に、知ったことを託して、判断してほしかった。その時に……多分ですが、“愛”を入れてほしいと、願ったんだと思います」
私は、胸に手を当てた。
「この世界の人たちの、純粋な“愛”。コハルさんは、それが好きだったんだと思います」
だから日本人に託した。
神様がたくさんいる国で育った日本人だからこそ、
この星を、虫を、トカゲを、
そして進化したすべての獣を――
ありのまま受け入れ、大事にしてくれるはずだと、期待を込めて。
少し間を置いてから、はっきりと言った。
「ここからは、コハルさんの伝言じゃありません。私からの報告です」
空気が、引き締まる。
「陸を生きていたトカゲは、進化して海で生きる個体を生みました。そして、翼を生やし、空を飛ぶトカゲも現れました」
あの光景が、脳裏によみがえる。
「私たちの星とは違う進化の道ですが……確実に、進化しています。空に散っていた魔石の粉も薄れました。海ができ、空が晴れた。いずれ、雲も生まれるかもしれません」
「……では、我らの体内にも、魔石が生まれる可能性があると……?」
「はい。可能性は、高いです」
「国は、これからも襲われるのか?」
「森は生命ある木へと変わりつつあります。その木を使えば襲われないかもしれません。石造りにすれば襲われないかもしれません。皆さん自身も、魔力を帯びた存在として進化すれば……そもそも、襲われなくなる可能性もあります」
そして、最後に、蜂の姿を思い出す。
「でも、蜂も巨大化した虫ですが、今すでに共存できています。なら、他の虫たちとも、きっと共存の道はあります」
一度、深く息を吸った。
「ドゥは、人がいなくなり、獣が魔力を帯び、命を紡がない木の家が消えました。そしたら……巨大な虫もいなくなり、小さな虫だけが残ってます」
顔を上げる。
「この星にとって“異物”であることが、問題なんです。だから――」
頑張れ、私。
辛い、辛すぎる世界だった。
過去から今まで、誰かの血肉の上でしか生きていけない暮らしだった。
けど、今、ここで、変える。
今が
最初で最後の
チャンスだ!
「だから、今度こそ、皆で、この星の“明日”を考えませんか?」
――この世界に、“地球の発展”はいらない。
――もう、女神に祈るだけの時代じゃない。
新しい国の運営方法は、先日もう決まってる。――あとは、この星と共にどう歩くか決めるだけだ。
この言葉は、祈りではなく、提案だった。




