生命
今日は、ビルのえちぎょにゃで恒例の定例会。
今回の貸し切り代も、また猿族長老持ちになるらしい。リックさんとサムさんとウーさん、この三人で決めると、だいたいそうなる。
――猿族長老、かわいそう。
「どうして、狐族長老のとこには行かないの?」
前から不思議に思っていた。ドンダさんがいるから熊族は行けないとしても、狐族だって擁護する人はいない。それなのに、どうして毎回、猿族ばかりなんだろう。
「あー……あかんあかん。時間の無駄や」
ウーさんが、渋い木の実でも噛んだみたいな顔をした。
――珍しい。
ウーさんが、こんな露骨に嫌な顔をするなんて。
かなり驚いたのがわかったのか、リックさんが、くすっと笑いながら教えてくれた。
「前にさ、ウーが狐族長老と交渉したことがあるんだよ。もちろんウーが勝ったけど、半日くらいかかってさ。それ以来、『時間の無駄』って言うようになったんだよね」
――半日。
「あれはあかんで」
ウーさんが、はっきり言い切る。
「狐は布を使うんよ。戦いになったら、衣装に布をよう使うからな。あの時もや。急に『少し足りなくなった』言うて、追加で布を寄こせ言われたんや。ほんの少しやから、料金は注文分に含めろ言いよってな。あほか。追加は倍増しや。揉めた揉めた。最後はシブシブ払ったけど、そのせいで、他の商談が別日にずれてな……あれは実質、商売一つ逃したかもしれん」
ウーさんが交渉に負けないのは知ってるけど、実質的に損をさせられるなんて相当珍しい。今年一番の驚きかも……。
「いやいや、ウー」
サムさんが、呆れたように肩をすくめる。
「お前、今、狐に布売るとき、思いっきりふっかけてんだろ。あれから何年経ってると思ってんだ。とっくに元は取ってるよな」
でも、ウーさんは苦い顔を崩さない。
「リスクが高いんや。それを価格に転換しとるだけや。あれはな、狐価格や」
全然、珍しい話じゃなかった。むしろ、ものすごくウーさんらしいオチだった。驚いた顔がどんどん、呆れた顔になっていくのが自分でもわかる。
「せやからな、ここを安く済まそう思たら、猿の長老になる。しゃあない」
ウーさんは、納得顔で頷く。
――うーん。
理屈は、なんとなく……わからないけど、やっぱり猿族長老が気の毒。
「おい。余計なことすんなよ。猿の長老に差し入れなんざ、絶対ナシだ」
ビクッとして振り向くと、バーツが、こめかみに青筋を立てて睨んでいた。念を押す、というより、釘を打っている。
――はい。
もちろん、十分に分かってます。
「……ルルちゃんが納得したところで、報告を始めよう」
納得は、してない。してないけど……。猿族長老には、あとでウーさんに頼んで、涙を拭くハンカチを一緒に届けてもらおう。私が作ったわけじゃない。だからセーフ。たぶん。
「じゃあ、ギャラの復興からだ。奪還から一カ月経ったが、どうだ?」
「ああ。城は完成したし、長老が引っ越してきたことで、だいぶオスの移住者は増えた。ただ……」
サムさんが、少し渋い顔をする。
「なんか足りひんかったんか?」
「ああ……実はな。移住してきたオスが、婚活で、すぐ旅に出る。成功したらそのまま引っ越し。どうも腰を据える前にいなくなるやつが多くてな。安定して人が増えねぇ」
「あぁ……なるほど」
リックさんが、顎に手を当てる。
「サム、少し待って。ブルー、ガザルの人口はどうだ?」
「そうですね。メルの生き方が変わった影響で、ペアの数が増えています。ペアで出かけることも多くなり、花屋もできました。今では、ジョーガンと変わらないくらい賑やかですよ」
ブルーさんは、誇らしそうに笑う。向かいのリックさんも、同じくらい満足そうに頷いていた。
「そうか……ガザルも、か。ジョーガンは、赤ちゃんのメスが増えてきてね。生まれてくる子のオスメスも、ほぼ同じになってきている」
「「「「「おー!」」」」」
歓声が上がる。
私も、胸がじんわり温かくなった。だって、ずっとメス不足だったから。
「ジューはどうだ?」
「復興は落ち着いてるよ。あと観光のペアが多い。ジューに剣と蜂蜜を買いに来るんだ。だから宿泊場所も増えたよ。あ、前回問題になってた戦士希望者は減ったね。皆、ありがとう」
うんうん頷きながら嬉しそうに報告するドンダさんに、全員が疲れ切った笑顔をしていた。
「剣か。ガザルにも流れてるんじゃないのか?」
「そこまでではありませんね。やはり皆、バーツの剣と同じものを欲しがるようですよ」
「……ベーベが倒れる前に、手を打たなきゃまずいね」
リックさんが唸る。
「弟子が一人、ひとり立ちできそうだからビルに行ってもらうとしても、それだけじゃ足りない……」
その時。
「何、悩んどるねん」
ウーさんが、きょとんとした顔で言った。
「皆、バーツと同じ剣が欲しいだけや。別にベーベ作やなきゃあかんわけちゃう。なんやったらな、ベーベ作のご利益より、ルル印のご利益のほうが、絶対売れるで」
――嫌な予感しかしない。
案の定、ウーさんは私を見て、にっこり笑った。
「ルルちゃん、皆が怪我するん嫌いやろ? せやから『怪我せぇへんように』って、剣、触ったらええんちゃう? 皆喜ぶで」
「「「「「おお!」」」」」
「ダメだ!」
バーツが、勢いよく立ち上がったかと思うと、ウーさんを掴み上げる。
「やるんか? 俺とやるんか?」
ウーさんは、まったく怯まず、むしろ楽しそうに煽っていた。
「やめなよ、バーツ。一つの手段としてはアリだよ」
「ダメだ! 危険だ! お前は、自分のメスにもそんなことさせるのか!」
「まぁ、ないね」
リックさんは、笑いながら否定する。自分はナシで、バーツにはアリ……とか、言い切るあたりが凄い。
「ルルちゃん、バーツ、何とかしてや」
「え……。あ…ぁ…。…………バーツ、抱っこしてほしい……」
半泣きでお願いすると、即座に笑顔になったバーツに抱き上げられた。その反動で、ウーさんは見事に放り投げられる。
「ウー。あとで、覚えとけよ」
私を笑顔で抱き上げても、捨て台詞は忘れないんだね。……もぉ。
でも、思いついた。
「私の国にね……」
空気が一変して、全員が、私をじっと見る。
「お守りっていうものがあるの。布で作った小さな袋に、神様にお祈りをしたお札を入れて……家族が、怪我しませんようにって持たせるもの。それを剣につけるか、柄の中に入れるのはどうかな? お札が大事だから、袋はなくても大丈夫」
「「「「「それだ!」」」」」
「ダメだ!」
――え? ダメ?
振り返ると、バーツが牙を剥いて唸っていた。
「ルル。お前が“祈り”ってモンをやるんだぞ。……覚悟、できてんのか」
「え? なんで私?」
「……お前、自分が何て呼ばれてるか、忘れたわけじゃねぇよな。女神だ」
「あ……」
――嫌だ。
神様の真似なんて、できない。
「まぁまぁ」
リックさんが口を挟む。
「効果がなくてもいい。思い込みは、戦場じゃ十分な力になる。ルルちゃんが、いつも言ってるだろ。『皆、怪我しないでね』って。それだけでいい」
「……それで、いいの?」
「皆、喜ぶよ」
「ダメだ! 嫌だ!」
その瞬間。
「バーツ」
リックさんの声が、低く響いた。
空気が、凍る。
「女神のツガイを持ったオスの役目だ。耐えろ」
背筋が、ぞっとした。
荒げるわけでもない、いつもの声。でも明らかに、気迫が違う。
「俺たちは、数えきれない年月、血を流し続けて、何とか生き延びて、ここまで来た。これは初めてのチャンスだ。先祖のためにも、次の世代のためにも、復興は必ず成し遂げる」
私は、初めて知り、実感した。
狼族がまとめ役としている理由。
そして、その中でも他を圧倒して次期長老と言われているリックさんの本当の姿を。
「ツガイは互いを最優先とする。だが女神は違う。女神は、俺たち全員の希望であり、未来だ」
リックさんは、バーツの歯を食いしばった顔を見ながら言い切った。
「耐えろ。それが、お前のすべきことだ」
バーツは言い返さなかった。それを合図に、話は次へ進む。緊迫した空気を少しだけ残して。
「ビルのペアの受け入れはどうなってますか」
「ああ。ぼちぼち来とる。復興も予定通りや。今んとこ問題あらへん」
「なら、ガザルとビルでお守り付きの剣を売るでいいんじゃねぇか。ジューで売らなきゃ、ベーベも作ることに集中できんだろ」
人口調整の話し合いが、静かに確実に進んでいく。
「もう一つ。ギャラだけど、練兵を集約する案を出したいと思ってる。どう思う?」
リックさんが、サムさんの顔を見ながら、新しい案を出してきた。
「ん? なんでだ?」
「虎族がすごかったからでしょ」
サムさんが頭をかしげる横で、ドンダさんが蜂蜜を舐めながらきょとんとした顔で言う。
「それ。虎はチーム戦でも個人戦でも強いから、親元を離れる年頃の子を守るために、訓練をまとめて虎族にお願いしたいと考えてる。住居を用意して訓練にも賃金を出そうと思ってるんだけど、ルルちゃん、どう思う?」
リックさんが真剣な顔で私を見てきた。
「寮みたい。私の国にもあったよ。賄いが出てくるとこもあったと思う」
「賄いて、なんやそれ?」
「職場で出るご飯で、食堂で皆で食べるの」
「ほぉ……それは兎の仕事やな。任せとき」
「では、長老に話そう。ほかに問題は?」
沈黙の中
「俺がある……」
ジャンさんが、低く、静かに会話の意識を持っていく。場の空気が、すっと引き締まった。
「この間、ギャラとドゥの間の崖でな……トカゲが群れで、空を泳いでた」
――空を、泳ぐ? あ……。
思わず息を呑む。
「背中に布がついていた。あれは間違いない。前に見た、あのトカゲだ」
――来た。
胸の奥が、ひやりと冷える。まさか、こんなに早く。この間、発見したばっかりだったのに、現実は容赦なく先に行く。
一瞬、誰も言葉を発しなかった。私は無意識にバーツを見た。バーツも何も言わない。ただ、じっと私を見てる。その緑色を見ながら、想いを伝える。
「見に行く」
反対されるかと思った。怒鳴られるか、せめて苦い顔をされるか。でも、その目は、わかっていたと言わんばかりに、何も変わらない色で、私の覚悟を受け入れていた。
リックさんが、短く頷く。
「決まりだな。今日はここまでにしよう」
そうして、この日の定例会は終わった。
後日。
皆で、ギャラとドゥの間の崖へ偵察に向かった。
その崖は、トカゲで走り続けて足掛け二日。森のずっと奥深くにあった。途中まで続いていた森は、いつの間にか岩場へと変わる。木は減り、足元は固く、無機質な色が増えていった。
「もう少し先に崖の谷間のような場所がある。そこに布付きトカゲがいるが、ここからは歩いて向かう」
ジャンさんが前を見据えたまま言う。皆、無言で頷いた。
大きな岩を避けながら進む。茶色と青色だけの世界。バーツが抱き上げようとしたけど、もう少し自分の足で踏みしめたくて断った。
少し呼吸が荒くなってきてペースも落ちてきたのがわかったから、抱き上げてもらおうと視線を上げたら、茶色が、二つに割れた。
目の前には、星の内部まで届いているんじゃないかと思うほど、深く、広く裂けた大地。亀裂はどこまでも続き、対岸は……五百メートル以上は離れているように見えた。下から吹き上げる風が、身体を持ち上げようとする。
怖くて、体が竦む。圧倒されるほどの、自然の姿。
「……これは、すごいね」
誰かの声が、思わず漏れた。
――初めて見た。
この星の、本当の「自然」。
造られたような森なら、見たことがある。何もない地表も見た。地面は、起伏はあっても、どれも「登れる」程度だった。どこか、作られたばかりの舞台みたいで。整いすぎていた。でも、これは違う。
これは――生きている星が、長い時間をかけて刻んだ傷だ。生命の力に圧倒されながら、渓谷の先を見つめていて、ふと気づいた。
――空が、青い。
透明で突き抜けるような青。今まで見てきた空とは明らかに違う。これまでの空も青かったし綺麗だった。でも、どこか絵具を塗ったみたいに重たかった。
その時、思い出した。
pm2.5。
ニュースで見た霞んだ空。
――そうか。
魔力の粉が空にまで広がっていたんだ。
空を見上げ、崖と空の境目に目を凝らした瞬間。黒い影が横切った。
トカゲだった。
地面を蹴った直後は、ほとんど落下。翼膜を広げたまま、斜め下へ加速する。十分な速度を得たところで、一度だけ、強く羽ばたいた。それで、体が持ち上がる。旋回するとき、翼膜は畳まれない。片側をわずかにたわませ、尾を振るだけ。その小さな動きで、大きな体は、ゆっくりと向きを変えた。
――空が綺麗になった理由。
トカゲの進化に空に散っていた魔石の粉が使われた。想像じゃない。もう偶然とも言えない。トカゲは進化している。陸だけだったものが、海を泳ぎ、そして空を渡るようになった。
恐竜とは、進化の道筋は違うかもしれない。それでも今、私たちは陸の王の名を持つ存在に乗り、空を渡る姿を目の前で見ている。――海にも彼らはいた。
気づくと、皆が私を見ていた。私、泣いてる。理由は自分でも分からなかった。怖さなのか、納得なのか、それとも……安心だったのか。
私は、ゆっくり息を吸って言った。
「……帰ったら、長老会で報告することがある」
声は震えていなかった。
「皆も、必ず出席してほしい」
ここまでだ。
次で、全部を話す。
この星で起きていることを。




