ドゥ偵察
今日もいい天気。
問題は、冬の気配がまだしぶとく居座っていて寒すぎることぐらいだ。私は黒い毛皮を着込み、上から下まで完全防備のモコモコスタイルで外へと踏み出した。
入り口では、バーツが今日使う薪を高く積み上げているところだった。
「ルル。……似合ってる」
私を見た瞬間、バーツの目がふにゃりと細くなる。――タレ目の人って、こういう蕩けた表情をするのが得意なのかもしれない。これはもう、何年も隣にいて確信したことだから間違いない。
今日も何をしたわけでもないのに、彼の視線は甘々に蕩けきっていた。
「ありがとう。バーツもかっこいいよ」
バーツは、普通の黒の革コートを羽織ってるだけ。下は普通のシャツ。寒くないみたいだけど見てる私が寒く感じちゃうぐらいに薄手。がっちりした体格なのに手足が長いから全体のバランスが、めちゃくちゃ整ってる。顔もかっこいいし、眼福ってこういうことを言うのかもしれない。
つい、ぼーっと見惚れていると、不意に、こめかみをかすめるような熱いキスを落とされた。抗う間もなくひょいと抱き上げられ、視界が揺れる。
「ん? どうした?」
耳元で囁かれた低音の熱が、背筋から全身へとゾクゾク電気を走らせる。最近のバーツは、自分の声にどれだけの威力があるか理解した上で、意図的に「武器」として使ってきている。本当に要注意だ。
「戻るか?」
確信犯的な笑みを浮かべ、バーツの足はもう、当然のようにテントの方を向いている。
「……しない。リックさんたちが待ってる」
「はぁ……。これだけ甘ったるい匂いをさせておいて、お預けか。全くな……」
私がわがままを言ってるみたいな言い方して、シブシブ、砦へ向かうバーツだけど、私が悪いの? 私なの? 腑に落ちない。
砦に着くと、もう瓦礫の撤去作業が始まっていた。
この世界は力持ちが多い。というか、私に比べたら全員力持ちだ。私の身体ぐらいある大きな岩でも、まるで漬物石をどかす程度の動きで運んでいく。だから奪還二日目にしてもう、国内の大きな岩や、建物の残骸は撤去が終わり、建築資材の持ち込みも完了していた。今日は壊れた砦の撤去がメイン。
「ルル、あぶねぇから砦のそばによんなよ」
普通の心配をしているように聞こえるけど、抱き上げられて降ろしてもらえない私としては、過保護すぎる忠告にしか聞こえない。降ろしてから言ってほしい。
顔がムッスーとなったみたいで、フッって笑うとかすめるようにオデコにキスしてきた。そんなのじゃ騙されないから!
「ルルちゃん、おはよ」
リックさんが今日も綺麗な笑顔で近づいてきた。サラサラの茶色いショートヘア、正統派二枚目っていう顔して笑顔だからさわやかな雰囲気しか漂ってない。あの外見で苦労性だから、可哀そうって、たまに感じてる。
「おはよ……」
「リック。前からてめぇに言いてぇことがあった」
そんなことを考えながら挨拶を返そうとしたら、バーツが被せるように唸り声を上げた。
――え?
何で怒ってるの?
「毎度毎度、ルルばっかりに声かけやがって。二度と話しかけんな」
――ん…。
思い当たる節がある。けど、そんなこと? と、思わないでもない。でも……私が逆の立場だったら嫌、だし。うーん。リックさんと話せないのは、困るし寂しいし。
と、悩んでいると何でもないことのように、リックさんがバーツに返事してる。
「そう? バーツはルルちゃんの”オス”だから、そう感じるだけじゃない? それにさ、俺はまとめ役しているから、”仲間のメス”にしても、女神にしても、声をかけるしかないところがあるだろ。そう思わないか? バーツ」
ニコニコと説明してるけど、この言い方、私はもうわかってる。こういうときは一部だけ本当。だって、さっきだって私にだけ挨拶してたし。でも、バーツは”私のオス”を強調して言われるたびに、眉間の皺を少なくしていき、最後はシブシブと顔にわざわざ書いた笑顔で、あんまり話しかけんなよ、と言い返してた。
――訂正。
苦労性じゃなくて腹黒。
流石、若手の中でも飛びぬけて名が売れてるだけある。敵に回すことはないから心強いと思うべきか、バーツがかわいそうと思うべきか、凄く悩むところだった。
「リックさん、砦、解体してるけど、そのまま使わないの?」
私は、建設的な会話をしたい。そして、降ろしてほしい。
「ルル、動くな。あぶねぇだろ」
「ルルちゃん、危険だから抱っこされてた方がいいよ」
――忘れてた。
この世界のオスたちは、皆、全員、もれなく、過保護だった。地面にどんな危険があるのよ……。もしかして今日一日抱っこなのかな。はぁ。
「砦は、ところどころ、ひびが入っててね。強度が弱くなるから、使えるところは使うつもりだけど、基本は全面交換かな」
「そうなんだ。ちょっと大変だね。……皆は?」
「ああ。ウーは食料調達とか、えちぎょにゃの用意とか、って騒いで、どっかに跳んで行った。ドンダとブルーは熊族の号令を取ってる。サムは撤去作業の指示だね」
「ジャンさんはまだ帰ってない?」
「帰ったら、ルルちゃんのところに一番に行くはずだよ」
「くんな」
私とリックさんの視線がバーツに刺さる。顔を歪めてそっぽ向いた。もぉ。
「私たちの予定は?」
「それなんだけど。ドゥの偵察を先にしたい」
「どういうこと?」
バーツと二人で今度はリックさんを凝視する。
「冬の残り時間からいえば、ドゥの奪還は間に合うと思う。ただギャラがこの状態じゃ、奪還しても、到底、人手が足りない。だから、きっと奪還は来年になるはず。今年の冬が終わる前にドゥの偵察だけ終わらせたいな、と」
「じゃあ、道の様子を見に行こう」
今、私たちがいるのは門を出てすぐの広場。……と言っても、今は門が壊れてないんだけど。
ここはオオトカゲが二十体は余裕で寝そべることができるスペースになっている。そこから、右手に行くとビル。左手に行くとドゥ。
そういえば……。
「ここも奪還した時は、草が凄かったよね」
「ああ。熊族がすぐに刈り終えたがな」
「そうそう、あれは……うん、すごかったな」
思い出して、全員がげっそりした顔になる。
あの日は確か、私がようやく外に出られた日の朝だった。
日の出を背に広場へ現れたのは、三十名ほどの熊さんたち。彼らは人の姿に戻ることなく、巨大な丸太を担いで広場の予定地に集結。そして、一斉に構えをとったのだ。
……こう聞くと、なんだか映画のワンシーンみたいで格好いいけれど。実際は、バラバラな位置でそれぞれが「自分の一番イケてると思うポーズ」を決めて静止しているという、なんとも、すっぱい光景だった。
チラチラ熊さんたちの視線が私に集まってたのがわかって、頑張って笑顔で頷いたら、代表熊の「いくよー!」と野太い声が上がり――。
「うおっ!」
「おおっ!」
雄叫びと共に、丸太が地面へ次々と突き立てられる。刺しては引き抜き、大地をボコボコにしていく様は凄かった。感心したのは、彼らが丸太を斜めに深く突き刺して、器用に土をめくっていたことだ。おかげで表面の草がどんどん土の中へと埋まっていく。
程よく全体ができたところで、次に全員で肩を組み、巨大な足で地面をラインダンスみたいな動きで踏みしめていく。最後は岩。砦の瓦礫を使って綺麗に敷き詰めていった。
あっという間に、広場が出来上がり。「色々な意味で凄い!さすが熊族」と思ってたら、そこからが長かった。
作業が終わると、彼らは私の前に整列して「どうだった? 格好よかった?」と言わんばかりの目で感想を求めてきた。次にリックさんの前へ並び、自分がどれだけ強いかをひと通り報告して、ようやく広場の復興作業は完了したのだ。
今思い出しても、顔の筋肉が引きつるのを感じる。
「終わった後、決めポーズの感想を求められた時はどうしようかと思った」
「まったくだね。報告されても、実戦じゃ使い道がないからなぁ」
二人して同時に溜息をつく。バーツは苦虫を噛み潰したような顔で、隣を歩いていた。
そんな話をしながら、ドゥに続く道のところまで来て、私たちは衝撃を受けた。
――道が、ない。
正確には、昔あったはずの道が、跡形もなく“草原に飲まれていた”。
「……全部、埋まってるな……」
バーツが眉をひそめる。
「広場があれだったからな、こうなるか。先に道づくりが必要だね」
リックさんが膝をつき、膝丈ほどに伸びた硬い草をかき分ける。そこには、本当にわずかな、石の並び。昔の道の名残……のはずのもの。
「とりあえず、道を造る…か」
立ち上がったリックさんの眉間に皺が寄っていた。
ギャラの街を確認するため、もう一度門に戻る最中、私の耳に、また熊族との調整か……と、泣きそうな声が聞こえた気がした。
その後、リックさんが、長老と熊族の間を走り回って、復興を進めてるんだけど……どんどんやつれていってる。たまにそんなリックさんに同情するのか、ブルーさんが「メス作のクッキーです」って言って、一緒に食べてた。
ギャラの石置き場で二人並んで座り、尻尾を同じ角度で垂らしながら齧ってる姿に、めちゃくちゃ仲がいいと癒されていたら、凄い目でバーツに見られてた。
――無実!
猿族の長老にクッキーのお礼を持って行ったとき約束したでしょ。もうバーツ以外あげないって。だから…私作ってないって。
腕を叩いて、無実を訴えるけど、バーツは全く聞く耳持たず止まってくれない。なんで口で言わないかって。それは口がすでにふさがれてベッドの上だから。
長老の時も朝までコースだったのに、今日は無実の罪で朝までコースなんて。
大好きなバーツだけど、これは明らかに、多すぎる!
道作りだけで、冬の終わり近くまでかかった。
虫や獣との戦い、資材が足りず、ビルだけじゃなくジューからも搬入を行ったりと、想像以上の時間を奪われた。そしてようやく――。
バーツ、リックさん、サムさん、兵士二十名と一緒に、ドゥへ向かった――辿り着いたはずだった。
「……冗談、だろ」
最初に声を漏らしたのは、バーツだった。息を呑む音が、やけに大きく聞こえた。
ギャラも、ほぼ平地だった。城も町も壊れ、残っていたのは砦の一部と瓦礫、そして崩れた建物の影だけ。……でも、それでも「街だった」とわかる痕跡は、確かにあった。
ドゥは、違った。
壊れた塀の一部が、草原や低い木々の間に、骨のように点在しているだけ。建物は一つもない。目の前に広がっているのは――完全な草原だった。いや、それだけじゃない。草原の一角は、背の低い木々が密集し、小さな森を形作っている。
「ここ……ほんとにドゥ?」
自分でも驚くほど、声が震えていた。リックさんは返事をせず、地面に片膝をついた。土を払う。何かを探すように、慎重に、何度も。
「……これ……」
指先に引っかかったのは、ミスリルのカップだった。歪み、土に汚れ、それでも間違いなく、生活の中にあったもの。それ以外は、何もなかった。ウーさんが静かに周囲を見回し、ゆっくりと首を振る。
「建物の跡も……地形の名残も……何も残ってへん。なんやこれ」
バーツが、苛立つように地面を強く踏んだ。
「……全部、草に食われちまったってのか」
「草に……」
その言葉を、私は無意識に繰り返していた。
――やっぱり。
森の広がり方。どれも、“自然が積み重なった結果”とは思えない。まるで――誰かが、意図的に。ここに「新しい大地」を作り直したみたいに。
私は首を振る。考えるのは今じゃない。今は目の前のドゥをどうするか…だ。震える指先で、もう一度地面に触れた。冷たくて、柔らかくて、確かに「土」だった。
「……奪還するものが、もう……ない」
「ルル……戻るぞ」
バーツの手が、私の肩に置かれる。その温もりに、ようやく現実に引き戻された気がした。
――明日、帰ろう。
日が暮れる前に野営の準備をしないと。
そう決めて、夕食のための狩りが始まった。
獲物は、私の視界に入らない位置で仕留められ解体される。でも今日の狩りはいつもより、理由はわからないけれど、ざわついているのが伝わってくる。松明の数が増え、夜の草原が異様なほど明るく照らされていた。
――何が起きているんだろう。
バーツを見ると、彼も気になっているのか、食事係のほうへ視線を向けていた。そのときだった。
「ルルちゃん、話がある」
リックさんが、いつになく神妙な顔でこっちに来た。
「ドゥの近くに来てから、獣たちの様子が変わってたんだ。足の形とか、身体の大きさとか……ほんの少しだけど」
嫌な予感が、背中をなぞる。
「今日獲った獣も同じだった。今までは特に不調もなかったから、食用に回してたんだけど……」
言葉を選ぶように視線を泳がせ、リックさんは一度つばを飲み込んだ。
「……魔石が出た」
――え?
「念のため血も確認した。……金色が混じってる」
「……それ、本当に獣なの?」
「ああ、間違いねぇ」
答えたのはバーツだった。
「俺が見てきた。お前が“肉イー”って呼んでる、あれだ」
そのとき、サムさんも戻ってきた。首をひねりながら、考え込むように言う。
「狩った兵士の話じゃ、動きがいつもより格段速くて、小回りも利いてたそうだ」
――唇を噛む。これは……。
「ルルちゃん……これは、別の獣なのか? それとも……」
全員が私を見てた。けど、今はまだダメ。
この土地で、何かが“始まっている”。
静まり返った草原の奥で、風が、低く唸るように鳴いた。




