虎族の誓い
静かに、泣く。
叫ぶ訳でも、はしゃぐ訳でもない。やっと、重圧から解放された、過去の罪を清算し終わった、そんな姿で、虎族は泣いていた。他の兵士たちも、その哀しみに引きずられるように沈んだ顔をしていた。夕食の時間なのに、焚火のはぜる音さえ遠く感じるほど、場は静まり返っていた。
熊族特製の蜂蜜酒を、一人ずつに配って回る。
「……お疲れ様でした。本当に、素晴らしい奮闘でした」
「お疲れ様でした。待っている皆が、きっと喜びますよ」
そう声をかけながら、杯を手渡していく。だって、こんなに必死で戦って、命を懸けて勝ち取った時間なのに、過去だけを見つめているなんて、あまりにも寂しすぎる。
声をかけると、「……あぁ……女神よ……」顔をくしゃくしゃに歪めて、笑いながら泣き出す。もっと笑ってほしいけど、悲しい顔が薄らいだだけでもいいか。
百二十人。全員に声をかけ終えて「ふぅ」と小さく息を吐いた、その時。低くどすの利いた声が、真横から落ちてきた。
「ルル……今日は、絶対に、あんあんだ。こいつは譲れねぇ」
ぎょっとして隣を見ると、バーツは今にも誰かに噛みつきそうな顔をしていた。
「知らねぇオスに話しかけやがって。笑顔もたっぷり振りまいたな。ダメだ。今日はもう全部俺のだ」
言い返そうと口を開きかけて――やめた。だって。もし、バーツが笑顔で百二十人のメスに話しかけていたら。理解はできても……たぶん、私もモヤっとする。
「……うん。もう、テント行く?」
そう言って、バーツの腕にぎゅっとしがみついて、頭をぐりぐりと押しつける。さすがに、正面から顔を見ては言えなかった。
「ぉ……お……おう!!」
予想外の素直な返事に、理解が追いつかなかったのか、バーツは変な声を出して固まった。思わず笑ってしまった――が。その数秒後、いきなり抱き上げられて、ものすごい勢いでテントへ連れ込まれ……。そのまま、いつも通り、朝まで寝かせてもらえなかった。
わかってた。
わかってたけど――ひどすぎる!!
奪還の“翌々日”の朝。
目覚めて、皆の顔をひとりひとり見回して、心から、ほっとした。……すごく、笑顔だったから。
でも。
目が合った瞬間、なぜかさっと顔を赤くして、視線を逸らされる。一人や二人じゃない。ほぼ全員。……嫌な予感しかしない。理由を考えかけて、一瞬でやめた。答えが出たら、たぶん心が折れる。
――私は何も知らない。
うん、絶対に知らない。
気を取り直して国内を見て回る。
「……本当に平地になってる……」
城や住居の残骸がすべて消え去っていて、残っているのは、半壊した砦の外壁だけ。資材の搬入も、ほぼ終わっていた。奪還二日目とは、どう考えてもあり得ないスピード。早すぎる。異常だ。
「……ん?」
明らかに資材の量が多い。
首をかしげていると、遠くに、どっしりとした茶色い影が見えた。
――熊族。
「リックさん。熊さんたち、来るの、早くない?」
一緒に見回っていたリックさんは一瞬、言葉に詰まって――ひどく、げっそりした顔をこっちに向けてきた。
「……ああ……ルルちゃんは、まだ知らないか。熊族はね、奪還した、その日の“夜中”に到着したんだよ。……大量の資材を積んで……」
「え!? 奪還の連絡、まだ届いてないはずだよね?」
「そうなんだよ…」
魂が抜けかけた目で、遠くを見るリックさん。
隣で、クックックと、楽しそうに笑っているバーツ。
「さすが熊族だな。リックの言うこと、たぶん半分くらいしか聞いてねぇ」
「笑い事じゃない、バーツ。もし奪還が遅れてたら――“ここぞ”って顔で、熊族も戦いに参加してたよ」
「ぅぐ……」
リックさんの言葉に、バーツは一瞬で想像したらしく、息を呑んで、苦いものを噛み潰したような顔になった。
――熊さんたち。
今、復興の現場では、誰よりも働いてくれているのは熊族。誰よりも材料を運び、誰よりも瓦礫をどかし、誰よりも作業が早い。すごく、すごく、感謝してる。……してるんだけど。なぜだろう。熊族を見ると――どうしても、私の顔は、半分ひきつってしまう。
ごめんね、熊さん。
四日目の夜
虎族長老が到着した、という連絡が入った。バーツとリックさん、そして私の三人で出迎えに向かうと、砦の入口が何やら騒がしい。
……いや、騒がしいどころじゃない。
「長老! ダメじゃないですか!! 何かあったらどうするつもりですか!!」
「誰か、チビトカゲ飛ばせ! タミヤ様に今すぐ連絡だ!!」
「俺も行く! チビトカゲだけじゃ状況が伝わりきらねぇ!!」
怒号とともに、十人ほどの虎族の兵士たちに、ぐるりと囲まれて――第三者の顔をした長老がいた。
「……まさか」
リックさんが、顔を引きつらせながら虎たちをかき分けて進む。
「本日もお変わりないようで何よりです、虎の長老。……ちなみに、お供は?」
「……おらん」
「タミヤ様は、“お供なし”を了承されたのですか?」
「……タミヤには、言っておらん」
「ダメじゃないですか!! 一人で! 内緒で! 城を抜け出して来たんですか!?」
リックさんが、クワッと牙を剥いて怒鳴ると、虎族の兵士たちが「ですよね!」という顔で一斉にうなずいた。
「長老……。お疲れさまです。本当に、無事に着いてくれてよかったです……」
私がそう声をかけると、長老は、少しだけ目を細めた。
「すまぬ。待てずに来てしまった。兵たちは、どこにおる。労いたい」
リックさんを見ると、小さく頷いたので、長老を夕食中の兵たちのもとへ案内する。歩きながらバーツが――私の肩にそっと腕を回した。そして世間話みたいな軽さで、長老に話しかける。
「長老。虎族はやべぇな。連携も、個の力も……圧倒的だ。重傷者ゼロは、間違いなく虎族のおかげだ」
「……そう、か……」
長老は、何度も、何度も頷きながら――一言一言を、噛みしめるように聞いていた。
「だがな。ルルが、ねぎらいの言葉をかけるまで……あいつら、全然喜ばなかった」
「……」
「もういい加減、乗り越えてもいいんじゃねぇか?」
「……そう、思うか?」
「あぁ。”傲慢”が、家族や仲間を失わせたかもしれねぇ。けど、学んだことも大きい。嘆いてるだけじゃ、未来は救えねぇよ」
「……そう、か」
長老は、しばらく黙り――そして静かに大きく頷いた。
「……わかった。心して、皆に声をかけよう」
ふっと、張りつめていた何かが、ほどけたような笑みが浮かぶ。その夜――長老は皆をねぎらい、即席の酒盛りが始まった。熊族が持ち込んだ、蜂蜜酒で……。
「ルルちゃんは、桃ジュースや」
「ありがとう、ウーさん」
仲間が蜂蜜酒を飲む中、私はいつも通りジュース。……成人してるのに、と思わなくもないけど、バーツが外で飲むのを、ものすごく嫌がるから仕方ない。
「そろそろ蜂蜜酒、なくなるんじゃねぇの?」
「うーん。でも、毎日、仲間が到着してるから、大丈夫だと思うよ?」
「「「「え!?」」」」
仲間たちが一斉に声を上げ、ドンダさんを凝視する。
「知らへんのか? 熊らは毎日、帰る組と来る組に分かれて、ビルから物資運んどるんや。オオトカゲも、使いまくりやで」
「一年あったからね。木と蜂蜜、いっぱいビルに運び込んでたんだよ」
ドンダさんが、蜂蜜をぺろりと舐めながら、ニコニコして言った。
「うちの倉庫使こて、そこに貯めとったんや。ビルの倉庫、ほぼ全部使こてたな。毎度おおきにや」
「ううん、蜂蜜の家三つなら持ってたし、大丈夫だよ?」
……家……三つ分の賃料。
私たちは、誰一人、言葉を発せず――静かに顔を引きつらせ、ウーさんを見つめていた。
翌朝。朝食が終わったころ、虎族の長老が私を訪ねてきた。
「話が、ある」
それだけ言うと、外へ行こうとする。
今は寒すぎる。しかも、長老専用のトカゲでないと行けない、というので、私は防寒用の服を何枚も重ね着して、雪だるま型になってトカゲに座った。
長老は、トカゲの首を優しく撫でながら、懐から取り出した一本のゴボウを差し出した。
「いい子だ。お前にかかっておる。頼むぞ」
――え?
ゴボウ、食べるの?
トカゲは、もぐもぐと器用にゴボウをかじり、ごくんと飲み込むと、頭を縦に二、三度振った。そして、ピタリと止まり――地面を蹴り走り出した。トカゲは森の中を、道もないのに、まるで“覚えている道”をなぞるように進んでいる。
風が痛い。
でもそれどころじゃなかった。
森が、ビルで見たものより、さらに“日本の森”に近づいていた。木々は低くなり、枝葉がすぐそばに迫る。葉を落とした木もある。明らかに落葉樹だった。ジョーガンで初めて見た“樹”は、生き物というより、荘厳な「建造物」に近かったのに。
――“神”が造った樹。それが時間をかけて、生き物へ変わっていっている。
胸の奥に、危険なひらめきが浮かぶ。私はぎゅっと目をつぶって、その考えを思考のもっと奥へ押し込めた。
――まだダメだ。
軽率な答えは、また哀しい悲劇を生むかもしれない。まだ足りない。私はまだ全部を知らない。
走るトカゲの揺れに身を任せながら、私は必死で森を観察し続けた。トカゲは、“道”を確かめるかのように、時おり止まり、頭を振って、また走る。
どのぐらい走ったか、森の奥まで来たら、高くそびえ立つ岩壁が見えてきた。トカゲは、落ちている大岩を縫うように進み、断崖へ向かった。行き止まり――かと思った瞬間、長老は、無言のまま降りる。
「ついてこい」
崖の出っ張っている岩を、階段のように登り始めた。バーツは私を片腕で抱え、何も言わずについていく。三メートルほど上に、ぽっかりと洞窟が口を開けていた。
「ここは、虎族長老だけが知る祠。ここへの道は、虎族長老のトカゲしか知らぬ」
洞窟の奥は、六畳ほどの空間になっていて、どこからか淡い光が差し込んでいる。
「ルル様、これを」
長老は、岩を削って作られた台座に敷かれた何重もの毛皮の中から、ひとつの像をそっと持ち上げた。
掌ほどの女神像。
丸みを帯びた胴。
簡略化された腕と脚。
「始祖の母神。我らの祖を天より導いたと伝えられておる」
こ、れ……受験、勉強で……確か……。
喉の奥がカラカラに乾き、指先が微かに震えた。あまりの衝撃に、言葉がまともに出てこない。脳裏に、かつて学校で詰め込んだ知識が、鮮烈な現実としてフラッシュバックする。
――ヴィレンドルフのヴィーナス。
「……これ、地球、の……」
「コハル様は、我らを“サーベルタイガー”と呼んだ」
長老が壁に掲げられた巨大で湾曲した白い牙へと静かに指を這わせるのを、私はただ、金縛りにあったかのように凝視することしかできなかった。
「これは、我が祖先の牙」
長老の感情の起伏を一切排した声が響く。
語られるのは、伝説。この世界――“こちら側”へと辿り着いた、最初の虎たちの話だった。
「我らが祖先の地は、あまりに過酷であった……。命を繋ぐことさえ厳しく、飢えや外敵に、同胞たちは一人、また一人と倒れていった。これ以上、種を絶やすわけにはいかぬと、先代は、一族の希望であるこの母神を深く咥え、群れを導いた。光も届かぬ、星の中心まで続くような洞窟の奥へとな」
像を、台座に戻すと、ゆっくりと続きを話し始める。
「暗闇を彷徨い、ようやく辿り着いた新天地だったが……何も、なかった。外敵も、獲物も。群れを襲ったのは、終わりなき飢餓。だが、その時、コハル様がいらっしゃった。我らを『同胞』と呼び、果実を分け与えてくださった。……その実を口にした瞬間、我らの飢えは消え失せ、その身は『人』へと成った」
長老の瞳は、遠い過去の記憶をなぞるように、じっと像の向こうを見つめていた。
「虎は二番目の来訪者。熊も、兎も、狐も、猿も。時こそ違えど、皆が同じように一族を率いて、黒い穴からこの地へきた。すべては、先代が見た真実。我らはこの地で人の形を得た獣の末裔だ」
長老は、私に向かって跪いた。
「――先代は、コハル様と約束をした。“別の女神が来ても、同じ情報を伝える”と」
私は、震えながら葛藤する。
絶滅したはずの種族が、異世界で「人」として生きている? そんな馬鹿な話があるはずがない。だが、目の前にある『ヴィレンドルフのヴィーナス』という圧倒的な現実が、私の常識を容赦なく叩き潰していく。
バラバラだった情報が、一本の線に、繋がり始める。
――頭が追いつかない。
出そうな答えを追い求めて思考の海に深く沈むもうとしたその時、長老が、重々しく、深く深くその頭を垂れた。
「お伝えするのが遅れ、申し訳ございません。どうか……我らをお導きください」
――違う。
混沌とした頭の中で、それだけは明確な拒絶として弾き出された。導くなんて、そんな力なんてない。無理なことを背負わせないでほしい。
「……ルル?」
不意に、バーツの低く穏やかな声が鼓膜を震わせた。その声に、私ははっと我に返る。
「…大丈夫」
震える指先で、彼の頬にそっと触れた。伝わってくる確かな体温が、溺れかけていた意識を、冷たい思考の底から現実へと引き戻してくれる。
「長老……情報を整理したら、長老会で必ず報告します。だから、少しだけ待ってください」
「かしこまりました」
「あと。私は女神じゃありません。導くことはできません。でも一生懸命考えます。長老も私と一緒に考えてくれますか?」
長老はゆっくりと顔を上げた。その瞳に宿る静かな決意。彼は私の言葉を噛みしめるように、深く、深く頷いた。
「感謝する」
私は、心配そうに見るバーツへ微笑む。
――狼族の”落ち人”
――狐族の“この星”
――熊族の“魔力と武器の管理”
――兎族の”野菜”
――虎族の”生物”
すべてが、今。
一つに、繋がった。




