ギャラ奪還
ギャラ奪還のため、人と物の大移動が始まった。私たちもジョーガンを出発して、冬まではビルで暮らす予定だ。
「ねぇバーツ、サムさんとはどこで合流だっけ?」
「ん? 門だな」
「そっか。一緒に行くの、サムさんだけ?」
「あいつらは今、復興で散り散りだ。捕まえるのは無理だな」
前は、えちぎょにゃに行けば誰かしらいたのに。胸の奥が、少しだけ、きゅっとなる。
「ん? 寂しいのか?」
バーツが横目で私を見てくる。
「チビトカゲでやり取りしてるんだろうが」
そう言いながら、当然のように腕を回して抱き寄せてきた。
虫の襲撃までは、種族ごとに国を分けて暮らしていた。でもジョーガンで一緒に暮らしたこともあって、今じゃ好きな国で暮らすのが当たり前になっている。そのせいか、仲間たちも各国の長老に頼まれて、あっちこっちを走り回っていた。
「焦るな。どうせギャラで会う。冬には奪還だ」
「うん……そうだね。よし、準備しよう!」
そう言ってバーツの腕から抜け出そうとした、その瞬間、ふと気づいた。
――あれ、私……人がいないのを寂しいなんて思ってる。
日本にいた頃の私は、人と深く関わるのが怖かった。裏切られるのが、怖くてたまらなかった。なのに今は違う。
常識も違う。命だって軽い。明日、誰かが私を裏切らない保証なんてない世界なのに――私は、日本にいた頃より、ずっと人の中にいる。
――強くなったのかな。
そうだ。
ブルーさんも言ってくれた。
『這いつくばってでも、生きて未来をつかみ取ってきた』
って。
「ねぇバーツ……私って、強くなったのかな?」
「んあ? なんだ急に」
バーツは私の頭を軽くくしゃっと撫でた。
「お前はな、最初から強かったよ」
「……え?」
「落ちてすぐに自殺するのもいる。けどお前は、生きる道を考えようとしてた。あれは強ぇ奴の行動だ」
言いながら、そっと私の頬に手を添える。
「強いからって、辛くねぇわけじゃねぇ。お前はいっぱい泣いた。……それでいい」
涙が、勝手にあふれてきた。
「泣け。泣きゃあ、そのうち涙が止まるころには、覚悟だって決まってるさ」
「……うん……」
「泣いてる間は、俺が抱っこしててやるしな」
ニッと片側だけ口角を上げる、あのバーツの笑い方。ずるい。本当にかっこいい。気づけば、自分からキスしていた。
「泣いてる時だけじゃ、嫌だよ……?」
何が起きるかなんて、わかってる。それでも――今は、ただ抱いてほしかった。愛してる、バーツ。
「あぁ……可愛いなぁ…俺のメス」
出発の準備は……もう少し後になりそう。
出発の日。
門まで行くと、すでにサムさんが腕を組んで待っていた。
「よぉ」
相変わらずの脱力した声。寝起きみたいに見えて、実はいつでも動けるのがサムさんだ。
「サムさん、おはよー。ねぇ……オオトカゲ、多すぎない? え、七匹?」
門の前には大きなオオトカゲがずらりと並び、背中には荷物を積む虎族の人たちが忙しそうに走っていた。オオトカゲって貴重だし、数匹いれば十分なはずなのに……なんでそんな大所帯に?
「長老が一緒に行くってよ。で、虎族の一隊が護衛につくことになった。ついでに物資も運ぶんだと」
なるほど、それで荷物の山か。虎さんたちの動きが俊敏すぎて、見ていてちょっと楽しい。そこへ、隣からぐいっと腕を引かれた。
「多いな……。で、ルルのトカゲはどれだ? さっさと乗せちまうぞ」
低い声。完全に機嫌が悪い。あ、これは……。
「チッ。焼きもち焼きすぎなんだよ、お前は。長老が待ってんだ。行くぞ」
サムさんが金色の尻尾を揺らしながら歩き出す。朝日を反射して、金の毛並みがふわっと光った。――きれいだなあ……って、思ってないよ?バーツ。
隣にいる、ビーム発射五秒前のバーツの目を避けるために、反射的に抱きつき誤魔化す。
「次やったらな……どこでも関係ねぇ。あんあんだからな」
バーツは盛大にため息をつきながらも、私を抱き上げて頬ずりしてきた。
――なんで!?
尻尾をちょっと見ただけだし、ちょっと理不尽…。
そのままの体勢で長老の前まで運ばれ、下ろしてもらうのにも一悶着。本当に、どこまでも理不尽すぎる……!
「長老、おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「うむ。よく来た。……行くぞ」
虎族の長老は、相変わらず凛としていて、毛並みと女神の話以外、顔つき変わらないよなぁ、と思いながら頭を下げていると、後ろから二人の声が聞こえてきた。
「長老、喜んでやがるな。顔に出てる」
「俺のツガイなのに。ふざけてやがって」
「おい、やめろって。こんなとこで剣抜く気か、アホが」
「いや、ここはオスとして……」
「バカ言ってんじゃねぇ。女神の教え忘れたか。“皆仲良く”だろうが」
そう、コハルさんは「皆仲良く」って、よく言ってたらしい。どんだけ喧嘩したんだろ…と思わなくもない。が、それより先に…。私はくるっと振り返って、
「バーツ!」
低い声でにらみつけた。
やきもち妬きすぎだってば。すると、バーツは「やべぇ」と言わんばかりに顔をそむけた。サムさんが肩をすくめながら笑う。
「ま、いつものことだ。気にするな」
――恥ずかしい。
「……出発するぞ」
長老の声が響き、慌てて自分のオオトカゲへ乗り込む。大所帯での旅が、こうして本格的に始まった。
昼食の焚火を囲んでいたときのことだった。
私は水袋を手でくるくる回しながら、風が乾いていて、もう寒すぎると言ってもいいなぁ、なんて考えながら、ぼんやりと長老たちの談話を聞いていた。火のはぜる音と、トカゲさんたちの重い息が交じり合う。
「サムよ。女神の伝承は、お前が一番詳しい。子らの教師をしてはどうだ?」
「……俺は教師向きじゃねぇよ。ガキどもが俺みたいになりゃ困るだろ」
「……ふむ」
たったそれだけ。でも胸の奥がひっかかった。サムさんって、子どもやメスを見るときの温度が、他のオスと違う気がしてた。ちょうどいいので、その理由を、夜、バーツの腕に埋もれながら聞いてみた。
「ねぇバーツ。サムさんってさ、毛皮にはこだわるのに……メスとか子どもに対しては、少し淡々としてるよね?」
私の視線はバーツの緑の目に引き付けられる。バーツは私の髪をゆっくり撫でながら、低くうなる。
「……よく見てんな、お前。だが、俺から言えることはねぇ。サムが話したきゃ、自分で言うさ。ま…言うことがあるなら、だがな」
意味深。それ以上は聞いても出てこないと分かる声だった。胸に引っかかりが残ったまま、旅は続く。
ビルに着いたあと、念のためにもう一度ギャラの様子を見に行くことになった。
偵察に使ってる岩山は意外と険しくて、普通の人ならゼーゼー言いながら登るところだ。でも皆、戦士だから平気。私は……バーツが抱っこしてくれるからいいけど。
頂上について見下ろすと、ギャラの大地は今日も静かだった。
「何度見ても、なんもねぇな」
サムさんが頭をガリガリかきながら、城壁の残骸を見下ろす。
「うん。卵ばっかりだし、戦いはなんとかなるだろうけど……復興が厳しいね」
外塀はまだ残ってるけど、建物がほとんどない。資材を用意するだけでも何年かかることか……。
「熊族がな、ビルに資材わんさか持ち込んでる。リックが走り回って、戦士志望を建築志望に変えまくってたぞ」
サムさんがくすっと笑った。
「その建築志望の指揮とったのは、ブルーとお前だろ」
バーツが、横目でサムさんを見ながら口元だけ笑う。
熊族は手先が器用で、物作りと蜂蜜採りは上手。だけど、木材を渡すと好きなものを作っちゃうし、興味ない素材だとそのままどっかに山積にしちゃうし……指揮役がいないとまとまらない。真面目で優しいのに、不器用なところがある愛すべき種族。
「あー……すげぇ大変だった」
サムさんがげっそりした顔で項垂れる。
「よく言うな。少し整ったらブルーに丸投げしただろ。ブルー、遊撃部隊の統率と熊族の指示でぐったりして、お前に呪詛はきまくってたぞ」
バーツは、あのときのブルーさんの顔と同じような渋い顔してる。
「向かねぇんだよ、ああいうのは」
「向く向かねぇの話かよ。お前、やればできるだろ」
「……できるできねぇじゃねぇんだ。気分が乗らねぇ。大事だろ、そういうの」
サムさんはぷいと顔をそらし、違う話題を放り投げた。
「それより……狐模様のブラシ、あれヤベぇな。使ったか? 毛並みがとんでもなくつややかになる。俺の尻尾見たか?」
「あ、それうちにあるよ。かなり前にバーツが持ち帰ってきた」
「……ウーか?」
「あぁ。ウーが『ちっちゃいブラシあらへんから、作ったったわ』ってよ」
「きたねぇな。俺にもよこせっての」
会話は、すっぽり別の方向に切り替わった。
ああ。サムさん……本当に「興味ない」んだ。私はそれを、胸の奥のどこかに小さな棘として感じていた。
戦いの当日になった。
総大将はリックさん。
今日は、ついに――皆が揃っている。
ここ数日は、ギャラ近くで野営しながら準備を進めていた。でも、ウーさんだけは前日の夜、ほんとにギリギリに到着。新しい仕事の引き継ぎが大変だったらしくて、目の下にクマ作りながら、いつものように桃ジュースを差し出してくれた。
この人は、本当に不思議。どうして旅の途中でいつも桃ジュースが用意できるんだろう。貴重品なのに、当たり前みたいに渡してくる。優しさなのか、習慣なのか、わからないけど…嬉しい――てか、バーツ、隣で歯ぎしりするのはやめて。音、聞こえてる……よ。
今日は、日の出前から全員が整列していた。
虎族が七十名、他の種族が五十名。総勢百二十名。
前までは、こんな整列なんて誰もできなかったのに。バラバラだった種族たちが、今では当たり前のように肩を並べている。この世界の“国民性”を考えたら、奇跡みたいな光景だと思う。
リックさんが、皆の前に立ち、静かに、でもはっきりと声を響かせた。
「あの日、虫が襲撃した。そして――見よ。建物ひとつ残らぬギャラを。我らは弱き者だった」
静寂の中で、その言葉だけが重く落ちる。リックさんは全員をゆっくり見まわし、声をさらに張り上げる。
「しかし、我らには女神が降り立った。あれから、女神の知恵をお借りし、種族を超えひとつとなった結果、三つの国の奪還に成功した。そして今日、四つ目の国、ギャラを奪還する!」
空気が震えた。
「虎たちよ! 声をあげよ! もう我慢する必要はない! 全員、毛を立てろ! 女神が見ている! 我らが進む道は――」
リックさんが、吠える。
「勝利あるのみ!!」
うぉ、ぉ、ぉ、お、お、お!!!
百二十名とは思えないほどの重低音。大地まで震える。胸を締めつけるような声。ずっと押し殺していた「悲願」が、やっと叫ばれた瞬間だった。
一歩前に出たブルーさんが、砦のほうへ駆け出す。その後を、虎族を中心に二十四組が一斉に続いた。
次にサムさんが前へ。彼が走り出すと、十組が迷いなくついていく。
ブルーさんは卵の処理と、邪魔をしてくる虫の対応。
サムさんはギャラ内部の討伐。
リックさんとドンダさんは本陣、ジャンさんは探索。
バーツとウーさんは、私の警護。
作戦を聞いたとき、私は内心葛藤していた。
本当に、私は座っているだけでいいの?
私も戦う意思を示したけど、リックさんに
「女神は最大戦力だけど、出陣するのは最後の切り札。女神が出る状況ってのは、もう戦線が崩れかけてるってことだからね」
と、はっきり言われた。
その言葉に安心した半面、胸の奥がちくっと痛い。戦いが苦手なのは本当だけど、ただ座っているっていうのも、役に立ってない気がする。でも、みんなの顔を見たら、それ以上は言えなかった。きっとこれが、私にできる最善なんだ。
戦いが始まって三十分ほど。カマキリが一体、運ばれてきた。卵は五十メートル置きにあるらしいが、虫は本当に少ない。続いて、サムさんの部隊がバッタ二体を運んでくる。討伐も想定より静かだ。
今回の戦いは、寝ている蜘蛛ではなく、起きているカマキリやバッタが相手だ。特にカマキリは、虫の中で一番強い。どれだけ生息しているかが戦いの鍵だった。
けれど――想定より虫が少ない。
リックさんのこわばっていた顔も、ほんの少しだけ緩んで見えた。
その後は、休息を交代しながら、日が暮れるまで戦いが続いた。終わったころには、卵の三割を駆除し終えていた。
まだまだ終わりじゃないけれど――「奪還」の火は、確かに灯りはじめていた。
ジャンさんが、砦外の偵察から戻ってきた。顔の汚れをぬぐうより先に、皆のもとへ真っ直ぐ歩いてくる。
「やはり……森が小さくなっている」
その一言で、空気が少し冷たくなった。
「木々が低く、幅も細い。樹間も狭くなっていた。逆に、枝は手の届く場所に出てきていて……登れそうだ。あと――」
ジャンさんは、言葉を選ぶように眉を寄せた。
「蟻が……いない」
「どういうことだ?」
サムさんが腕を組んで、低く唸る。
「そのままだ。どこを探しても蟻塚がない。小さな穴すら、だ」
「ジューやビルでも、森と虫が小さくなったと言ってたな」
「ああ、そうだ」
サムさんと、ジャンさんが話をしている中、リックさんがスッと寄ってきた。
「ルルちゃん、どう思う?」
――私は……。
夜空を眺めていると、少しづつ星座が形作っていくように、今私の頭の奥で、ばらばらの点がひとつの線になりつつあった。でも――まだ、それを言い切れる自信がない。
「うん……。今回のジャンさんの報告を聞いて、多分、答えは合ってると思う。でも、まだ足りない。あと一つ、情報がほしい。それがないと……過去はわかっても、未来が築けない」
「そっか。わかった」
リックさんから軽い返事が返ってくる。最後は笑顔突き。
――ありがとう。
私を焦らせないようにしてくれているのを、痛いほど感じる笑顔だった。
その夜。
野営の焚火の音が小さくぱちぱちと弾ける中、バーツが私を抱き寄せながら、小さくつぶやいた。
「ルル。背負うな。大丈夫だ。俺がいる。……あいつらもいるしな。いらねぇが」
「あはは。ねぇ、バーツ。こんなに皆に助けてもらってるのに、なにその言い方」
「ルルの世話は俺がする。やつらは……まぁ、いらねぇ」
むすーっとした顔。
ほんと可愛い。
好き。大好き、バーツ。
「大丈夫。苦しくなる前に相談するね」
「ああ。絶対そうしろ」
その言い方が、胸にじんわりしみた。
翌朝も早くから戦いが続き、三日目。ついに――ギャラ奪還が、問題なく終わった。
練兵した戦士たちは本当に強かった。特に虎族の奮闘は圧巻で、誰かが崩れそうになるとすぐ横から支え、立て直し、誰ひとり「個」で走ろうとしなかった。最後までチームとして戦い抜いた。その結果――死者ゼロ。重傷者すらゼロ。
今回は、今までの奪還とは違う。戦う虫は、蜘蛛じゃなくて“虫最強”のカマキリ。相手を考えれば、この成果はもはや快挙だった。
奪還の知らせは、チビトカゲの驚異的な頑張りで、ビルに集まっていた長老たちのもとへ、翌々日の朝には報告が届いた。
「な、なんと……ギャラまでも……」
猿族の長老は言葉を詰まらせた。
「重傷者もゼロ……ですか…」
狐族の長老もその場に固まったまま。
他の長老たちも唖然とし、室内の時が止まっている中――虎族の長老がゆっくり立ち上がった。
何も言わず、深く頭を下げて部屋を出る。その手は、強く握りしめられ、爪が皮膚を破り、血が滲んでいた。歯を食いしばり――踏み締めるような足取りで部屋へ戻る。
机の上にあった一本の野菜。
それは、何の変哲もない、普通のゴボウだった。
長老はそれを胸に抱え、静かに空を仰ぐ。
「……女神よ。
虎族に刻まれし汚名、ようやくここに雪ぐことができました。
我らが誓いし約束――今こそ果たします。
遅れしこと、どうかお赦しください」
声は震えていたけれど、濁りのない、真っすぐな声だった。
そのまま長老は、虎族長老専用のトカゲにまたがる。
護衛もつけず、五日分の食料と――ゴボウだけを持って。
ギャラへ向けて走り出した。




