春
外の空気が、ようやく少しだけゆるんできた。風の冷たさは残ってるけど、刺さるほどじゃない。
今日は、えちぎょにゃ・ジョーガン支店で各国の状況を報告し合う日だ。ジャンさんとリックさんが「情報共有をしたい」と言い出して、この報告会は毎月ぐらいのペースで開催している。
「なんで、私に?」と、初め、断ったんだけど。そのときのリックさんの顔。目が血走っていて、声も少し震えていた。あの顔で「どうしても」って頭を下げられたら、断れなくて。なんかあったのかな? 迫力負けというか……あれは、必死さに負けた。
「ほな、始めよか。ルルちゃんに桃ジュースも出したし、店もしっかり閉めたからな。リック、貸し切り代の請求、狼の長老んとこでええやろ?」
隣にどっかり座ったウーさんが、山型のカップを指でトントン叩きながら、いつもの確認をする。これ、実は“儀式”みたいなもので、毎回やってる。なぜか毎回、最初にお金の話。
「いや、今回は虎じゃないかな?」
ビールを持ち上げながら、リックさんがさらっと言う。
「待てリック。お前、前回もそう言ってただろ。俺、長老に毛むしられるとこだったんだぞ。ふざけんな。今回は狼で持て」
カウンターの向こうで、サムさんが椅子を尻尾でバシバシ叩きつつツッコミを入れる。毛並みが重要視される虎族の「毛をむしられる」は、想像したくないレベルで恐怖。
「サム。それは違いますよ」
いつも冷静なブルーさんが、すっと口を挟む。
「狼族は、今まで様々な支援を出してます。前回が虎担当なら、今回は兎でいいのでは?」
「はあ? そないアホな話あるかいな。兎は今、復興中や! しゃあない、猿の長老んとこ持ってったるわ」
ウーさんが、どこか諦めたような、でもちょっと楽しそうな顔で肩をすくめる。
――あれ? デジャヴ?
私の記憶が正しければ——前回も、その前も、「しゃあない、猿の長老んとこ持ってったるわ」で話が終わっていた気がする。
桃ジュースのグラスを両手で包みながら、私は心の中で猿族の長老の顔を思い浮かべた。いつも頭をかかえて「またか……」って言ってる、あの困ったようなしわくちゃな顔。
——なんか。
猿族長老って、こういう扱いばっかりじゃない?
ちょっとだけ胸の奥がチクリとして、同情が芽生えた。ごめんね長老。今度の長老会で、クッキー持っていこうな……。
リックさんが、私の正面で姿勢を正した。
「じゃあ、始める。ビルの復興はどうなってる?」
その問いに、ウーさんが手元の紙をパラパラめくりながら、ふんっと鼻を鳴らす。
「進捗はええ感じやで。言うても建てもんが半壊しとったからな、未婚オスの住宅街と商業街メインで手ぇ入れとる最中や。外壁はな、戦いで壊れたまんまやった分、かえって直しやすうて、冬のうちに片付いとる。畑も順調に回復しとるし……家畜も冬の間に移動ぜんぶ済んどる。せやからな、ペアの受け入れは次の冬からに決めたんや。それまでには防衛んとこも、ある程度メドつけるって議会で決まっとるで」
落ち着いた口調だけど、要所要所でちょっと誇らしそう。
……こういうときのウーさん、ほんと頼もしい。
「そうだな。復興も重要だが、虫との攻防が最優先だ」
リックさんが眉間にしわを寄せ、別の資料を繰る。
「メルが何人か、そっちへの移住を希望していた。認めることが長老会で決まったから、青年会で受け入れ態勢を整えたほうがいい。一応、今回は兎のメルだけに絞って移住を許可してる」
言いながら、リックさんの顔がちょっとゆがむ。
メルの“協力”は得られるようになったけど、あの性格まではそう簡単に変わらないらしい。嫌味の頻度は、相変わらず高いそうだ。うん、わかる。
「それか。俺、ええ考えあるわ」
ウーさんが、急にニヤッと笑って指をポンと鳴らした。
儲かりそうなときの顔だ。めちゃくちゃ儲かりそうなときの顔だ。——その瞬間、その場の全員が、微妙に引いた。
「何をするか、念のため聞いてもいいですか? もちろん、商売に差しさわりがあることは避けて説明頂いて問題ありません」
ブルーさん、もう完全に”ウーさん=商売”の図式で話してる。本人は否定しなさそうだけど。
「まぁ細かいとこまでは言わんけどな、講座ひらくんや。最近な、だいぶ体つきが“オス寄り”になってきとるメル、増えとるやろ? あいつら向けの“オス講座”や。逆にメス寄りに寄りすぎてもうたメルには、“メス講座”も用意しとる」
楽しそうに説明を続けるウーさん。聞いてみれば、子どものうちにメル化したせいで、身体と本能のバランスが崩れてしまうメルも多いらしい。
「このままやったらメスに総スカンくらうで、って言うたらな、意外と“参加したい”ゆうメルおんねん。金は長老会からガッツリもろてやるわ」
やり手。完全にビジネスとして成立させにきてる。すでに内容もカリキュラムもできあがっていて、あとは日程と会場の調整だけらしい。青年会より動きが早いよ、この人。
リックさんは、ひきつった笑顔のまま資料を閉じた。
「……そ、そうか。ビルについては、その方向で問題なさそうだね。では、次。ジューの報告」
そう振られて、今度はドンダさんが、のそのそと椅子に座り直した。蜂蜜ビールのグラスを持つ手に、ほんの少しだけ力がこもる。蜂蜜ビールのグラスをひょいっと持ち上げて、一口ぐいっと飲んでから、どっしりした声で口を開いた。
「問題はあるよ」
その一言で、場の空気がピンと張る。けど続いた言葉は、ちょっとズレてて、ちょっと重かった。
「店とか家とかの復興は、もう大丈夫。そこは心配いらないよ。でもね、戦士になりたいってやつが多すぎてさ。……蜂蜜、足りなくなりそう」
一瞬、みんなの顔が「え?」ってなった。じわじわ意味が分かって、全員そろって、ものすごく酸っぱい顔になる。
蜂蜜──戦士たちの回復用、そして私の“お菓子計画”の命綱。足りなくなるなんて笑えない。けど、もっと笑えないのが、この世界の熊は戦えないこと。……うん、困った。
誰からともなく視線が交差する。その中でブルーさんが、一番「覚悟決めました」って顔をして、静かに手をあげた。
「わかりました。ジューに行きます。状況を見て、調整してきます」
シブシブ、って言葉がそのまま似合う表情だけど、それでも一歩踏み出してくれる。その頼もしさに、私はこっそり拳を握った。
次は、ガザルの報告。ブルーさんが、少し疲れた顔で口を開いた。
「ガザルの復興は、ほぼ終了しました。ジョーガンとの往来も、道の舗装が終わり、砦を守るオスたちも、練兵・人数ともに問題ありません。ただ……やはり、狐の長老の永眠は大きな痛手でした。一時期、国中が暗く沈んでいました」
「あー。そうだろうな、狐族の誇りだった人だからな。狐族としてはいい毛並みをしてた」
サムさんが、しみじみ頷く。
――いや、そこ?
え? 褒めるところは毛並みなの?
「ええ。長老の毛並みは“至上の毛並み”、“女神を虜にした毛並み”と呼ばれていたようで……。その影響からか、今は狐印のブラシ屋に連日長蛇の列ができています」
——ええ…。
ブルーさんの返しも驚きが返せない。ほんと、この世界、毛並み好きだね…。と思ってたら、横でウーさんが、ふん、と鼻で笑った。
「あー、それちゃうで。あれ狐印やのうて“狐の絵”なだけや。商標は兎印やで」
「「「「「……え?」」」」」
全員、驚愕の顔でウーさんを見る。
「裏見てへんのかい。兎印や。そもそも狐にブラシなんか作られへん。あれ作れんのは熊だけや。その熊から仕入れできんのは兎だけ」
あきれ果てた、って顔で周りを見回してるけど……ウーさん、たぶん今、全員、ウーさんに同じ顔してるよ……。
「そ…そうなんですね。し……知……知らなかったことにします。今ここで言ったら、暴動になりそうなので……」
ブルーさんが、こめかみを押さえながら、なんとか声を絞り出した。
私は、気になっていたことを口にする。
「狐族のみんなは、もう落ち込んでないの? 大丈夫なの?」
「それが……石像を建てることにしたらしく、今は皆、元気いっぱいで石像づくりに励んでいます」
「あー! あれか」
思い出した。私は身を乗り出す。
「前回の長老会で、マミルさんが来てね。『狐族は長老を喪い、いまだ深い悲嘆の中にございます。つきましては、一同がかねてより望んでおりました石像を建立し、その寂しさをいくばくかでも紛らわせたく存じますが、ルル様いかがでしょうか』って。長老の石像があれば、少しは身近に感じられるもんね、って思って、いい案ですねって答えたの」
「え? ルルちゃん、了承しちゃったの?」
「え? ダメだったの?」
リックさんが、あからさまに頭を抱えた。その様子を見て、バーツの空気が一瞬で変わる。
「……おい。何を隠してる」
低い、底のほうで鳴る声。リックさんは観念したように顔を上げた。
「狐族はもしかしたら、長老の石像じゃなくて……ルルちゃんの石像を作ろうとしているかもしれない」
「「はあ?」」
一緒にいると似るっていうけど、たぶんこういうことなんだと思う。——とはいえ、私とバーツ、声はハモったけど、温度差は天と地だった。
バーツが、こめかみにいくつもの血管を浮かび上がらせ、無言で立ち上がる。右手には剣。左手には私。表情は完全に「これから戦に行きます」のそれだった。
全員総出で、慌てて止めに入る。
「待て、バーツ。まだ“確定”ではない。まず確認を取る」
リックさんの言葉で、なんとか足は止まった。けれどバーツは、ギラリとした目でリックさんを睨みつける。
「……作ったら、壊せ」
ガンギマリの目、ってこういうのを言うんだろうなぁ……と、他人事みたいに思ってしまう私。
――でも。
さすがに私の石像なんて作らないと思う。長老がいなくて寂しいなら、普通に長老のを作るんじゃ……? と、まだ腑に落ちないままの私を、バーツが膝に座らせてた。
空気を変えるように、リックさんが咳払いをひとつ。
「では……ジョーガンの現状報告に移る」
ジョーガンの様子、聞いててこっちまでちょっとあったかくなる感じだった。
メルたちが落ち着きはじめて、それにつられるみたいにメスたちも安定してきてるらしい。移住で出ていくペアは多かったらしいけど、そのぶん子どもがたくさん生まれて、街じゅうに明るい声が響いてるって聞いて、本当にホッとした。砦の攻防も問題なし。……冬なのに、ジョーガンからは「静か」じゃなくて「賑やか」が届いてくる。よかった。
冬の定番の“かまくら”も、ついにメスのあいだで流行し始めて、メス専用かまくらなんてものまで作られた。そこでシチューを片手にメス会を開くそうだ。相当楽しいらしく、メスたちが嬉しそうにかまくらへ向かう姿も目撃されている。
「楽しそう。私も行きたいな」
「ルルちゃんが行きたいなら、既婚枠に予約、入れようか?」
「え? 既婚用?」
「そうだよ。メスの既婚用と未婚用で分かれてる」
「え? なんで?」
「あー、実は、『オレのメスが使ったかまくらを、他のオスが使うなんて許せん』と、怒って暴れたオスが続出したみたいで」
ははは、と空笑いをしながら事情を教えてくれるリックさん。
——うん。
それは、まぁ、分か……らない。だってメスがしかいないのに…。
説明受けてもわからず、かまくら事情に首をかしげていると、バーツが私のてっぺんにキスをしながら教えてくれた。
「ルル、俺のメス。お前の匂いは俺だけのもんだ。かまくらに残った匂いも全部、俺だけのものだ」
痺れるような声で。
ぞわぞわする。ちょっと…やめて。バーツ!
「メス専用なら問題ないと思うけど? オスはメスにもやきもち妬くの?」
バーツの顔を両手で突っ張ってどけると、顔だけリックさんに向ける。そこには困った顔のリックさんが。
「妬くけど、まぁ我慢できる。今回の問題はそこじゃないんだ」
なんと、メスのかまくらは、”専用”はあくまでメスしか入れない会と言う意味で、かまくら自体は、都度新しいものが用意される。そして——使用後のかまくらは、未婚オス用のかまくら(要予約)になっていた。そりゃ既婚オス怒るね……。
しかも、予約券はびっくりするくらい高額。それでも”満席”。どうやら、かまくらに残った“匂い”が決め手でツガイを探し当てたオスもいたらしい……そりゃ、人気出るよね。
視線が自然と一点に集まる。
皆、同じ顔してウーさんを見てる。
「ちゃうで。もうオレ手ぇ一杯やしな。かまくらは一応代表にはなっとるし企画はしてるけど、運営はサーに任せてんねん」
どこからツッコめばいいんだろう、この商売兎。今回の問題点、絶対”運営”じゃなく”企画”の方だから。——あとサーさんって誰? 後でこっそり聞いたら、”サーさん”はウーさんの幼馴染だった。
ここまで手広く商売してると、むしろウーさんが絡んでない“あくどい商売”を探すほうが難しいんじゃない?……と、ちょっとだけ思ってしまう私だった。
そんなこんなで、みんな情報の多さと内容の濃さにげっそりしながらも、「じゃあ、一か月後までに出た課題を各自なんとかしておくこと」で話はまとまり、次回は *えちぎょにゃ・ガザル支店* で報告会をすることに決定。
「はーい、お疲れさまでした!」
思わずそう締めくくったら、みんなもそれぞれのタイミングで、ふっと力を抜いた笑顔になってくれた。
翌月、ガザルで「石像窃盗事件」が頻発した。
狐族総出で犯人を捕まえるために走り回ったが、成果はゼロ。
狐A「報告します! 広場南、目撃者はおりません!」
狐B「広場北も、目撃者おりません!」
狐C「広場西、同様です!」
狐D「広場東、異常なし!」
長官・狐E「なんと! 逃げ足の速い犯人だ! 狐の名誉にかけて探し出せ!」
狐A〜D「「「「はっ!」」」」
狐E「リック様……なぜ見つからないんでしょうか……」
ある狼「……女神の思し召しかもね。もう三回目でしょ? 偶像崇拝になるからね。本人はイヤだと思うよ」
狐E「なんと! お優しい女神様だから我らに言えないだけで、確かに、石像は女神様ではありません。長老に進言いたします!」
狐Eは駆け足で去っていく。
その横で、並んで立っている狼と熊。狼は周囲を一度見渡すと、小さく息を吐いた。
ある狼「ふぅ……ドンダ、もう大丈夫。ありがと」
ある熊「そう? よくわからないけど、槍の練習が必要なら、また言って?」
女神の石像。
布で囲われた柵の中で、女神像を作っているのは熊族。狐族はその周りをぐるぐる回りながら、作られていく女神像をただひたすら称えているだけだ。
その日の彫りの作業が終わると、狐はさっさと帰る。
熊は、石像には布を被せ、周りを掃除する。
ここまでが作業の流れ。
今日はその”掃除”当番はドンダ。布を被せたら、リックがドンダを呼ぶ。
「ドンダ。いいよ」
入ってきたドンダは、箒片手に槍の一撃の練習をした——渾身の力で。
掃除が終わったら、その日に出た石クズを集めて、一か所にまとめる。
今日は……なんだか、やけに山盛りだ。
そう。石像は盗まれていない。
「窃盗」だと最初に言い出した誰かが”間違えた”。そこから全部、迷宮入りしただけ——なのに、誰も気づかない。




