闇色の愛
五日目の昼
――ついに、ビル奪還成功。
今回の戦いは長く感じた。最終確認をしていたサムさんから、虫討伐完了の報告が入った瞬間、ピンと張ってた空気が緩んだのがわかった。兵士たちも小さく息を吐き、ほっと肩を落とす。
すぐさま、チビトカゲが「ギャァァぅ!」と叫びながら、報告のためにジューへ走っていく。全力疾走。しかも尻尾ぴん立ち。あのちっちゃい足で、どうやってあんなに速く走るんだろ。かわいいけど。
「あとは街の確認だな」
バーツがそう言って肩を鳴らす。私は頷いて、崩れた砦の方へと歩き出した。
砦に近づいた瞬間、思わず息が詰まる。
原型こそ残ってるけど、屋根はほとんど落ち、石の壁はひびだらけ。穴だらけ。「砦」というより、“なんとか立ってる石の山”。中に入ると、丘から見たよりもっと悲惨だった。屋根がある家は数えるほどしかなく、材木は折れ、草と蔦がところどころ生えていた。ジョーガンの街並みに似てたんだろうな。木でできた温かい雰囲気の町並みだったはず。でも今は、まるで自然に飲まれ始めた遺跡みたい。
「……ひどいな」
バーツが低く呟く。彼の声が、やけに遠く感じた。
商業区に行くと、商品棚らしき木の残骸があって、その上には黒く潰れた“土の塊”がぽつぽつと残ってた。……たぶん、食料のなれの果て。空気は静かで、少し甘いような土の匂いが混じる。風の音が通り抜けるたび、木の破片がカラカラ鳴った。
そのとき。
「うぁ、あ、あ、あ、ぁ、!!!」
兎族の長老が、突然叫んで走り出した。
「ちょ、危ない!」
「待て長老! また穴に落ちるでぇ!」
と、私とウーさんは慌てて追いかける。長老が向かった先は、街の外れ――他の国ではたぶん畜産区域。でも、そこにあったのは、畑だった。
どこまでも広がる、緑の畑。
風が吹くたび、草が波打つ。
「うっわぁ! 生きとる、生きとるでぇ!」
長老は畑の真ん中でしゃがみこみ、草をつかんで涙を流してた。
「見てみぃ、ルルちゃん! これ、薬草や! 生きとったんやぁ!」
「薬草……?」
正直、最初はピンとこなかった。この国では肉食中心で、畑なんてあること自体が珍しい。でも、どうやらここビルは、“六種族の中で唯一、畑を持っていた国”らしい。長老は鼻をすすりながら笑って言った。
「虫に攻められた時になぁ、薬草の畑ごとやられてしもて、病気の治し方が無くなってもうたんや。これでまた、病気が出てもなんとかなるでぇ!」
その言葉を聞いたとき、バーツが小さく腕を組んだ。
「なるほどな……国が増えてきたからな。魔石の数も限りがある」
「せやせや、生き残れるで」
ウーさんも耳を立てて頷いてた。
――あ。
食べるための畑じゃなく、生きるための畑。ここにあったのは、命をつなぐ希望だったんだ。長老は薬草を片手に、そのまま城の方へ走って行った。
「女神の畑や! 生きとるか、見に行かなあかん!」
私たちも慌てて後を追う。城の廊下の柱にはツタが絡まり、床には落ち葉が積もっていた。でも、奥の扉をどけた瞬間――空気が変わった。そこには、柔らかな光に包まれた畑があった。芽レタス、白菜、そして――
「……人参、玉ねぎ、ゴボウ?」
私は思わず声を上げた。
ゴボウ。
よりによって、ゴボウ。いや、嬉しいよ? 大好きだよ? でも、なんで異世界でゴボウなの!?
バーツが私の隣でぼそっと言う。
「女神の好物だったんじゃねぇか?」
「そうかも……」
とりあえず、私はウーさんにゴボウフライを教えた。
「これ、揚げると最高のツマミになるんだよ」
「なんやそれ、めっちゃうまそうやん! 儲かるやつやでぇ!」
ウーさんが耳をぴょこぴょこさせながら笑ってた。
「ウーさん、ビールまだ残ってる?」
「おう、あるで。今日ゴボウフライ出したろか?」
「それだな」
今、この瞬間。
この畑を前に、笑ってるみんなの顔を見ていたら、国が生き返ったって、心から実感できた。
国を一周して現状確認を終えたころ、空はもうオレンジに染まり始めてた。本陣に戻ると、リックさんと今後の調整。
復興は明日から本格的に始める。
リックさんはここに残って復興の取りまとめ。私はバーツと一緒に、明日にはガザルへ行って長老会へ報告。ブルーさんとサムさんも、私たちについてきてくれることになった。
「……あれ? ウーさんは?」
いつも横にいるはずのウーさんが見当たらない。
「ウーはビルに残るって言ってたぞ」
バーツが静かに答える。
「復興の炊き出しと、物資の仕分けやるんだとさ」
「そっか……」
ちょっとだけ、胸の奥がきゅっとした。いつも必ず付いてきてくれたから、寂しい。
私が手を出すと逆に怒られるってわかってるけど、夕食の手伝いにウーさんを探しに行った。肉焼き場にはいない。町の中をウロウロすると、バーツが「見つけた」と指差した先――そこには、崩れかけの家があった。
屋根はもうなく、壁も二、三本の木が残ってるだけ。まるで「かつてここに家がありました」って名残のような空間。ウーさんはその中の石机に両肘をついて、静かに祈ってた。そっと近づくと、かすかな声が聞こえた。
「……ここは、俺の家や」
ウーさんは、顔を上げずに続ける。
「パートナーと一緒に暮らしてたんや。商人になりたくて弟子入りしてたときや」
夕方の、土の匂いが混じる風が、ふわっと通り抜ける。
「一人前になったら受果する予定やった。……せやけど、俺が仕入れでジューに行ってる間に、虫が襲ってきて。あいつも、家も……全部、なくなりよった」
静かすぎる空間にウーさんの声だけが響いてる。
「生きる意味も、もう分からんくなってな。身体も勝手に生きるのやめてしもうた。したら、師匠に蹴っ飛ばされて、どつかれてな。『することあるやろ』って言われたんや」
その声は、確かに笑いが混じってるのに、涙の音がした。
「……今やっと、すること思い出した気がするわ。『ただいま』って言いに帰らなあかんかった」
「……ウーさん」
気づいたら、私は声をかけていた。バーツも何も言わず、ただ私の肩を抱きしめる力を強めてた。
「だけどな、俺は、この後なにすればいいんやろうな……」
ドロッとした黒い目で私を見たウーさんは、ぽつりと言った。その目は生きものの”匂い”がしなかった。ヘドロでできた丸い瞳。
手が震える。
『メスが死ぬとオスも死ぬ』
呪詛のようなこの世の理が頭に響く。
――いや。
それだけは嫌。
どうしよう、どうしたらいい? ウーさん!
手が震える。
どうしよう。
迷って、迷って、迷って……。
「ウーさんのパートナーさんって、どんな人だったの?」
出せた言葉は、これだけだった。
ウーさんの瞳の奥には、私には見えない「何か」が映っているのかもしれない。彼は、この薄暗くなった空の下で——もっとずっと遠いところを見て、静かに笑っている。でも、その目元も、口端も、まるで海に漏れた重油のように粘りつくような質感を持っていて、ドロッとした何かが、奥から溢れてくるようだった。
「俺よりでっかくて、俺より強くて、俺より商売上手でな。耳がピンとした子やった」
「……綺麗な人だね」
「うん。ほんまに、綺麗やった」
少しの沈黙のあと、そっと口を開く。
薄い氷の上を歩くように、出す言葉が”今”を壊さないように。
「もし、その人に『これから何すればいい?』って聞いたら、なんて言うと思う?」
ほんの数秒の間をおいて、ウーさんは笑った。それは、さっきまでの底冷えするような恍惚とは違う。向けられた眼差しには、はっきりと体温が宿っていた。
「『腑抜けてる暇はないで。時間は金や。金稼ぎながら考えんかい』って怒るやろな」
「なら……そうする? お金稼ぎながら、ゆっくり考えてみるのはどうかな」
ウーさんは静かに目を伏せると、ゆっくりと答えた。
「……せやな。でも、俺……あいつに、会いたいねん」
「うん、わかる」
――わかるよ。ウーさん。
私だってバーツと世界が別れたら、会いに行くと思うから。
けどね…。
「でも、もうちょっとだけ我慢して?」
「なんでや」
ちょっと唇を尖らせて、嫌がるウーさん。いつも通りの表情豊かなウーさんだけど、その目は、また光が消えた黒に戻ってた。
「だって、ウーさんはパートナーに会えて幸せかもしれないけど……私たちは寂しいよ。私もバーツも、仲間たちも。ウーさんがいないと、お肉が全然美味しくない」
ウーさんは少し笑って、ピントの合ってない目元をぬぐった。
「……ほな、もうちょっとだけ我慢するか。飽きるまであいつらと一緒におるわ。もう半分くらい飽きたけどな。……リレェをまだ待たせるんか……すまんことするな」
私は笑って言えてるだろうか。
「パートナーさんは、今もウーさんのそばにいるよ。私の国では、そう言われてる」
その瞬間、ウーさんは、少し驚いたように私の顔を見て…ううん、内容を理解するまで私を見詰めてた。目に光が戻っていくのが見える。グシャッと潰れた、それでも”本当”って感じる笑顔でウーさんは言う。
「そか…。そやな……。女神の国でそう言うんなら間違いあらへん。……さよか。リレェ、お前おったんやな。気づいてやれずすまんな。リレェ、大好きやで」
――よかった。
よし! いっぱい泣こう、ウーさん。
今日は、いっぱい泣いていい日だから。
バーツが隣でぼそっと呟いた。
「……まったく。どいつもこいつも泣き虫なオスばっかりだ……」
「ふふ、バーツも泣いてるのに?」
「……これは鼻水だ」
泣き虫な三人の影が、夕焼けの中に伸びて重なった。
夕食の時間は、いつもなら一日の終わりを告げる安らぎの場のはずだった。
バーツが差し出してくれた温かいスープの湯気を吸い込み、胃の腑に落ちる熱を感じていたその時、帳を割ってジャンさんが戻ってきた。焚き火の爆ぜる橙色の光に照らされたその表情は、硬く、無表情。だが、泥を啜ったようなマントの裾と、重く汚れた靴底が、彼がどれだけ歩いたかを物語っていた。
「戻ったぞ」
低く地を這うような声が響く。それだけで、弛緩しかけていた空気が、ぴんと糸を張ったような緊張に包まれた。
「どうだった?」
腰の革袋から無造作に一編の紙を引き出し、地面の平らな場所へ広げた。
「地図だ。走り書きだが、大体の位置関係は網羅してある」
焚き火の明かりを頼りに、私たちはその紙を覗き込む。荒々しい筆致ながらも、地形の急所を的確に突いた、ジャンさんらしい極限まで無駄を削ぎ落とした即興地図だ。
「森の境界がな……またジューに食い込んでいる」
「食い込んでるって、城の目鼻の先まで?」
「ああ。古地図の記録と比較すれば、もはや半分は飲み込まれている。それに、樹の質が変わった。幹は細く小ぶりだが、密度が異常だ。隣り合う木の間隔がオス五人も開いていない」
ジャンさんの指が、地図上の境界線をなぞる。その動きに吸い寄せられるように、全員の視線が一箇所に集まった。バーツも顎をさすりながら、低く唸る。
「……こっちに押し寄せてきてるのか?」
「さあな。だが、悪いことばかりでもない」
ジャンさんが、わずかに口角を上げる。
「果物が多くなりそうな木が混じってた。まだ実は青いが数がある。あれは放っときゃ収穫できる」
パチ、と爆ぜる薪の音だけが周囲の静寂を際立たせる。ジャンさんは淡々と続けた。
「それと、蟻に遭遇した」
「蟻に!?」
思わず身を乗り出した私を、彼は冷徹な眼差しで制する。
「けど、今回は戦にならなかった。……あいつら、なんか探してた。あと、身体も少し小さい気もした」
「小さくなった?」
「気のせいかもしれん。だが、何かが変わってるのは確かだ」
重苦しい沈黙が降り積もる。南下を続ける森、蟻の行動も変化している。何かが、静かに形を変えている。ジャンさんはふと思い出したように、付け加えた。
「……ああ、それともう一つ。奇妙なトカゲを見かけた」
「奇妙な?」
「背中にマントをつけてた。……いや、あれは“生えてた”な。結び目もなけりゃ、風にも揺れねぇ。不自然なほどだった」
「マント……」
その言葉を咀嚼した瞬間、心臓が大きく跳ねた。マント…じゃない。それは、翼かもしれない。
「ジャンさん、それ、空を飛んでた?」
「いや。地面を歩いてたが、背中が動いた」
背筋を、氷のような冷たさが這い上がる。
……トカゲ。
陸にも、海にもいた。けど、翼はなかった。それが、翼を持ち始めてる?
世界が、また変わってる。
私は、静かに目を閉じた。
「――視なければいけない」
掠れるような呟きに、バーツがちらりとこっちを見た。けれど彼は何も問わず、ただ火光に揺れる私の横顔を凝視していた。
焚き火の光が揺れて、地図の上の森の線が、まるで呼吸するように波打って見えた。




