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異世界に落ちたら愛を知った  作者: 青井空


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給餌

朝ごはんは、居間で食べることになった。


バーツと一緒に寝室を出てキッチンへ向かうと、岩の調理台の脇にエプロンがひっかけてあるのを見て、思わず足が止まる。


正直、ちょっとした衝撃だった。あまり自炊をしなかった私にはエプロンへの憧れがあったみたいで、おしゃれな英国風のキッチンで優雅なマダムが料理をしている姿を、つい想像してしまった。


「あ、エプロン」


広げてみると、革でできた黒い光沢のあるエプロンで、磨かれて消えかけた染みが、結果的に幾何学模様の水玉みたいになっている。バーツのエプロン姿……似合いそう。長身でスタイル抜群のバーツが黒のエプロンをつけている姿を想像してドキドキする。顔が熱くなってくるのを感じ――


「ん? あぁ、肉の血が飛ぶときがあるからな」


ない。


一瞬にして熱さが引き、身体がぎくりと音を立てて強張った。反射的にエプロンを掴んでいた手がぱっと離れる。


――バイオレンスすぎる。


真後ろから教えられた事実に、頭の中の優美な光景は吹き飛び、代わりに浮かんだのは分厚いナイロンのエプロンをつけて巨大な肉を解体するアメリカ映画の肉屋だった。鳥肌が立つ。


――エプロン、こわ…。 



岩の調理台を挟むように、片側の壁際には大きな土製の長方形の箱、反対側には五十センチほどスペースがあった。土の前にしゃがみこむと盛られていた土はほぼ黒く、茶色のものは縁にあるだけだった。でも土しかない。


「ねぇ、ここってお肉を焼く場所? 灰とか串とか見当たらないけど」

「ん? ああ、灰と燃えカスか。それなら外だ。捨てる場所がある」


――捨てる場所?

毎回? なんで?


目が合ったバーツは顔を引きつらせながら教えてくれた。


「火事はヤバいからな。出すと"重要任務"をすることになる」


溜息をつきながらそう言うと、バーツは隣の細長い壺の前に立って、何の躊躇もなく手を突っ込んだ。「え!?」と思った瞬間、取り出したのは五十センチはある長い串だった。


「串はこれだ」

「ええ!? それ水ガメじゃなかったの!?」

「水ガメ? 違うな、串棚だ。中に魔石が仕込んであってな、放っときゃ綺麗にしてくれる。使ったら洗って、ここに入れりゃいい」


串は木製で、使えなくなるまで何度も再利用するらしい。新品も最初に必ず串棚を通すのが決まりなんだって。


――綺麗に? 


戸惑っていると、串を串棚に戻しながら、バーツはあっさり言った。


「これで腹イタにならねえ」

「どういうこと?」

「かなり昔の話だ。全員そろって腹イタ起こしてよ。漏らすわ倒れるわで、目も当てられなかったみてぇだ。その時に女神の知恵で作られたのが、これだ。だから今は、腹イタとは無縁ってわけだ」


そう言いながら私の横に立ったバーツは、エプロンを身につけると、串棚を覗き込んでいた私の顎をクイと持ち上げて目を合わせた。


「紐を結んでくれ」


――いるの? 

本当に、この指は必要なの? このフェロモン過多男は、無駄な動作が多すぎる。


怒りなのか、トキメキなのか、特定したくないけど、勝手にドキドキしている心臓を感じながら、後ろを向いたバーツのエプロンの紐を結んだ。


「肉を取ってくるから、いい子で待ってろよ」


頭にぽんと手のひらを乗せて、玄関の扉から出ていった。


――もぉ。

かっこよすぎでしょ……。


叩かれたところを手で押さえて、更に増したドキドキを抑えるために深呼吸を何度もする。静まってお願い。ふぅ。


――それより……。

この水、殺菌作用があるの? てか、異世界に菌っているの? 


串棚を覗き込むと、串が何十本も入っている。数えようとしていたら、もうバーツが戻ってきた。


――早っ!


疑問の顔してたんだと思う。家の裏に小屋があって食料を保管してるって、質問する前に教えてくれた。

紐につるしたいくつかの塊肉を調理台の上に置き、串を五本取り出す。塊肉は色も形も大きさも違う。種類自体が違うっぽい。腰から取り出したナイフで切り始めた。


何か手伝いたいと言っても、そこにいてほしいと、真横に立たせられて終わる。初めてだから見て覚えるのかな?と思いつつ、さっき疑問に思ったことを質問してみた。


「そういえば、この世界の人って、怪我以外で体調崩したりする?」

「ん? 聞いたことねぇな」


どうやら、この世界での病気は"腹イタ"だけらしい。なるほど。食事も肉が多いし、地球より寒い。色々と違うけど、体調は悪くなってないから、ちょっと納得。


異世界の常識、なかなか奥が深い。





肉を焼いている間、火の番をしているバーツにお願いして、串を二本もらった。これで箸を作りたい。肉が主食だからフォークやナイフの方が理想だけど、木製じゃここの肉には刃が立たなさそうだ。せめて箸があれば自分で食べられる。形を説明すると、バーツは石ナイフで迷いなく削り始めて、あっという間に仕上げてくれた。


「すごい! バーツ、ありがとう。嬉しい!」


箸を手に取って動かしてみる。とても使いやすい。笑顔でお礼を言うと、バーツは……ニコニコ? いや、ニヤニヤ? いや、完全にデレデレ顔だった。……お礼を言っただけなのに。なぜか、また心臓が落ち着かなくなってしまった。







食事のテーブルは土間の床に直接置かれていた。土の上に座ることに抵抗があって、ついうろうろしてしまう。


「ルル、座らねぇのか?」


肉の乗った木の皿をテーブルに置いてから腰を下ろし、ベッドで食べるときと同じ距離の場所をぽんぽんと叩いて私を呼ぶ。


「俺の膝に来るか?」


顔がぐしゃっと崩れて、すごく嬉しそうに自分の膝を叩き始めるバーツ。伸びてきた腕に抱っこされそうになって、慌てて一歩引いて事情を説明した。


「土足厳禁の家で育ったから、土間に座るのはちょっと……慣れようとは思ってるんだけど、ごめんね」


するとバーツは、一人サイズの革の敷物を寝室から持ってきて敷いてくれた。「なんか使えるだろう」と前に作っておいたらしい。すごく優しくて、すごく甘やかしてくる。こんなふうにされることに、まだ慣れなくて――どうしていいか、本当にわからない。


でも、その甘い空気は、晩ごはんで吹き飛んだ。


作ってもらった箸を使って、自分で肉を口に運ぼうとした。その瞬間、バーツが目に見えて青ざめて、叫んだ。


「あ、ぁ、ぁ、あ……。ルル、俺…肉、ほらな? 肉いるだろ? ほら……」


呆然としながらも、必死に肉をぐいぐいと差し出してくる。


「え? あ…ありがとう。でも、大丈夫。自分で食べられるから」

「……で、でも……オレノ、タベたい、ダロ……?」


真っ青な顔で、ガタガタと震えている。差し出す手も震えていて、いつ肉をポロリと落としてもおかしくなかった。


「え…え…? えー?」


何がどうなっているのかわからない。ご飯どころじゃなくて固まっていると、突然バーツがボロボロと泣きだした。よくわからないけど肉が重要なんだと思って、差し出された肉をぱくりと食べてみた。


その瞬間、バーツが固まった。


私を、凝視しながら、すすり泣きながら、震えながら、また肉を差し出してくる。全部食べ終わると、私を抱き上げて匂いを嗅ぎまくっていた。


……なんか、悪いことしたのかな。バーツ、ごめんね。


 



そして箸は、いつの間にか、なくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 






















 


箸の使い道なんざ知らなかった俺は、晩メシでとんだ一撃を食らった。


――ツガイが、給餌を、拒否した。


 


きょひ


キョヒ


オレハ、ダメナ、オスダ


オレハ、ツガイニ、キラワレルホド、ブサイクナ、オスダ


シノウ…


 


ァ…


 


…タベタ


オレから…たべた


俺のメスが、俺の手で、肉を、食べた。


俺の! ツガイが! 俺の手で! 肉を全部! 食べた!


 


光が差し込んできた。

朝日か? 女神降臨か?

まぁ俺んちは窓もねえし、今は夜だがな。


 

とりあえず――匂いを嗅いで落ち着こう。

そうでもしなきゃ、心に入り込んだ恐怖が、俺を蝕みそうだ。

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