ジョーガンの先へ
今は夏。
昼間はコートがいらないほど暖かいのに、夕方になると風は一気に冷え込んで、結局いつもの薄いコートを羽織ることになる。そして、気づけばそれも厚手のコートに変わっている。
そんな夏の短さを体験した私は、ジュー奪還までのほんの少ししかない時間を無駄にしたくなくて、ジョーガンのさらに西を調べることにした。
当然、この手の話は最初にバーツに通すことになる。――そして、揉める。
今回は特にひどかった。家推奨派のバーツとしては、冬まで引きこもっていてほしかったらしい。この世界のオスは……と、思わずため息が出る。結局、いつものように言い合って、いつものように折り合いをつけて、今、私たちは長老会の席にいる。
隣ではバーツが、いじけたように顔を背けていた。目はうっすら潤んでいて、あからさまに不満そうだ。……なのに、繋いだ手だけは離さない。もぉ。
「ジョーガンの西、大陸の端を見に行きたいと思っています」
静まり返った室内に、自分の声だけがはっきりと響いた。
「道を教えていただきたいんです。できれば、案内できる方に同行していただけると助かります」
「なぜ行く必要がある」
狼族長老が不思議そうに質問してきた。他の長老たちも、軽く眉を上げて私の回答を待っている。
「知らないからです」
自分でも驚くくらい、迷いなく言葉が出た。
胸の奥にずっと消えない違和感がある。情報が足りないまま判断を迫られる、あの嫌な感覚。
「すべてを知ることはできないと思っています。でも、知る努力は必要です」
「ふむ……」
狼族長老は顎を擦りながら、考え込んでいる。隣に座っていた熊族長老が目線を私から猿族長老に向けるとゆったりとした口調で質問をする。
「猿のお。西に~何があるか、知ってるかのぉ」
「たしか、川沿いに二日ほど行くと大地が終わる。その先は、いつものどおりの砂と岩の土地だ」
「この情報では、まだ足りませぬか」
狐族長老が少し心配そうな顔で私に聞いてくるが……足りない、のかも、わからない。
「はい。何が足りないかを知る必要がある……と思っています」
「危険だ」
虎族長老の言葉に、私は視線を落とした。
「さよう。必要が不明確である以上、無用に危険を負うことは避けるべきかと存じます」
危険だと思う。無駄かもしれない。それでも――。
「危険は、今までと同じくらい高いってわかっています」
繋いだバーツの手をぎゅっと握った。
「でも、ここで逃げて……未来で、仲間が死んだら――」
言葉が詰まる。
「バーツが、死んだら……」
息がうまく吸えない。それでも、声を絞り出す。
「今の恐怖から逃げるより、未来を変えることを選びたいんです。お願いします。力を貸してください」
深く頭を下げる。
「私の命と心はバーツが守ってくれます。だから私は、未来を守りたい」
想像なんてしない、言葉だけの未来。それでもこんなに私の心を抉る。気づけば、バーツの膝の上に横抱きにされ、少し痛いぐらいに強く抱きしめられた。
「ルル……」
バーツの胸に顔を押しつける。零れそうになる涙を、こすりつけて誤魔化した。
怖い。
本当は、何も知らないまま、安全な場所で、バーツの腕の中に埋もれていたい。それでも――行動しなければ、未来は変えられない。
「バーツ、大好き」
顔を上げて、バーツの少し濡れた綺麗な緑色を見る。――絶対に濁らせない。
バーツの膝の上で長老たちに向き直る。
「お願いします」
もう一度頭を下げた。
お腹に回された腕は、強く――そして、わずかに震えていた。部屋の空気が重く沈む。椅子の肘掛けを叩いた音が、不自然なほど響いた。
「ふむ。甥に同行させよう」
猿族長老の声が聞こえて頭をあげると、他の長老たちは驚いた顔で長老を見ていた。
「甥のミゲルが……」
「待てや。危ない言うてるやろ。それでも行かせるんか?」
兎族長老は身を乗り出すように、猿族長老の言葉を止める。
「そうだ。危険だ」
「もし何かございましたら、いかがなさるおつもりですか」
虎族、狐族の長老も同調しはじめ、部屋の空気は不穏な気配がし始めた。猿族長老は目をつぶり背もたれに深く腰掛ける。
「我らは……女神の実に魔石の水を与えた。メルも生み出した」
滲み出るような苦痛を消しきることができない声で続ける。
「結果は……行って、初めて出るものだ。後悔は山のようにあれど、それでも言えることは」
目を開け、温かい見守るような目で私を見つめて続ける。
「行わぬ者が否定すべきではない。甥が道を案内する。行って確かめてくるがいい。ただ、国も民も重要だ。だが、お前の命も同様に重要だと、忘れるな」
猿族が、多くのものを生み出してきた理由が……少し、わかった気がした。
「はい。ありがとうございます」
「バーツ、しっかり守れ」
狼族長老も穏やかに声をかける。
「ああ…当然、だ」
少し掠れてる。頷いたのも振動でわかった。大好きだよ、バーツ。
他の長老たちも、重々気をつけていくように、と何度も言っていた。心配のあまり否定しただけだってわかってる。皆、本当に優しい。絶対に帰ってきます。
その後、仲間たちに同行を頼むため酒場に行く。バーツが、西側を見に行くと言い出した瞬間、皆の顔がニヤっと歪んだ。
「もちろん行くよ」
同意は一瞬だった。
「また負けたか」
「どうせ、ルルちゃんの勝ちだからね」
「始まる前から決まってる結果です」
そのあとは、完全にバーツいじりの時間。
「どうせ負けるんだから、初めから大人しくしておけ」
その中でも、勝ち誇ったジャンさんの顔は、当分忘れられそうにない。……バーツと、過去に何かあったのかな。
出発当日。
トカゲ屋の前で集合した。初めて会ったミゲルさんは、無口みたいで「よろしくお願いします」と言った後は、頷くだけになった。手には巻物を持って、たまに書き付けている。バーツに聞いたら、紙を持ち歩くならこの形が当たり前らしい。紙がぶ厚いからだ、多分。
今回、大トカゲ一体で行く。荷物を皆がトカゲに積みこむ間、ミゲルさんに不思議に思っていたことを質問した。
「西の端は、砂と岩の土地って聞きましたが、大地と何が違うんですか?」
私が聞くと、そこでようやく手帳から顔を上げ、ほんの少しだけ得意げに口元をゆるめた。
「大地は草が生えます。家も建てられる。ですが砂地は違う。岩が多く、水は染み込みますが土にはならない。――つまり、人が住むには厳しい土地です」
でも、と彼は続けた。
「砂地では塩が取れます。ジョーガンで使っている塩も、“南の砂地”から採っています」
「そうなんですね」
――あの白い粒が、砂場から来てたなんて知らなかった。
「最後に誰かが行ったのは――百年前です」
百年。
数字の重さに胸の奥がゾワッとした。人の記録も、足跡も、もう途切れている土地。ちょっと……ううん、かなり怖い。引き返すなら今しかない――わかってる。でも、私は、トカゲに乗り込む手に力を込めた。
川沿いの道を進む。
川沿いは草原より獣に襲われることが多いが、大トカゲは走りやすく、視界も開けているし、道に迷う心配もないから、今回はこのルートにした。唯一と言っていいほどの問題はトイレ。地に足をつけた途端、待ち構えていたかのように虫が襲ってくる。森が近くまで迫っているせいだと思う。案の定――
「来たで!」
ウーさんの声のあと一拍遅れて、草の間からバッタが三体、羽音を響かせて飛び込んできた。
「出るな、ルル!」
バーツの声が響く。
私は後ろに下がりながら、トカゲの鱗に手を添えた。仲間たちがすぐ前に出る。
リックさんの槍が脚を斬り、ウーさんがその隙を狙って首を突いた。ジャンさんとドンダさんが息ぴったりに、残りの二体を押し返す。と、同時に視界の端で、何か黒い影が横切った。
「バーツ!?」
バーツが跳び出した瞬間、炎が弧を描いた。下から振り上げた剣が一体を焼き切り、体をひねった二撃目が、もう一体を横薙ぎに裂く。
火の粉塵が舞って、バーツの髪が揺れる。
「俺のルルに手ぇ出すな」
低い声で言って、足元に転がってる一体にさらに剣を刺す。
――かっこいい……。
ドキドキする。炎を背負って立つバーツから、目が離せない。
戦いはあっけなく終わった。少し焦げた草の匂いと、夏の風が混ざって流れていく。そのまま川沿いを進みながら、昼はトカゲの背で燻製肉をかじった。
「ルルちゃん、俺の槍も炎を出せるようにしてくれよ」
私用の乾燥しきってない燻製肉を齧ってる最中、サムさんがお願いしてくる。
――モグモグ……。
いつものようにバーツの膝に収まっている私は、頑張って口の中に入った肉を嚙み切ろうと努力するものの、無理。目だけで必死にサムさんに回答するけど、伝わらない。どうしよう。
「愛がないお前が持てるもんじゃねぇ。ルルはそう言ってる」
バーツが、ケッ、と言わんばかりの顔で代わりに答えてくれる。けど…。
――え?
真上にあるバーツの顔を思わず見つめる。そして流れるようにサムさんの顔を見ると、あっちも、ケッ、って顔してた。
カミカミカミ……。ゴクン。
「サムさん、遅くなってごめんね。えーと、炎は魔力がたくさん必要だから、一年は魔力を溜めておかないと使えないよ。その間、他の魔法陣は使えないし」
やっと肉を飲み込んだ私は、後ろに身体を乗り出してサムさんに回答する。すぐに身体はバーツによって前に戻されるけど、「そっか」と呟いた残念そうなサムさんに少し罪悪感みたいなものを感じた。
バーツの膝の上に戻ってから、改めて皆の顔をぐるりと見渡す。
何気ない顔したり、目が合ったブルーさんなんてニッコリ笑いかけてくる。けど、わかる。皆、今の回答聞いてたんだ。残念そうな雰囲気は隠せてなかった。
――皆、強くなりたいんだ。
仲間のために何かできないか、考えなきゃ。ううん、どうしても何かしたい。彼らの命を守るためにも。膝の上で握り閉めた拳を見つめながら、そう自分に誓った。
そのあとは、獣が二体出てきただけだった。草むらから出てくる前、ウーさんが教えてくれるので、私は自分の目を覆う。バーツが耳を覆ってくれる。そのあと、仲間が倒して解体する。流れるような連係プレーに、漠然とした一体感を感じて嬉しかった。
夜はトカゲを降りて晩ごはん。
バーツが干し野菜と干し肉のスープを作ってくれた。どうやら塩が強すぎたらしく、黙って水を足している。私と目が合った途端、タレ目も尻尾も情けなく垂れた。……かわいい。
「バーツ、大好き」
今日一日の胸の高鳴りと愛おしさが重なって、お礼の言葉ではなく本音がこぼれた。途端に気恥ずかしくなり、バーツの胸元に身を寄せる。大きな手がゆっくりと頭を撫でてくれる。その力強さに胸がまた熱くなり、顔の火照りはなかなか引かなかった。結局、食事は少し遅れてしまった。
翌朝も夜明け前に出発。
大トカゲの背で風を切る感覚は、何度味わっても少し怖い。その日は目立った襲撃もなく、川沿いを進み続けた。やがて夕暮れが訪れた。
川の流れは変わらず太かったが、森が途切れ、やがて草原が広がる。その草原に岩が目立ち始めたころ――ようやく目的地に辿り着いた。だが、辺りはすでに暗い。
「着いたね」
「暗くて見えねぇな」
リックさんとサムさんが周囲を警戒しながら見回る。他の仲間たちも荷物を下ろしながら、「確認は明日ですね」と言って野営の準備をしてた。私の目にも、闇の向こうで、地面がふっと途切れているのが見えた。向こうから吹いてくる風が、わずかに塩を含んでいる気がする。
そして――朝。
太陽が地平線の向こうから顔を出した瞬間、世界が一気に光に包まれた。
目の前に広がっていたのは――
砂場、じゃない。
……海だった。
ルルが、俺のメシ食って――「好き」って言いやがった
……あぁもう、たまんねぇ
俺のメスが、俺の手で作ったモンを、嬉しそうに食ってやがる
……最高だな
いや……最悪だ
外でアンアンは怒られる……
まて、俺の俺
ルルの可愛さに負けるな
ゥゥ……ツライ




