熊族 闘志を燃やす
熊族は——やる気だ。
ものすごく、やる気だ。
「俺たちのジュー!」
そんな声が、あちこちから上がっている。
ジューは、熊族の国。
小さな家々が並び、道の両側には作業台や工房が軒を連ねる。そこかしこで、何かが作られていた。可愛いものを好み、手先も器用な熊族らしい、温かくて誇らしい国だ。
ジューで作られる道具は、他とはひと味もふた味も違う。その理由は、この土地の土と、代々受け継がれてきた“道具そのもの”にある。何世代にもわたり、磨かれ、直され、使い続けられてきた手道具。そこには、まるで魂が宿っているかのような重みがあり、それが仕上がりに現れるのだ。
あの国に帰れば、また最高の物が作れる。
そう思うだけで、胸の奥が燃えるように熱くなる。
——だが、ひとつだけ大きな問題があった。
それについて一族総出で知恵を出し合った。だが、誰一人として解決策を思いつかない。そこで、女神の叡智に頼ることにした。
狐族の長老が、教えてくれた。
「女神をお迎えするときは、獣の姿で正装するのがよい」——と。
理由は教えてもらえなかった。その代わりに要求されたのは、大量の蜂蜜。だが、それで問題が解決するのならと、熊族は大喜びで差し出した。
そして、今日。
私は熊族の村に遊びに来てほしいと、長老に言われている。そして今日、その約束の日だ。熊族は優しいし、怖いわけじゃない。……たぶん。でも、「遊びに来てほしい」なんて正式に言われたのは初めてで、どうしても背筋が伸びる。
朝から落ち着かなくて、気づけば私は、バーツの尻尾をブラッシングしていた。
「気持ちいい?」
「ああ」
タレ目がさらに垂れて、ベッドの上でぐだっとしているバーツを見るのが好きだ。
「ねぇ。今日、お土産とか持って行く?」
「なんだそれ?」
「人のおうちに遊びに行くときに持って行くんだけど。お菓子とか、果物とか……」
「いらねぇ」
——そうか。
訪問する文化がないなら、お土産もないのか。
そんなことを考えながらブラッシングしていたら、バーツはすぐに気づいたらしい。みるみるうちに、目つきが悪くなっていく。
「今日はいかねぇ」
「え? 約束したでしょ?」
「俺は嫌だ」
口を歪め、目を据える。
「今日は、ずっとベッドでブラッシングだ」
いいことを思いついたと言わんばかりの顔で起き上がる。目が合った瞬間、嫌な予感が走り、次の瞬間には、押し倒されていた。
——待って!?
これはブラッシングじゃない!
手に持っていた尻尾を思いきり引っ張って、なんとか脱出したけど……ブラッシングは、幸せが大きいぶん危険も大きい。本当に、気をつけないと。
「そろそろ行こうよ」
「ふん」
鼻で返された一音に、行きたくない気持ちが全部詰まっている。
熊族の長老に「遊びに来るといいのぉ」と言われてから、この話になるたび、ずっとこんな調子だ。さっきまでブラッシングしていたせいで、余計に腰が重くなっているらしい。けれど、行かないという選択肢がないことは、本人もわかっている。
「今日は忙しい。用だけ済ませて帰る」
口をひん曲げながら、こちらを見下ろす。
「行きも危ねぇ。抱えてくぞ。……いいな?」
外に出た瞬間、返事を待たず腕が伸びてくる。
「速攻帰るからな」
「はぁ…ぁぁ…ぃ」
息が一拍遅れる。
返事になりきらない声のまま、景色が流れ始めた。
やっと止まり、降ろされた場所は——たぶん広場だ。
——えーと。
一面、黒。
わずかに茶色が混じるものの、ほぼ一色。視界いっぱいに“壁”がある。数歩下がって、ようやく全体が見えた。壁の正体は——熊族。
ずらりと並んだその姿は、圧巻の熊!だった。
もこもこの毛並みに、真剣な顔。広い肩、太い腕、ちらりと覗く牙……なのに、丸い耳がぴくりと動くたび、どうしても“ぬいぐるみ”がちらつく。
なんとも言えない迫力と、ちょっとした可愛さが同居していて、思わず、笑いそうにな……らない。
——こわ!
可愛さなんて、微塵しか感じない。迫力のほうが百倍多い。
「なんで……獣姿?」
喉の奥で呟き、隣のバーツを見る。バーツは腕を組んだまま、しばらく熊の群れを眺めていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……狐にやられたな…」
低く、呆れた声。
その一言で、全部察した。口元が引きつるのが、自分でもわかる。誤魔化すように空を見上げた。雲ひとつない青空が、やけに広くて眩しい。……想像できる。
脳裏に浮かぶのは、得意げに尻尾を揺らしながら——
「毛皮はな、我らの威光そのものよ」
「女神をお迎えするにあたり、獣姿でないなど——礼を欠くにもほどがある」
と、延々と語り続ける狐族長老の姿。
満足そうな目。
蜂蜜の樽を抱えたまま、すっと消えた後ろ姿。
その場を見たかのように、狐の尻尾が、瞼の裏でふわりと揺れた。
「よく来たのぉ」
熊の群れの合間から、長老がのんびりと現れた。にこにこと笑っている。長老だけ人の姿だからか、妙な違和感がある。
周囲の熊たちも、長老の言葉に合わせるように頷いた——ぐい、と大きな頭が一斉に下がる。まるで、襲いかかる直前みたいに。
——怖すぎ。
気づけば、足が一歩下がり、ざり、と靴の裏で土が鳴る。
「おじゃまします」
「……大した歓迎ぶりじゃねぇか」
「ふむ。こっちじゃ」
長老はそう言うと、熊たちの間、消えていく。慌てて私とバーツも追いかけた。もふもふの壁の圧がすごい。
やがて壁がふっと途切れ、その先にあったのは——熊族の集落だった。大きな屋敷が並んでいるのかと思いきや、そうでもない。むしろ狼族の家とさほど変わらない大きさだ。ただ、全体的に丸い。
丸い窓。
やわらかな屋根。
角の取れた壁。
木造のロッジ風だが、仕上げは驚くほど丁寧で隙間もない。今まで見てきた中で、一番「家らしい家」だった。……ただし。建てる位置も向きも、ばらばら。道が、道になっていない。そこは、やっぱり謎。
長老が入っていったのは、その中でもひときわ小さな一軒だった。体をかがめて戸口をくぐると、梁がきしりと鳴る。中は、椅子が五脚だけ置かれた一間。余計なものは何もなく、木の香りが濃い。
「座るといいぞぉ」
勧められるまま腰を下ろすと、すぐに湯気の立つカップが運ばれてきた。琥珀色の液体が、とろりと揺れる。
ひと口。
甘く、やわらかな香りが広がった。
「おいしいです」
「そぉか」
長老が、目尻を下げて笑う。
家の灯りみたいな温かさがある笑顔だった。湯気がゆっくりと天井へ昇っていく。
——そして。
長老が、ひとつ喉を鳴らした。
「じつはのぉ。熊たちはぁ、それはそれは楽しみにしてぉってのぉ」
太い眉を下げ、手を腹の前で組む。困っているのに、どこか誇らしげでもある、なんとも言えない表情だ。
「ジュー奪還のぉ日取りが決まってから~もぅ目の色変えてぇ皆、がんばったんじゃぁ」
その言葉に、外の光景が蘇る。
——あれ。
威嚇じゃなかったんだ。やる気、だったのか。
「槍は~兎かぁら倉庫を借りて~二つ分作ったのぉ」
——え?
思わず瞬きする。
倉庫、二つ?
頭の中で「一本、二本」と数えかけて、途中で止まる。単位が違う。完全に違う。
「ぁとは……蜂蜜の家~一軒じゃ」
「え?! 一軒?」
声が裏返った。
壺じゃない。樽でもない。——家。
「ぅむ。梯子をかけてのぉ、上から~注げるよぅになってぉる」
長老はうんうんと満足げに頷く。
手振りで屋根の形を作り、上からとぽとぽ注ぐ仕草までして見せた。
——丸ごと入ってるってこと?
多すぎるとか、そういう次元じゃない。
「ぁと、フライパンも~倉庫一つ分ぁるぞ」
胸を張る。
なぜ、そこを誇るのか。
——フライパン?
戦場に並ぶ無数のフライパンが脳裏に浮かび、思考が拒否する。
「ルルちゃん、熊たちは~頑張ったんじゃ」
今にも泣きそうな目で見上げられる。
——それは、わかる。
すごく、わかる。でも……。
「だがのぉ。皆~狐族のよぅに、一族で戦ぃたぃと言ぅてのぉ」
「えーと……熊族の戦士を優先的に、ってことですか?」
長老は、ゆっくり首を横に振った。
「熊の戦士は~ドンダだけじゃぁ」
——いやいやいや。
思考が、完全に止まる。
戦士いないのに戦うの?
蜂蜜と調理器具で?
どうやって?
沈黙が落ちた。
外からは、木を削る音と、何かを打つ乾いた音。
そんな疑問を打ち破るかのように、窓の外から「連れて行ってください!」という大合唱が響いてきた。
——またか!
びり、と空気が震える。
長老が申し訳なさそうに目を伏せるのが視界の端に入る。私は半ば諦めながら、窓から顔を出した。そこには熊族の群れ。
毛。
毛。
毛。
隙間なく、毛。
黒、こげ茶、赤みのある黒。
とにかく毛。
大きな口を開け、牙をずらりと見せてこちらに訴えてくる。ギラギラ……と思いきや、よく見たら目はまん丸。たぶん、笑顔のつもり……みたい。
——うーん。
怖い。すごく怖い。
ちらりと隣のバーツを見る。狐族のときと違って、まったく威嚇していない。耳も尻尾も、ぴくりとも動かない。——完全に「アホか」って顔だ。煙でも吐き出しそうな低い声で、ぼそり。
「そんな毛並みで勝てると思うなよ」
——そこ?
ツッコむのは、そこなの?
でも。
自分たちの国を取り返したい気持ちは、痛いほどわかる。彼らなりに必死で「戦う準備」をしてきたんだろうし。方向は——だいぶおかしいけど、真剣なのは伝わってくる。
どうしたらいいんだろ……と考えてると、窓の外で、巨大な毛皮の塊たちが円陣を組み始め、ひそひそ相談が始まった。——声量は全然ひそひそしてないけど。
「うーん、毛皮じゃなかったのかも」
「えー、だって狐が言ってたんだよ?」
「そうだよ。蜂蜜あげたじゃん。正しい情報だよ」
「たぶん、足りなかったんだよ」
「行きたいよ」
「秘密は樽一つだったから、女神には、もっとあげれば連れて行ってくれるんじゃない?」
「あ、じゃあ、女神には家にする?」
「「「それだ!」」」
——ちょっと待って。
今、“家”って言った!?
「ルルちゃんには、蜂蜜を〜献上しよぅと思ってぉる」
背後から、誇らしげな声。
振り返ると——そこには、「これで~全部解決だのぉ」と本気で思っていそうな長老がいた。手には鍵。
——嫌な予感しかしない。
「……ちなみに、どのぐらいですか?」
恐る恐る聞く。
「むろん、狐に渡したより〜大きぃのぉ」
多い、じゃなくて——大きい。
量じゃない。規模。
いらない。ほんとにいらない。
「……戦う方法は考えます。なので、まずは下見を……」
かぶせるように言った。
これ以上話を続けたら、たぶん二軒目が建つ。隣に立つバーツは、口の中いっぱいに蜂蜜を詰め込まれたみたいな顔をしてた。
そして外から。
「ガォー!」
やる気に満ちた咆哮が鳴り響く。
——いやもう。
怖すぎるって。
結局その日は、熊族の熱意に押されっぱなしで、どうにか話を切り上げた。
帰り際——「来て~くれたぉ礼じゃぁ」と差し出されたのは、バーツ並みの大きさの蜂蜜樽だった。縁から、とろりと甘い香りが漂っている。
——無理。
消費できる気がしない。
「これは……要らねぇ」
隣のバーツが、間髪入れずに断った。顔にははっきり「迷惑」と書いてある。少し驚いたけど……正直、私も同意見だ。お礼を言いつつ、やんわり辞退する。
長老は「そぉかのぉ」と残念そうに樽を撫で、ぽん、と叩いた。その音がやけに重い。代わりに差し出されたのは——熊族特製のフライパンセット。大・中・小の三枚重ねで、ぴかぴか光っている。
「あ。フライパン。ありがとうございます!」
ちょっと嬉しい。手に持つと、ちょうどいい重みがあって、見た目以上に存在感がある。新しいフライパンに、何作ろうかな、と持ってない脳内レシピを捲ってみる。楽しみ。
——って。
あれ? 魔法陣?
「……かまきりのかぜ?」
思わず首をかしげると、熊族の職人が胸をどんと叩いた。
「風の刃で切る! 最先端フライパンだぞぉ」
なんでフライパンに攻撃魔法……?
料理するたびに戦闘開始みたいになるんじゃ……?
不思議に思いながらも、受け取った。
帰り道。
夕焼けの中、バーツはやたら機嫌がよかった。フライパンをひっくり返し、回し、角度を変えては眺めている。
「……こりゃいいな。ルルに似合ってるぜ」
「そう? ありがとう!」
フライパンが似合うなんて、料理上手になった気分。すごく嬉しい。バーツはさらに、軽く叩いて音を確かめたり、にやりと笑ったりと、完全に上機嫌だ。
「殴るときに風の刃が飛べば、安心だろうよ」
「え?! 殴る?」
思わずバーツの顔を凝視する。
理解が追い付かず、頭の中が一瞬真っ白になった。
「いい武器だ。お前、可愛いからな。アホどもはこれで蹴散らせ」
真顔で、オスへの攻撃の仕方まで教えてくる。
「まずは、こう、だ……」
「狙いはここと、ここ、だ……」
歩いている最中なのに、構わずフライパンを振り回す。最後は自分の股間を指さし、「ここを潰すように思いっきりやれ」とフライパンの角度まで説明してきた。
——どういうこと?
目をグルグルさせている私を尻目に、誰を倒すべきか具体的に指示してくるバーツ。
「長老たちは、いただけねぇ。ただ、トカゲも借りる必要もあるからな。この小さなほうで……」
「ウーには借りが多い。だがな。たまに近すぎる。この中ぐらいの……」
「ジャンはダメだ。このでかいやつを使え。狙いはここだ……」
——だからか。
熊族は、槍とフライパンを作ってたんだ。
いつの間にか、フライパンは調理器具から武器へ進化していた。
狐に蜂蜜を取られ、バーツの勘違いで武器じゃなく調理器具を作らされるなんて……不憫すぎる。あんなにやる気いっぱいなのに、少し怖かったあの姿まで、かわいそうに見えてきた。
——はぁ。
彼らの望み………叶えられるかな。
悩みは尽きない。
その隣で、バーツはフライパンをどう使うとオスが倒せるか、元気よく悩んでいた。
家に帰り着くころには、すっかり日も落ちていた。
玄関でフライパンを立てかける。
その瞬間。壁に、すっと細い傷が走った。
——風刃。
………………。
危険物すぎる。
どうしよう。
とりあえず、倉庫を借りて、このフライパンたちは封印することにした。バーツは嫌がったけど。




