魔力同調
ガザルから、巨大トカゲが帰ってきた。
ちょうど酒場にいて、外少し騒がしくなったと思ったら、兵士が息を弾ませて駆け込んでくる。「ガザルから戻りました」とだけ言われて、思わず立ち上がった。バーツと顔を見合わせ、そのまま広場へ向かう。
広場にいた巨大トカゲは、土埃をまとってのんびりと瞬きをしていた。背中の荷台には、思っていたより荷物が少ない。樽がいくつかと、革袋がひとつ。中身は、リックさんから長老宛ての報告書と、私たちへの手紙だった。
バーツと並んで、その場で封を切る。
書かれていたのは、お礼と、復興が順調だという報告。壊れた家も、城も、崩れた街並みも、皆で力を合わせて直しているらしい。森も静かで、あれから虫は一度も出ていない、と。
思わずバーツと顔を見合わせて、ふたりで小さく笑った。胸の奥に、じんわりと温かいものが広がる。
――よかった。本当に。
……でも。
最後の一文を読んだとき、手が止まった。
あれだけ虫に占拠されていたガザルなのに、虫の死骸が一体も見つからない。
胸に広がったぬくもりが、すっと冷えていく。
――どういうこと……?
街を占領して暮らしていたなら、普通、どこかに残っていてもおかしくない。骨でも、殻でも、羽でも。
ガザルの中では死ななかったってこと?
死にそうになると外に出た……?
どこに?
なんで?
頭の中で疑問だけが増えていく。
手紙の紙は軽いのに、やけに重く感じた。
情報が、少なすぎる。
次の日、また長老たちに呼ばれて、いつもの部屋へ向かった。廊下は、いつもの土の匂いが鼻をくすぐる。軽く息を整えてから、バーツが開けてくれた扉を潜った。
中には、すでに皆が揃っていて、それぞれの椅子に腰掛けていた。熊族長老は、湯気の立つコップを啜っていて、兎族長老は、今にも瞼が落ちそうな目をしている。狼族と虎族の長老は、肉談義をしているみたいで、珍しく虎族長老が、身振りまで交えて長々と話していた。
一席だけぽっかり空いている狐族長老の席を、不安な気持ちで眺めていると、猿族の長老がゆったりと声をかけてきた。
「ガザルの復興で忙しいと言っておる。元気だ。心配いらん。それより座れ」
他の長老たちも笑みを浮かべた。胸の張りつめたものがほどける。私たちが座ったと同時に、その空気を切るように、猿族長老が口を開いた。
「今日集まったのは、狐族の書庫から見つかった文献のこととなる」
猿族長老の声が、すっと低くなる。ついさっきまでの雑談とは明らかに違う、会議の声だ。部屋の空気が一段、静まった気がした。
「内容だが、魔力について、だった」
視線だけ巡らせる。そこまでは既に知ってたみたい。誰の顔色も大きくは変わらない。ただ、耳や尾の動きがぴたりと止まっているのが見えた。続きを待っている沈黙。
「皆も知っての通り、ツガイ同士は魔力が似ている。ゆえに寿命を分け合える。これは民の誰もが知っておる常識だ」
言葉を区切るように、猿族長老は一度だけ息を吸った。顔だけじゃない。肩まで強張ってるのがわかる。
「……だが、この文献には、こう記されておった。長く連れ添えば、互いの魔力は自然に似てくる、とな」
一瞬、誰も言葉を発さなかった。沈黙が、遅れて意味を運んでくる。
「なんやと……。それが事実やったら、狂い落ちの巻き込み負傷は減らせるやろ」
「狐の……今まで、何も言ってなかったな」
兎族と虎族の長老がほぼ同時に口を開く。兎族長老は耳をぴんと立て、虎族長老は腕を組んだまま目を細めた。驚きと、ほんの少しの疑念が混ざった顔。熊族長老だけは、顎に手を当てて「ほぅ」と小さく唸っている。楽観というより、可能性を量っているような目つきだった。
――巻き込み負傷?
聞き慣れない言葉に、思わず首が傾く。視線を上げると、隣のバーツが気づいて、わずかに目を伏せた。さっきまでの軽い表情が消えている。
「パートナーを失ったメスはな、正気を飛ばす。見境なく周りを傷つけて、命が尽きるまで止まらねぇ」
低く、乾いた声だった。慰めも、脅しもない。ただ、何度も見てきた光景を机の上に置いただけみたいな言い方。
ぞわり、と背筋に冷たいものが走る。
壊れるほど”苦しい”。
私はその味を、この心と身体で知ってる。
喉の奥が、きゅっと狭くなる感覚。息を吸っているのに、空気が足りないみたいな、あの感じが襲ってくる。
部屋の空気が、さっきよりも重く沈んだ気がした。
誰もすぐには口を開かない沈黙が、ゆっくりと広がっていく。
――なぜ、そんな大事なことを今まで……?
狐族の空席が、やけに大きく見えた。
椅子の背もたれがぽつんと取り残されていて、そこだけ時間が止まっているみたいだった。座るはずの影が、床に落ちていないのが不自然で、目を逸らせない。
「我ら、猿族への配慮、だろう」
猿族の長老がぽつりと口を開いた。喉の奥に砂が詰まったみたいな響きだった。
「パートナーだから、最後まで一緒に居られないと思っていれば、我らへの非難は少ない」
その言葉が落ちた途端、場の空気がもう一段沈む。見えない重りを誰かがテーブルの中央に置いたみたいに、全員の視線が下がった。
オスは、虫との戦いだけじゃない。メルに道具のように扱われ、あまりにも短命だった。そんな中で「パートナーの同調」なんて伝えたら――。「一緒に生きられるはずだった自分のオスを返せ」と、誰かが叫ぶ。その矛先は、メルを生み出し、今なお一番多くのメルを輩出している猿族へ向かう。責任と怒りと悲しみが、ぐちゃぐちゃに混ざったまま。
「そんな……。メルだって……。オスだけじゃない。メルの寿命だって短い……です」
言葉が、うまく繋がらない。
今を生き延びるために。どうしようもない選択の中で、皆が、同じだけ犠牲を払ってきた。誰か一人を悪者にするなんて、できるはずがない。
「そうだな。だが、民は、メルの生き様は知らん」
「だからって……」
猿族長老は、ありもしない”罪”を背負い、顔を歪めてる。指先が膝の上で小さく震えてた。
「ふん。寿命まっとうできたやつなんて、一人もおらんかったわ」
兎族長老が鼻を鳴らす。呆れたような、諦めきったような、でもどこか優しい目だった。
「だのぉ。狐のぉは、文献を~封印した。それが答ぇじゃ」
熊族長老が、ゆっくりと頷きながら言う。激戦を生き抜いた戦友に向けるような、静かな微笑みを猿族長老へ向けていた。責めるでも、慰めるでもない。ただ理解を伝える目。
「今は……新しい風が吹いた。だから未来にかけるそうだ」
それまで黙っていた狼族長老が、初めて口を開いた。低く、よく通る声。そして、まっすぐに私を見る。
視線が合った瞬間、胸の奥が小さく跳ねた。
「とりあえず、これについては当面、長老のみの秘密とする」
決定の声だった。
そう言うと、狼族長老は猿族長老へ視線を向ける。
責めるでも、試すでもない、静かな目。
「問題ない。そのうち、伝える必要もない未来が来る」
猿族長老は小さく笑った。自嘲でも強がりでもない、遠くを見るような笑みだった。皺の刻まれた目尻が、わずかに緩む。
――苦しい。
なぜ、この世界は、こんなにも苦しいのだろうか。胸の奥で、言葉にならないものが渦を巻く。怒りでも、悲しみでもない。ただ、重い。
その空気を切り替えるように、狼族長老が椅子を引いた。木の脚が床を擦る音が、部屋の隅まで響く。
「未来に」
立ち上がり、両掌を胸の前で合わせる。指先が揃い、背筋がまっすぐ伸び、少しだけ前に頭が下がる。
「「「「未来に!」」」」
他の長老たちも一斉に立ち上がる。椅子が動く音が重なり、部屋の空気が一度だけ震えた。それぞれの掌が胸の前で合わさり、頭が下がる。耳も尾も静かに止まる。
「俺のメスに!」
隣で、バーツも立ち上がる。椅子の背を軽く押し、腰に吊るした剣の柄に手を置いた。少しだけ頭を前に下げる。その言葉に、胸の奥が熱くなる。
「この世界に愛を」
私も立ち上がり、皆と同じように両手を合わせて祈る。ツガイが大好きな世界だから、愛も、未来も、きっと同じ方向を向いているはず。
目を閉じると、さっきまでの重さが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
ガザル、とある城の一室。
――重要な密談が行われている。
リックを囲んで狐たちが鼻を突き合わせていた。重々しい空気……
とある狐「女神像を建立いたしましょうぞ!」
別の狐「左様。ガザルの女神にふさわしき像を」
リック「却下だよ。そんなの建てたら、ルルちゃん絶対に来なくなるって」
狐たち「「……」」
さらに別の狐「では女神にお部屋をご用意せねば」
隣の狐「うむ、安らかにお休みいただかねばならぬ」
また隣の狐「ならば、最奥の宮を住まいとして差し上げようぞ!」
リック「却下。そんなことしたらバーツが絶対来ない」
全狐「「「不要!」」」
リック「……で、ルルちゃんも来ないよ」
全狐「「「……」」」
リックは椅子の上で足を組みながら、目の前の毛皮の塊を見下ろした。
「あとね。狐姿で議論しても、ルルちゃんいないから」
「「「「「……」」」」」
一斉に人型に戻る狐たち。
リックは頭を抱える。
毎日毎日、こればっかり。
……ああ、本気でジョーガンに帰りたい。




