帰宅
次の日の朝。
まだ夜の冷気が残る空気の中、本陣の幕屋に仲間たちが集まっていた。
「森からの虫の反撃は?」
「沈黙してるのが、逆に不気味だな」
リックさんの問いに、サムさんが渋い顔で答える。
——あれだけいた蟻が、なんで動かないの?
考えれば考えるほど、疑問ばっかり増えていく。
「わかった! 冬だからだよ!」
「ドンダ……さすがにそれは、早すぎます」
ぱっと顔を輝かせるドンダさんに、ブルーさんが頭を押さえながらため息まじりに返す。
……うん、たしかに。
あのときだけ大群で森の外に出てきた理由、全然説明つかないし。考えなきゃいけないこと、まだ山ほどある。
奪還の第一報は、もう伝令が持って出発してるけど、長老たちへの正式な報告もしなきゃいけない。それに——気になるのは、やっぱりジョーガンのことだった。兵を百人も連れてきたとはいえ、指揮を取るリックさんもブルーさんも、今はここにいる。これ、どう動くのが正解……?
そう考え込んでいると。
「俺たちは、一度ジョーガンに戻る」
ハッと見上げると、バーツは決意を込めた目で皆を見ていた。
——そっか。
「うん。ここは皆がいるもんね」
さっきまで頭の中でぐるぐるしてた焦りが、すっと静まっていく。落ち着きを取り戻した頭でバーツを見ていると、「ん?」と流し目でこちらを見返されて、今度は心臓のほうが騒がしくなった。
——もぉ。
熱くなった顔を持て余し、皆の方を向くと、生ぬるい視線をバーツに向ける皆がいた。
——え?
なんで?
「俺も行くで」
ウーが、やや呆れたように肩をすくめて言う。
「なら、私も行きます」
ブルーも頷き、私の隣に立った。
胸の奥が、わずかに温かくなる。一人で背負う必要はない——そのことが、言葉よりもはっきりと伝わってきた。
「わかった。では残りは、兵を留め、守りを固める。追加の人員と物資が到着次第、復興作業を開始。それまでは国の警備だ」
リックさんが締めくくり、方針は定まった。
私も小さく頷き、仲間たちの顔を見回す。
その視線の先には——ちゃんと、未来があった。
出発して間もなくのことだった。
ジョーガンへ向かう道の先に人の列が見えた。青い空の中、それはゆっくりと動いている。近づくにつれ、荷を抱えた民の姿と、それを囲む兵の気配が浮かび上がってきた。
その先頭に立つ者の姿を認めたとき、思わず息が止まった。
狐族の長老だった。
「……ルル様」
名を呼ばれたときには、すでにその目に涙が滲んでいた。驚きと、縋るような期待とが入り混じった声だった。
「国は……取り戻せたのか」
問いは短かったが、その奥にあるものは重かった。長く抱え続けてきた希望が、そのまま形になったように思えた。
「はい。討伐は完了しました。砦も街も、もう安全です」
そう告げると、長老は声を詰まらせて、その場に膝をついた。次いで、信じられないように空を仰ぎ、両腕を広げ——狐の姿に変わると、尻尾をぶんぶん振りながら跳ね回った。
「奪還成る! 狐の国は戻ったぞ! ガザルは生きておった!!」
狐の国の名——ガザル。
その響きが、森に響き渡る。
兵士も民も涙ぐみながら歓声をあげ、抱き合い、互いの無事を確かめ合っている。長老はもう、立ち止まってはいられないというように、涙をぬぐい、民を急かして国へ向かっていった。
狐族の長老たちを見送ったあと、私たちは再び進路をジョーガンへと向けた。
トカゲの専用小屋に入り、淡い冬の日差しを見ながら、進路を急ぐ。道中、獣に襲われることもなく、ただ凍えるような寒さが頬を撫でて過ぎていった。
こうして私たちは、無事にジョーガンへと辿り着いた。
いつもの長老会の部屋。
すでに待ち構えていた長老たちが、揃ってこちらを見つめている。私は深く息を吸い込み、胸の奥から声を絞り出した。
「奪還、成功しました」
私の声に、長老たちは言葉を失ったように沈黙した。やがて、狼族長老がゆっくりと頷く。それを合図に、次々と深い吐息や小さな声が漏れ出した。
「そうか……」
「ついに、あの国が……」
長老会の部屋に、安堵と驚きと、そしてまだ信じられないという色が入り混じる。私はバーツや皆とともに、順を追って報告を続けた。
蜘蛛や蟻の群れ。
砦での戦い。
そして、最後に見つけた女神の櫛のこと。
一つひとつ話すたびに、長老たちの顔が険しくなったり、またほっと緩んだりする。ときおり質問が飛び、ブルーさんやウーさんが答えてくれた。やがて話がひと通り終わると、重苦しい空気は静かに収まり、長老たちは深々と頷いた。
「ご苦労だった。よくぞここまで……」
長老たちの顔には、血塗られた選択を何度も重ねてきた者だけが持つ憂いがあった。
明日には国が食われるかもしれない現実の中で、ようやく未来が見えたんだと思う。ほんの一息分だけの、縋りつくような笑顔が漏れていた。
部屋を出ると、もう夕暮れに染まり始めている。冷たい空気が肺にしみたけれど、どこか甘い解放感があった。
——終わった……。
ううん、これが、きっと始まり。
「やったな」
隣にいたバーツが、私を抱き上げ頬擦りする。胸が温かくなる。大好きバーツ。
「お疲れさん」
「ホント疲れましたねぇ」
ウーさんとブルーさんは解放感というよりは、ヘトヘト感って感じでちょっと笑った。
「じゃあな」
「ほな、気ぃつけてな」
「また明日に」
「二人とも、本当に、ありがとう」
簡単に声を掛け合い、それぞれの家へ散っていく。見慣れた通り、見慣れた家々。やっと見えてきた、周りより、少し綺麗な造りの私たちの家。
扉を開けると、冷えた空気とともに、ずっと待っていた静けさが迎えてくれた。その中に、当然のように隣に立つバーツの気配がある。
私はようやく、深く息を吐いた。
長かった。
外では嫌と言われ、毎日はやれなかった。
何を?
そりゃアレだ。
何のために先に帰った?
そりゃアレのためだ!
今日は手加減できる気がしねぇ。
ルルも風呂に入った。
俺も急いで裏で水浴びした。
完璧だ。
さぁ、ルル!
あんあんの時間だ!
って…。
ルル? ルル? ルル?
……頼むから、起きてくれ……。




