プロポーズ
新しい魔法陣を使う機会もないまま、偵察は驚くほどあっさり終わった。心配して門まで駆けつけてくれた長老たちは、無傷の私たちを見ると、ほっとしたように顔を緩める。
「報告は”後日”でいいぞ」
「うむ。”後日”のほうが良いな」
狼族の長老が笑顔で言い、隣の猿族長老も力強く頷いていた。
「ありがとうございます」
素直にそう答えながら、胸の奥で小さく息を吐く。
——助かった。
なにせ明日、人生最大のイベント——プロポーズが控えているのだから。
本当は偵察の前に済ませたかった。けれどリックさんの都合がつかず、「帰還した次の日」にすると決めていたのだ。
「バーツ」
帰ろうとした私たちを、リックさんが呼び止める。
——ここからは、決めていた段取り。
「あ? もう帰るぞ。何もしねぇ」
砦が見える前から「早く巣に戻る」と言い続けていたバーツは、露骨に嫌そうな顔をした。
「ああ、今日は帰っていいよ。けど、明日は報告会で話す内容も決めたいから、起きたら城に来てくれ」
さらに嫌そうな顔になるバーツを気にも留めず、リックさんは続ける。
「ここまでが偵察だから。文句は聞かないよ。じゃあよろしく」
一方的に言い切ると、そのまま手を上げて去っていった。
——さすが。
「くそっ。ルル、お前は家にいろ。俺だけが行く」
どうにもならないと悟ったのか、今度は私を守る方向に切り替えてくる。でも、それもリックさんの想定内。
「でもね、バーツ。私が行かなかったら、皆が家に来ちゃうんじゃない? 多分、私必要だと思う」
隠したメスを巣まで探しに来られるのを嫌う——オスの心理を逆手に取った作戦。
「うぐ……」
本気で嫌そうに顔を歪めたあと、
「……ワカッタ」
しぶしぶ頷いた。
尻尾をぺたりと落とし、私をぎゅっと抱き上げると、そのままトボトボと家へ向かう。
——ごめんね、バーツ。
でも明日は、きっといい日になるから。
朝、目が覚めた瞬間から、心臓が落ち着かなかった。
気づけば、右手と右足が同時に出ている。
「ルル? 体調が悪いのか? これじゃあ城には行けねぇな」
心配したバーツが、私を抱き上げてベッドへ戻そうとする。
「大丈夫。行ける」
今日は、絶対に行かないといけない。なんとか説得して、着替えを済ませる。
選んだのは、一番のお気に入りのワンピース。緑の狼が刺繍されていて、黒いくるくる毛のコートを羽織る。
一見どれも同じに見えるけど、この一着は違う。左手首の内側に、小さな“隠れ狼”がいる。バーツにそっくりな目で、唸るんじゃなくて、笑っている。——可愛くて、たまにキスしちゃうぐらい。
支度を終えて、軽く食事を取ると出発だ。
バーツの尻尾はまだしょんぼりしているけど。
城へ向かって歩きながら、ここまでの苦労が次々と思い出される。
ベーベさんに指輪を頼むのも大変だったけど、それ以上に困ったのが、受け取りだった。一人になる時間がない。長老会ですら、今はバーツと一緒。
——詰んだ。
どうにも行き詰った私は、結局リックさんに相談した。
——あれは、まだ夏の終わり頃のこと。
問題は、どうやってバーツに気づかれずに相談するか。考え抜いた末、ひとつの方法に辿り着いた。
誘拐事件以来、バーツは必ず私を戦場に連れて行く。仲間との待ち合わせは酒場。私はそこで、そっとバーツの手を握った。
「ねぇ、バーツ。新しい技、試してほしいの」
少しだけ上目遣いでお願いすると、バーツは一瞬だけ目を細めて頷いた。
「なら、ベーベのところに行くか」
新しい技自体は、本当に考えていたものだ。
火の範囲魔法は危険すぎる。でも水だけでは足りない。
だから——間欠泉。
ベーベさんの店の裏の空き地に移動すると、皆もぞろぞろとついてきた。
「調整スライドを真ん中にして……そう。それで剣を、こんな感じで下から上に——」
——お願い、出て。
「いくぞ」
バーツが剣を振り上げた瞬間、地面から水が噴き上がった。直径五メートルはある水柱と、水蒸気が一気に広がる。
「うぉ!?」
「見えねぇ!」
「蹴るな!」
混乱の声が上がる中、白く染まった視界の向こうから——バーツが、まっすぐ私の元に戻ってくる。
「すげぇな、これ。これなら樹を燃やさなくて済む」
そう言って、迷いなく抱きしめてきた。
——ごめんね、バーツ。
半分は……企んでる。
そのまま塀の前へ移動すると、バーツは私を下ろして、皆に向き直った。
一瞬で、空気が張り詰める。
「俺は、ルルから授かった新技の練習をしなきゃならねぇ。今度こそ——」
そこまで言いかけた瞬間だった。
ぴたり、と。
周囲の空気が、凍りつく。
「ないね」
「ありえません」
「ねぇな」
「ふん」
「アホが」
「ないよ」
全員が、同時に否定した。
静かな目の奥に、あのときの悔しさがまだ残っているのが分かる。
「大丈夫。バーツ。問題ないから」
私も油断しない。皆も油断しない。
だから——大丈夫。
結局、バーツはしぶしぶ草原の向こうへと向かっていった。不満そうな背中が、だんだん小さくなっていく。
——いってらっしゃい。
心の中でだけ手を振って、私はそっと視線を外した。そして——リックさんを見る。
「ルルちゃん」
先に声をかけてきたのは、リックさんだった。
「そんな顔してたら、“企んでます”って言ってるようなもんだよ」
「え!? なんで!? どうしてわかったの!?」
思わず声が裏返る。
リックさんは、呆れたように肩をすくめた。
「おかしいでしょ。新技を酒場で言うなんて」
——そ……そうなの?
「ルルちゃんなら、不安だからってベーベの空き地で何度か練習させるよね」
「う……」
図星すぎて言葉が詰まる。周りを見ると、ウーさんたちも分かっていたらしい。
「ですね」
「わかってへんのは、浮かれとったバーツだけや」
「それは違いますね。きっとドンダもわかっていません」
「間違いないわ」
軽口を叩きながらも、配置は完璧だった。三人が私のそば、三人が外側で戦闘。
「……この配置で戦うの?」
思わず聞くと、
「話聞きてぇしな」
「バーツに内緒って時点で……な」
サムさんとジャンさんが、ニヤリと笑う。
——完全にバレてる。
観念して、私は息を吐いた。
「……もう頭がいっぱいで、わかんなくて。知恵かしてほしい」
「どんな?」
リックさんが、少しだけ真面目な顔になる。
「うん、実は——」
指輪のこと。
受け取りの問題。
そして——プロポーズ。
虫の襲撃の合間を縫いながら、少しずつ説明していく。
話し終えたとき。
あの冷静なリックさんが、ほんの一瞬だけ目を丸くした。
「おもしろそうだ」
「ぷろぽぉず、かいな」
「任せて、ルルちゃん」
一気に空気が軽くなる。
「バーツに内緒でお願い」
「わかってますよ」
「こっそりしたいの」
「まかせて」
全員が、いい笑顔で頷いた。
……でも。
六人で取りに行く気じゃないよね?
少しだけ、不安が残った。
で、結局の解決案は——全然「こっそり」じゃなかった。
仲間たちが見守る中、ベーベさんが私の前に立ち、にこっと笑って指輪を差し出してくる。その場で受け取って、そのままプロポーズ。……という、完全なる公開プロポーズ計画になっていた。
——いや、ちょっと待って。
「こっそり」って言ったよね?
しかも、なんでここまでしっかり計画されてるの?
誰が主犯なの? 全員?
頭の中でツッコミがぐるぐる回る。
でも——ここまで来てしまったら、もう逃げ場はない。腹、くくるしかない。むしろこれは、私の人生で絶対に外せない“大舞台”なんだと思えば、不思議と少しだけ気持ちが落ち着いてきた。
——頑張れ、私。
場所は、なんと第三回婚活会場。準備も段取りも、「ルルちゃんはバーツがいると動けないでしょ」と言われて、全部みんなに任せることになった。
——本当に、頼りすぎてるな、私。
そう思った瞬間、胸の奥にじんわりと温かいものが広がる。ありがとう、みんな。
城が近づくにつれて、心臓の鼓動もどんどん大きくなっていく。
正直、偵察より緊張してる。命をかけた戦いよりも、この一大イベントのほうが心臓に悪いなんて、誰か先に教えてほしかった。
やっとたどり着いた城の入り口では、いつも案内してくれるバーツの幼馴染の狼兵さんが待っていた。けれど今日は、様子が違う。こちらに向けられる目に、羨ましさと期待が入り混じっていて——どこか意味ありげだった。
——事情を知ってる顔だ。
間違えない。絶対に知ってる。
じわりと冷や汗が滲む。
「なんだ?」
「……いや。こっちだ」
「おい? なんだってんだ」
隣でバーツが首をかしげ、私の心臓はどくん、と大きく跳ねた。
——やばい、バレる……!
「リックが呼んでるぞ。早く来い」
狼兵さんは何事もない顔で先導していく。けれど連れて行かれたのは婚活会場ではなかった。城の外へ出て、そのまま商業エリア中央の広場へと向かう。
「……え?」
そこは市や祭り、長老の言葉が伝えられる場所——つまり、一番人が集まる“公の場”。
胸の奥で嫌な予感がじわじわと広がり、背中に冷たい汗が流れる。広場の中央に着くと「ここで待ってろ」と言い残し、狼兵さんは去っていった。
「ちょ、ちょっと待って……」
止める声も、届かない。
次の瞬間——長老たちが、ぞろりと姿を現した。
——やめて、嘘でしょ!?
焦りで色んな汗が出てくる。何なら眩暈も出てきたかも。
「これより、ぷろぽぉずの儀を執り行う」
「ルルよ、前へ」
——いやぁぁぁ!
こんな公開プロポーズなんて、聞いてない!
気づけば、周囲は人、人、人。狼族を中心に、ぐるりと囲まれている。最前列には——仲間たち。手を叩いて、笑って、全力で盛り上げていた。
——裏切り者!
仲間たちを睨みつけた後、涙目でバーツを見上げる。
その顔は、完全に固まっていた。
目を見開き、口をぽかんと開けて、今まで見たこともないほど驚いている。
——そうだ。
胸の奥でざわついていたものが、すっと静まる。
——これは、私が決めたこと。
バーツの顔を見た瞬間、焦っていた心が「覚悟」を取り戻す。唇をぎゅっと噛みしめて、一歩、前へ出た。
——私は、バーツを幸せにすると誓った。
逃げないで、私。今こそ——やるとき。
震える足で進むと、熊族の長老が一歩前に出て、小箱を差し出した。黒い布が張られた重厚な箱を両手で受け取ると、心臓の音が耳の奥で爆音のように響く。
そして——バーツの前でしゃがみ込む。
「バーツ」
声が、震える。
それでも、止めない。
「愛しています」
箱を開ける。指輪が光を受けて、きらりと輝いた。
「必ず幸せにすると誓うので——一生、私と一緒にいてくれますか」
何度も考えて、選んで、迷って。
それでも最後は、まっすぐ伝えると決めた想い。
「神果の儀を私としてください」
——その瞬間
バーツが
バタリと
倒れた。
「え?」
理解が追いつかない。
目の前で、真っ赤な顔のまま白目を剥いて崩れ落ちる。
「え、え!? バーツ!?」
動けない。体が固まって、声だけが空回りする。
——な、なんで!?
そのとき、視界の端に狼の尻尾が入った。
——え? リックさん?
「こうなるとは思ってたけど」
くすくす笑いながら、バシャッと容赦なく水をかける。
「実際に見ると、笑えるな」
——予想してたの!?
呆然と見ていると、
「ん…」
バーツが目を覚ました。
私を見た瞬間、涙をぽろぽろ流して「キューン、キューン」と仔犬みたいな声をあげる。そして次の瞬間、はっとした表情を浮かべると——私を抱き上げ、そのまま全力で走り出した。視界の隙間から見える景色が、凄まじい速さで流れていく。
結局、そのまま五日間、ベッドから出られなかった。指輪をバーツの左薬指につけられたのは最後の日の朝。幸せだけど、身体が……ツライ。本気で泣けた。
後日。
「ちょっと、公開プロポーズすぎない?」
そう文句を言うと、リックさんは涼しい顔で答えた。
「羨ましすぎて頭が回らなくなったから、長老に相談した」
——ぁ……。
どこかで聞いたような理由に、何も言い返せなかった。
正式な神果の儀は、後日、狼族の村で執り行われることになった。
あれが……プロポーズってやつらしいな。
女神の国の儀式だって、あとで聞いた
本当は、オスがするもんなんだろ。
なのに……ルルは、俺を幸せにしたいなんて
メスのくせに、わざわざ自分から言いやがった
生きてて……
……生き延びて……よかった
親父……お袋……
俺の命を、ここまで繋いでくれて……ありがとな




