赤ロッジかぶりトカゲ
今日は、出発日。
まだ日も昇っていないのに、ぱちりと目が覚めた。いつもなら寒さに負けて出られないベッドも、今日は迷わず抜け出して着替えを始める。もう一度引き戻そうとするバーツの手をぺしっと叩くと、唇を尖らせた気配がした。
「ねぇ、支度しないの?」
「……ふん」
不機嫌そうに鼻を鳴らしながらも、しぶしぶベッドを出てくる。
——もぉ。
後ろから抱きついて「大好き」と伝えると、尻尾がものすごい勢いでぱたぱた揺れた。……かわいい。
朝ご飯を食べながら、自分の調子を確認する。
私の身体——調子は問題なし。
私のメンタル——やる気、十分。
——よし。
バーツは?
肉をもしゃもしゃ食べている様子をちらりと見る。
バーツの身体——いつも通り、問題なし。
バーツのメンタル——まだ少し、いじけ気味。
……でも、かわいいから問題なし。
うん、大丈夫。出発できる。
食事を終えて家を片付け、ふわふわのコートを着込む。リュックも持った。準備は万端だ。
そう意気込んで、トカゲ屋の前に立ったけど、目の前の光景に思わず固まった。
そこにいたのは、ティラノサウルスみたいな姿に、まんまるの目をした巨大トカゲ。——ここまでは、いつも通り。問題は、その頭の上だった。
ぽこん、と乗るようにくっついているのは、半壊したロッジ。丸太組みの小屋に小窓付き。顔まで出せる仕様。しかも、なぜか蛍光赤で縁取られている。
——え、えぇぇ!?
なんで頭の上に家!?
帽子!?
ていうか蛍光赤、どうやって用意したの!?
「おはよ。ルルちゃん、気に入った?」
ニコニコ笑顔で声をかけてくるリックさん。
「おはよ……えっと、用意、ありがと……」
一応お礼は言ったけど、どうしても気になって、視線が自然とトカゲの頭の上へ向かってしまう。それに気づいたリックさんが、真顔で教えてくれた。
「望遠魔法陣を使うなら、ここが一番だよ」
——あ。
……そうか。
窓から顔を出して、トカゲが後ろ足で立てば——高台からの望遠になる。
理屈はわかる。
さすがリックさん、発想が一味違う。
——でも!
屋根の高さは左右でちぐはぐ。丸太の継ぎ目から風が入りそうだし、何より——走り出した瞬間、バラバラに崩れる未来しか見えない。
とはいえ、せっかく用意してくれたものだし乗るしかない。
「……不安」
呟きながらトカゲに手を伸ばしたら、隣にいたバーツが私を抱き上げる。
「……あぁ。こりゃ、まずいな」
眉をひそめたバーツはそのまま私をトカゲに乗せると、ずいっと肩を突っ込み、自分も無理やり中に入ろうとしてきた。
「だ、ダメダメ! 絶対無理! キシキシいってるでしょ!? 崩れるから!」
「こんなに隙間があったら寒いだろ」
ぐいぐい押し入ってくるバーツを、全力で押し返す。
——問題は寒さじゃなくて、広さ!
どうにか追い出すと、後ろからウーさんとサムさんの笑い声が聞こえてきた。
「ルルちゃんの観測小屋、よう似合っとるやん」
「トカゲがめかしこんでやがる」
——もぉ。
楽しんでるし。ちょっとだけ、つられて笑いそうになる。
扉を閉める前に、もう一度だけ振り返る。
見慣れた街並みの向こうに、遠く——城が見える。当たり前になったはずの光景なのに、胸の奥が、じわりと揺れた。この世界に来る前の景色と、今見ている景色が、心の中でうまく重ならない。
それでも——私は、ここに立っている。
ぎゅっと目を閉じる。
一度、深く息を吸って——ゆっくり吐いた。
目を開けて、空を見上げる。
——よし、出発しよう。
太陽が昇る前の空気は、冷たく澄んでいて——新しい未来の匂いがした。
今日のトカゲは、いつもより大きい。御者は鼻先のあたりにいて、釣竿みたいに紐を垂らしている。やり方はいつもと同じ。ただし、ぶら下がっているエサも、しっかり巨大だった。
走り出した瞬間、小屋がギシギシと軋み始める。……いつ壊れてもおかしくない気がして、落ち着かない。そんな不安の中で、バーツから二度目の襲撃を受けた。
暴れたら確実に小屋が壊れる。押し出すこともできず——結果。今、バーツは私の座椅子になっている。出発前とは打って変わって、ものすごくご機嫌だ。
確かに、トカゲに乗っていれば虫には襲われないけど。最大戦力が座椅子でいいの?
——よかったみたい。
その後は、拍子抜けするくらい何も起きなかった。トカゲの足取りは安定していて、午前中はひたすら進むだけ。……というか、やることがない。ただ、小屋の中で座っているだけ。
昼になっても、わざわざ降りる必要はなかった。トカゲの食事は「口に野菜を投げ入れる方式」で済むらしく、走りながらでも問題ないらしい。結局、夜まで何もなく、順調そのもの。
「バーツ、そろそろ予定場所に着くよ」
外から、リックさんの声が聞こえる。
トカゲも夜は休むらしく、ここで停泊する。場所は、あらかじめ地図で決めてあった。夜は周囲を警戒しながら、交代で休むことになっている。
トカゲが止まり、外に出ると——そこには、ブロック状に切り分けられた肉の山があった。どうやら、私が小屋にいる間に、狩りから解体まで全部終わらせてくれていたらしい。
「……みんな、ありがと」
初めての遠征で、みんな気を張って、疲れているはずなのに。
「私も、ご飯作るの手伝——」
「ダメだ」
即座に、バーツが遮る。
「ルルの仕事は、俺の手伝いだ」
顔を近づけて、有無を言わせない圧で言い切られた。
「…………うん」
ごめんね、皆。
バーツは肉の山から適当な塊を選ぶと、そのまま焚き火で炙り始める。結局、私はその隣で——”料理するバーツを見守る”という、いつもの仕事をすることになった。
夕食後。
焚き火の明かりの中で、私は獣姿のバーツの毛並みをブラッシングしていた。
蟻塚攻略のときは短期間だったから我慢してもらったけど、今回は往復で長くなる。だからこそ、このブラシの出番だ。
毛並みに沿って、ゆっくりと梳かす。
「……ん。悪くねぇな」
いつも通りの声。でも——尻尾は正直だ。ばっさばっさと嬉しそうに揺れている。
「ふふ。やっぱり気持ちいいんだ」
ブラシを通すたびに、バーツの体から力が抜けていくのがわかる。どうやら、かなりご機嫌らしい。
「ご飯、ありがと。バーツ」
ぽつりと呟くと、バーツは低く鼻を鳴らして、少しだけ視線を逸らした。
——うん、やっぱりかわいい。
……ただ。
その尻尾、地面を叩きすぎて、だいぶ汚れてるよ。
て!?
ちょっと、バーツ!
リュックに鼻先突っ込まないで!
それ、ダメ!
下着に触らないで!!
……イヤだ
巣から出したくねぇ
そんなことを本気で思っちまって、
危うく——情けねぇオスになるところだった
チロリと周りを見る
……いるな
羨ましさ隠しきれてねぇ顔で、尻尾をこっちに向けてるオスどもが
……笑わせやがる
あんな毛並みで、俺に張り合えると思ってんのか
ルルに、大事に、大事に、梳かされた俺の毛並みだぞ
あれが情けねぇオスだ
俺は、あいつらとは違う
ルルのパンツは、まだ触らせてもらえねぇくらい——大事なもんだ
そのルルの宝物と同じリュックに入れられて、運ばれてきた、俺のブラシ
その、俺専用の小さいブラシで梳かされた毛並みは——兎族すら超える
今夜の俺は、最強だ
ルル
もう一回、皆の前でやってくれ
——って
イテ
待て待て、なんでだ!?
何で鼻を叩く!?
ち、違う!
パンツは狙ってねぇ!




