ガザル偵察の作戦
一緒に偵察に行ってほしい——そのお願いをするために、皆に昼過ぎの酒場へ集まってもらった。
家から酒場までの道は、途中まではもう覚えた……はずなんだけど。やっぱり最後で迷う。諦めたら終わりだから覚える努力は続けるけど、たまに家の並びが変わってる気がするのは気のせい? ——いや、絶対どこか変わってる。引っ越し、してるよねこれ。……やっぱり地図が欲しい。
そんなことを考えているうちに——あの独特な形の酒場が見えてきた。
——あ!
看板が、増えてる。
円の中に描かれているのは——ウーさんにそっくりな人影。しかも、やたらドヤ顔で親指を立てている。
さらにその親指と耳が、円からはみ出しているせいで、妙に立体感があるというか……やたら主張が強い。どこかで見たことがあるような構図だ。
入口は相変わらずぺしゃんこで低いのに、看板だけがやたらと大きい。結果——兎だけが、やけに目立っている。
——ダメだ。
ちょっと、どころじゃない。普通に、すごく笑える。
店の中に入ると、かなり混んでいて騒がしかった。
「オスが多いな……」
ぼそっと呟いた瞬間——バーツは何も言わずに私を抱き上げ、そのままコートの中へ顔ごと押し込んだ。視界が一気に暗くなる。そのまま足早に店の奥へ。外に出されたのは、いつもの席に着いてからだった。
私の席は、店の一番奥のテーブル、そのさらに奥。仲間たちに囲まれて、どこからも見えない場所。ウーさんはどれだけ混んでいても、このテーブルだけは絶対に空けてくれている。そして私は——この席以外では、バーツの膝の上が定位置だ。
今日はもう全員そろっていて、テーブルにはビールと肉が並んでいた。
「ルルちゃんは、こっちや」
ウーさんが手を振り、グラスを差し出してくる。中身は——みかんジュース。さらに、クッキーまでついてきた。
「オスにはあらへんねん」
どや顔で言うウーさん。その“いつもの対応”に、思わず吹き出す。
「あはははっ」
なんか、みんなの笑顔を見ると、ほっとする。
「俺の蜂蜜使ったんだ。クッキーにもっとかける?」
ドンダさんが、つまみにしていた蜂蜜を差し出してくる。
「ありがとう、ドンダさん。熊族の蜂蜜、美味しいよね。でも、大丈夫」
笑顔のまま、そっと断る。貰っちゃダメ。さらにここはあくまで“熊族の蜂蜜”だ。そうしておかないと——隣から流れてくる気配が、これ以上冷えそうで怖い。
「そういえばウー。新しい人を雇ったんですか?」
ブルーさんがビール片手に、カウンターへ視線を向ける。
「そや。新しい兎、雇ったんや。俺、討伐のメインやし、忙しい。他にも経営やらんとあかんしな」
ウーさんがにやりと笑う。
——そういえば。
酒場にかまくら、プレゼント品の販売。最近は離乳食やシチューの料理教室までやっている。本当に、やり手だ。
「ウーさんって、やっぱり凄……」
言いかけた、その瞬間。
横から——ひやり、とした視線が頬に刺さった。
——あ。
これ、まずいやつだ。
「……俺の毛並みのほうが上だ。間違いねぇ」
低い声が、耳元に落ちてくる。
「……とても良い。……凄くだ」
念を押すみたいに、ゆっくりと。
——う、うん。
……毛並み?
正直、あんまり気にしたことないけど。でも、その必死さが少しだけ可愛くて——つい、危機感が薄れそうになった。
深呼吸をしてから、ゆっくりとジュースを一口飲む。
その瞬間、自分でもわかるくらい空気が変わった。テーブル全体が、ほんの少しだけ張りつめる。
お願いしたいのは、これまでで一番危険なことだ。言い出すだけでも勇気がいるし、正直、皆を巻き込みたくない気持ちも強い。
「じつはな……」
バーツが口を開いた。私に肉を切り分けながら、淡々と事情を話していく。
皆が真剣な顔で話を聞いている中、私はふと、別のことを考えていた。もし、誰かが「行けない」と言ったら——。
少しだけ、ほっとするかもしれない。もちろん、一緒に来てくれれば心強いし安心もする。でも同時に、来ない未来のほうが、皆の命は守られる。その未来を思うと、胸の奥が少しだけ軽くなる自分がいた。
それだけ、この偵察は重い。
自分でも、よくわかっていた。
話が終わったとき、一番に声を上げたのはウーさんだった。
「当然や。俺を置いて行くなんて、ありえへんで」
そう言って、耳と親指を立ててドヤ顔。
……看板と同じ顔。
「あははは」
ダメだ、我慢できない。
思いきり吹き出してしまう。
「私も行きますよ」
「おれも!」
「当然だな」
「ああ、当たり前だ」
「ルルちゃん、計画はどうなってる?」
言葉が重なるみたいに、次々と返ってくる。
——よかった。
当然だと言わんばかりのその声に、胸の奥がじんわりと温かくなっていく。命の不安以上に、皆の優しさが心に沁みた……ありがとう、みんな。
今回の偵察は、昔使っていた街道をたどる予定だ。まずはトカゲで国の半日手前まで一気に移動する。そこにトカゲを待機させて、目的地までは徒歩。偵察を終えたら再び合流して帰還する流れだ。川沿いの道だから水の心配はない。食料はいつも通り、狩りで補う。
「なるほどな」
リックさんは頷きながら話を聞き、ふと視線を私に向けた。
「冬だし、徒歩区間で虫が出る可能性は低い。そこは問題なさそうだが……ルルちゃん、寒さは大丈夫か?」
やっぱり、そこを聞かれるよね。
「うん……ちょっと対策は必要かなって思ってる」
「……ルル、無理すんな。家で待ってりゃいい」
——まだ言うんだ。
頑張るなぁ……とは思うけど、さすがに「もぉ!」としか思えない。横でちらちら様子をうかがってくるバーツはひとまず放置して、私は頭の中で計算を続ける。冬の空気は、骨の芯まで冷たい。
——もう一回り大きいコートを作って、二枚重ねにする?
でもそれ、動ける……? トイレとかどうしよう。
——手はまだいいとして、顔は……。
このまま何の対策もなしに動けば、途中で倒れるのは目に見えている。正直、詰んでる気がする。
「そのコートでも厳しいか?」
「ギリギリかな」
「トカゲで移動中は、もっと冷えるな……家の中は?」
「家は大丈夫。コートなくても平気」
「なるほど……」
リックさんは顎に手を当てたまま少し考え、それからバーツへと視線を向けた。
「トカゲで走ってる間の寒さは、俺が対策しておく」
「……ああ」
短く頷くバーツ。けれど表情は、あからさまに不機嫌だ。
「ほんと? 助かる、ありがとう」
正直かなり悩んでいた部分だ。これ以上着込むのは無理だったし、本当に困っていた。私は隣のバーツの腕に手を乗せ、軽く揺さぶる。
「ほら、バーツも。お礼くらい言ってよ。“私のオス”でしょ?」
わざと強調して言う。
効果はてきめんだった。さっきまでのしかめっ面が嘘みたいに消えて、バーツの顔が一気に緩む。
「……俺のために悪ぃな、リック。しっかり頼む」
にやりと笑ってから、わざとらしく続ける。
「“俺のメス”にも使うかもしれねぇからな」
——お礼……?
どう聞いても、のろけにしか聞こえない。見回すと、リックさんは苦笑い。周りのみんなも、なんとも言えない顔をしていた。恥ずかしい。でも——。
「俺のため?」
首をかしげていると、ウーさんが口角を少し上げ、教えてくれた。
「俺のメスの面倒は全部、俺のもんや。もし、誰かが手ぇ出したら——蹴りたくるで。立てんようになるまでな」
「え」
——それが“普通”なの?
思わずバーツを見る。
さっきまでの態度を思い返して……なんだか、妙に甘く感じてしまった。……いや、それとこれとは別問題な気もするけど。
それより、ウーさん。
立てない程度にしたいなら、一発ぐらいじゃないと……。ウーさんが、蹴りたぐったら、たぶん“立てない”じゃ済まないと思う。
そのあとは、具体的な内容について、自然と話が広がっていった。
「トカゲの世話や狩り、補助もいるな」
「そうだね。多すぎると食料調達に響くから……兵士は六人くらいが限界かな」
「餌も積むなら、一体じゃ無理か」
「うーん、トカゲは二体かな。全体で十四人前後か」
「あとは、その人数分の食料だな……狩り前提としても……」
ジャンさんとリックさんが、人数と物資の話を詰めていく。
そのすぐ横では——
「槍は二本だな」
「えー、間に合うかな」
「日頃から備えておくように、と言いましたよね」
サムさんの一言で、ドンダさんがあからさまに焦り出す。それを見たブルーさんの目が、じわりと鋭くなった。
——いつもの光景だ。
さっきまで胸にあった重さが、少しずつほどけていく。
「みんな、ルートなんだけど」
テーブルの中央に置かれていた肉を端に寄せてもらい、地図を広げる。
「ここ。狐族と猿族の国をつないでた道があるから……この辺りでトカゲを降りる予定」
この道は長い間使われていなくて、最初は残っているかどうかもわからなかった。もし消えていたら、それだけで到達までの時間が大きく変わる。
でも——
今回の奪還に対する狐族の士気は異様に高く、特に長老は、「虫風情に穢された我が城を——今こそ我らの手に!」と息巻いて、獣や虫の討伐と同時に整備部隊まで送り出していた。そのおかげで、今では猿城から一日ほどの距離まで道が通っている。
指でなぞりながら、その整備されたルートを示す。
「ああ、あれか。狐たちが鼻息荒く造ってる道だな」
ジャンさんがぼそっと呟いた瞬間、テーブルが一斉に吹き出した。
——え、なに?
私だけ、完全に置いていかれている。
「狐たちはな」
バーツが、こらえきれないという顔で口元を歪める。
「“でてけ! むし”って、でっかく背中に書いた、揃いの鎧を着てやがる」
「あれはすげぇ……」
サムさんなんて、本当に”腹を抱えて”笑っている。
——長老さん……。
思わず、顔のパーツが全部中央に、ぎゅっと寄ってしまった。
……これ、どこにツッコめばいいの?
ひとしきり笑ったあと、皆の表情が一気に引き締まった。
「んで、出発は三日後……で、いいな?」
低い声で、バーツが全員を見渡す。
その視線を受けて誰も逸らさない。
目を細める、静かに頷く——それぞれの形で、覚悟を示していた。
バーツも、同じだった。
ゆっくりと視線を巡らせ、納得したように目を閉じる。そ
の腕が、私の肩を強く引き寄せた。
——震えてる。
やがて、バーツが目を開く。
「三日後、朝日が昇る前——トカゲ屋に集合だ」
静かに、言葉を置く。
「そこから、俺たちの未来をかけた戦いが始まる。気合入れてけ」
未来への道は、もうできている。
——あとは、進むだけ。
心臓が、少し早く打つ。
緊張か、それとも——。
「うん……行こう!」
きっと、私たちならやれる。
——そう思った、次の瞬間。
凄い勢いで、バーツに抱きかかえられて帰宅となった。
……あ、これ。
なんか、この流れ……知ってる。
ちがう!
ベッドに行くっていったんじゃない。違うってば!
やめてバーツ。
……ぁ。
兎の毛皮はやべぇ。
毛皮で勝てねぇかもしれねぇなら、これはあれだ。あれで満足させるしかねぇ。
なぜだ?
ルル 何を怒る?
幸せだって、いい匂いをさせてただろ?
腰が立たない?
いらねぇから安心しろ。俺が運んでやる。
トイレ? 俺が抱っこして、させてや……グハッ! 鼻を叩くな。 ヤ、ヤメロ、ルル、尻尾の毛を引っ張るな。 うぅぅぅ。俺の耳を持って怒鳴るな。聞こえてる。――わかった。わかったよ!
(タブン)俺が悪かった!
(よくわからんが)反省した!




