かまくらと心の医者
今日、決着をつける。
そう決めて、ここ数日、私は念入りにバーツのご機嫌を取ってきた。
今の私の生活範囲は、ほぼバーツの膝の上だけ。唯一そこから降りるのは、トイレとお風呂のときくらいだ。それ以外はずっと抱えられたまま、ベッドに連れ込まれるのも拒まない。そんな数日を過ごしたおかげで――バーツは今、絶好調にご機嫌だった。
「ルル。可愛いな。俺のツガイ」
今もバーツは、私の頭にキスを降らせながら、膝の上の私の重みを幸せそうに堪能している。
――今だ。
今しかない!
「ねぇ、バーツ。お願いがあるの」
「ん? なんだ? あぁ、いい匂いだ。 ん? ベッド行くか?」
とろけそうな顔でそんなことを聞いてくる。でも、それは過剰すぎて、私から望んだことなんて一度もない。
「…………………………違う」
一瞬、真顔になった顔を笑顔に戻して、もう一度、膝の上からバーツの顔を見上げる。
「そろそろ、蟻塚に行き…………」
「ダメだ!」
いきなり、バーツの纏う空気が変わった。顔はガチガチに強張り、喉の奥から低い唸り声まで漏れ始める。
「バーツ」
「ダメだ。戦場はメスが出る場所じゃねぇ」
私に巻き付いていた腕が、さらに強くなる。どれだけ家から出したくないのか、痛いほど伝わってきた。
……私だって、本当なら家に居たい。何をするにも消えない恐怖がある。乗り越えるのだって相当な覚悟がいる。ここ数日の過剰なスキンシップだって、半分は自分のためだった。
でも――。
「うん、でもね、私がいかないと」
「お前が行く必要はねぇ。オスで何とかする」
「それは、無理だってわかってるでしょ? あと、虫の生態をもう少し見たいし……」
「ダメだ! 出さねぇ。お前は巣に閉じ込める!」
やっぱり、今日も説得は無理そうだった。バーツの尻尾も、ぴたりと止まったまま。
……うん。
多分こうなるだろうって、最初から分かっていた。いつだって、家から出るだけでも「危ない」「やめろ」と言うのに、砦の外、それも日をまたぐ戦いなんて――完全に想定外のはずだ。だから。奥の手は、ちゃんと用意してある。
「そう……」
「ル、ル…」
無言でバーツの胸を軽く叩く。腕を解いてもらうと、私は膝から降りた。
「い……いやだ。連れて、いかない」
答えず、ベッドの毛布を持って壁際に座る。
「ダメ……だ。危な、いだろ?」
私はそのまま、毛布を頭まですっぽりかぶって、壁の方を向いた。
「ルル。で、てこい……。抱っこしてやる。ルル、果物食べるか? ルル……ルル」
聞こえてくるバーツの声は、もう涙混じりだ。「ルル……」と、ずっと私の名前を呼んでいる。あ……鼻すすり始めた。
「イヤだ……イヤだ……」
子どもみたいに繰り返しながら、毛布に頭をこすりつけ始める。……ここまで来ると、完全に泣き落とし。
――バーツが縋るなんて。
こっちが泣きそうになる。ほんとにもぉ。
でも、しょうがない。ミスリルは絶対に必要だし、ここで私が折れるわけにはいかない。私は片手だけ毛布から出して、泣きそうになってる、ちょっと可愛いバーツの頭をナデナデする。そして――不屈の精神で、バーツと闘った。ふぅ……。
その後、涙目のバーツを連れて、お城へ向かった。
私がミスリル採掘に行くと言った瞬間、狼族の長老は――ちら、ちら、とバーツの顔を見ている。当のバーツは、目いっぱいに涙を溜めたまま、必死に泣くのをこらえていた。そのせいで口は閉じきれず、変な形のまま固まっている。肌の色まで曇っていて、まるで叱られた子どもみたいだ。
「あー……そうか。ルルちゃんが森に行くのか……。それは、心強いが……」
長老は言いながら、またちらっとバーツを見る。
「ん、ん……。……いいのか?」
「はい。大丈夫です」
背後で、思いっきり首を横に振る気配を頭の上に感じる。でも私は、知らない顔をして、にっこり笑って答えた。
「な……なら、そうだな。虫が弱まる“冬”のうちに……あー……行ってもらえるか?」
どうやら長老も、もうバーツの顔を直視できないらしい。ふと見上げると――そこには、耳をしょんぼり垂れさせ、顔いっぱいに「絶望」と書いたバーツがいた。
数日後。
今日は、午前中、メルの様子を聞くため城でトートさんと会う約束をしている。朝ご飯食べてから、バーツと手を繋いで、外へ出る。ミトンみたいな手袋をつけてバーツと手を繋いでいるけど、それでも本当に寒い。
「ねぇ、バーツ。すごく寒いけど、雪って降らないの?」
「雪? そりゃ、なんだ?」
隣りで歩きながら、不思議そうに首をかしげてる。
――あれ?
そういえば、この世界……雨とか、見たことない。
空を見上げる。
少し厚みのある空だけど青色が広がっていた。……いつも、というか、これ以外見たことがないくらい綺麗な青い空だ。
「雲……ないね」
「あぁ、雲は女神のお山の上にあるもんだな」
「動かないの?」
――驚いた。
確かに、雲はいつも山の上にあった。今になって気づいて、ちょっとびっくりする。
「雲は、動くもんなのか?」
「うん。動くし、形も変わる」
二人して顔を見合わせ、目を丸くしてしまった。
……ほんと、不思議な世界。
「ルル。雪ってやつは知らねぇが、冬にだけ出てくるもんはあるぞ」
そう言って、バーツが指さした先には、石造りの“かまくら”みたいな小屋があった。
「あれ? そういえば、そこら中にできたよね?」
ここ最近、街のあちこちに並び始めた小屋。小さいけれど、暖炉と煙突がついている。
「あれは休憩所だ。もとは猿族の国だからな。寒さに弱い連中が凍えねぇように冬になるとああやって作られる。猿族用の避難所だ。金も安い。薪、買うより安いかもな」
——へー…って。
兎印がある!
「バーツ。あの看板。ウーさん?」
「あれか……」
バーツは目を細め、口を大きくゆがめた。めちゃくちゃ嫌そうな顔だ。しかも、なぜか私を少し抱き寄せてくる。
「かまくらは、暖炉がある。ウーはな、暖炉でシチューを作り始めやがった。薪代がかからずシチューが作れると、ウハウハしてたと思ったら、かまくら十回分ぐらいの金額で売り出しやがった」
そう言いながら、とうとう私を抱き上げて、ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。
「丸儲けらしいぞ。そこら中に建てやがって、マジで目障りだ――お前は俺が温めるからな。入んじゃねぇぞ」
そんな、よく分からないところに闘志を燃やしながら、バーツは私を下ろしてくれない。
「バーツ。入らないから下ろして」
「ダメだ」
もう完全に抱っこの体勢になってしまっていて、びくともしない。仕方ないので、私はバーツの首に抱きついた。そのとき、背中越しに見えた家の影で、ウーさんそっくりの十人衆が石を積み上げていた。なんだか、見ているだけで笑ってしまう。
——ん??
あそこって?
なんだか見覚えのある場所。
入口が四方向にぐるりと向き合う、あの不思議な場所じゃないかな。
前の人、引っ越したのかな?
家を覚えるのが苦手だから、もしかしたら勘違いかもしれないけど。
そんなことを考えながら、バーツの腕の中で揺られていると――気づけば、城の前にたどり着いていた。
「トートさん、お待たせしました」
城の部屋に入ると、トートさんはいつものように穏やかな笑みを浮かべ、椅子に腰かけていた。
柔らかな雰囲気に迎えられて、張っていた肩の力が少しだけ抜ける。自然と私も笑っていた。メルの状況を尋ねると、トートさんは一度だけ静かに頷き、手元の資料に視線を落とした。
「まず、全員を一度に行うことはできませんので、メルへの転換がうまくいかなかった者から、対応しました」
そう言って彼は手元の紙を軽くなぞる。そこには名簿のように名前がびっしり並んでいた。
「第一弾として十五名ほど。結果としては……パートナーを求める意識、ツガイを欲しがる感情が、かなり強く出ています。……思っていた以上に、強い、ですね」
トートさんは少し微笑んで、噛みしめるようにもう一度繰り返した。その顔を見て、私の中にも、じわっと実感が生まれてきた。
「……よかった」
バーツは、こういう時は何も言わない。私のやりたいようにさせてくれる。でも――うまくいってよかったと言うみたいに、私に回していた腕に、少し力がこもっていた。
「第二弾は、先日面会を終え、現在で一か月ほど経過しています。こちらは、メルになって間もない者を十名ほど集めました」
温かい声のまま、トートさんは続ける。
「経過としては、筋肉がつき始め、体つきにも変化が見られます」
頷きながら、名簿から顔を上げたトートさんの表情には、わずかな緊張が浮かんでいた。
「第一弾は、十五名集まった時点で募集を止めていましたが……他にも、転換がうまくいかなかった者たちから、参加したいという希望が届いています」
私は、小さく息をのむ。
――よかった。
一番大切なのは、やっぱり「本人の意思」だ。
「ただ……」
トートさんは少し困ったように視線を落とす。
「俺一人では、すぐに対応できる人数ではなくて」
「助手は、いそうですか?」
「……もう少しすれば、任せられそうな者が一人います」
「なら、その人を、何としてでも助手にしてください。予算は……私が、何とかしてきます」
少しだけ強く言うと、トートさんは驚いたように目を瞬かせ、それから力強く頷いた。
「わかりました」
私も同じくらい、しっかりと頷き返す。
もう一度、資料に目を落としたトートさんの声が、ふっと低くなる。
「問題は……血を吐くほどの症状を示すメルです。本人たちから『余計なことをするな』と言われています」
部屋の空気が、すっと重く沈んだ。
「『僕が、この道を選んだんだ』これが彼らの回答でした」
私は、視線を落とした。
——わかってる。
「かわいそう」という私の価値観で、誰かの人生を否定するのは違う。覚悟を持って選んだ道を、他人が否定できるはずがない。十分にわかってる。だけど――それでも、彼らが選んだ人生を、私は”肯定”することができない。
その矛盾が、胸を締め付ける。
私は、膝の上で両手をぎゅっと握りしめた。
今でも、はっきりと思い出せる。
血だまりの中で、笑っていたあのメル。
あの後、ペアだったメスは、発狂寸前まで追い込まれたと聞いた。「寸前で止まれたのは運がよかった」と猿族長老が苦い顔で言ってたけど――私には、何が「よかった」のか、今でもわからない。
どれだけ頭で理解しようとしても、あのメルの人生が「幸せだった」と思うことだけは、どうしてもできなかった。
「なら……メル本人じゃなくて、”今”を変える」
大規模な攻撃魔法を定期的に使わなければ、血を吐くほどの負担にはならない。そのことは、少しずつ分かってきた。彼らが“メルでいたい”と願うなら、それはその人の選択。なら――私は別の道を”選択”する。
全員をオスに戻すなんて、無理だと分かっていた。だから、別の手段も、最初からトートさんに頼んでいた。
下げていた頭を上げ、真正面からトートさんの目を見る。
「魔力の使用についてですが……以前お願いしていた、コンビのチームはどうなっていますか?」
同じ強さの光を目に宿して、トートさんが答えてくれる。
「戦闘に関しては、魔法陣の精度が上がったことで、元メルとオスのコンビでも、問題なく戦えています。戦力として、安定しつつあります」
――よし。
ほんの少しだけ、未来を掴めた気がした。
でも……まだ足りないかもしれない。
――考えろ。
この道だけでいいの?
他にも、進める道はない?
「……ルル」
考え込んで下を向いていた私の顎を、バーツが長い指でそっと持ち上げた。そして、目を合わせてくる。
「大丈夫だ。進んでる。焦るな、いいな?」
視界いっぱいに、バーツの澄んだ緑が広がる。知らないうちに張りつめていた気持ちが、ゆっくりほどけていくのが感じられる。――緑は、安らぎの色。本当に、そう。
「うん」
深呼吸をしてから、もう一度、トートさんの目を見る。
淡く優しい色をしていた。
「選ぶのは本人です。だから……選べる道を、できる限り用意したいと思っています。……お願いします」
忙しくなるであろうトートさんに、頭を下げる。トートさんも、真剣な声で答えてくれた。
「俺も、元メルの葛藤にも、メルであり続けようとする者の想いにも……どちらにも寄り添いたいと思ってます」
その言葉に、胸が少しだけ軽くなる。
「ありがとうございます。……私は、道を探します。あと、予算も」
冗談めかして笑うと、トートさんも小さく笑って頷いた。
「では、俺がメルを支えます」
少しだけ軽くなった空気の中、資料に目を落としながら、トートさんは報告を続ける。
「あと、必ず皆に伝えていることですが………」
――メルからオスに戻ることは、必ずしも約束された未来ではないこと。
――納得しない限り、計画は進めないこと。
でも、どんなときでも絶対に最後まで寄り添う、と誓っているそうだ。
その誠実さに、胸の奥が、じんわり温かくなった。ありがとう、トートさん。
午後は長老会だ。
ちょうどいい。さっきの件で予算をもらわないと。
拳を握り締め、気合を入れる。
――よし、頑張れ、私。
闘志が漲る。
……だったのに。
「やる気に満ちたルルは可愛い」と言われ、バーツに顔中を舐められて、それどころじゃなくなった。
やめて、バーツ。ここ、お城だから!
「”女神の国”には……“心の医者”がいるんです」
少しだけ言葉を選びながら、長老たちにそう伝える。
——心の傷を診て、話を聞き、立ち止まった人に寄り添う役目の人。
「この国にも、同じ役割を担う人が必要だと思います」
沈黙が落ちるか、否定されるか、せいぜい質問攻めだと思っていた。でも、予想に反して、話は驚くほどすんなりと進んだ。
「うむ……」
「それは~確かにぃ必要じゃぁ」
「今まで無かったのが、不思議なくらいだ」
長老たちは互いに視線を交わし、頷き合う。制度を作ることも、新しい職を生むことも、この人たちは迷わない。必要だと分かれば、ちゃんと受け止めてくれる。ささすが長老たちだと、少し感動してしまう。
とはいえ、多分、大きく貢献したのは「女神の国」って言葉だと思う。言った瞬間、長老たちの目が光ったのが見えたから。
後日。
「トートさん、先日、長老から許可が下りて、新しい職ができました。今度、長老から直接話があるそうです。」
「あぁ。この間、うちの長老と廊下ですれ違った際に、それらしきことを言われました。ありがとうございます。これで、だいぶ動きやすくなります。予算的にもね」
冗談を交えて返してくれるトートさん。張りつめていた空気が、少しだけ温まった気がした。こうして、新しい職が生まれ、、メルや元メルたちが支えを受けられる場が、確かに形になった。
「引き続き、この件は私に任せてください」
そう言って、トートさんは柔らかく微笑んでくれる。私は深く頭を下げた。
「……ありがとうございます。本当に、助かります」
部屋を出たとき、心の奥に、じんわりとした安堵が広がっていた。
一人で抱え込まなくていい――その事実が、こんなにも温かいなんて。
バーツと並んで廊下を歩きながら、私は小さく息を吐いて、ほんわりとした笑顔で私を見ているバーツに抱き着く。まだやることはたくさんある。けれど……これなら、きっと乗り越えられる。
今日は、このあと庭で婚活が開かれる。
今回の準備は、自分の手でメスを迎えたいという張り切り方がすごくて、オスたちに全部任せることになった。アドバイスくらいは必要かな、と思ったけど、気迫がすごくて、私が口を挟む隙なんてまったくなかった。
だから今日は、念のため顔を出して様子を見るだけ。問題がなければ、すぐ退散するつもり。
「みんな……うまくやってくれてるといいな」
「大丈夫だろ。護衛もいるしな」
「既婚オスを探すのは、大変だったよね」
「あぁ。ただ未婚だと意味ねぇし、いねぇと付け回すオスがでるからな」
「うん」
リックさんたちもいるし、大丈夫。と思いながら庭に近づいた、その時。
「ツガイ! 俺のツガイ!」
勢いのある声が、壁越しに響いてきた。今回も無事に、誰かが出会えたみたい。よかった。
会場に足を踏み入れると、真っ先に目に飛び込んできたのは………山のように積まれた肉。
「お? 美味そうだな」
バーツが鼻をヒクヒクさせてる。
花やお菓子も探せばあるけど、まずは肉・肉・肉だった。相変わらず、オスらしい全力アピールに顔が緩んでいくのがわかる。しかもメスたちの表情を見て、私は心の底から安堵が広がっていくのを感じた。
笑っている。
無理をしている感じじゃない、自然な笑顔だ。ぎこちなさよりも、楽しさのほうが勝っている。
――これなら大丈夫。
私はそっと庭の端に身を引き、静かに会場を見守った。彼らが、自分たちで道を作っていく姿を、邪魔しないように。
もう、全部を背負わなくていい。
支える人は増えた。
選ぶ力も、ここにはある。
安心を胸に抱えたまま、私は次の一歩を考え始めた。
負けた……。
全部賭けて、食らいついたのによ。
なのに――あいつは強すぎる。
戦いにルルが行くなんて、冗談じゃねぇ。
巣にでも閉じ込めておきてぇくらいだ。
……くそ。
いやだいやだ。
危険なのも気に入らねぇが、
それ以上に、他のオスと五日も一緒だと?
気が狂いそうだ。
あいつは……俺のツガイだ。
考えただけで毛が抜けそうだ。
……チクショウ。
だが、どうにもならねぇ。
だから頼む。
せめて――俺の腕の中にいろ。
俺のコートの中で、大人しくしててくれ。




