魔法陣暖炉とハンバーグと紙と万年筆
冬の初めだというのに、空気はもう骨にしみるほど冷たい。外では、吐く息が凍るみたいに白く煙っていた。
寒さに弱い私を心配して、バーツが猿族に相談してくれたらしい。朝になるとバーツが先に起きて温めた石を部屋に置く。部屋が十分あたたまったころ、ようやく私は起きていいことになっている。
そんなわけで、温かい部屋で今日の一日も始まった。
まず着替え。
服棚からインナーを引っ張り出す。インナーというものはこの世界にはなく、バーツと試行錯誤して生み出した私の特別服だ。薄いフェルト生地のようなもので作った、体にぴったりフィットする手首まであるロンTと足首まであるパンツ。この生地がまたすごくて、びっくりするほど薄いのに、ちゃんと暖かい。かなり貴重な生地らしく、バーツも入手ルートは限られていると言いながら、ストックを使って慎重に作ってくれた。
次に、今日着る服は——。
「ん? また服が増えてる……」
バーツは私の服を作るのが幸せらしく、知らないうちに追加で作っている。もぉ。気づけば、冬に着る服は一枚、二枚……九枚もある。これ以上あっても着られない。困った。新作を手に取り、身体に当ててみる。可愛い。緑の厚手の布の足首まであるAラインワンピース。厚手で足首までとなると、ちょっとやぼったくなるはずなのに、綺麗なラインで可愛い。
——このフレアとか……どうやってるんだろ?
綺麗に広がるスカートに、バーツの技術力を感じる。すごすぎる。首は立ち襟で、襟幅の長い紐がついている。結ぶと胸元で大きなリボンができる。少し硬めのリボンだから、斜めに結んでも落ちてこない。胸元だと可愛すぎるから、斜めのほうが私にはいいかも。
「バーツ、おはよ」
着替えたらバーツを呼ぶ。扉はまだ重くて開けられない。そのうち変えてくれると言っていたけれど、いつ頃だろう——と考えていると、目の前の扉が開いた。
「よ、ルル。……今日も可愛いじゃねぇか」
フワッと漂うフェロモンをそのまま巻き散らかして、抱き寄せキスをしてくれる。キスに意識を取られると、そのまま後ろにあるベッドに戻されるので、ここは頑張るところ。足にも力を入れて踏ん張るけれど、これは全く意味がない。だから——。
「バーツ、離して」
身をよじってキスを終わらせ、ちゃんと口で伝える。これが大事。しょぼくれようが、ブッスーってなろうが、引いてはいけない。今日一日動けるかが、ここで決まる。今日のバーツは泣きそうな顔をして、肩に顔を埋めてきた。
「離して」
手を突っ張る。バーツがルルパンチと呼んでいる渾身の一撃を、お腹とか肩とかに入れる。手加減しても通じないので、できる限り体重を乗せて打つ。これ重要。バーツを傷つけるのは嫌だけど、しょうがない。——って、このパンチ、効いてるのかな?
「ん……」
しぶしぶ離してくれた。
「バーツ、新しい服ありがとう」
「お!」
「このワンピース、いつもと違うね」
「あぁ、ルルが前に言ってた『りぼん』というやつだ」
「それはすごく可愛いけど……」
——問題は、そこじゃない。
「ねぇ……ちょっと、狼、多くない?」
リボンには、狼「たち」がびっしり刺繍されていた。しかも全部、鼻に皺を寄せて威嚇している、いつもの顔だ。
「ここ最近、オスどもが増えすぎて邪魔だからな。護衛は多いほうがいい」
バーツは、いもしない敵を睨みつけるみたいに目を光らせて、平然とそんなことを言った。
——え? 護衛!? 刺繍は、護衛……だったんだ。
新事実に唖然としたけれど……刺繍の大変さを考えると、なんか、バーツが……ふふっ、可愛い。嬉しくなって、ほっこりした気持ちで、刺繍で固くて結びにくいリボンの形を整えた。
「そうなんだ。ありがとう、バーツ」
ニッコリ笑ってお礼を言うと、嬉しそうな顔で抱き上げられ、そのまま居間へ向かう。テーブルの上に作りかけの服が置いてあった。
——あれって布だから……また私の服だ。
私を自分の横に座らせると、作りかけの服を片付け始める。
「バーツ、それ私の?」
「ああ。今回はな……たぶんもう使わねぇとは思うが、一応だ。砦の外に出るとき用に、服を作っといた」
尻尾を革の絨毯を掃除する勢いで揺らしながら、服の狼について説明してくれる。
——外に出すのは嫌なのに、私の服を作るのは好きなんだよね。
可愛いバーツを見ていると心がほっこりする。
かぶりシャツみたいな服とズボン。三枚目だ。今回は背中とお腹に護衛狼(大)が二匹いる。虫との戦いでも効力を発揮するのかな、と思いつつ、護衛狼を撫でておく。
「温かい……」
「ルルが震えたら困るからな。手首と足首の部分をしっかり閉じてある」
「ありがとう」
と言って抱き上げようとしてきたので、パンチをしておいた。——だから、しないって!
チッとか言いながら朝ごはんの用意のために立ち上がったバーツは、エプロンを持ってくると私を呼んだ。私が自分のそばに来る姿を見るのも楽しいらしい。ニコニコしながら私を見ている。数歩で着くけどね。
「結んでくれ」
鼻歌でも歌いそうなほど幸せそうな雰囲気を醸し出しながら、ウキウキとエプロンをつけて肉を焼き始めた。昨日頑張ったから……こんな可愛いバーツを見られるなら、少し身体が辛くてもいいかと思う。
——って、ん? 鼻歌?
あれ? そういえば、この世界で音楽聞いてないかも?
思い返してみると、酒場でもどこでも、歌やリズムというものがなかった。リズム感がないわけではなさそうだから、きっとまだ生み出されていないのかな、と——全く違うことを考えながら、肉を焼くバーツの後ろ姿を眺めていた。
ごはんの後、バーツはまた服の作成に入るらしい。なら、私は「魔法陣の改造タイム」だ。
バーツは火事をひどく気にしている。暖炉に火を入れるたびに、「火、見とけよ。火事出したら……重要任務につかされる」と、渋い顔で暖炉のそばから離れない。
「重要任務って何?」と聞いても、はぐらかされる。バーツがあれほど嫌がる任務なんて、想像しただけで怖すぎる。それ以上に、せっかくバーツが整えてくれた家を火事で全部失ったら、私だって立ち直れない。
……というわけで、火事になる一番の原因は、当たり前だけど「火が出ている」こと。ならば、火が出なければいい。そう考えた結果、魔法陣暖炉を作ることにした。ついでに、フライパン文化もこの世界に広めたい。
ポイントになるのは、当然ながらオスの魔力量だ。ただ、足りると思う。ヒントは寝室のランプ。あのランプは、火ではなく魔法陣で光を出している。しかもオスの魔力だけで「つく」「続く」「消える」を切り替えられる、とても便利な仕組みで、つけた後は空気中の魔力で維持している。
——なら、あれの「熱バージョン」はどう?
暖炉も、火ではなく「熱だけ」。魔法陣でミスリルや石の部分だけを温めれば、煮炊きもできるし温もりも出せるし、火事のリスクもグッと減る。魔石も取り換え用にして「貯める、使う」方式なら、十分現実的だと思う。
私はテーブルに紙を広げ、筆を握りしめた。
必要なのは三つ。
1.紙。
2.筆。
3.ベーベさん。
まず、理想の「魔法陣暖炉」の構造を図に描く。ミスリル板をどこに置いて、どこを温めて、どこは温めないか。温度調節の段階をどう分けるか。オスの魔力でオンオフできる操作部分を床にするか壁にするか。頭の中にあるイメージを紙の上にどんどん落としていく。その周りに、私なりに考えた魔法陣の線や文字を描き込んで、必要そうな条件や魔力の流れも全部メモしていく。
「ここに熱の魔法陣」
「ここは保護用」
「ここに魔石を設置」
書けば書くほど、紙の上がぐるぐるした線と文字で埋まっていく。
最後の仕上げ——頭の中の「こうなったらいいな」という想像を、本物の物へ変える段階。そこで必要になるのがベーベさんだ。ベーベさんは、私の「こんな魔法陣で、できないかな?」というふわっとしたイメージを、「それならこの素材で組める」と現実の物質に落としてくれる。私が紙の束を胸に抱えて立ち上がると、ちょうど服を作り終えたバーツが振り向いた。
「ベーベか?」
「うん。暖炉と……あとフライパン革命の相談がしたい」
「……なんか嫌な予感しかしねぇ」
半眼になるバーツに笑いかけながら、私は紙束を振って見せた。大丈夫、大丈夫。ちゃんと安全で、火事にならない、バーツの巣にふさわしい暖炉を作るからね。
二人で手を繋いで相談に行ったら、いつものんびりした声で「わかったぁ。フライパン、たくさんは、ぃとこぉのヘルガに作ってもらぅ~。ただぁ、量産は~、ミスリルが確保できてからぁ」とベーベさんが即答してくれた。暖炉用の魔法陣は私の家に組み込んでもらうことになり、量産されたフライパンたちは酒場へ運ばれていくことになった。
今日はこのあと、家の掃除などをして過ごした。
一日中、バーツは幸せそうな顔でフェロモンを巻き散らかしていたんだけど、可愛くてかっこいいとか、本当に困ってしまう。
後日、フライパン大量生産完了のお知らせが届いたので、酒場へ向かった。
店に入った瞬間——。
「なんやこれ!?」
入口から覗くとカウンターの向こうで、ウーさんが配達員に向かって本気で引いているんが見える。……そりゃそうだよね。客席の半分くらいが、フライパンの山で埋まっているんだもん。私も思わず二度見してしまった。注文したのは確かに私だけれど……あまりの量に思わず息をのむ。
「……え、これ全部? ちょっと頼みすぎたかも……?」
——とにかく、売りさばかないと。
焦ってる私の横で、周りのオスを警戒しながらバーツはウーさんに挨拶する。
「よぉ、ウー。それは、フライパンだ」
振り返って目が合ったウーさんは、焦った顔でこちらへ飛んできた。
「よぉ。なんやそれ。ふらいぱんってなんや」
「ウーさん、それはね、火を出さないでお肉が焼ける物なんだけど、使い方を見せたいからやっていい?」
バーツが運んできたお肉たち(大量)をカウンターに積んでもらい、フライパンを一つ掴む。ウーさんにうなずきながら、カウンターの肉を一切れ手に取った。心臓がちょっとだけドキドキと早くなる。
——焦がさないように気をつけないと。
「よし、焼くから、できたら味見してほ……」
「ダメだ」
低い声が背後から飛んできた。振り返ると、腕を組んだバーツが私お真後ろに不機嫌そうに立っていた。
「俺のメスの料理は、俺のもんだ」
——え?! そこなの?!
思わず目を丸くする。しょうがないので、一枚だけ焼いて、使い方をウーさんに見せた。「簡単でしょ」と口では言ったけれど、成功してよかった。焼きあがったお肉は、待ち構えていたバーツが誇らしげに、周りのオスに見せびらかしながら食べていた。
幸せそうなバーツの顔と、フライパンの山を見渡し、ウーさんがニコニコ笑顔で、「ほな、ワイがやるわ……」と実演係を引き受けてくれた。ありがとう、ウーさん。
「お前ら、肉焼くで!」
大声でそう言うと、店にいたオスたちが全員集まってくる。
「なんだ?」
「焼けたやつ持ってきてくれればそれでいいぞ」
どやどやとウーさんのそばに集まると、ウーさんはフライパンに肉を並べて、じゅうっと焼き始めた。
「お!」
「なんだ? 火がないぞ?」
「魔法陣か?」
「いい匂いだな」
大盛り上がり。分厚い肉を焼いてステーキ。ついでにひき肉も(ウーさんが)ミンチにしてこねて、(ウーさんが)丸めて、(ウーさんが)焼いて——ハンバーグ完成。
「うまっ」
「なんだこの食感」
「肉汁やべぇ」
みたいな声があちこちから上がる。試食コーナーと化したカウンターの前には、オスたちが群がっていた。
「これなら火、飛ばないし火事の心配ないな」
「このまま皿にもなるし、いいな」
「……でも、意外とたけぇな」
「俺の稼ぎじゃ、ちょっと手が出ねぇ……」
好評なのに、最後の一歩で躊躇している。どうしよう……。山積みのフライパンを見て、私は内心ちょっと青くなった。フライパンの横をぐるぐる歩き回っていたら、フライパン片手にウーさんが声をかけてきた。
「この"はんばーぐ"いう料理な……メス、喜びそうやわ」
「うん。私の世界でも、肉そのまま焼いたステーキより、ハンバーグのほうが好きな女し——メスが多かったよ」
と返した瞬間だった。ガタッ、と大きな音がして振り向くと、フライパンの前に、オスたちが綺麗な一列で並んでいる。
——愛の力って……すごい。
フライパンを買ったオスたちは、それを抱えてダッシュで店を飛び出し、そのまま自慢しに行ったらしい。結果、その日のうちに山積みだったフライパンは完売。追加生産分の予約が、一気に半年待ちになっていた。さらに、いつの間にかフライパンの売り場は「酒場」になり、なぜか売り上げの一部がウーさんに入る契約が結ばれていた。ピカピカの笑顔で、フライパンの受注票の束を握りしめるウーさんを見て、私は思った。
——ああ、この世界で一番たくましいの、虫でもメルでもなく、きっとウーさんだ。
フライパン革命の数日後。なんと、今度は最大の挑戦——「紙の改造」に成功した。
この世界の紙は、とにかく分厚いし、すぐふにゃっと曲がるし、魔法陣を書こうとすると線がヨレる。精密な線が必要なのに、紙に負けるなんて本末転倒だ。だから、目標は「和紙」。バーツが裁縫している間、私はずっと実験をしていた。寒いのは本当に嫌いなんだけど、「命がかかっている」と思うとコツコツ続けるしかなかった。自分でもよく頑張ったと思う。
いろんな材料を試しては、水でこねて、漉いて、乾かして、また失敗して。乾かしたと思ったらバリバリに割れたり、ふにゃふにゃになったり、インクを吸いすぎて滲んだり……。それでも何度もやり直して、ようやく——薄くて、ちゃんと腰があって、それでいて丈夫な紙ができた。ちょっと和紙というには厚いけれど。
魔法陣を書いてみると、線がまっすぐ引ける。前よりずっと綺麗な円が描けるから、その分、魔力のロスも少ない。発動にも必要な魔力量が減る。
トートさんにも試してもらったら、「これなら、魔力の少ない元メルでも戦える」と、目を輝かせて喜んでくれた。
ついでに、筆記具も改良した。今までの筆は太くて、どうしても線が潰れてしまう。細い線専用のペンが欲しかった。ベーベさんに頼んで、ミスリルで小さな万年筆みたいなペンを作ってもらった。細いペン先からインクがするすると出ていく。細かい文字も、魔法陣の細部も、ぶれずに描ける。線が揃うと、魔法陣の精度が一段階も二段階も上がる。ただの紙とペンだけど、この世界で戦うための、立派な武器だ。
何枚も練習のために魔法陣を書く。小さく書けるようになった分、さらに気を使う。気づけば、指先も爪の間もインクで真っ黒になっていた。でも、それを見て、ふっと笑ってしまう。——小さな工夫の積み重ねが、きっとバーツの「生き残るチャンス」になる。そう思えるから、この黒くなった手も、悪くないなと思った。




