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異世界に落ちたら愛を知った  作者: 青井空


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猿族の役割

オスもメルも、少しずつ未来が見え始めていた。

問題は——女神の山だ。


長老たちの関心は、完全にそちらへ向いている。どうしても行きたいらしく、その真剣さは、オスたちの武器や戦い方を語るときとは比べものにならない。表情まで違って見える。


——どれだけ好きなんだろう、女神のことが。


ため息をついた。本気で、困っていた。


メスの問題もある。国の守りをもっと固める必要もある。山に行く以外でやるべきことは、いくらでも思いつく。しかも——外は、怖い。砦に守られたこの国の外に出るのは、どうしたって勇気がいる。それでも、色々な問題が虫との戦いに紐づいている以上、山へ行かなければならないこともわかっていた。


「うーん」

「しなくていい。お前が悩むくらいなら、俺が何とかする」


バーツは、私が考え込んでいると、決まって「俺がする」と言ってくれる。優しい。


——でも、言えない。


「山に行きたくない」なんてバレたら、大喜びで、私を閉じ込める。——満面の笑みを浮かべたバーツの顔が、くっきりと目に浮かんだ。


「ありがとう、バーツ」

「悩みはなんだ」


——こうなると、引かないんだよね……。


「えーと……バーツをブラッシングしたいなって」


とっさに出た言葉だったけど、悪くない考えだ。まったりと、癒されたい。ニコニコと笑顔で伝えると、真顔になったバーツは、私をゆっくりと抱き上げ、ベッドへ運んだ。


「え? 違うよ、ブラッシングだよ?」

「わかってる。ほら」


バーツがブラシを渡して、横になった。ふさふさの尻尾が、目の前に広がる。スーッとブラシを走らせると、強めのウエーブのかかった毛が、ブラシの当たったところだけ真っ直ぐに伸びる。ブラシが離れると、すぐにまた丸くなる。かわいい。バーツがわざと尻尾を動かして私の顔にぶつけてくるから、まるで猫じゃらしみたいになっていた。くすくすと笑いがこぼれた。


「癒されたか?」

「うん」

「じゃあ、順番だ。俺も癒されていいな」

「え?!」


——ええっ。


癒しの代償は……ちょっとばかり……いや、かなり、高かった。




窓のない部屋で目が覚めると、昼なのか夜なのかわからない。翌日なのか、翌々日なのかも。バーツの膝の上で桃を受け取りながら、そんなことをぼんやりと考えた。


一口噛むと、飲めるほどの果汁があふれた。ジュースの塊みたいだ。ただ、この桃は崖の壁に生えている。道中には虫が出て、採るときは垂直な崖を登る必要があるらしい。命がけで取ってくるものだと、リックさんがこっそり教えてくれた。


——バーツの命が、一番大事。


覚悟を決めた私は、山へ行く予定を立てようとして……そこで、肝心なことに気がついた。


山がどこにあるか、知らない。


わかっているのは、猿族の長老がかつて言っていた「女神の住む山は、このジョーガンから最も遠い場所にある」という一言だけ。予定を立てるには、どうしても必要なものがある。


この世界の地図だ。





次の長老会で、私は手を挙げた。


「山へ行くためにも、国の外がどうなっているか知りたいんですが……地図はありますか?」


この世界に地図があるかどうか、自信はなかった。恐る恐る問いかけると——猿族の長老が、鼻息荒く、顔を輝かせて立ち上がった。わざわざテーブルを回って、私の前に立つ。


「猿族は、女神より『地図を作り、地の移り変わりを見続ける』役目を担っておる」


圧が凄い。しかも、どんどん顔が近づいてくる。


「そうか。我らの使命の成果を、見たいのだな?」


一瞬だけ満足そうに頷いて、


「……女神が我らに託した、崇高な使命の成果を——見たいのだな?」


——わかったから、顔を離して。

嬉しいのも、誇らしいのも、全部わかったから。


「は……はい……」


瞳孔を開いたまま、身を乗り出してくる長老。後ろのほうから「ふんっ」とか「お前だけちゃうわ」とか「ご身分の割に、動きが忙しないようで」とか、そんな声がちらちらと届いたけれど、猿族長老には聞こえていないようだった。


「ふむ。では、我らが守り伝えてきた地図。複製は禁じておるが……今回は特別に、私自ら一枚、書き写してやろう」


大きな鼻息を一つついて、晴れやかな笑みのまま席へ戻っていった。


「あ……ありがとうございます……」





数日後、「できた」と報告を受けて、私たちは城へ向かった。


長老が広げた紙を見た瞬間、息をのんだ。


——こんな形をしていたんだ、この世界。


大地は、ひょうたんが横に寝ころんだ形をしていた。右上に小さな丸、左下に大きな丸。その全体を、広大な外陸が囲んでいる。


「ここには何があるんですか?」


海のように水があるかと思っていたけれど、返ってきた答えは予想外だった。


「ふむ。ここは外陸と呼ばれ、岩と砂がある。お前たちが食べている塩もここで取れるが、とても危険だ。虫はおらんが、陸がとても深いところにあるからな」

「……外陸」


岩と砂だけなら、確かに"陸"と呼ぶのもおかしくない。


——ひょうたんの大陸だけ、浮き出ているみたい。


右上の小さな丸は、ほぼ山で埋まっていた。その中央に女神の山がそびえ、麓には湖がある。そこから一本の川が、蛇のようにゆるやかにうねりながら、ひょうたん型の大地を横切り、左下の大きな大陸の端まで流れていた。


大きな大地には、かつての城が川沿いに連なっていた。女神の山から五日ほどの場所に、狼族の城。そこから五日ごとに、虎族、兎族、熊族、狐族の城が続き——一番奥、左端に近い場所に、猿族の城。ジョーガンだ。


つまり、私たちは女神の山と正反対の場所にいる。世界の端の、さらに端だ。


森と草原の分布も、地図にははっきり描かれていた。大きな大地の北側三分の一が森で、残る南側が草原。ただ——猿族の城の周辺だけは、森が南へ深く張り出し、草原と混ざり合う、少し歪な地形になっていた。


「だから半日歩けば、森に入れるんだ……」


地図を眺めながら、ぼんやりとそう思った。そして、以前からくすぶっていた疑問が、また頭をもたげてくる。


「そういえば……どうして虫は、カマキリとバッタと蟻と蜘蛛、この四種類だけなんですか?」


長老たちは、皆、首を振るばかりだった。ただ一人、狐族の長老だけが、遠い記憶を手繰るように静かに口を開いた。


「あの虫どもは、もともと同じ地に巣していたと、書物にございました。女神の山のふもと、湖のほとり——あの聖なる場所にて、共に繁えた種でございましょう」


なるほど。虫たちは湖を根拠地にして、森を通り南へ下り、各地の城を次々と襲ってきた。


地図に描かれた川を、指でなぞる。山から落ちる水。そのそばで、虫たちが巨大化する。ならば——この川に、何か"ヒント"が眠っているのかもしれない。


胸の奥で、何かがはじけた。


「一度、川を見に行ってみます。……そこに何かがある気がします」

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