指輪
ひとまず落ち着こうと思って、少しだけ、二人でのんびり過ごすことにした。
バーツの膝の上でご飯を食べて、水まで口に運んでもらう。お返しにバーツにも一口。移動するにも抱っこ。くだらないことで笑い合う。なんてことないイチャイチャとした日々。
そうしたら、肩の力が少しずつ抜けていくのがわかった。
急がなきゃいけないのは確かだ。でも、煮え立った頭と心じゃ、正しい決断はできない。だから、こういう時間が大事。
今日も、バーツの膝の上で果物を食べていた。そのとき、ふと思い出したのは、毛皮の話でじゃれ合っていた長老たち。「癒しの場だったなぁ……」と思い出しながら、何気なくバーツに聞いてみた。
「そういえば……長老が獣化してたけど、バーツもできるの?」
「ん?」
抱っこしていた私を横に置いて、服を脱ぎ始めるバーツ。次の瞬間、獣身へと変身していた。
大きな体、黒い癖毛、綺麗な緑の瞳――二メートルはあろうかという狼の姿。ぞくぞくするほど神秘的な空気と、圧倒的な存在感。
「かっこいい……すごく、かっこいい!」
飛びつくように抱きつき、撫で回す。
――ちょっと固め。あ……でもお腹の毛は柔らかい。
撫で回しているうちに、狼から人へと変わっていく。人は急には止まれない。
「きゃあ!」
きわどいところで手を止めようと頑張ったけど、人に戻ったバーツに逆に手を取られ、そのまま一瞬でベッドへ。
――!!!
誰に怒ればいいのかわからないけど、一つ言えるのは――私のバカ!
色々が終わった後、彼はドヤ顔で手だけの部分変身を見せてくれた。爪の出し入れを披露しながら、にやりと笑う。
――あ、だから爪で戦えたんだ……って、これのせいで武器文化が育たなかったんじゃ……?
顔が引きつった。ちなみにウーさんは脚だけ変身できるみたいだ。あの脚力、納得。
そうやって心が落ち着いたところで――今日は、買い物に出かける日だった。
「俺はイヤだ。……イヤだ、イヤだ、ルルを出すのはイヤだ」
約束していたのに、まだバーツはゴネている。毎回同じセリフで……というより、最近は前よりもしつこいくらいだ。
少し呆れてしまうけど――すごく可愛い。
でも、今日はどうしても出かけたい理由がある。
攫われて、メスと話をして、ようやく分かった。
――バーツと一緒にいることは、"当たり前"じゃない。
これから頑張る予定のメスのことも、女神に会いに行くことも。きっと、本当の意味で「命がけ」になる。だから、少しでもいい。一緒にいることを“当たり前”にしてから、前へ進みたい。
この決意をどう形にするか、何度も考えた。
けれど、辿り着いた答えは一つしかなかった。
結婚だ。
だから、この世界のルールを知りたくて、長老会のあと、狼族の長老にこっそり尋ねてみた。
「なんだ、バーツに内緒とは大ごとだな」
「はい……。じつは、この世界のツガイについて聞きたいんです」
長老は目を丸くしたあと、腹を抱えて笑った。
「メスにここまで考えさせるとは、バーツは丸刈りでもして反省させるか?」
――それは、さすがに可哀そうだ。
ひとしきり笑ったあと、長老は教えてくれた。
この世界の結婚式は、神果の儀というものらしい。通称「受果」と呼ばれていて、長老から女神の実を授かり、オスがそれをメスに食べさせる。そして指輪を交換して終わる儀式だ。
「指輪の交換!?」
思わず声が出た。
長老によると、昔、女神とそのツガイが揃いの指輪をしていたのが始まりらしい。――オスのほうは、首に下げていたそうだけど。
ツガイ同士なら、出会った瞬間に惹かれ合い、そのまま蜜月に入る。
だから受果は、そのあとで思い出したように行うものらしい。
「それでも、お前たちは遅すぎるがな」
そう言って、長老はまた大笑いしていた。
ちなみに、ツガイではなくても、チャチャさんのところのように受果を行う場合がある。その相手は「パートナー」と呼ばれるそうだ。パートナーは、出会い、愛を育て、お互いが受果をすると決めてから神果の儀を行い、蜜月に入る。ツガイとは、順番が大きく違う。――その流れは、むしろ私にはなじみのあるものだった。
そうなると、気になるのが浮気についてだ。
バーツは大丈夫だとわかっている。ツガイとはそういうものだと、長老も言っていた。それでも――なんとなく不安で、知っておきたくなった。
「落ち人にはわからないだろうが、我らは生まれつき、ツガイの匂いを嗅ぎ分けられる。捕らわれるぐらいに甘い匂いがする……らしい。俺も知らないがな」
にやりと笑う顔は、どこかバーツに似ていて、思わずどきっとする。
いやいや。浮気なんてしない。
「俺のところはパートナーだから、ツガイの匂いはわからん。一度ペアになると、相手の匂いが『もっとも安らぐ香り』として脳に焼き付く」
「ペアってなんですか?」
「ああ。ペアというのは、一緒に歩むと決めた二人のことを呼ぶものだ」
そう言いながら、長老は鼻をひくひくさせて、にやけている。どうやら自分のパートナーの匂いを思い出しているらしい。――かっこいいおじ様像が、ぼろぼろと崩れていく。思わず顔がひくついた。
「だからな、受果後にツガイと出会っても、魅力を感じるのは一瞬で、すぐに心はペアに引き戻される」
胸を張って説明している顔は、まるで「俺は浮気をしないオスだ」と言っているみたいだ。
――でも、さっき「知らん」と言っていなかった?
突っ込みたいのをぐっとこらえて、私は黙ってうなずいた。
「さらにな、狼族は種族的にも忠誠心が強く、浮気なんて、絶対にあり得ない」
パートナーに聞かせているつもりなのか、胸を張って言い切る。けれど、その姿には――いつもの長老の威厳は、まったく感じられなかった。
――メスが絡むと、みんな、こうなの?
なんだか、いろんな意味で……すごく安心した。
ということで、今、私はプロポーズ大作戦を考えている。
本当は、プロポーズされたい。なんなら――すごく憧れていた。
綺麗なロケーションで、さりげなく愛の告白。そして、ゆっくりと指輪をはめてくれて……。そんなプロポーズ。
けれど、この世界には、そんな文化はない。……大丈夫。愛の告白だけは、バーツがいつもしてくれるから。そうやって自分を励まして、私は決意した。
――私が、バーツにプロポーズする。
まず、婚約指輪を用意することにした。
この世界のオスたちは獣姿になる。指の太さが変わるため、指輪は鎖に通してネックレスにしているらしい。でも――私は、指輪としてつけてほしかった。だから、魔法陣を内蔵する形で作ることにした。作成は、ベーベさんにお願いする。
もちろん、全部内緒だ。
プロポーズといえば、サプライズだよね。
「バーツの指輪を作ってほしいの。忙しいのに、ごめんなさい」
ベーベさんは、もう寝る暇もないくらい忙しい。
それでも……この指輪だけは、絶対に失敗したくない。
思いきり頭を下げてお願いする。
「むふぅ。おめでとう! ぜひ作らせてほしいなぁ」
目の下にたくさん隈をくっつけているのに、ベーベさんは笑って引き受けてくれた。……ありがとう、ベーベさん。
ベーベさんは熊族の長老の親族だ。
だから長老の付き人として、さりげなく長老会にも参加して、指輪の相談をする。
「……伸縮魔法陣を組み込めば、変身してもサイズが変わらないから」
熱収縮の原理を応用した伸縮魔法陣。今回は分岐もないから、実現できる。私は描いてきた魔法陣の設計図を見せて、いつも通り説明した。
ベーベさんは、丸い目をさらに丸くして笑う。
「すごいなぁ」
「ちょっと小さいけど、バーツの指輪に入れてほしいの」
そう伝えると「……なるほどねぇ」と呟いて、にやりと笑った。彼はルーペを作り、それを使って指輪の土台に微細な線で伸縮魔法陣を刻んでいく――どちらもベーベさんの力なしでは不可能だった。
残る材料は、魔石だ。
バーツと一緒に雑貨屋へ向かった。
魔石の専門店はない。欲しがる人が少ないから、雑貨屋が片手間に置いているだけらしい。
店の端には、どんぶりのような器。そこに山盛りになった魔石が、どでんと置かれていた。思わず笑いが漏れる。
「どういうのがいいんだ?」
「このくらいの大きさで……形は、できれば丸に近いのがいいかな」
二人で一粒ずつ確認していく。
大きさ、形、尖り具合。
意外と条件に合う魔石がない。
店主がチラチラと私を見ながら、バーツに色付きの魔石を差し出した。
「性能は同じなんだが、色がついちまってて……」
「あ!」
思わず飛びついた。
緑の魔石も綺麗だ。欲しい。買う。でも――どうしても欲しいのは、黒だ。私も、バーツに似てきたみたい。私の色を付けてほしい。そう思って、必死に魔石を探した。
こうして、必要な材料は揃った。
すべてを組み合わせれば、婚約指輪は完成する。
私の小さな秘密のプロジェクトは、静かに動き始めた。
帰宅後が最大の難関だ。バーツは絶対に「何に使うんだ?」と聞いてくる。だから、こう答えることにした。そのあとの大変さは覚悟のうえで。
「バーツとお揃いのピアスを作ろうと思って……」
コンマ何秒で、優しく激しい竜巻に攫われた。
て……手加減……お願い。
ゆっくりと心をリセットした後、長老会で、私はメスについて説明をした。
「メルからの愛が足りないせいで、メスが衰弱しています」
「どういうことだ。なぜ、その程度で衰弱する?」
猿族長老は、まだ事態の深刻さを飲み込めていない様子だった。
一方、ツガイへの執着が最も強い狼族長老は、目を閉じ、低く呟いた。
「オスはツガイに執着する。ならば……メスにも、同じだけの愛情が必要だった。考えれば、当然のことだったのだ」
その言葉に、部屋の空気が重くなる。
「どうしたら……どうしたらいい」
猿族長老が、迷子の子どものような声で呟いた。普段は威圧的なその声が、今は震えていた。
「女神の御許へ、まいりましょう」
狐族長老が、背筋をぴんと伸ばして言う。わざとらしいほどゆっくりと。
「何べん行っても虫に全滅や。今までと同じやり方で勝てるかいな」
兎族長老が、椅子にもたれて鼻で笑った。狐族長老が少し顎を上げる。
「皆で女神に祈りを捧げましょう」
「狐はどうか知らんけど、兎は毎日お祈りしとるで」
「申すまでもなく、狐族もまた同じくでございます」
「へー、へー、さよか」
二人のやりとりは、傍から見れば可愛い口喧嘩だ。でも、そこに流れているのは女神に可愛がられた過去を巡る、長年の嫉妬だって、私は知っている。
狐族長老はこめかみに青筋を浮かべ、兎族長老は片耳をぴくぴくと動かしていた。
「……オスで、『ブキ』が流行っておる。草原で……メル、要らんかもしれん」
虎族長老が、ぼそりと呟いた。あまりに言葉が少なくて、一瞬何の話かわからなかった。
「虎のぉ~。女神と毛並みのこと以外も~もっと話すとぃぃぞぉ」
熊族長老が、のんびり笑う。
「だが、一理ある。戦えるオスを集め、女神のところへ行く」
狼族長老が顎に手を添えて考えながら、皆に提案する。
「兎は賛成やで」
「熊族も~よろしいぞぉ~」
「虎もだ……」
「猿も――」
「すみません」
気づけば、私も手を挙げていた。この世界に挙手の習慣なんてないのに。恥ずかしかったけど、全員の視線がこちらに集まった。
「オスが戦える方法を考えますので、少し時間をください」
作戦も立てないまま決定へ進もうとする長老たちを見て、心臓がばくばくして止まらない。
「そうか。では待とう。次の会でいいな」
猿族長老が、さっきよりずっと大きな声で言った。
……終わった。
いろんな意味で、ぐったりだ。
部屋の外で待っていたバーツの胸に飛び込み、その温もりに包まれた瞬間、ようやく心が落ち着いた。
ルル、ルル、ルル。戻ってきた俺のツガイ。俺の命。
俺に可愛い笑顔でご飯をねだる。
――あぁ、俺も愛してる。もちろん、腹いっぱいの愛を食わせてやる。
俺をかっこいいと言い、可愛い笑顔でくっついてくる。
――欲しがりな俺のメスめ。あぁ、もっとくれてやる。
俺と揃いのものをつけていたいと、可愛い笑顔でねだる。
――甘えん坊の俺のツガイめ。大丈夫だ、俺の全部がお前のものだ。
お前が解るまで、たっぷりとくれてやる。さぁ、ベッドに行くぞ。




